ほころびたけど捨てられない母のTシャツ

もう誕生日がめでたくもない年齢になったけれど、真夏に生まれた私は誕生日がくるたびに思うのだ。こんな暑い時期に出産した母は、さぞ大変だったろうなと。当時はまだ病院にエアコンはなかっただろう。

誕生日母に感謝する日なのだと、年々、強く思う。

母が亡くなった後、母の衣類は殆ど処分したのだが、自分でも着られそうなものはせっかくだからと持ち帰った。殆ど未使用に近いと思われるTシャツも何枚かあったので、「母もTシャツを持っていたんだ~」と意外に思いながら、それ以降、私が愛用している。夏に限らず、一年中、ジムで運動をするときに着ているのだが、襟のあたりがくたびれてきて、ほころびているところもあり、そろそろ処分しなくちゃなぁと思いつつ、処分できずにいる。そして、いまだに家の中で着ていたりもする。

母のTシャツだと思うから、捨てられない。ほころびていても。でも、このまま着続けるわけにもいかないし、どうしたものか。
来年の誕生日まで、悩んでいるかも知れない。

『さらばわが愛/覇王別姫』と香港・北京の思い出

先日、『普通の人々』に続けて見たもう一本の映画、『さらばわが愛/覇王別姫』(1993:中国・香港合作)は、当時、香港映画にはまっていた私が試写会を含め、何度も見た作品だ。その頃、私は外資系企業から雑誌の出版社に転職していたので、この映画の記者会見に行き、陳凱歌(チェン・カイコー)監督と主演のレスリー・チャンに質問をした。(でも、何を訊いたのか思い出せない!)しかも、その何年か前に、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の著書『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』を読んでいたので、記者会見後はこの本にサインまでもらってしまった! なんというミーハー!

この映画の舞台は北京。子供の頃から厳しい修行を重ねた京劇の名優コンビの物語で、時代は1920年代から日中戦争文化大革命を経て、四人組の失脚後まで。ふたりが演じる『覇王別姫』は、前漢の高祖に敗れた項羽が愛姫虞美人と最後の宴を開き、そこで虞姫が剣の舞をした後、その剣で自害するという史実に基づく京劇の演目で、「四面楚歌」の由来となった有名な物語だ。

時代に翻弄されながらも、逞しく生きてきた主人公たち…なのに、彼らにはさらに試練が待っていて、中国ってほんとに、これでもか、これでもかっていうくらい過酷な国だよなぁと思う。日本軍はもちろん憎い敵ではあるのだが、それでも京劇(中国文化)を理解し、敬意を持って扱った人たちとして描かれている。なのに、文化大革命により中国の伝統文化は否定され、破壊されるのだ。中国・香港合作の映画なのに、これを見る限り、「日本軍はまだ全然マシだったよなぁ」という描き方だ。文化大革命をもろに体験している陳凱歌(チェン・カイコー)監督だからこそなのだろうけれど、1993年にはこういう作品を作ってもOKだったということだ。(現在だと、どうなのだろう!?)

私が中国に太極拳を習いに行ったのは、この映画が公開された数年後のことだが、この頃、中国政府は中国武術をオリンピック種目にすべく、いろいろと活動していると聞いた。だから、海外からの太極拳を始めとする中国武術の留学生も好意的に受け入れていたのだと思う。武術を世界的な競技にするためなのか、私たちは中国政府が制定した簡化太極拳というものを習い、大会で競うのもあくまでも「表演武術」だった。素人の留学生にも、中国の大会で優勝経験がある優秀な先生方が教えてくれたのだが、その先生方の高齢の師匠たちは、文化大革命中はこっそり隠れて武術の練習をしていたと聞いた。武術という伝統文化も、弾圧されていたのだ。

この映画を見たあと、私は実際に京劇『覇王別姫』を観に行った。踊りといい、音楽といい、かなり楽しめたと記憶している。その後、中国の伝統楽器の演奏会にも行ったのだが、国家一級演員による太鼓や二胡のソロ演奏は、ヘヴィメタのギターやドラムソロにも匹敵する超絶技巧だった。香港では、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファなどが国家一級演員に選ばれていると聞くが、私が見た音楽家もかなりすごい方だったのだろう。

