シリア、ダマスカスのおじさま、その後

今朝、アメリカがシリアのダマスカス近辺をミサイル攻撃したというニュースが流れた。日本のテレビでは映像ニュースがまったくなかったので、すぐにCNNにチャンネルを合わせた。(残念ながら、うちはBBCが入らないのだ。)夜空にミサイルが飛んでいく映像が流れていた。

シリアのおじさまに連絡をすると、こちらのお昼過ぎに返信があった。今回の攻撃は限定的なもののようだが、夜中に雷のような音で目が覚めたという。ミサイル攻撃とわかり、家族が脅えて泣きながら神に祈っていたとも。

おじさまは政治的なことは一切、口にされないが、立場上、現政権側の人であろう。そうでなければ、今もダマスカスに暮らしていないだろうと思うのだが、詳しいことはわからない。高齢になって、自分の国が7年も内戦のような状態にあって、荒廃していく様子を目の当たりにするのは、さぞかし辛いことだろうと思う。この先の希望がまったく見えないのだから。

シリアの歴史も現在までの状況もほとんど知らない若輩者の私には、おじさまにかけるべき言葉もない。以前、「日本も敗戦時には荒れ野原だったのが、こんな風に復興したのだから、シリアも大丈夫です!」と話したら、おじさまはこう言った。「日本は、全国民が一丸となって復興に頑張ったでしょう? シリアの一番悲しいところは、国民同士が戦っていることなんです」と。

私はまたも言葉を失った。本当に、それでは希望のかけらもないではないか。さらに、そこにいくつもの外国勢力がそれぞれに思惑を持って入り込んでくるのだから、もうぐちゃぐちゃで収拾がつくわけがないという…。

それでも人生に絶望することなく、イスラム教徒としての篤い信仰心を持って、シリアに暮らし続けるおじさまには畏怖の念しかない。信仰の力って、すごいんだなぁ。

日本に生まれた幸運に感謝しつつも、私も含め、今の日本人は平和ボケしすぎてないか…?とちょっと心配。
こちらは吉野山の桜。↓

大紅袍(だいこうほう)とスニッファー、ウクライナの私立探偵

とうとう見終わりました。『スニッファー ウクライナの私立探偵』のシーズン2。
紅茶党スニッファーは、以前も捜査の一環で日本茶を嗅ぎ分け、「東京」というあやしい日本レストランに行き、フグを食べたりしていたんですが、シーズン2の終盤では自宅で元妻に中国茶をふるまっていました。そして、そのお茶は茶木が6本しかないといわれる大紅袍(だいこうほう)だと説明。

「あれ、なんか聞いたことあるぞ!?」と思い、よく考えたら…。

今月初め、紫禁城から移築したお堂(?)での中国茶お茶会なるものに出席するという機会があったのです。中国のお茶はおろか、歴史その他についてもまったく詳しくないのですが、滅多にない機会だからと、誘われるまま喜んで出かけたところ、それはそれは夢のようなひとときでした。ちょうど桜も満開で、幸運に幸運が重なったような一日だったのですが、そこでいただいたお茶が「大紅袍」だったのです。

かつては皇帝専用茶として献上されていたという高級茶。病気の皇帝(あるいは皇后という説も)がこのお茶を飲んだところ、たちどころに病が治ったので、まとっていた赤いマントを茶木にかけたことから「大紅袍」の名がついたとか。
原木は武夷山の岩に生える3本のみ(スニッファーは6本と言ってたけど)。現在は原木を接木(そこからまた接木…)した茶木から生産されているそうですが、生産量はごくわずかだそう。

大紅袍」の名前の由来は、お茶会で説明していただいたけど、こんな希少な高級茶であったとは知りませんでした。これもスニッファーのおかげ。まさに、あの紫禁城の建物にぴったりのお茶だったのだなぁと改めて感動。高貴な香りのする、まろやかな甘味のあるお茶でした。本当にすばらしい機会を得たことに大感謝。

武夷岩茶大紅袍」と桜のお菓子(by 銀座・揚州名菜 秦准春

スニッファー ウクライナの私立探偵

昨日は「」のお話だったので、きょうは「」のお話。

AXNミステリーで以前から何度も放送されてきた『スニッファー ウクライナの私立探偵』を今、ようやく見ている。正直言うと、今までは宣伝を見ても興味をそそられなかったのだが、何度も再放送をしている(ような気がする)し、NHKでもリメイクされたドラマが人気みたいだし、これは本当に面白いドラマなのかも…と思うに至ったのだ。

