老人ホームの神スタッフ

ほんとは私ひとりで帰ろうと思ったのだが、夫がみんなで車で帰ろうと言ってくれたので、急遽、土日で広島へ。週末1000円が終了したお陰で、高速道路はすいすい。午後の早い時刻に父の老人ホームに到着した。

胸部を圧迫骨折した父は、車椅子もどきのコロつきの上等な椅子に座り、新しく設置された大型テレビの前に陣取っていた。というか、父の動きが見えるよう、スタッフの方がその位置に椅子を置いてくれたのだろう。

顔を見ると、運動不足のせいか、ちょっとむくんだけど元気そうで、私たちのこともわかってくれた様子。「大丈夫?」と訊くと、「わしゃぁ、はぁ、死んでもええ思うたんじゃが、この状況を見て、やっぱり、わしがおらんにゃぁ、いけんのぅ思うたんじゃ」と答えた。こりゃ、大丈夫そうだ。

すぐに、いつもお世話になっている若い男性スタッフの方がやって来て、説明をしてくださった。靴下のまま立ち上がって、すべってしまったのだと。(そういえば、息子も2歳頃に靴下が滑って、家の二階から転げ落ちたことがあった!) これまで痛みにも耐える我慢強い父だったが、今回はスタッフの方に、「痛い、痛い、寂しい・・・」と洩らしていたのだと。あまのじゃくの父が、ちょっと素直に、いや気弱になったのだろうか!?

 「きょうは家族の皆さんがいらしたから、表情が違いますよ!」と、父の椅子の後ろに立っていたスタッフの方が笑顔で話してくださった。彼は父のことを、「可愛いんですよ~」と言うと、自分のあごを父の頭の上に乗せ、チュッとくちづけた(!?)。いや、もちろん、変な意味ではなく。ほんとに可愛がってもらっているという感じ。愛されているんだなぁと、ちょっと感動してしまった。

父は来月で98歳。まだまだ頑張れるかな!?

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父の日

父の日にあわせて、父が好きそうな和菓子を老人ホームに送ったのだが、きょうもまたホームから電話が入り、思わずドキリ。今度は転倒して、背中をたんすの角で打ってしまい、本人も痛みを訴えているらしい。いつもの先生に往診してもらったが、骨折してないか、明日、専門病院で診てもらうとのこと。とりあえず普通の生活をしているものの、また転倒してはいけないので、スタッフの方は目が離せないようだ。

父も寂しいのかも知れない。今度の週末は、顔を見に行かねば。

我が家のお父さん(息子にとっての)は、きょうは朝から自治会の一斉清掃に参加して、その後は自治会の会議。さらに夕方は私のビラ配布につきあってくれた。(1万歩、歩けたかな!?) で、父の日ディナーは、全皿100円の回転寿司。私も夫もちょっと小食気味で、かなり安上がりでした!

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帰れコール(父の怪我)

熱は一日でおさまった父が、今度は手に怪我をしたという。いつ、どこで、どうなったのか不明だが、右手から出血していたので、手当てをしたものの、本人は痛みを感じておらず、すぐにガーゼをはがそうとするらしい。利き手でもあるし、傷口が気になり、きょう病院に連れて行ってもらい、本人もようやく怪我をしていることを自覚したようだ。

今月は帰省できないかも・・・と思っていたが、どうやらこれは父の帰れコールかも知れない。顔を忘れられないうちに、帰る手配をしようかな。

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セッコク咲いた!

父に送った興福寺の仏像の絵葉書が、そろそろ着く頃かなぁと思っていたら、父が熱を出したと老人ホームから電話が入った。一瞬、ドキリとしたが、昨日一日で熱はおさまり、きょうは念のため点滴をして、安静にしているとのこと。ご飯も食べているので心配はいらないが、とりあえず報告です・・・と言われ、一安心。興福寺の仏様に見守っていただけますように。

夕方は友人としっかり1万歩以上のウォーキングをして、気分すっきり。
その後、関西テレビ『アンカー』の青山さんのコーナーを見ていたら、「メールやブログのコメントで、日本を出て行きたい、外国に移住したいという声がいくつもあった」と発言されていたので、ぎょっとした。私だけじゃなかったんだ…と。

今はまだ国を捨てるつもりはないけれど、かつての香港人の気持ちがよくわかるきょうこの頃だ。

*ほんとは高い高い木の上で咲くはずだったセッコク。
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憧れのサンルーム

きょう中に家に戻らないといけない。どの時間帯に出発するのがいいだろうかと考えていたが、結局、今朝も寝坊してしまったので、朝はまったり過ごして(夫に母の回向供養をしてもらった)、午後から父の顔を見に行って(父から「はあ、来んでもええんよ」と言われてしまった。「怪我せんように、気をつけて帰りんさい」とも)、帰途についた・・・のだが、実は高速道路に乗る前に、毎回、立ち寄る友人宅がある。ここでコーヒーをいただいて、お喋りをしてから帰るのが、いつものパターン。両親が長年、お世話になった人で、彼女が数年前に引っ越した家は、母が亡くなった病院の近くにある。