話が逸れてしまったが、『さらばわが愛/覇王別姫』で、覇王役の小楼を愛する女形の蝶衣の悲恋を演じきった主演のレスリー・チャンはその後、香港のウォン・カーウヮイ監督の『ブエノスアイレス』に主演。これもゲイの物語なのだが、私は幸運にもこの映画の記者会見&クランクインにも香港で立ち会った。友人(日本人)のアシスタントとして、連れて行ってもらったのだけど、撮影がクリストファー・ドイルということもあり、現場には広東語北京語、そして英語が飛び交っていた。レール上のカメラが移動する際に、香港人と思われるスタッフが友人に対して英語で「気をつけて」と言ったのに、その隣にいる私には北京語で「気をつけて」と言ったので、私は大陸から来た中国人と思われていたのであろうか。実際、その時の私は北京から駆けつけていたので、北京の匂いでもしたのだろうか。香港には何度も行ったけれど、あのときだけは土産物屋でも、空港でも、北京語で話しかけられたことを思い出す。

ブエノスアイレス』の記者会見には、レスリー・チャンに加えて、トニー・レオンも参加していて、私はトニーに釘付けになった。それまで映画を見て、色気のある人だと思っていたけど、生で見るとその色気はハンパなくて、殆ど何も喋っていないのに、たぶんその場にいた女性たちは彼に軒並みノックアウトされたのではないだろうか。その時、私はものすご~く後悔していた。実はその何年か前、同じくウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』という映画の応援団に入った際、プロモーション来日したトニー・レオンカリーナ・ラウとのミーティングなるものが企画されていたのに、私は坂本龍一の武道館ライヴと重なっていたため、悩んだ末にライヴに行ったのだ。トニーカリーナは当時から私生活でもカップルとして有名だったこともあり、特に興味がなかったのだが、あとで聞くと、ふたりを交えてみんなで夕食をしたというではないか。その時も、少し後悔したのだけど、香港での記者会見で生トニーを見たら、「なんであのときライヴに行ったんだろう」と、本当に本当に後悔した。

トニーは長年のパートナー、カリーナと2008年にブータンで結婚。つい最近も誕生日を迎えたトニーの写真をカリーナインスタグラムに投稿するなど、相変わらず仲が良さそうだ。

一方、レスリーは『さらばわが愛/覇王別姫』の蝶衣と同じくゲイであると言われていたが、その役柄を地で行くように、2003年4月1日香港のマンダリン・オリエンタルから飛び降りて亡くなった。映画と同じくあまりにショッキングな最後(最期)だが、彼の作品を今でも見られることが救いである。

『生きがいの創造』飯田史彦著を読んで

何事にも適切な時機があるのだろう。

7月6日の西日本豪雨で行方不明になった晋川尚人さんが、ようやくみつかってから何日か過ぎた頃、以前、聞いていたポッドキャスト番組が更新されていたので、なんとはなしに聞いていたら、飯田史彦氏による『生きがいの創造』という本の話が出てきた。「あ、この本、聞いたことある」と思って本棚を探したら、あった、あった! 何ヶ月も前から、「これ、読んでみよう」と思って本棚の目立つところに置いて、そのままになっていたのだ。そもそも、この本を買ったのは(正確には思い出せないけど)もう何年も前のはず。どこかで紹介されていて、面白そうだと思い、具体的な内容はまったく知らないまま、買ったのだと思う。

そのポッドキャストを聞いて、「これはいま、読まなければ!」と思い立ち、すぐに読み始めたら面白くて、かなり分厚い文庫本だが苦もなく読めた。本を買ったときに想像していたのとは、まったく違う内容だったことにもビックリしたけれど、私自身が今まで感じていたことにいっそうの確信が持てる内容だったので、なんだか心強い気持ちになった。

生まれるずっと前のことや、胎内でのことを覚えている子供たち、退行催眠によって過去生を語る人たち、臨死体験をした人たち…といった不思議なお話がたくさん出てくるのだが、この本の目的はそういうスピリチュアルな世界の探求にあるのではない。そういうもののしくみを認識し(必ずしも肯定しなくてもいい)、自分たちの存在の意味を理解しようとすることで、愛情と希望をもって、この人生を生きようと提唱しているのだ。(あくまでも私の感想だけど)。

大学の経済学部で経営学について20年近く教鞭をとっていた著者は、現在は経営心理学者として、カウンセリングを始めとして、幅広い活動をされているようだ。広島県出身の同世代ということで、勝手に親近感を覚えて本を読みながら、ふと同じく広島の同世代である晋川さんのご両親のことを考えていた。