なぜ今まで避けてきたかと言えば、基本的には英語のドラマの方が好きというのがひとつ。字幕を見ながら英語のセリフを聞くのは勉強になるし、英語の響き自体が心地よい。もちろんフランス語やその他の言語のドラマを時々見るのも楽しいのだが、ウクライナは今までまったく縁がない国なので特に関心がもてなかった。それから、これは私の勝手な偏見だけど、東欧のドラマは暗そう…というイメージがあった。

今までAXNミステリーで、アイスランドフィンランドスイスドイツのドラマも見たけれど、どれもアメリカのドラマのような明るさはなかった。しかし、それよりもさらに暗かったのは、ポーランドチェコのドラマだった。いや、別に暗くてもいいんだけどね。ストーリーは面白かったし、景色もよかったし、俳優さんも上手だったし、歴史や文化が感じられて深みのある内容だったけど、重苦しい雰囲気と、あまりにシリアスなテーマに見ている側も心が重くなった…。戦争共産党時代の暗い影、そして民族の歴史…。どちらも現代のドラマだったのに、過去の呪縛から抜けられない息苦しさを、見ている私まで味わってしまったのだ。

そしてアメリカのドラマとの大きな違いは、なんといっても会話の少なさ。しかもジョークがない! いや、ジョークもどきはたまにあるけど、私からすると「これがジョーク!?」という信じられないレベルだったり。でも嫌いじゃない、こういうドラマも。人間味を感じるし。ただヘヴィーだから、心の準備をしてから見たいというか、見る時を選んでしまう。

そんなわけで敬遠していたウクライナのドラマだけど、ついに一挙放送を録画して、まもなくシーズン2を見終わるところ。で、宣伝の通り、このドラマ、とっても面白い! 各国で放送され、リメイク続出というのも納得。ストーリーは、嗅覚が異常に発達している通称スニッファー(本名は不明)という私立探偵が、特別捜査官のビクトルに協力して事件を捜査して解決に導くというものなのだけど、各エピソードにタイトルはないし、舞台はどこなのか、主人公たちはどういう人なのか、細かい情報は一切なし。

ウクライナについて何も知らない私は、スニッファーが住んでいる都市がキエフなのかすら、わからない。でも、よく聞くと、「スパシーバ」と言ってるような。で、調べてみると、このドラマはロシア語で制作されていた! ロシアドイツの政府間で絵画の引渡しをするエピソードがあったので、舞台は一応、ロシアなのだろうか!? スニッファーの相棒のビクトルも、最初は警察の刑事かと思っていたら、肩書きが「大佐」で、所属も普通の警察とは違う捜査機関のようなのだが、そもそもの前提知識がないのでよくわからない。

スニッファー自身は(おそらく)その嗅覚のおかげで大金持ちとなっていて、高級外車に乗り、豪華マンションにひとりで住んでいるのだけど、その住まいも、そして別れた妻の住まいも、そしてビクトルのオフィスも、どれもえらくモダンでしかも無機質きわまりない。生活感のない不思議な空間なのだ。なのに、たまに出てくる軍の施設などは老朽化して、ぼろぼろで、旧ソ連時代を彷彿とさせる。

この不思議な雰囲気はウクライナならではの世界なのだろうか!? 事件はかなり残忍で悲惨だったりして、さすが旧ソ連というヤバさなのに、ドラマ自体は暗くなっていないのが、これまた不思議。登場人物のキャラクターに救われているのだろうか。あくまで冷静で、面白みのないタイプのスニッファーと、女好きでちょっとだけ軽薄な、でもめちゃくちゃ強そうなビクトルの正反対コンビがなんとも言えない。めちゃ仲がいいわけではないのに、お互いを尊重していて、信頼しているのが伝わってくる。ベタベタしないけど、仲がいい。距離を置いてるけど、信頼しているという人間関係が、まさにこの無機質な空間にマッチしている。

気がついたら、決して美男ではないビクトルウィンク姿を愛らしいと感じ、スニッファーとほほな表情に心安らぐ私がいた。なんだ、魅了されているではないか。それが証拠に、ドラマのテーマ曲が頭にこびりつき、「うーふー!」と叫んでいたりする。ヤバい、ヤバい。でも、これ、見て損はないですよ。

ちなみにウクライナのことが気になって調べてみたら、ウクライナ語ロシア語はよく似た言語で(オランダ語ドイツ語のように)、ウクライナの人はロシア語も普通に話すらしい。(旧ソ連なのだから当然だけど)。ロシア人も、ウクライナ語は話せなくても、聞けばかなり理解できるようだ。ウクライナ独立後は、ウクライナ語が公用語となったが、ウクライナ人であってもいまだに家の中でもロシア語を使う人は多いそうだ。(それだけロシアの影響が大きいのね。)なので、特に若い人の間では、愛国心が強くても、ウクライナ語が苦手という人たちもいるらしい。(けっこう複雑。)このドラマを見ながら、息子が「ロシアの起源は実はウクライナだからね」と教えてくれた。いまのロシアウクライナベラルーシにまたがるキエフ公国キエフ・ルーシ)がロシアの始まりだと。なるほど、複雑なわけだ…。

ドラマがきっかけで、いろいろ勉強したくなるきょうこの頃。うーふー!

