自衛隊の皆さん、ありがとう。

子供の春休み中で夫が動けるのが、この週末だけだというので、今朝早く、家族3人で車で広島に向った。父の様子を見に行くためだ。

途中で2回、休憩したのだが、どちらのSAでも災害派遣の任務を終えて帰還中と思われる自衛隊の方々の姿を見かけた。心の中で、迷彩服姿の隊員の方々に、「お疲れ様でした」とお礼を言った。

SAでは、東日本に向う人は西日本で給油しておくようにとか、災害派遣の車両に優先給油するといった注意書きが貼られ、トイレも節電のため乾燥機は使用不可となっていた。それでも、ここでは物資も普通に手に入るし、自衛隊を除けば、春休みの行楽旅行と思われる人たちでいっぱいだ。

老人ホームに到着すると、父はいつものように広い廊下を歩いていた。久しぶりなので、すぐにわかってくれるか不安だったが、声をかけると、昨日も会ったかのように、すぐにわかってくれた。母の名前を言うと、「●●さんは、はあ、おらんよ」と、これまたしっかりわかっていた。

ちょうど父は、現役時代の仕事の現場を歩いていたつもりのようで、その後は、現場の工事の様子をいろいろと話し続けた。なんでも線路が土に埋まって大変なことになっていて、その復旧作業をしているのだと。父は大好きな新聞も読めなくなったし、今では部屋のテレビもつけないので、東北の大震災については知らないはずだ。それに、私が知る限り、父が主に関わったのは、新たな開発や災害予防の工事で、災害復旧工事なんて聞いたことがないので、不思議な気がした。

広島は暖かくて、桜が咲き始めている。

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母の供養

昨晩から風が強いなあと思っていたけど、今朝起きると外は吹雪! 辺りがうっすら白くなっている。この地域では滅多にないことだ。

明日は朝から用事があるため、お昼前には出発せねばならない。昨日、父には「明日、帰る前にもう一度、会いに来るね」と約束したのだが、タクシー会社に電話をしても、どこも今はつかまらないという。雪のせいだ。

歩くにはちょっと遠くて時間がないし、バスも無理だし、どうしようと焦ったが、夫は「駅に行けば、タクシーいるだろ」と冷静だ。いざとなればレンタカー…と思いつつ、駅に行くと、夫が言った通りタクシーが数台待っていた。おかげで予定通り、父の老人ホームへ。

昨日もお話をしたスタッフの方が、私を見ると、「昨日は夕飯後、お部屋に戻って、ひとりで40分くらいお経をあげてらしたそうですよ。不穏になったわけじゃなく、落ち着いた状態で」と声をかけて下さった。

昨日、3人で顔を見せたとき、父はいつものように、ひとりひとり誰であるかを確認した。今でははっきり目が見えないらしく、記憶もあいまいになっていることもあり、私たちが身内とわかっていても、詳細はわからなかったりするのだ。話に母のことが出ても、すぐに思い出せない。「あんたの奥さんよ」と言うと、「ああ、○子さんか。○子さんは死んだのう…」と言うので、「ほうよ。寂しゅうなったね。時々、思い出してあげてーよ」と言って帰ったのだ。

それで、母のためにお経をあげていたのかな? ボケていても、しっかりわかっているもんだ…と感心した。これも夫婦愛か。

来月は、もう少しゆっくり里帰りしたいと思っている。

*駅の隣の消防署では消防士さんが訓練中。
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*瀬戸内海の島も雪景色。
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いざ広島へ

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 昨日から雪の予報が出ていたが、今朝、外を見ると雪はなし。ところが息子が友人一家と泊まったホテルの周りは、雪景色とのこと。我が家よりも南に位置するのに、普段とは逆の現象だ。

息子と合流後、3人でお昼の新幹線に乗り、急遽広島へ。父のことも心配だし、申告関係の書類も取りに行かねば…と。

実は夫が出張のおとといの夜、息子と一緒に寝たのだが、明け方、寒くて目が覚めた。思わずあんか代わりに息子に抱きつき、そのまま再び眠ったら、夢の中で母が現れた。昔の元気な頃の姿で、「遅くなったけど、来てみたわ」と言って、私を抱きしめてくれた。実際に抱きついていたのは、息子だったのだが、お陰で温かくてハッピーな寝起きだった。

広島に到着後、3人で老人ホームを訪ねると、父は相変わらず元気だった。さて今夜は、仏間で3人、川の字で眠ることにしよう。

*広島は曇り。
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行きはよいよい帰りはこわい

きょうは朝から洗濯&掃除をして、山のような荷物を軽自動車に積み込んで、老人ホームの父と友人宅を訪ねてから、お昼すぎにようやく高速道路に向けて出発! 

