遠距離介護のせいで塾デビュー!?

息子と一緒に帰省したはいいが、ここには遊び相手もいない。
実家は住宅地ではなく、国道沿いの商業・工業エリアにある。
私が東京にいる頃に両親が引っ越した家なので、近所に私が
よく知る人はいない。

いっそ習いものに行けば、子どもに会えるかも…とネットで
探したが、スイミングスクールも小学生の夏期講習をやって
いる塾も近くにはなさそう…。

同級生に聞くと、かつて私たちが小学校時代に通った塾が、
今いちばん評判が高い受験塾だという。実は私と彼女が初め
て出会ったのが、その塾だったのだが、残念ながら私たちが
通った教室は今はないようだ。この街では受験熱は高くない
のだろう。

と思ったら、その塾は母の病院がある隣の市につい最近、教
室をオープンしたとのこと。小学生向けの理科実験講座があ
ると聞き、早速申し込み、息子は昨日、参加してきた。田舎
だと思っていた隣市が知らない間に発展していて、駅前の新
しいビルにあるという塾を探していたら、白衣姿のお兄さん
に声をかけられた。何かの勧誘か?と身を引いたら、理科実
験講座の先生だった!!!

あとで迎えに行ったら、息子は楽しかったらしく、すっかり
馴染んだ雰囲気で喋っていた。このところ、病院や施設に行
くだけでエネルギーを消耗していたせいか、塾に行って、子
どもや先生方の活気に触れて、本当にほっとした。

それでついつい夏期講習まで申し込んでしまった私。こうや
って塾の世界に取り込まれるのか…。ま、今だけだし、子ど
も楽しそうだから、よしとしようっと。

*広島銘菓はもみじ饅頭だけではありません。
 大好きな川通り餅!
23jul09

母の病院で部分日食

きょうの午前に母の病院で栄養士さんとの面談があった。
母の食事について相談するのだ。こちらに転院してから
以前よりもずっと飲み込みができるようになり、食事の
量も増えたようだ。ミキサー食を前のようにきざみ食に
変えてもらうようお願いした。

この数日で、母は驚くほどの食欲を見せ始め、そうめん
が欲しいだの、おはぎが食べたいだの言い出して、実際
に持っていくと、ぺろりと食べたのだ。

さて面談が終わり、11時近くになったので、私と息子は
日食を見ようと病院の玄関を出た。遮光板はあきらめて、
丸い穴をあけた紙や手鏡を用意していったのだが、まっ
たく日食の様子が見られない。薄曇ではダメなのか…。

すぐ横で、病院のスタッフらしき方がサングラスと携帯
カメラを持って、「あ、見える!」と興奮していた。そ
の方が「ちょっとだけなら大丈夫よ」とサングラスを貸
してくださったので、ほんの一瞬、見せてもらった。

おおっ! 三日月のような太陽がちゃんと見えた!!!
夫に連絡したら、あちらでも見えたようだ。よかった!

*日食だとわからないけど…。
22jul09

母の病院と父の施設へ

きょうは息子とふたりで病院と施設へ。
施設で息子が「トイレに行きたい」というので、
場所を教えたのだが、息子はみつけられずうろ
ちょろ。すると父と同じテーブルにいたおばあ
さんが、大きな声でスタッフの方を呼び始めた。
このおばあさん、耳はちゃんと聞こえて会話は
理解していらっしゃるようなのだが、言葉をは
っきり発することができず、何を言っているか
がわかりにくい。

やっと息子はトイレをみつけて用を足してきた
のだが、おばあさんは相変わらずスタッフの方
を呼びかけている。しかし忙しく動き回るスタ
ッフの方は気がつかない。

とうとう息子が「おばあさんが呼んではるで~」
とスタッフの方を呼んできた。「あ、トイレ?
いま別の人が入ってるから、待っててね」と立ち
去るスタッフの方。

ようやくトイレが開くと、おばあさんは息子に
トイレに入るよう促した。ありゃりゃ、おばあさ
んは息子のためにずっと声をかけてくれていたの
だ。すみません、ありがとうございました…。

結局、施設を出るのが8時近くとなり、閉店間際
のホームセンターで遮光板を探したのだが、案の
定、売り切れていた。昨日はまだあったのに!
昨日、一枚購入したのだが、一枚だけでは十分で
ないとわかり、もう一枚購入したかったのだ。

でも心配なのは遮光板より、明日の天気! 

*大雨で川がすごいことに!
21jul09

電車が不通のおかげで

実家のためにこまごまとした買い物をして、
母の病院に行き、父の施設に行ったら夕方
となり、夫を最寄のJR駅に送った。夫は明日
からまた仕事の日々。私と息子のふたりが、
実家に残る。

と思ったら、夫から携帯電話に連絡が!
なんと大雨のせいで、電車が不通なのだと。
急遽、駅まで戻り、広島駅まで車で送ること
となった。父親と離れるのが寂しかった息子
は嬉しそうだ。

駅に着いたら6時半。三人で駅ビルでお好み焼
きを食べた。これも電車が不通のお陰。次は
いつ会えるかな~。

*川の上の線路。
20jul09

移動後は疲労困憊

昨夜はやはり深夜の到着となった。
実家に来るのは久しぶりの夫は、早速、家のこまごまとした
雑用に着手。(エアコンの掃除、古い郵便受けの交換や、ち
ょっとした家の修理!)

久々に三人で父と母にも会いに行く。もちろん孫の姿は、ど
んな薬よりも強力だ。父も母も、表情が違う!

夫も息子も、転院後の母の病院に行くのはきょうが初めて。
ここは施設もかなり古く、母は6人部屋のため、ひとり分のス
ペースは狭い。前にいた救急病院と違い、ベッドもトイレも
旧式だ。さらに同室の4名の方は、殆どなんのリアクションも
返せない、寝たきり状態。それでも毎日、家族の方が通って
こられて、「お母さん、きょうは○月×日よ」などと話しか
け、身体をさすったり、歌をうたって聞かせたり。さらに、
介護士さんたちのチームがおむつ交換にやって来る。そんな
ときは、私たちは病室から出るように言われる。母によれば、
皆さん、とても手際がよく、あっという間に作業は終わるそ
うだ。

幸い、父も母も落ち着いた状態で、きょうは孫の顔を見てさ
らに元気になったようで、私は昨晩の疲れが残りながらも、
まぁまぁいい気分だった。しかし夫は母の病院を出た後から、
どっと疲れが出たようで、眼精疲労と頭痛を訴え、急遽、私
が運転を代わった。昨日、ずっと運転していたのだから、当
然と言えば当然。しかし、夫は普段、車の運転でこれほど疲
れることはない。仕事の疲れもたまっていたのだろうと心配
したが、どうもさっきの病院の様子を見た影響も大きかった
ようだ。

私が毎週の帰省でどっと疲れていたのももっともだと納得し
たらしい。いや、私にとってはもうこれは普通の光景になり
つつあるし、この病院は他と比べれば、ずっとずっといい所
だと心から思っているのだが。私より8歳若い夫にとって、
「老い」の現実はまだもうちょっと遠くにあったのかも。

父の施設も母の病院も、中に入るとすぐに排泄物の臭いがす
る。どちらも清潔にしてあるのだが、臭いを消すことはでき
ないようだ。人間、生きている限り、食事と排泄をするのだ
から。

*こんなところに道路を作っている!!
19jul09

母の病院へ

朝、母の病院に行き、お昼前にハンバーガー屋に入ったけど、
食べる時間がなさそうなので急いでテイクアウトにしてもら
い、レンタカーを返してバスで実家に戻り、片付けなどして
から一階の事務所の奥さんとちょっと喋って、電車に一駅乗
って父の施設へ。その後、また電車に乗って新幹線に乗り換
えて、在来線に乗って、最寄りの駅へ到着。と思ったらゲリ
ラ豪雨。雷もすごい。

自宅まで30分ほどかかるのだが、落雷があったのか途中の信
号が消えていた。峠を越えて、山の集落にたどりつくと、雨
はぽつぽつ。いやぁ、すごかった。

ところで、きょう返したレンタカーの領収書、よく見てみる
と通常料金より安くなっている。もしかして、最初に予約し
たレンタカー会社が差額を負担してくれたのかしら!??
次回、確かめてみるしかない!