矯正歯科から口腔外科へ(これも親知らずのせい)

うちの息子はまだ乳歯が生え始めの頃、カーディーラー店のツルツルの床の上で滑って、上の前歯3本歯茎にめり込んだ。しかし、しばらくすると、歯茎からまた歯が出てきて、ほっとしたのだが、その後、3歳を過ぎた頃、保育園でまたも転んで前歯を打って、その後、上の前歯が2本、抜けてしまった。そのとき歯科で診てもらったら、「永久歯の芽のようなところを傷つけていたら、生えてこないかも知れないが、その時期になってみないとわからない」と言われた。

結局、息子はその後の数年間を「歯抜け」状態で過ごすことになった。上の前歯がないので、たとえば熱々のチキンにかぶりつくとか、そんなことは出来なかったはずだ。満面の笑みも、「歯抜け」のせいでどこか間抜けな感じだったが、まあ、それも今となってはいい思い出だ。

息子は、歯科の匂いや音など経験したせいなのか、あるいはもっと以前からの印象のせいなのか、とにかく歯の治療は痛くて怖いと思い込んでいて、小さい頃から歯磨きはきちんとやっていた。虫歯にだけは、なりたくなかったらしい。(ま、病院全般、怖くて嫌みたいだけど)

その後、心配していた前歯の永久歯もきちんと生えて、息子はようやくきちんと歯も生え揃い、しかも虫歯のない小学校生活を送っていたのだが、小学校の最後になって学校の歯科検診に引っかかってしまった。せっかく生えた上の前歯がどんどん出っ歯になってきて、矯正が必要だと指摘されたのだ。確か5年生で指摘され、そのまま放置していたら6年生でさらに出っ歯度がひどくなったようで、再度、指摘され、息子が大嫌いな歯科を再び訪れることとなった。そこで言われたのは、「矯正歯科の専門の先生に診てもらう必要があるが、もしかしたら抜歯が必要になるかも知れない」ということ。息子の顔から血の気が引いた。虫歯の治療はもちろんだが、抜歯なんてことだけは絶対に経験したくないから、今まで毎日きちんと歯磨きをしてきたというのに、歯を抜かれるかも知れないのだ。虫歯は一本もないのに…。息子のこれまでの全人生の努力はなんだったのか!?(って大げさ!?) さすがに私もちょっと息子のことが気の毒になった。私よりずっと丁寧に歯磨きしていたのだもの。

当時、中学受験を控えていたこともあり、また歯科医から「永久歯がすべて生え揃ってから、どういう矯正をするか決めた方がいいかも知れません」とアドバイスされたこともあり、矯正は中学入学後に検討することとなったので、息子はとりあえず小学校生活の最後は歯科とは無縁で過ごすことができた。

そして中学生になった初めての夏休み、ホームページをチェックしてアポをとった学校近くの矯正歯科で、「抜歯せずに矯正できる」と言われ、息子はそこに通うことになった。最初の3年間は毎月1回、通って、痛そうな器具を装着して、専用の歯ブラシ等で歯磨きも丁寧に行った。矯正歯科で撮ってもらったビフォー・アフターの写真を見ると、前歯の矯正のプロセスがよくわかった。自分の息子ながら、真面目で優秀な患者だったと思う。文句も言わずに、よく頑張ったと褒めてやりたい。(インビサラインという矯正装置を使っているらしい。)

その矯正歯科も腕のいい、きちんとしたところだったのだと思う。私も同伴した最初のカウンセリングで納得したから、そこを選んだのだが、その後、あれよあれよと患者さんが増えたのか、1年後には息子の学校近くのビルの1室から、市の中心部の自社ビル(だと思う)に移転して、歯科医の数も倍以上に増えているらしい。

高校になってからは、3ヶ月に1度、通っているのだが、その間、とうとう一箇所、虫歯になってしまった。矯正歯科でのチェックの頻度が減ったこともあるのだろうが、やはり装着器具のせいで、きれいに歯磨きができていなかったようだ。しかし息子ももう高校生。怖がることなく、矯正歯科に紹介された歯科に行き(当たり前だが)、あっという間に治療をしてもらった。予約もすぐに取れたし、治療も痛くなかったし、良心的な歯科だったらしい。