著者は、本書の初版が出て何年も過ぎた後に、自身も臨死体験をされたそうだ。そして今では(それとも昔から?)、不思議な力を得ていらっしゃるようだ。これについては、また別の著作を読んでみないと詳細はわからない。ただ、本書でもその臨死体験について、「自分の体から離れて、まぶしい『光の次元』とつながり、『究極の光』と表現するしかない存在と会話したあと、いくつもの美しい『光』たちから、素晴らしいメッセージをたくさんいただいたのです」と書いてある。退行催眠や臨死体験を経験した人の多くも、こういった「光」と出会うという。

私は退行催眠も臨死体験も経験したことはないが、昔、夢の中で「光」のような存在に出会って感激したことがある。目覚めたときに、本当に涙が流れていて、自分でも驚いたくらいだ。今もその夢ははっきりと記憶に残り、今でもあの時の感動が蘇るほど。本書を読んで、この夢が私に与えた影響の大きさを改めて認識した。そして、いまこの本を読んだことにも、何か意味があるのだと思っている。

最後に、著者の飯田史彦氏が2004年11月、筑波大学で開催された「日本死の臨床研究会」での特別講演で提唱されたことを記しておく。

「二十一世紀には、『死』の定義が、新しいものへと変わるはずです。それは、『死ぬということは、体から離れて生きるということである』、という定義です。私たちの正体である意識または魂は、肉体が機能を失うと離れるだけであって、決して宇宙から消えてしまうわけではないのです。この宇宙に存在することを『生きている』と表現するならば、死ぬということは、単に、体から離れて生きるということにすぎません。体を持っている人も、体を持っていない人も、みな同じく、生きているのです」

興味がある方は、ぜひご一読を。

今になって初めて見た映画、『普通の人々』

懐かしい『マネーピット』を見たせいで、今週は録り溜めている昔の映画を次々と見ている。昨日は1980年のアカデミー賞4部門受賞作品であるロバート・レッドフォード監督の『普通の人々』と、1993年の香港・中国合作、陳凱歌監督の『さらばわが愛/覇王別姫』の2本を見てしまった。

実は私が『普通の人々』を見たのは、昨日が初めて。ロバート・レッドフォードが昔から苦手な私は彼の作品を積極的に見てこなかった。といっても、これは監督作品なので、レッドフォードは出演していないのだが、初監督作品として話題になってアカデミー賞も獲ったのに、なぜか見る気にならなかった。それをなぜ今、見る気になったかと言えば、数日前に見た『THIS IS US 36歳、これから』というドラマの中で、この映画が話題になっていたからだ。このドラマ、アメリカで2016年のトップ10番組に選ばれたとかで、なかなか面白い。魅力的な愛おしいキャラクターが勢ぞろいで、今私がもっとも楽しみにしているドラマなのだ。

で、『普通の人々』。前もってなんの知識もなく見始めたので、いろいろとビックリ。この映画でティモシー・ハットンが有名になったことは知っていたけど、主演はドナルド・サザーランドだったのだ。(『24』のジャック・バウワー役のキーファー・サザーランドのお父さんだ)。今ではすっかり白髪の髭面でモゴモゴと話す姿が定着してしまって、「ああ、若い頃はこんな色の髪で、こんなにはっきり喋っていたんだ~」と再確認。

映画は、ヨットの遭難事故で兄が亡くなり、自分だけ生き残ってしまったことから自殺未遂をしてしまった高校生の弟(ティモシー・ハットン)とその両親の物語なのだが、弟がセラピーに通う精神科医が『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』でお父さん役だった俳優さん(ジャド・ハーシュ)でこれまたビックリ。さらに、弟が親しくなる女子高生が、よく知っている顔だなぁと考えていたら、『ダウントン・アビー』の伯爵夫人役のエリザベス・マクガバンだった。これが彼女の映画デビュー作だったらしい。