天気が心配だったけど、広島はいつも通りの晴れ。高速に乗っても、岡山、兵庫とずっと晴れ。順調に走って夕方、暗くなった頃に高速をおりたら気温が0℃となっていた。それでも雪は見えないので安心していたら、家の近くまでくると、アスファルト以外の場所は雪で真っ白! スーパーの駐車場も雪が残ってるし、周りの車も雪が積もってる! ようやく家に到着したら、やはり玄関は真っ白だった。

それでも山の集落に帰ることを考えたら、雪かきがないだけでも楽なもの。ああ、それでも寒いのが苦手な私は、また不機嫌になりそう…。一番疲れてるのは、運転した夫の方なのだけど。

*実家近くに建設中の自動車道路…いつになったらできるのやら。
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しばしの別れ

息子はきょうから冬期講習。明日から仕事の夫も朝の電車に一緒に乗って、そのまま一足先に自宅へと向かった。

息子はきょうも講習後は本屋へ。ただただ漫画を立ち読みしているらしい。しかしきょうは少し早めに切り上げて、駅のホームの散髪屋さんへ。帰宅後は銀行巡りの後、老人ホームの父を訪ね、夕方になって息子はやっと近くの古本屋さんで心ゆくまで漫画の立ち読み。

私も、冬休み用に買い込んだ本を読み進めねば。

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後輩のお母さん

実家に帰ると、母が亡くなったことを最近知った方からのお便りがいくつか届いていた。うちまで訪ねてくださったのに、留守だったのでメモが残してあったり、改めて郵便を送ってくださったり。私はずっと実家を離れていたので、名前は聞いたことがあっても、その方のことや、母との関係など、殆どわからない。とりあえず電話をしたのだが、その中のお一方によると、うちの両親が縁談のお世話をしたらしい。そんなこともあったのか…とビックリ。

きょうはメモを残してくださっていた別の方が、母のお参りに来てくださった。小中高と同じ学校に通った私の一年後輩のお母さんだ。私と彼女は、高校卒業後は東京に出て、似たような生活を送っていたはずだが交流はなく、故郷の町で母親同士がお付き合いをしていたようだ。うちの母が外出できなくなっても、その方が時々遊びに来てくださっていたようだが、その方も高齢のお母さんと同居されているために、足が遠のいていたという。

私がその方と再会するのは、何十年ぶりのことだろうか。後輩は今でも東京の外資系金融機関でバリバリと働いて、高給を稼いでいるそうだ。彼女の大学入試の際には、どうも私が彼女の世話をしたらしい。そういわれてみると、東京の受験校まで同行してあげたような気もするのだが、私の記憶力ってなんていい加減なのだろう!??

このお正月、娘たちは帰省できないのだと、おばさんはちょっと寂しそうに話していた。年をとっても、こういう中途半端な田舎には帰りたくないとも言われているそうだ。

確かに中途半端な田舎だし、空気も臭いし、ガラも悪いけど、自分が育った場所を私は嫌いになることはできない。きっとその後輩も、心から嫌っているわけではないと思う。この町があったからこそ、東京の華やかな生活を目指せたに違いないのだから。

*私が小学生の頃は公害がひどく、この河口でお化けハゼ釣り大会をやっていた。
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本当の冬休み開始

山の集落で午前2時に消防団の夜警を終えた夫は、早朝の電車に乗り、午前9時に広島駅に到着した。息子と私も、いつもより一本早い電車で同じ頃に広島駅で合流。三人でモーニングコーヒーを飲んだ。

息子が塾に行っている間、私たちはまたも書店へ。途中、私は帰省中の同級生と落ち合い、書店でぶらぶら。その後、塾を終えた息子も入れて、四人でお昼を食べて、またも息子のリクエストで書店へ。本屋さんには何時間でもいたいらしい。その間、私と友人は延々とお喋りができた。

夕方は、久々に三人で父を訪問。いろんなことがわからなくなってしまっている父だけど、このフロアには似たような状況の方が多く、とんちんかんながらもお互いに交流しているような…。スタッフの方を含め、何人もの人がそこにいることで安心感があるのだろう。

私たちが父を囲んで話していると、ひとりのおばあさんがつかつかと歩みより、私に「よろしくお願いします」とお辞儀した後、隣の父に向かって、「●●さんをよろしく頼みます。あの人はええ人なんじゃけど…むにゅむにゅ…」としきりに話しかける。一通り話し終えると、父の返答を待っているのか、父をじっとみつめている。困った顔をして聞いていた父は、その人が差し出した手を握り、「あんた、元気出しんさいよ。まだ若いんじゃけ~」と言った。それを聞いて、おばあさんは納得したのか、うなづいて去って行った。

で、その後に父が私に向かって、「ここは、あーよーなんが多いんじゃ」と困ったように言うので大爆笑。父も、あのおばあさんと変わらないんだけど。でも、おばあさんを励ましてあげるなんて、偉いもんだわ。

さて夫は前夜の疲労で、帰宅直後から爆睡中。きょうからゆっくり休んでください!