このまま無事に歯科矯正も終了するかと思いきや、昨年末に矯正歯科に行った際、息子は親知らずが出てきていることを指摘されたらしい。そして、「今のうちに歯科で抜いてもらってください。受験生になったら大変でしょう?」と言われたらしい。またもや「抜歯」と聞いて恐怖におののいた息子は、歯科に行くのをずっと先延ばしにして、ようやくこの春休みの終盤に受診したのだが、そこでまたもや恐怖の宣告をされた。「下の親知らずが普通に抜けない場所にあり、神経に近いところでもあるので、大学病院の口腔外科に行ってください。」

一応、左右上下の親知らず4本とも抜く予定なのだが、下あごの親知らずについては「抜歯手術」となるらしい。春休みの最後に、大学病院の口腔外科に行って検査をしたものの、念のため、今週もう一度CTを撮ることになったようだ。そしてその後、抜歯手術となるらしいのだが、なんという高校3年生の始まりだろう。(そういえば、息子はかつて中学3年生の始業式の途中に腹痛を訴え、そのまま入院して虫垂炎の手術を受けたのだった。)

あんなに歯医者に行かなくてもいいようにと、一生懸命、歯磨きをしてきた息子が口腔外科通いをすることになろうとは!!!
しかし、これ、もしかしたら「歯医者に行きたくない」という思いが強すぎたことで、逆に引き寄せてしまったのかも…と思ったり。(エイブラハムの本によれば、「ものすごく求めていること」も「ものすごく求めていないこと」も、同じように引き寄せるのが引き寄せの法則ポジティブであろうがネガティブであろうが、思いの強さが問題なのだ。)
ま、でも、こんなことでもなかったら、大学病院の口腔外科の世界を見ることもなかったのだから、何事も経験と思うしかないよね、わが息子!

*ちなみに、矯正歯科に紹介された歯科は本当に良心的なところみたいで、春休みに受診した際、レントゲンを撮って検査して、大学病院への紹介状を書いてもらったのに、料金はまったくとられなかったそうだ。

本屋閉店…どうすりゃいいの!?

かつて山奥の過疎地に暮らしていた頃、街の書店に行くことが我が家の楽しみでした。本屋に行くことが、ほとんど休日のイベントと化していました。夫も私も息子も本屋が大好きで、街に出かけるときは、出来る限り本屋に立ち寄ったものです。本好きの息子は、近くの町の図書館に連れて行ってもあまり喜ばず、理由を聞くと、「人の触った古い本は嫌だ…」と贅沢なことを言っておりました。(そのくせ、中学以降は学校の図書館に入り浸っているのですが。同じ学校の人たちが触ったものはOKなのでしょうか。)でも、その気持ちはわかります。本屋に入った時に感じる「新しい本の匂い」が好きなんでしょうね。夫にいたっては、新しい本の匂い(インクの匂いらしいですが)を嗅ぐともよおすらしいです。(どっちを!?)なので、本屋に行くと、夫はよくトイレに消えていくのです。

その後、我が家は町の住宅地に引っ越しましたが、相変わらず家族で本屋に出かけるのは大きな楽しみでした。しょっちゅうアマゾンで本を買っていても、やはり書店で本を手にとってみるのは楽しい時間です。書店で偶然みかけた本が、自分にとって大切な本になることも多々あるのです。以前、面白そうだなと思ったのに、「また次の機会に買おう」と思って買わずに帰った本が、次の機会にはもうなくなっていた…ということがありました。それ以来、そのとき出合った面白そうな本は、なるべくその場で買うようにしています。

私が「引き寄せの法則」に興味を持つきっかけとなったのは、2014年に『こうして、思考は現実になる』(パム・グラウト著)を読んだことでした。この本の新聞広告を何度も見て興味をそそられ、アマゾンで購入して読んだあとに、自分でも思考現実化実験をしてみたら、ぴったり一ヶ月後に「理想の家」をゲット! 以来、この実験にはまっているのですが、それはこの本を読んだ直後に、『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』を読んで、妙に納得してしまったからなのです。『こうして、思考は現実になる』は、軽い気持ちで、騙されたと思ってゲーム感覚で実践してみたのですが、エイブラハムの本はそのゲームの仕組みを解き明かしてくれたのです。といっても、一度ですんなり理解できず、ことあるごとに読み返しては理解の度合いが深まっていく感じです。