映画に登場する一家は、『普通の人々』という割にはかなり裕福そうで、周囲は白人オンリーという、現在のアメリカではきっと既に普通ではない人々に思えた。少なくとも、マジョリティとは言えないだろう。それが証拠に、私が一番最近見たティモシー・ハットンは2015年にアメリカで話題となった『アメリカン・クライム』というドラマで、息子を殺された貧しい白人の父親を演じていた。実は息子はドラッグの売人をやっていた気配があり、息子を殺した犯人はヤク中の黒人で、さらにメキシコ移民、その移民2世のギャングなども登場し…現在のアメリカ社会の暗部が描かれた、ものすご~くハードでヘヴィーな物語だった。アメリカのドラマには珍しく、救いがないのだ。これが現実なのかも知れないが。だからトランプ大統領が登場したのね…と変に納得してしまうドラマだった。『普通の人々』が公開された1980年から40年弱の間に、アメリカ社会がこれだけ変貌したということなのだろう。

さらばわが愛/覇王別姫』については、また今度。

何度でも笑える映画『マネーピット』(トム・ハンクス主演)

数日前、家族と「一番好きな映画はなに?」という話になり、思わず考え込んでしまった。最近は映画から遠ざかっているが、東京で一人暮らししていた20代~30代の頃は頻繁に映画館に通っていたし、ビデオも加えたら、かなりの数を見ているはずだけど、もう遠い過去の話…。それでもいろいろ考えるうちに、好きだった作品が次々と思い出されてきた。でも、この中でどれか一つ選ぶのは至難の業だ。

個人的には、リアルな生活は明るく楽しいのが一番だけど、映画や音楽は暗いものが好きなので、映画シリアス系がけっこう好みなのだが、こうやっていろいろ考えて、もう一度見てみたいと思ったのが、若きトム・ハンクスが主演のコメディ『マネーピット』(1986年)だった。

若き…と言っても、トム・ハンクスが30歳の頃、『ビッグ』がヒットする2年前の作品で、製作総指揮はスピルバーグだ。ロックスターの顧問弁護士のトム・ハンクスと、オーケストラのビオラ奏者のガールフレンドが、ニューヨーク郊外の豪邸を格安で手に入れたはいいが、リフォームしてみたら、あちこちが壊れていて、どんどん工事が大掛かりになっていくという悲惨なお話。タイトルの『マネーピット』は「金食い虫」という意味だそう。

これ、単なるドタバタコメディなのだけど、この頃のトム・ハンクスの愛らしさと言ったら! 家がどんどん壊れていって、ヤケクソになったり、途方に暮れたりする姿が、あまりにおかしくて、何度見ても大笑いできるのだ。この作品、実は映画館ではなくレンタルビデオで初めて見たのだが、あまりに面白いので、その後、レーザーディスクを購入した。それ以降、むかつくことがあったときや、なんとなく落ち込んだときには、この映画を見るのが習慣となっていた。時間がないときは、「二階の床に穴があいて、絨毯ごと穴にはまって抜け出せなくなったトム・ハンクスが困っている」場面だけを見る。このシーンを見ると、どんなに悲しいときでも絶対笑えたのだ。

その後、レーザーディスクプレイヤーが壊れてしまい、私が大量に買い込んでいたディスクも、大掃除の際に夫に言われて、すべて廃棄してしまった。(昔、カールスモーキー石井レーザーディスク5千枚持っていると、どこかで読んだ記憶があるのだが、それが今、どうなっているのかちょっと気になる。)昔、好きだった映画を今になって有料チャンネルでみつけては録画しているのだが、『マネーピット』ももちろん録画済み。思わず懐かしくなって、家族との会話のあと、何十年かぶりに(!?)見てしまった。そして、やっぱり笑ってしまった。大声を出して本気で笑える場面がいくつもあるなんて、ほんとすごい。

この頃のトム・ハンクスの出演作品はほぼ網羅したけど、私の中ではやはり『マネーピット』が一番だ。アレクサンダー・ゴドノフが共演というのも、すごい。ニューヨーク公演中にアメリカに亡命したボリショイバレエの大スターだったゴドノフさんが、いや~な性格の指揮者の役でコメディに出演しているのだ。(ゴドノフさんは1995年に45歳で急死。死因は急性アルコール中毒らしいけど…)

とはいえ、ここ20年弱は『マネーピット』が手元になくてもまったく気にならないくらい、楽しく暮らしていたのだなぁとしみじみ。いや、もちろん大変なこともあったけど、家族がいるとオッケーみたいだ。今回は夫と一緒に『マネーピット』を見て大笑いできて、幸せだなぁと思う。