さあ、きょうはこのままバタンキューで眠るのだ。

*これは土曜日に休憩したカフェの写真。
13jul09

年金受給者の生計維持確認

私が広島に帰っていた先週末、地元の地域清掃&普請があって、
夫は旧道脇の草刈りに勤しんだのだが、草むらからマムシが出
てきたそうだ。

今朝は雨がしとしと降る中、裏のおばちゃんが外から大きな声
で呼ぶので窓を開けたら、「マムシ、欲しい人はおらんか?」
と火バサミでマムシの死骸をつまみ上げた。ひょえ~!!
隣の空き地の草むらで捕まえたらしい。丁寧にお断り申し上げ
たが、母とほぼ同い年の裏のおばちゃんは本当に元気だと感心。

先週末に帰省したときに、実家に届いていた「生計維持確認」
のハガキをやっときょう投函した。年金受給者に毎年送られて
くる書類のようで、要は生存確認。

私は年金受給の手続きについて一切知らないのだが、受給者の
死亡届けが出た時点で年金も自動的にストップするシステムで
はないようだ。この確認書を自分で読んで、署名して、投函で
きるお年寄りばかりではないだろうし、もっと簡潔なシステム
にはできないのかしら!?(プライバシー保護のため、ハガキ
の記入欄を隠すシールを貼るようになっている。後期高齢者で
ここまでスムーズにできる方はそう多くないのでは?)

さらに腹が立つのは、社会保険庁宛のこのハガキ、自分で50円
切手を貼らなくてはいけないのだ。そこまでさせるのか、社会
保険庁! ええ加減にせえよ!と心の中でブチ切れた。
(年金欲しけりゃ、切手を貼って出せよ!ということか。)

10jul09

遠距離介護は苦労か楽しみか

毎週末、帰省するのはいろんな意味でしんどいが、
帰りたいから帰っているので、身体は疲れても辛い
わけではない。こうやって毎週帰ることで、両親が
自宅に帰ってくることはもうないのだという事実を
身を持って認識している気がする。その寂しい気持
ちに、少しずつ慣れていっているような…。

しかも父と母、それぞれと一対一で過ごす時間なん
て、こういう状況にならない限り、持てなかったは
ずだ。心で思っていることを、ちゃんと言葉で伝え
る時間をもらったのだ。

特に父は、たびたび会いに行かないと、私のことを
忘れてしまう。いや、実際に会っていても、途中で
私のことがわからなくなることも。今回は私に向か
って、私の悪い点を話してくれた。でもって、それ
がけっこう真実をついていて最後に、「まあ、最近
になって、その性格も治りかけとる」とフォロー(?)
が入る。笑えることも多いし、今まで知らなかった
父の一面が見えたりして、とんちんかんな会話も楽
しい。

それから特別なことがない限り、従姉と一緒に施設
に通うので、久々に従姉ともいろんな話ができる。
大変だと思うと苦労になるけど、実は楽しい時間を
もらっているのだ。

(その分、夫と子どもには迷惑かけてるけど…。)

*病院の近くには、民家とは思えないような門構え
 のお宅が多い!
7jul09

涙の効用(母の転院)

今朝、早い時刻に母の病室を訪ねると、隣のベッドの方が
母の横に座って、涙ながらにお喋りをしている最中だった。
いろいろ悩みのある方らしく、別れを惜しんで、最後にお
喋りをされていたようだ。

他にも先日まで同室だった方々と別れの挨拶をしたり、一
足先に退院された方からカードが残されていたり、入院生
活の中で自然にコミュニティができていたようだ。

さて、レンタカーで本当に久々に母とのドライブ。転院先
に到着すると、昨日の電話通りに母の手伝いをしてくださ
っていた女性もちょうど同時にやってきて、ふたりで荷物
を運んで、病室の準備。母はまず検査と医師の診察を受け、
病室に移ると看護士さんより詳しい聞き取り調査。あらゆ
るスタッフの方が、とっても丁寧で、親切で、優しくて、
明るくて(平林都さんの接遇の研修を受けたのかと思うほ
ど!)、こちらの緊張&不安もほどけてきた。

その後、別室にて私は新しい主治医の先生(&婦長さん)
と面談。母の心臓はもう末期的状況にあることを改めて説
明された。前の病院でも聞いていたし、この春以降の母の
様子を見て覚悟もしていたので、気持ちの動揺はなかった
のだが、私は思わず泣いてしまった。なぜなら、ここの方
々が母をやさしく受け入れてくださったことで、本当に安
堵したから。「本当はもっと母のそばにいたいのですが、
遠くに住んでいてそうもいかず。広島を離れたときから、
こうなることはわかっていのですが。だから、ここに入れ
てよかったです、よろしくお願いします」と泣いてしまっ
たのだ。

主治医の先生は私より若い女性で、婦長さんは私よりちょ
っと年上の女性。私の気持ちも、しっかり受け止めてくだ
さった。あとで婦長さんが、「うちの母も、何度もよくな
ったり悪くなったりを繰り返して、似たような状況でね。
妹は遠くに住んでいて、しょっちゅう帰れなくて。だから
気持ちがわかるのよ。娘がしょっちゅう帰れない分、私が
お母さんをちゃんとみてあげるからね」と言ってくださっ
た。

怒りや悔しさで流れる涙は、交感神経が関係していて、悲
しみや嬉しさで流れる涙は、副交感神経が関係しているそ
うだ。成分も違い、前者はしょっぱく、後者はうす味(?)
だとか。いずれにせよ、涙はストレス物質を排出してくれ
るらしい。

たぶん私も緊張がほどけた安心感から、どっと涙が出たの
だろう。ストレスを吐き出したせいか、その後はすっきり
と心から笑顔になれた。きれいな心の人たちに囲まれると、
こちらの心も洗われるようだ。

*その後、母が「家を見せてもらっておいで」と言うので
 新興住宅地の新居を訪ねた。
6jul09

これも縁(母の昔のヘルパーさん)

明日、母が転院するので、きょうはその準備。
うちから少し離れた病院なので、今回はレンタ
カーを借りた。先日、友人が安いレンタカー店
が近くにあることを教えてくれたので助かった。

母は17年前の夏に心筋梗塞で倒れて以来、家事
のお手伝いをしてくださる方をお願いして、な
んとか自宅生活を続けてきた。ここ何年かは、
介護ヘルパーさんの助けも借りて。お手伝いさ
んにも相性などがあり、何人か入れ替わりがあ
ったものの、私とひとつしか年の違わない近所
の主婦の方がここ16年間、家の面倒をみてくだ
さった。この方、娘の私よりも母と性格が似て
いて、母も安心してこの方にいろんなことを任
せていた。17年の間に何度も何度も入院したけ
れど、そのたびに彼女がいろいろお世話をして
くれた。遠くに住んでいる私は実質、役に立た
なくて(実際、家のどこに何があるかもわから
ない!)、ほんと、彼女に頼りっぱなしだった。

その彼女が、近所のマンションを引き払い、こ
の春、家族で郊外の新興住宅地に引っ越すこと
になった。彼女もいろんなことがあって体調を
崩し、心機一点、新生活を始める様子だった。

それから数ヶ月…母の転院先がなんと彼女の新
居のすぐ近くだと判明! 連絡をすると、「何
かいるものがあったら、私が持って行ってあげ
る!」と言ってくれた。実は、「何が嬉しくて
ここに引っ越してきたんだろうと、不便と後悔
の日々」だという。

彼女が「いつでも行ってあげる!」と言ってく
れたことで、母も安心したようだ。「これも縁
よねぇ、離れられんのよ」と、彼女は早速、明
日、転院先の病院に来てくれるらしい。

ほんと、これも縁。ありがたいわ~!!!

5jul09