実はこの本、車で移動中にたまに立ち寄る書店でみつけました。シリーズ本が3冊、棚に並んでいたのですが、最初はちらっと立ち読みしただけで購入しませんでした。あやしさ全開のスピリチュアル系の本に思えたので、レジまで持っていく勇気がなかったのです。しかもわりと分厚くて値段も高めだったので躊躇した・・・というのもあります。

その後、その書店に立ち寄るたびに、「エイブラハム」の本があるかどうかをチェックしては、買わずに帰る…ということを何度か繰り返していたのですが、ある日、とうとう最初の1冊を買って帰ったのです。「きょう、あの本屋にまだエイブラハムの本があったら、買って帰ろう!」と心に決めていたからです。そして、その1冊に納得してしまった私は、その次に2冊目、その次に3冊目と、その書店に並んでいたシリーズ本3冊すべてを購入していました。その後、エイブラハムの本が補充されることはなく、今に至ります。

今ではこの本屋、我が家が一番よく通う本屋さんとなったのですが、先月、お店で衝撃の貼紙を目にしました。なんと、今月でこの本屋さん、閉店するのだそうです。が~ん!!! 

ただでさえ、この辺りは本屋が少なくて、せっかくできた大型書店もいつのまにか規模を縮小したり、撤退したり…。そんな状況でも、この本屋さんは独自路線で頑張っているなぁと思っていたのに。それだけ本は売れなくなっているということでしょうか。

私をエイブラハムに引き合わせてくれた書店がなくなってしまうとは…寂しい限り。こうやって時代は移り変っていくのですね。
さてさて、私もそろそろ本気でなにかを引き寄せなければ。

ニッポン放送『ザ・ボイス そこまで言うか』終了

6年半続いたニッポン放送の『ザ・ボイス そこまで言うか』が昨日、最終回を迎えた。私は関西在住のため、この番組をリアルタイムではなく、翌日の朝、ポッドキャストで聞くことがほぼ日課となっていた。エプロンのポケットにスマホを入れて、この番組を聞きながら家事などをすることが多かったが、私にとっては本当に有益な番組だったので終了は本当に残念。

いわゆる既存のオールドメディアの報道の偏向ぶり、いい加減さに辟易として、だいぶ前から新聞もとらなくなったし、ワイドショーもアホらしくて見る気がしない。食事の支度をしながらテレビのニュースをつけたりはするけど、朝は国際ニュースをチェックする。日本のテレビではほぼ報じられない世界情勢がざっとわかるから。あとはネットのニュースと、海外メディアのニュースの見出しをチェック。海外メディアも日本と同じく偏向ぶりが目立つけれど、それはそれでまた面白い。

といっても、どのニュースも時間をかけてチェックしているわけではないので、私にとっては『ザ・ボイス そこまで言うか』がとても有益だった。日々のコメンテータの切り口はもちろんのこと、時々呼ばれるゲストの専門的なお話がディープで興味深いことが多いのだ。そして、そんな有益なお話を引き出す司会の飯田浩司アナウンサーに私はいつも感心していた。聞き手がしっかり勉強して真摯に対峙するからこそ、ディープなお話が展開されるのだと思う。知識、情報が頭に入っていることはもちろん、相手の性格に応じて(!?)、相手に不快感を与えることなく、いい感じで深いお話を進めていく飯田アナ、聞いているこちらも変な安心感を持って聞いてしまう。それですっかりベテランのイメージがあったけど、実はまだ36歳。意外とお若いことにびっくり。

それにしても、番組の評価も高まり、ちょうど脂が乗ってきたところで突然の番組終了は本当に残念無念。飯田アナは朝の番組を担当されるそうなので、アナウンサーとしては昇進ということなのかも知れないけれど、良心的な公正なニュース番組が少ない今、ここで番組が消滅してしまうなんて。ニッポン放送の上層部(?)はどういうつもりなんだろう!?

来週から始まる『飯田浩司のOK! Cozy up!』(月~金:朝6時~8時)もポッドキャストで聞けるそうなので、私の家事タイムの楽しみが続くよう祈るばかり。ああ、でもひとつの時代が終わったみたいで、寂しいなぁ。

ananの星占い

先日の日記に書いた通り、私は1980年代後半にパリに留学したのだが、本当はその1、2年後にアメリカに留学するつもりだった。それまでに資金も十分に貯めて、試験など諸々の準備もしようと思っていた。そのとっかかりとして、どこかの留学センターのようなところに資料請求をしたところ、ある日、突然、職場に電話がかかってきた。私が目指していたのと同じようなプログラムが、パリの学校に新設されることになり、現在、学生を募集していると言うのだ。私はそもそもアメリカ留学を考えていて、フランスに興味もなければ、フランス語もできないと答えると、電話口の女性は「アメリカと同じようなプログラムをフランスに作るので、授業はすべて英語ですから問題ないですよ」と言う。しかも、「学校はパリサンジェルマンデプレ地区にあり、日本で言えば表参道みたいな感じかしら」と言われ、パリに憧れたことのない私も心をくすぐられてしまった。