インターネットの怪

ここ何日かの間に不思議なことが続けて起こった。

まず、私の携帯のアドレスに知らない人からメールが届いた。読んでみると、私の友人に宛てた内容だったので、すぐにその友人に転送した。どうして私のところに届いたのか、わからないまま。友人から、「ありがとう。なんでだろうね!?」という返事が来て、とりあえず一件落着。

その2日後、スマホで購読登録をしているポッドキャスト番組が更新されていたので、聞いてみたら、まったく違う番組が流れてきてビックリ。調べてみると、同じ日に更新された別人の番組であることがわかった。でも、どうして!? 私と同じ番組を聞いている友人に、「別番組が流れてくるよ、変だよ」と連絡したところ、ちゃんといつも通りだという返事が…。え、なんで、私だけ!? それで、一度、購読登録を解除して、再度、その番組を検索して聞いてみたら、ちゃんといつも通りだった。え~、あれはなんだったの~!?

そこで2日前の謎のメールのことを思い出し、もう一度、受信メールを見てみたら、知らない人からのメールは消えていた。私が友人に転送したメールと、友人からの返信メールは残っているのに。え~、なんだったの~!?

結局、理由はわからないまま。私のスマホはどうなっているのだ!?

ところで、きょうもカラスが現れた。最初は1羽だったのに、すぐにもう1羽もやって来て、そばで羽を広げて、しばらくじ~っと日干ししていた。この前よりも2羽の距離が縮まっていて、ほっとする私。これからも仲良くね。

カラスの家族も「空の巣症候群」!?

6月26日の記事で、この辺りでは3羽のカラスが夏の晴天に羽を広げて日干しをする(たぶん)と書いたのだが、実はこの夏はまだ3羽のカラスを見かけていない。6月26日の記事に載せた写真でも、日干しをしているのは2羽のカラス。去年までは3羽のカラスが仲良く寄り添って、まるでコウモリ傘が3本並んでいるかのように、大きく羽を広げていたのに…。

3羽のうち1羽が少し小さかったので、両親と子供の3羽から成る家族だったのだろう。そして恐らく子供は巣立っていったということか。だから、今年は2羽のカラスしか現れないのだろう。しかし数日前に撮った写真を見ると、やけに2羽の距離が離れているではないか。子供が巣立ったあとの、冷め切った中年夫婦って感じで、こちらも身につまされながら眺めてしまった。

ところが、なんときょうは、とうとう1羽のみが現れて、ゆうゆうと羽を日干ししていた。写真は撮れなかったのだが、もしかして「空の巣症候群」のお母さんカラスだろうか!? それとも、お母さんに相手にされなくなって暇つぶしをしているお父さんカラスだろうか!?

よそのカラス一家のことを心配していたら、ネットを見ていた夫が話しかけてきた。「上沼恵美子夫源病別居しているらしいよ。完全別居の決定打は、大阪北部地震の時に別荘から自宅に帰ってこなかったことだって」

我が家の子ガラスが巣立っていくのは、いつだろう(と戦々恐々)。

小学校の給食の思い出

今となっては信じられないのだが、小さい頃の私はわりと食が細く、好き嫌いもあって、けっこう神経質な子供だったらしい。その上、食べるのも遅かったので、小学校入学後は時間内に給食を完食できず、困った担任の先生がうちの母に、「お宅ではどんなご馳走を食べさせていらっしゃるのですか?」と訊いたという。もちろん「家で毎日、ご馳走を食べていたから、給食なんてまずくて食べられなかった」わけではなく、単に食べるのが遅い私に、先生が「早く食べろ、全部きれいに食べろ」とプレッシャーをかけてくるのが逆効果になっていただけなのだ。

小学校中学年までの担任は、3人とも年配の女性教師だったので、特に「食べ物を残してはいけない」と私たちに強く言っていたのだろう。彼女らも、私の母と同じく、戦争中にひもじい思いをした世代だったのだ。

ところが高学年になって、初めて担任が彼女らより若い男性教師となった。その先生は熱血だけど、怒ると怖いと評判だった。当時は体罰もオッケーの時代だったから、悪いことをした生徒は前に立たされて、平手打ちをされた。罰を受ける生徒が多いときは、先生も手が痛くなるので、黒板消しでガツンとやったり…。でも、叩かれた生徒は誰も反発しなかった。「自分が悪かった、叱られて当然」という時に叩かれるので、みんな納得していたし、逆に先生の愛情の証みたいに感じて、叩かれた生徒は内心、喜んでいたような…。とは言っても、先生が実際に平手打ちするのはよっぽどのことがあった時で、普段は「われ、ドタマかち割っちゃろうか!」と怒鳴るだけの愉快な先生だった。