*リバーサイドのマンション前。
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老人ホームのクリスマス会(懇談会)

息子は朝起きるなり玄関に向かい、プレゼントをみつけた。毎年のことなので、大げさに喜ぶでもなく、ごく当然のことのようにプレゼント開けているが、やはりサンタさんが届けてくれたと信じているようだ。息子のリクエストは、『電脳迷路あ~』という玩具。しかし、ドライバーと乾電池がないと遊べないらしい。(残念!)

きょうは冬期講習のあと、帰宅してすぐに父の老人ホームへ。クリスマス会と懇談会があるのだ。しかし私たちが到着する少し前にクリスマス会は終了し、それに疲れた父はすでに昼寝をしようとベッドで横になっていた。それでも私たちの姿を見て、「ああ…」と頭を起こそうとしたのだが、そのまま眠りの世界へ…。

その後、私は懇談会に参加して、ほかの家族の方々とホームの運営などについて意見交換をした。ほかは知らないけれど、前に仕事の関係で老人ホームの資料をいくつも見た経験から、ここは(私たちにとっては)かなりいい施設だと思っている。(なのに、最後にスタッフの離職率を質問した私。あとで夫に、「そんなことを訊くなんて!」と苦笑されてしまった。)

ここが家ではないことはわかっているけど、父はここを自分の居場所だと思っている。正確には、「仕事場」でもあると。ここにいるのは仕事のため、だけど自分は仕事といえることは何もしていないし、お金も持っていない…というのが、時に気になるようだけど、見ている限り、居心地は悪くなさそうだ。

ところで、きょうの私の小さな疑問。昨日、きょうと同じ電車で帰ったのだが、二日とも途中の駅からとっても大柄の黒人女性が乗って来た。二日とも、彼女の脇にはとっても大きなダンボールの空箱が! いったい、あれは何に使うのだろうか?

*電車の窓から瀬戸内海を眺める。
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*これが電脳迷路『あ~』だ!
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まつたけご飯

明日は母の四十九日の法要のため、夕方、三人で広島に向かった。夫はお寺でもらった「松茸ご飯」をお土産に、いつもより早めに帰宅したのだが、私と息子は小腹が空いたからと出発前に少しいただいてしまった。夫は昼食が3時だったからお腹が空いてなかったらしい。

残りの「松茸ご飯」は、おにぎりにしてバッグにつめ、新幹線の中でまたも私と息子で一部を食べてしまった。そして夜遅くに実家に到着後も、ふたりでまたしても夜食としてすべてたいらげた。

私はてっきり、夫の遅い昼食も「松茸ご飯」だったのだろうと思っていたのだが、よく聞いてみるとおそばをすすっただけとのこと。せっかくの「松茸ご飯」を夫は一口も食すことはなかったのだ。ああ~、今さら遅いけど、ごめんなさい! 

もしかして私は普段から、こんな風に夫を虐げている!? いつも耐えてくれて(?)ありがとう。

*夕焼けを見ながら出発。
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人気者!?

実は昨晩、私たちと入れ違いで夫はひとり広島に向かった。きょうが昨日の運動会の代休なので、平日のきょうのうちに実家のゴミ処分や銀行の手続きをしてくれるというのだ。本当は久々のお休みなので、家でゆっくり休養してほしかったのだが、本人が行かせてくれと。

意外と実家でひとり過ごす方が、(私がいなくて)気楽でのんびりできのるかも。移動も新幹線だから睡眠に当てられるし。

なんて思っていたのだけど、夕方、帰宅した夫に話を聞くと、1階の事務所の社長さんから「今度飲みに行きましょう」と誘われたり、近所のおじさんから「四十九日はいつやるの? わしも行きたい」などと話しかけられたそうな。(私はまだ殆ど顔も見たことがない人だ!)

「あなたはどこに行っても人気者なのよ。みんな、あなたに会いたがっているのよ!」とおだてておいた。

母も夫のことが大好きだったから、さぞ喜んだことだろう。名前の覚えられない父の様子も見てきてくれて、ありがとう!!

*なので、きょうは初めてのケーキ屋さんでシュークリームを買っておきました。
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