まだ具体的な留学準備をしていない私に、彼女はとりあえず必要書類を提出して、面接にいらっしゃいと畳みかける。その年の10月に開講だから、今から準備すれば大丈夫!と。あまりの急展開に自分でもビックリしたが、事は動き出したら速いのかも…と思い、この流れに身を任すことにした。といっても書類選考&面接を突破しなければいけないのだが。

それでつい、面接に行く直前に私はananの星占いをチェックした。この占い、けっこう当たるとマガジンハウスの友人から聞いていたのだ。その占いによると、その時期の私のラッキーアイテムは「ピカソのプリント」、そしてラッキーカラーは「ウグイス色」。これを見て、私は「やった~!!」と叫びそうになった。

なぜなら、私はその少し前に広島の友人からピカソプリントハンカチをプレゼントされていたのだ。別に誕生日とかの祝い事があるわけでもないのに、あとで聞いてみると、「なぜか、これは厚子ちゃんにプレゼントしなきゃ!」と思って、わざわざ注文して取り寄せた品だという。普通にお店で買えるものではなかったのだ。確かに、私もこれを一目見て、とても気に入っていた。

それから、同じくその頃、私はイヴ・サンローランウグイス色のスーツを購入していた。私はおしゃれに無頓着でお金もあまりかけないタイプなので、ブランドものにあまり興味がなく、ほとんど持っていなかった。ましてサンローランなんて、とんでもない!という状況だったが、当時の職場の近くにサンローランの直営店があり、たまたまセールをやっていたので初めて覗いてみたら、ウグイス色のスーツに「5000円」の値札がついていたのだ! 日本人には好まれない色だったのだろうか。普通のスーツだって5000円ではなかなか買えないと思い、私はサイズをチェックして、即購入! レジでお店のスタッフも、「え? 5000円?」と驚愕していた。(まさか値札を書き間違えたわけじゃないよね!?)

かくして私はサンローランのスーツに、ピカソのプリントハンカチをしのばせて、パリ留学のための面接に挑んだのである。面接官として出てきたのは、私に電話をしてきた女性だったのでびっくりしたが(さらに面接場所も青山だった!)、「私も彼女とパリに行きたい!」と思わせる素敵な方だった。(実際、この方、後にどんどん出世していかれるのだが・・・)

そうして、私はその年の秋に渡仏し、パリサンジェルマンデプレ界隈で暮らし始めた。2年弱のパリ生活は、本当にめくるめく夢のような日々だったのだが、これについてはまたいつか!! 

シリアも春の兆し(でもちょっと絶望的?)

ようやく暖かくなってきた。本当に久しぶりに庭の草むしりをしたら、桜が咲いていた!(実のなる桜で、いつも開花が早いのだ。)今年初めてのウグイスの鳴き声も聞こえたような・・・。

春の兆しに嬉しくなり、シリアのおじさまに写真を送ったら、シリアも花が咲いているよと写真が送られてきた。↓
とはいえ春が訪れても、平和が訪れる兆しはなく、いつまで耐え忍べばいいのだろうとおじさまは嘆く。
しかも雨はもう長いこと、一滴も降っていないそうだ。
それでもおじさまは神を信じて、祈り続けるのみ。
私にも祈ることしかできないけれど。

国際女性デー(アエロフロートの思い出)

日本では馴染みがないけれど、3月8日国際女性デー。今朝のニュースで、ロシアでは多くの男性がこの日、女性に花を送ると解説していた。そういえば、私がこの日を初めて知ったのもソ連がらみだった。それは、ソ連崩壊直前の80年代終わりにパリに留学していたときのこと。

東京の会社を辞めて正式に留学する前に、準備のためにパリに行った際、私は初めてアエロフロートを利用した。自分で貯めたお金で留学するので、少しでも渡航費を節約するためだ。アエロフロートは北回り(だから早く着く)の中では一番安かったのだ。けれど、実際に乗ってみて驚いた。椅子が壊れていたり、機内食はアルミの食器で見た目も味も昔の給食のようだったり。(アイスクリームだけは、とっても美味しかったけど!)一番びっくりしたのは、モスクワで一度、飛行機を下りて再搭乗したら、自由席になっていたこと!!(要は早い者勝ち!)