その先生が、担任となった最初の給食の時間にこう言ったのだ。「ほんまは給食は残さず全部食べた方がええよ。じゃけど、わしは自分が好き嫌いがあって全部食べられんけぇ、あんたらにも全部食べとは言わん。なるべく食べるようにすりゃあ、ええ」。怖い先生だと思っていたので、てっきり「給食はきっちり食べろ」と言われると思っていたのに、無理して全部食べなくていいとはビックリ。しかも先生は、パンを一切食べなかったのだ。当時の給食のパンは確かに不味かったので、今となると、先生の気持ち、よく理解できるのだけど。

これは市内のすべての小学校でやっていたのか、それともうちの小学校だけだったのか、よくわからないけれど、当時、うちの学校ではプールを使わない季節には、プール鯉の稚魚を飼っていた。(さすが、広島だ!)毎年、プール開きの前にその稚魚を売って、何かの足しにしていたのだと思う。なので、プール開きの前には、藻などで緑になったぬるぬるのプールをみんなで掃除するのが恒例だった。

パンを食べない担任の先生は、稚魚がいる時期は、給食を食べ終わるとプールに行き、パンをちぎってはプールに投げ入れて鯉の餌にしていた。私たちも、たまに一緒に行って、自分が残したパンや、先生の残したパンをもらって、プールに投げ入れた。わけもなく、すごく楽しかったのを覚えている。

そして、給食が食べられなかった私が、なんとこの先生が担任になってから、給食を楽しく完食するようになったのだ。「無理して全部食べなくていい」と言われたら、全部食べられるようになったのだから、人間って不思議。(なお、「強制しない方がうまくいく」というこの法則は、自分が子育てをするようになってから、何度も実証済みだ。)

ところで給食の残飯って、今はどう処理しているのだろう? 当時は、給食係りがまとめて大きなバケツのような容器に入れた残飯を、近所の豚小屋に持って行っていたように記憶している。(その豚小屋を覗きに行くと、豚が残飯を食べていた。)その頃は、学校のトイレもすべて水洗ではなかったので、バキュームカーが来ていたし、今思うとエコな時代だったのだ。

さて、私を「好き嫌いなく何でも食べられる人間」に変えてくれた担任の先生とは、小学校を卒業してから会ったことはない。いや正確には、一度だけ、先生の姿を見かけたことはある。私が帰省した際、夜遅くに夫と一緒に駅前の大型書店に行ったところ、先生らしき人を見かけたのだ。いつも口癖のように、「若いうちに本はたくさん読め」と言っていた先生だったので、間違いはないと思う。「年をとってから、あの時、もっと本を読んでおけば良かったと後悔するから、今のうちにたくさん読め」という先生の言葉を、まさにその通りだと思い出していたのだけど、その時の私は、すっぴんでどうでもいい格好をしていたことが恥ずかしくて、先生に声をかけられなかった。そして、そのことを今も後悔している。それ以来、どこで誰に会うかわからないから、恥ずかしい格好では出歩かないように…と言い聞かせているのだが。ちなみに、先生の住んでいらした地区は、今回の豪雨で大きな被害があったらしい。まだそこに住んでいらっしゃるかどうかもわからないけれど、今も元気でいらっしゃることを祈っている。


*ご近所さんから頂いたナス!

呉市が舞台のドラマ『この世界の片隅に』

2016年のアニメ映画が話題になった時に初めて知ったこの作品、見たいなあと思いつつ、そのままになっていたら、このたびドラマ化されて、TBSの『日曜劇場』で7月15日より放送が始まった。こうの史代さんの漫画が原作で、2011年にも日本テレビでドラマ化されていたらしい。

西日本豪雨の甚大な被害が連日、報じられる中でのドラマ開始。久しぶりに広島弁のドラマを見て、懐かしさに駆られた。江波、草津、呉、広…懐かしい地名の数々。しかしあろうことか、私は初回の最初を見逃してしまったので、その後、毎週録画に設定。これで安心して最後まで見られるはずだ。