彼女は私と同年代で、私と同じくひとりっこ。子どもの頃にご両親が離婚して、お母さんとふたり暮らしだったのに、彼女が成人する前にお母さんは突然の病死。その後、彼女は結婚して、子どもさんもすでに成人した。田舎を離れた私に代わって、彼女はうちの母の話し相手となり、互いに悩みを打ち明けたり、くだらない雑談をしたりと、母が亡くなるまで20年近くお世話になった。そもそもは病気の母に代わって家事をしてくれる人を探していたときに出会ったのだが、不思議な縁があったり(彼女のお舅さんが、うちの母の同級生だった!)、母と性格が似ていたりで、仕事以上の付き合いが続き、今では実の親戚よりも近い存在だ。

そんなわけで、コーヒー一杯についつい長時間を費やしてしまい、出発時刻は夕方に! (喋ってたのは私と彼女のふたりだけ。夫と子どもには、申し訳ない!) 高速道路は断続的に渋滞していて、自宅到着はほぼ深夜近くとなりました。もう渋滞はこりごり! 高速1000円中止が待ち遠しい!

*彼女が新居に作ったサンルーム。毎回、訪ねるたびに進化してます。今度は庭をバラ園にする予定だとか。
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*こちらは昨晩の夕食。えんどう豆のスープが美味しかった!
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老父の腹筋運動(!?)

老人ホームの父に会いに行くと、前回と変わらず元気だった。いつものように広い廊下の真ん中のテーブルで、他のお年寄りやスタッフの方々と一緒に座っていたが、今回はスタッフの方が気遣って、父の部屋に私たち用の椅子を運び込み、父を部屋まで先導してくださった。お陰で、ゆっくり時間を過ごせたのだが、じ~っと座っていると父はどうしても眠くなる。(それは家にいた頃から)。きょうもベッドに腰かけて喋っていたかと思うと、両腕を上げて手を頭の後ろに置いたかと思うと、そのまま後ろに倒れ、しばらくうとうとしたかと思うと、またそのままの姿勢で起き上がり、「ありゃ、わし、寝とったかの?」とつぶやくので、私たちは大爆笑。

実は父は若い頃から、この体勢で寝る癖があった。畳の部屋でテレビを見るときは、テレビに足を向けて仰向けで寝た状態で、両手を頭の後ろに置いて上半身を少し起こす。それが癖になっているのか、未だに仰向けに寝た状態で頭を起こす父。これって、もしかして父なりの腹筋運動だったのだろうか!?

ちょっと頑固で、ちょっと変わり者の父には、いくつか独自の健康法があったようなのだが(例えば、昔は飲尿療法もこっそりやっていたらしい)、もしかしたら、この寝方もそのひとつだったのかも。ともかく、元気そうで何より。

一方で、夜は自宅で老親の介護中の従姉と久々に食事に出かけのだが、彼女の心の闇を垣間見てしまい、なんともやりきれない思いが・・・。自分を不幸にするのは、ほかでもない自分自身なんだよなぁ・・・。

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*ベッドの幅が狭くて壁に頭が当たってますが、父の居眠りはいつもこんな感じ。
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黄砂と渋滞と人ごみでヘトヘト

案の定、今朝は早起きできず、予定より出発が遅れてしまった。実は広島に行く途中に寄るところがあるのだ。しかも高速道路が(予想通り)混んでいて、時間はどんどんずれこんでいく。

息子は、おととしの秋、友人一家に連れて行ってもらった某中高の文化祭が楽しくて、「僕もこんな学校に行きたい!」と言い出し、中学受験するために今年の2月から塾に入った。今もその学校に行きたくて頑張っているようなのだが(実力がそのレベルに到達するか、わからないけど)、塾に入ると、他にもいろんな学校があることがわかり、「いろんな学校の文化祭に行ってみたい!」という。きょうは、その中のある学校の文化祭で、塾主催の「文化祭見学ツアー」が企画されていたのだが、あっというまに申し込みが殺到して締め切られたため、個人的に行くことになったのだ。(私は正直、あんまり気が進まず、ほんとはどこかで待っていたかったんだけど・・・)

行くと、なるほどものすごい人出。冷房のない室内に入ると、蒸し暑いし、面白そうなイベントは列が長くて、とても待ってられないし、私としてはただただ疲れるためだけに来た感じ。それでも、知らない街を歩けたのは、面白かったけど。

夕方、また車に乗って、広島へ向ったが、断続的にかる~い渋滞が続き、かな~り疲れた。(運転してるのは夫だけど)。昨日もひどかった黄砂が、きょうはもっとひどくて、車中、何度かくしゃみが出た。放射能も大変だけど、黄砂も直接的な健康被害がありそうだ。(北京に一年滞在したあと、気管が弱り、帰国後の何年かは鼻炎で悩まされた私。今は大丈夫だけど、埃に反応して、すぐくしゃみが出るようになった。ついでに、安い学食や近くの食堂で食事していたから、こわ~い農薬付きの野菜をいっぱい摂取したと思う。)

*文化祭
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*黄砂がすごい!
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長生きの秘訣

きょうは広島を離れる日。午前中に亡母がお世話になった方々へのご挨拶に伺い、お昼を食べてから、広島駅まで夫を迎えに行った。私ひとりで車を運転して帰るのはしんどいだろうと、午後から新幹線でわざわざやって来てくれたのだ。

そこで、最後に家族3人で老人ホームの父に会いに行き、「今から帰るけぇね。今度は連休に来るけぇ、それまで元気にしとってよ」と言うと、「わざわざわしに会うために、寄ってくれたんか。ありがとう。ありがとう。気をつけて、帰りんさいよ」と、至極まっとうに答えてくれた。

父はすっかり老人ホームでの生活に慣れ、これが「日常生活」であり、ここが「自分の居場所」となったようだ。理解できないこと、思い出せないこともたくさんあるけど、私たちが家族であること、ときどき会いに来ること、そして母が亡くなったことは、しっかりわかっている。

このところ、いつ帰って来ても、父の様子は変わらない。顔色も体調もよさそうで、いつも淡々としている。この年になると、徐々に衰えていくのかと思いきや、いつも同じ。最近では、足腰を鍛えるためなのか、廊下を歩いていることが多い。(椅子に座ると、すぐうとうとしてしまうらしい)。しかも、私たちが訪ねると、スタッフの女性たちに囲まれていることが多いのだ。何かと、かまってもらっているらしい。

もっと若い頃は、偏屈で、かわいらしくないことを言う変わり者として知られていた父だけど、根は素直で親切だし、ものごとを率直に言う人なので、今では見事に「可愛いおじいさん」になっている。何か手伝ってもらえば、「お世話になりました。ありがとう」と丁寧にお礼を言うし、声を荒げることはないし、けっこう笑わせてくれるので、スタッフの方々に可愛がってもらっているようだ。毎日、だいたい同じ人たちが顔を合わせ、触れ合って、暮らしていることが、父の健康の素なのだろう。

広島を出る前に、両親が長年お世話になった友人宅に寄ったのだが、彼女がこんなエピソードを教えてくれた。母がまだ元気だった頃、母のいないところで、「もし○○さんが先に死んだら、お父さん、どうするん? 困るじゃろ?」という話になったとき、「もっと若い奥さんもらうけぇ、大丈夫じゃ」と父は冗談を言っていたらしい。母の目の前では、「わしは、○○さんなしでは生きていけません!」などと、のうのうと言っていたくせに。この切り替えの早さが順応力となって、父はこの年まで元気に長生きしてきたのだろう。今も老人ホームのスタッフの方々から、若いエネルギーをもらっているようだ。

人間にとっていちばん怖いのは孤独だと、つくづく思う。心を開いて、笑顔でいれば、どんな状況でも人とつながって生きていける。

*街を歩いていたら、みつけた根性ほてい。
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*岡山のサービスエリアで食べた「佐賀シシリアンライス」
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旧友との再会

DSC02588 きょうも故郷は快晴。桜も咲いて、春らしい気持ちのよい一日。午前中に父の顔を見てから、午後は広島市内へ。(震災の影響で、電車が間引き運転!) 同じく広島に帰省中の同級生と本屋で待ち合わせた。息子はこの本屋が大好きで、ここなら何時間でも過ごせるらしい。私たちは、本屋内のカフェでお喋りして、途中から息子もやってきて、漫画の話でひとしきり笑った。

夕方近くに友人を見送り、今度は別の同級生と別のカフェでお喋り。お互いに子連れなので、子供たちもゲームやお喋り。早めの夕食をして、帰途についた。ほんとは話は尽きなかったのだけど。

年のせいか、広島に帰ると心が安らぐ。こうやって友人たちと話ができるのが、何よりの楽しみ~。元気がわいた。

*モスのデザート
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ピアノ搬出

今回の帰省のもうひとつのミッションは、ピアノを運び出すこと。夫の職場のピアノが故障したというので、実家のピアノを使ってもらうことにしたのだ。生前、母からピアノはクレーンで3階の部屋に入れてもらったと聞いていたのだが、事前に見積もりに来てくださった業者さんによれば、「エレベーターに入るから、基本料金で大丈夫」とのこと。

ところが、きょうやってきた業者さんは1階の手すりを見て、「わし、何を見とったんかいの。こりゃ、通らんわ」。両親が高齢になって取り付けた手すり…すぐに外せそうにない。

結局、クレーンで3階から搬出することに。2人で手際よく、さっさと作業が進む。下からずっとその様子を見ていたのだが、よく見ると、その背後で近所の工事現場のさらに大きなクレーンが動いていた。どっちもすごいな~と感心。

ついでにすごいな~と感心したのは、太っ腹の業者のおっちゃん。「わしが見積もり間違えたんじゃけぇ、基本料金でええよ」とのこと。感謝します!!!

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