パリから東京に帰る便では、いかつい大柄なロシア人男性グループの中にぽつんと座るはめになった。幸い隣の男性は、そのグループの中でも小柄な方だったので、さほど窮屈ではなかったけれど、そこら中の空気がなんだか男臭いし、みんな見た目も怖くて、とんでもない席になってしまったなぁ~と思っていた。ところが隣の男性は、とてもフレンドリーで、片言の英語でいろいろと話しかけてきて、私を女王様のように扱うほど異常に親切だった。実はその一団は、ソビエトのナショナルラグビーチームで、フランスに遠征していたのだという。

当時はゴルバチョフ大統領の時代で、彼は「グラスノスチはいいが、ペレストロイカはダメだ」と言っていた。彼自身はグルジア人で(いまはジョージア人と言うのか?)、ジョージア旧グルジア)とモスクワに家があり、ロシア人は嫌いだと言っていた。そして日本のことをいろいろと聞いてきた。

飛行機がモスクワに近づくと、彼は私にモスクワの家に泊まっていけという(ちなみに彼は既婚者)。「ビザがないから無理」と答えると、「なんとかなる」と言い張っていたが、「とにかく無理」と言うとお別れにキャビアをくれた。飛行機を降りる際に、手荷物としてタバコ(マルボロだったと思う)をたくさん持っていて、「これは空港の職員のため」と言っていたから、それで何か便宜をはかってもらったのだろうか!?(もしかしたら、ビザも本当になんとかなったのかも知れない。)

その後、彼のことは忘れていたが、正式に留学してパリでの生活が落ち着いた頃、東京の元同僚から連絡があった。私宛てにモスクワから電話がかかってきたので、パリの連絡先を知らせたというのだ。電話の主は、あのグルジアのラグビー選手以外に考えられない。連絡先を教えてくれというから当時の名刺を渡したのだが、本当に東京に電話していたとは!!

それから一度、手紙が届いたような気がするが、その後、彼はパリの私に電話をしてきた。しかし片言の英語なので、会話も一苦労。事前の手紙にも書いてあったのだが、彼のおばさんがフランスに渡航できるよう、招待状を書いてほしいと言っているようだった。ソ連の人が海外に行く場合、相手国の受け入れ先からの招待状がないとビザを取得できないらしい。「私が日本にいる時であれば、日本への招待状を書くけれど、私はフランスに来たばかりで、ここでは外国人なので、申し訳ないけれど、あなたのおばさんの保証人にはなれない」と返事をしたのだが、彼にちゃんと伝わったかはわからない。電話をしてくるぐらいだから、けっこう焦っている気配だった。今思えば、崩壊前のソ連を脱出するルートを確保したかったのだろうと思う。彼自身はナショナルチームの選手として海外に出ることは可能だったろうけど、ほかの家族のために。

助けてあげられなくて心苦しかったけれど、私自身もフランスでの生活がおぼつかない状況だった。しかも電話の最中に、突然、オペレーターが出てきて途中で通話が途切れたり、なんだか怖くなったのだ。あとで日本人の友人から、「フランスに来たばかりなのに、モスクワから電話がかかってきたりして、スパイだと思われるよ!?」と怖い冗談を言われたくらいだ。

それからだいぶ時間が過ぎたある朝早く(6時前後だったか)電話が鳴った。「フランステレコムですが、あなた宛にモスクワから電報が届いていますので、とりあえず電文を読み上げます。ただし私はロシア語がわからないので、スペルアウトします」と言われ、びっくり。「いや、私だってロシア語、わからないよ…」と思いながら聞き流し、電話を切った。その2時間後くらいに、実際の電報が届いたが、何が書いてあるのかわからない。差出人はあのグルジア人のラグビー選手だ。

手紙ではなく電報ということは、何か重要なことに違いないと思い、私は近所のロシア語専門書店を訪ねてみた。(そう、パリにはそんなお店があるのだ!)下手なフランス語で、「こんにちは。ロシア語の電報が届いたのですが、ロシア語がわからないので、意味を教えてもらえませんか?」と尋ねると、店主はすぐに電報を見て説明してくれた。「女性の日、おめでとう」と書いてあると。「え、なんじゃ、それ!?」とびっくりする私に、店主は3月8日は女性の日なのだと教えてくれた。

ええ~、なんだか拍子抜け! それを言うためだけに電報を送ってきたとは!!(これでは公安に、何かの暗号と思われるではないか!!)
確かその後、バラ模様のカードも届いたので、もしかしたらカードが3月8日に間に合わないからと、電報を打ってくれたのだろうか!?
結局、彼とは音信不通になってしまったが、1991年末にソ連が崩壊してから、どうなったのだろうと、国際女性デーがくるたびに思い出す。

アマロリ・・・なんと尿療法


先日、字幕ドラマについての記事を書いたとき、アメリカのドラマ『BONES』のセリフに、日本のロリータファッションの一種、「アマロリ(甘いロリータ)」という言葉が出てきたことに言及した(
1月22日の記事参照。)

ところが先日、「アマロリAmaroli)」という本を偶然みつけたところ、副題がなんと「フランス版尿療法のすすめ」! アマロリは、著者ドクター・ソレイユ(医師、研究者、教育者からなる5人のグループによる共同執筆)の造語のようだが、古いサンスクリット語からとった言葉らしい。ヨーガ根本経典に「アマローリー」という言葉が出てくるそうだし、シヴァの水(すなわち尿)はアマリーと呼ぶのだとか。

尿療法インドのアーユルヴェーダはもちろん、エジプトなど世界各地で古代から伝わるもので、マハトマ・ガンジーも実践していたそうだ。実は100歳で大往生した私の父も、尿療法を実践していた時期があったらしい。父は、私が生まれる頃まで結核で療養院に入っていたそうだが、それ以降は一度も入院することなく生涯を終えた。だいぶ年をとってからだと思うが、四国に暮らす戦友(第二次世界大戦末期に父は徴兵されたのだ)からある日、郵便が届いたそうだ。「癌で死にかけていたが尿療法で元気になったので、ぜひこの健康法を戦友であるあなたにも知らせたい」という手紙を添えて、尿療法についての小冊子が入っていたとか。父は戦友の勧めに従い、尿療法を実践し、その効果を実感していたようだ。持病がたくさんあって、まるで仕事のように病院通いをしていた母に向かって、あるとき「健康になりたいなら、騙されたと思って、一度、尿療法を試してみるべき」と言ったのだとか。

以上の話は、母がだいぶあとになって教えてくれたことだ。父は私の前では一度も尿療法に触れたことはない。母から話を聞いたときは、げ~っと驚いただけだったが、その後、子供が生まれ、京都の山の麓の一軒家に引っ越した後、なんともいえない体調不良が続いたとき、ふと父の尿療法の話を思い出した。その体調不良というのが、鼻が異常に詰まったり、ひどい頭痛がしたり、目の奥が痛かったり、身体がだるかったりと、それまでに経験したことのないもので、病院に行こうにも何科に行けばいいのかわからず(一応、耳鼻科や眼科には行ったけど)、自分でもどうしていいかわからなかったのだ。それでも「尿療法なんて…」と最後まで抵抗する自分もいたのだが、ちょうど知り合いのとてもおしゃれなご夫婦から、「実は私たち、尿療法を始めて、すこぶる元気なんです」と告白されて、「それなら私もやってみよう」と踏み切ったのだ。

「一度やってみて、嫌だったら止めればいいだけだし」と思ってやってみたら、初日、事前に読んだ通りの好転反応(!?)と思われる症状が出たので、これは効きそうだと思い、結局、一ヶ月ちょっと続けてみた。というか、一ヶ月ほど続けたら、体調が良くなったので、止めてしまったのだけど、やはりこれは効いた!ということだよね!?

あとでわかったのだが、私たちが引っ越した築15年の家(賃貸)のセントラルヒーティング(と書いてあった)のガス暖房には、山のような埃が溜まっていたのだ。たぶん設置後、一度も掃除したことがなかったのだろう。山の麓の寒い場所だったので、強力なガス暖房はありがたかったのだが、家で仕事をしていた私は一日中、そのガス暖房のすぐそばに陣取って、知らず知らずのうちに15年分の埃を日々、吸い込んでいたのだ。夫と子供は昼間は仕事と保育園に行っていたので、体調を崩したのは私だけだったのが幸いだった。ある日、夫がガス暖房の設置面を解体して、おぞましい量の埃が出てきたときは、本当にびっくり。せっかく山の麓の自然いっぱいの静かな環境に引っ越したのに、家の中が埃だらけだったとは!!

ともかくも、この経験から、私の中では「いざという時には尿療法」という思いがある。先日も高いサプリを成り行きで買ってしまったのだけど、もともとこういうもの(錠剤)を飲むのが大嫌いなので、すぐに止めてしまった。そんなものを飲むのなら、尿療法の方が断然お薦め。自分だけの特効薬で、しかも無料。世界を牛耳る巨大製薬会社には支配されない!というささやかな抵抗でもある。

それにしても「アマロリ」だなんて、さすがフランス。尿療法までおしゃれな響き!