水道のある広島からの高台の家に嫁いだ主人公は、毎朝、近くの井戸で水を汲んで運ぶことになり、慣れない作業に四苦八苦する場面があったのだが、今も断水が続く地区では、この暑さの中、さぞ大変だろうと考えてしまう。給水の水は、臭いがあって調理にはなかなか使えないらしい。市内でも、断水がまだまだ続きそうな地区が、いくつか残っているし、道路や鉄道の復旧は今年後半、あるいは来年まで、かなり時間がかかるらしい。そのため、今、通行できる道路はいつも渋滞していて、移動の時間が読めないのだとか。

被害が広範囲すぎて、テレビが報じた被災地はほんの一部。日に日に全国ニュースで報じられる時間も減っているので、遠くにいると様子がわからないのだが、私の生まれ故郷もけっこうな被害が出ているらしい。テレビでは一切報じられなかった気配だけれど。

ちなみに『この世界の片隅に』の作者、こうの史代さんは、広島市の出身で、年代も私とわりと近い。実は数日前から夢中になって読んでいる本の作者が、私と同世代の広島県出身の作家(男性)なのだが、偶然にも夫がいま読んでいる本の作者も広島県出身(の女性)で、男性作家と同い年であった。

なんだか、寝ても覚めても広島の日々。広島を引き寄せているのだろうか。(ちなみに、少し前に近所のスーパーで買ったおいた味付け海苔を開けたのだが、これも広島矢野の会社だった。)

そして、このタイミングでの『この世界の片隅に』のドラマ開始。通常の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうな被災地でも、このドラマを見て励まされている人が多いのではないだろうか。

晋川尚人さんのご両親の言葉

西日本豪雨で殉職された広島県警呉署晋川尚人さんのご家族から、友人を通じて感謝のメッセージが届いた。故郷の惨状を報道等を通して見て、祈ることしか出来なかった私としては、もどかしい、やるせない気持ちでいっぱいだったけれど、こうやって素晴らしい警察官とそのご家族に間接的にでも知り合えたことを本当にありがたく思う。

以下、尚人さんお母様のメッセージです。

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みんなにはツイッターで拡散してもらって、尚人の最後の仕事をわかってもらえてほんとに感謝しています。

一区切りついた今、ほんとに孫がパパのこと誇れるのか?わかりませんが、孫には「パパは凄く大変なお仕事したから、すごく疲れて眠たくなっちゃった。寝させてあげてね」と話しました。理解できる年齢ではないけれど、何かを察しているようです。あどけない笑顔を見たら泣きそうになります。

6日以降、連日捜索に行きテレビ、新聞にも目を通す暇もありませんでした。お誉めの言葉をいただいているようですが、故人は当たり前のことをしただけ…と言っています、ほんとにそういう子でした。

お通夜の日に助かった方がお礼に来られて涙を流してくださり、初めて私はほんとにそういう行動をしたんだと確信できました。
ですが、残された家族はこれから哀しみに溺れながら、それでも前を向いて歩かなくてはいけません。

どうかそんな警察官を天職として選び人のために生き、短い人生を終わらせた男がいたことを心の片隅に残していただければ…と思います。
捜索にあたり、拡散していただいた皆様に感謝します。

みんなのおかげで拡散してもらって家に帰ることができました。ありがとう。拡散してくださった方に伝えて下さい。

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友人によると、お母様は「尚人の死を無にしないよう家族仲良く前を向いて進めるよう頑張ります。たくさん褒めていただきありがたいです。そんなにヒーローなんかではない、ただの愛しい息子です」ともおっしゃっていたとか。

また葬儀に参列された方によると、お父様は次のようにお話されたそうだ。

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与えられたミッションを果たしたけれど自分の命を落としてしまいました。
こんなカッコ悪い息子ですが誇りに思います。
皆さん、尚人のことを忘れないでください!

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私も同じひとりの親として、おふたりの言葉に込められた思いにただただ胸が締めつけられる。こんな素晴らしいご両親の下に生まれて、幸せだったね、尚人さん。そして尚人さん自身も幸せな家庭を築かれていたのだろうと思うと、辛くてたまらないけど、最後までりっぱな警察官だった尚人さんを誇りに、奥様とお子さんも、お母様がおっしゃっていたように前を向いて歩いていかれますよう、影ながら応援しています。

豪雨の被災地の一日も早い復旧も、祈りつつ。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月16日の記事「〔西日本豪雨〕呉署の晋川尚人さんに関する報道について

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん