今のところ大正解

ミッション系の学校に入った息子は、その後、どうなったか!?

キリスト教は嫌だと言ってたくせに、入学式での神父様の儀式などを見て、キリスト教に興味津々。宗教の授業や宗教研究会の活動にも熱心で、去年のクリスマスの行事では自ら手を挙げて大役を務めました。なんちゅー手のひら返しや!

学校のことが大好きみたいで、先生方を尊敬していて、どの授業も、どんなくだらない(?)雑談にも熱心に耳を傾けている様子。どうしてこんなにマジメな子になったんだろう!?と親の私が不思議なくらい。今のところ、先生の言うこともすべて真に受けて、素直に従っているようです。親の言うことはきかないくせに。

最初は知っている子もほとんどいないため、通学仲間もいませんでした。いまだに仲良くつるむグループがあるわけでもなさそうなのに、6年間の皆勤賞を目指して、息子は毎朝、元気に登校していきます。入学後、2ヶ月くらい経った頃でしょうか。息子が学校について、こんなことを言いました。

「特に何があったわけでもないのに、毎日、『ああ、きょうも楽しかったな~』と思える」と。

それを聞いて、私は本当に安心するとともに、嬉しくなりました。息子にはこの学校が本当に合っていたのでしょう。

小学校の最終学年は、そりの合わない担任に当ったことで辛い一年だったようなので、その反動で余計に居心地がよかったのかも知れません。尊敬できる先生方に出会ったことが、一番、大きかったのだと思います。滅多に学校のことを話してくれない息子ですが、「先生がこんな話をしてくれた」という報告は時々してくれるのです。それを聞くたび、私も感銘を受け、「ああ、この学校に入れて、よかった!」とつくづく思うのでした。

それは保護者会に参加しても、いつも感じます。先生方のお話を聞いていると、生徒への愛情が感じられるのです。先生方もこの学校のこと、大好きなのだな~と。だから私もあっという間に息子の学校の大ファンになっていました。保護者会で知り合った何人かのお母さん方も、私と同じくこの学校が大好きみたいで、嬉しくなります。第一志望ではなかった方もけっこう多いのですが、みんなこの学校の大ファン。この学校とのご縁は、私にとっても新しい世界を広げてくれるものかも知れません。神に感謝!

by 鳩胸厚子

後日談(母のお導き?)

息子は小3のとき、友人一家に某学校の文化祭に連れて行ってもらったことがきっかけで、その学校に行きたいと言い出した。当時、山の集落の小さな小学校に通っていた息子にとって、都会の中高一貫校は衝撃の世界だったのだと思う。大勢の若者に、多様な部活、きれいな校舎。中でも、以前、テレビで見たぜんじろう先生の理科実験を実際に体験させてもらえたことが息子にとっては感動的だったようだ。

その学校に入りたい一心で、小5から塾に通い始めたのだが、親としては主に塾情報をもとに我が子の学力を見極めながら、複数の受験校を決めることになる。私としては、別の学校の方が息子向きに思えたが、息子はその学校には見向きもしない。受験日も重なっているので併願は無理。息子は本当に自分が行きたい学校のことしか考えておらず、ほかの学校にはまったく興味を示さず、学校見学にすら行こうとしない。

結局、私が塾で開催された併願可能な近隣の学校の説明会に行き、塾の先生の指導もあって、息子もその学校を併願することを了承した。しかし、そのための対策はいっさいしない。彼の頭にあるのは、第一志望の学校だけ。

もちろん、私も息子の願いが実現するよう、精一杯応援していた。息子なりに頑張っている姿を見ていたら、その思いが叶うよう、私も毎日祈るような気持ちだった。私も息子が受かることしか、考えていなかった。

ところが結果は不合格。実は合格発表を見に行く前になって、息子がぽつりと言ったのだ。

算数の試験中に鼻血が出た。

ええ~、なんで今頃言うの~!? 一番大事な算数、ただでさえ時間が足りない算数で鼻血が出たら、たぶんダメなんじゃない・・・!?」と私の頭の中でいろんな思いがよぎり、ドキドキしながら校門を入ると、やはり息子の番号はなかったのだ。

息子があれほど熱望した学校に入れなかったことは、私にとっても悲しいことだった。なんというか、息子がずっと恋焦がれていた女性への思いが通じず、ふられてしまった様子をつぶさに見てしまったような、なんともいえない切ない気持ちになった。

しかし、今だから言えるのだけど、私は息子の第一志望の学校には一抹の不安を覚えていたように思う。だから別の学校を薦めたりしたのだ。(塾の先生も息子はこっち向きだと、別の学校を薦めていたくらいだ。)

結局、息子は躊躇しながら、近隣の併願校に進学した。お寺の世界しか知らなかった息子にとって、ミッション系の学校というのは想定外で、そういう学校には行きたくないと当初は漏らしていたが、塾の先生の話などを聞いて観念(?)したようだ。しかし、私はというと、実は少し喜んでいた。私はミッション系の学校が好きなのだ。キリスト教のことなど、よく知りもしないくせに、私自身、中学からミッション系に通ったから。熱心なお寺の檀徒だった両親に育てられながら、なぜミッション系だったのか。それは私の母が私が通ったミッション系の学校を高く評価していたから。思えば小学生時代の私も息子と同じうように仏教の世界が当たり前だったため、ミッション系の学校には行きたくなかった。それを母が、わざわざ私を説得してミッション系の学校に入れたのだ。そして今になって、私はそのことを感謝している。

その後、息子が入学を決めたミッション系の学校の校舎に初めて足を踏み入れたとき、私はなぜか懐かしい気持ちになった。ミッション系の学校の雰囲気というのは、どこも似ているのかも知れない。男子校であるにも関わらず、懐かしい場所に帰ってきたような気がして、そのとき確信した。母がここに導いてくれたのだと。

息子は第一志望の受験日に相当、テンパっていたのだろうが、私はいま彼にこう言っている。

ばあちゃんがお前に鼻血を出させたのかも知れないね。こっちの学校に行きなさいって。

by 鳩胸厚子

共感ー亡き父を偲んで

年明けに父が亡くなったあと、いろいろな手続きをした。3年半前に母が亡くなったときの経験があるので、特に戸惑うこともなく、わりとスムーズにことは進んだ。(といっても、すべて終えたわけではないのだけど。)

中でも、かんぽ保険は、広島に行かず、こちらの郵便局で手続きできるので助かった。近所の郵便局に2回、足を運んだが、たいして時間はとられなかった。最初に行ったときは、私より少し若そうな男性職員が対応してくれた。てきぱきしていたが、わずかに慇懃無礼な態度と口臭が感じられて、不快だった。

二回目に訪れたら、今度は私より年上と思われる女性職員が対応してくれた。最近はけっこう年配でも勤められるのだな~と思いつつ、彼女の動きや口調から、「これは、かなり時間がかかりそう・・・」と不安になった。「まだ、あのちょっと嫌な感じの男性職員の方がよかったな~」と、心の中でため息をつきながら待つことに。

やがて、他の職員さんに確認しながら手続きを進めていたその年配女性に、名前を呼ばれた。思ったほど、時間は経っていなかった。彼女はまず、「お父様ですか?」と、お悔やみの言葉を述べてくれた。そして、「大正2年生まれとは、私の父と同じです。長生きされましたね」と言ってくれた。
「そうなんです、100歳の大往生で・・・。そちらのお父様は?」
「うちは数年前に亡くなったんですよ。」
「それでも長生きされましたね。」
などと、しばし雑談。父は入院や手術を一度も経験することなく、自然に亡くなったことも話してしまった。その方も、「うちの父も老人ホームに入って、元気だったんですけど、認知症で暴れたりして、大変なこともありました」と言いながら、「それでも、長生きしてくれてよかったですけどね」と微笑んでいた。なんだか、お互い、気持ちを分かり合えたようで、一瞬、心が温かくなった。

その後、書類を見ながら、その方がまた声をあげた。「お父さんの誕生日、私と一緒です!」
ちょっとした偶然が、さらに共感を高めてくれたようで、ちょっと嬉しかった。

自然な老衰、100歳の大往生ということで、「めでたし、めでたし」と言いながら、実は心の中にぽっかり穴が空いていたのだな~と、そのとき気づいた。何歳だろうが、父がいなくなって寂しい・・・という気持ちを、一瞬でもこの方と共有できて、なんだかほっとしたのだ。

手続きを終えた私は、「きょうはいい日だわ!」と思いながら、郵便局を出た。もう顔も覚えていないけど、彼女のことは一生忘れないと思う。

by 鳩胸厚子

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日常会話で死はタブー?

早いもので、今年もすでに1/3が過ぎてしまいました。
今さらですが、実は年明け早々に父が亡くなりました。100歳の大往生だったので、「こんな風に人生を終えられて羨ましいな~」と感動をもって見送ることができました。このことは別の機会にまた詳しく話すとして、きょうは「死はタブーなのか!?」という話です。

年末に、友人に紹介されたとある方と会う約束をしました。その時点で年明けのスケジュールがお互いにはっきりしなかったので、お正月休みが明けたら連絡しましょうということに。ところが、父が亡くなったことで私からの連絡が遅れてしまい、落ち着いた頃にメールでその旨を書いて詫びたところ、その方から返信があり、結局2月に会うことになりました。それはそれでよかったのですが、その方の返信メールには私の父の訃報について一切、触れてありませんでした。まだ直接会ったことがない方に、父が亡くなったと書いて気まずい思いをさせてしまっただろうか・・・と反省しましたが、その方は霊界に詳しいスピリチュアルな方と聞いていたので、逆に不思議な気もしたのです。もしかしたら、日常的に魂の話をしている人にとって、あの世に旅立つことはたいしたことではないのかも・・・などと考えたりしました。

それから、昔、暮らしていた山の集落の友達に久々にメールをしたときのこと。街に引っ越してからも、彼女とは時々会って、お喋りをして、互いの近況報告などをしていました。私が遠距離介護をしていたことはもちろん、母が亡くなるまでの経緯や、老人ホームの父の様子なども、会うたびに話していました。彼女も周りにお年寄りが多い環境で暮らしている上、いまは医療機関に勤務しているので、そういう話題をよく語り合ってきました。今回は久々に連絡事項があってメールをしたのですが、そこに「年明けに父が亡くなってバタバタしていました」という一文も入れておきました。すぐに返信メールが届きましたが、父については一言も触れてありませんでした。

前述のスピリチュアルな方は、2月にお会いしましたが、とてもすてきな方でした。山の友達も、近所の高齢者のことも心配してあげるような優しい人です。だからこそ、どうして父が亡くなったことについて一言も触れないのか、解せないでいます。単に見落としたのか!? 私の書き方が変だったのか!? なんと言葉をかけていいか、わからなかったのか!?

3月になって、ご近所のママ友たちと久しぶりに集まる機会がありました。私がここに越してきてすぐにお話をするようになった同じ町内の同級生のお母さん方です。以前は定期的に集まってお喋りしていましたが、子供たちが中学生になってからはそういうこともなくなっていたので、本当に久々にみんなで顔を合わせました。帰り際にその中のひとりとふたりきりで話す時間があったので、父が亡くなったことを伝えました。私が毎月のように広島に帰っていたのをご存知の方だったので、報告の意味でさらっと伝えたつもりです。けれど、彼女から言葉はありませんでした。その場で固まっていたのかも知れません!?

その後、別の近所のママ友とメールのやりとりをしたときも、一切、なんの反応もありませんでした。今までお互いの個人的な事情はけっこう話して、知っていたはずなのに。

もちろん、温かい言葉をかけてくれたり、お花を持ってきてくれたママ友たちもいます。反応の違いは単に親密度の違いなのかも知れません。とはいえ、親密度に関わらず、ご身内にご不幸があったと聞いた際には、お悔やみの言葉を述べるなり、何らかの反応をするのではないかな~とも思うのです。常識も教養も思いやりもある方々だと思っていただけに、いまだに解せない。日常生活の中で予期しないときに、「死」に反応する心の準備ができていないだけなのでしょうか。

日常会話で「死」の話題はタブーなのね・・・と改めて感じています。

もう結構

あと一月ほどで99歳となる私の父は、現在、実家近くの老人ホームで暮らしている。私たちも、なるべく顔を見に行くようにしているが、月に一度が精一杯。すでに父の兄弟や友人もみんな故人となっているし、もともと耳が遠い父は、今では記憶もあやふやで、以前のように会話はできないため、親戚も殆ど面会に来ない。

ところが、そんな父のもとに近所の従妹が何度も足を運んでくれているようだ。私より約10歳年上だが、いまだに独身。昔は美人だったけど、かなりの変わり者。心優しいのだが、何を考えているのかいまひとつわからない、不思議ちゃんだ。そんな彼女を昔は父も気にかけて、いろいろ世話をしていたようだが、ある時点で、「ありゃあ、ダメじゃ」と見切ったような言葉を発したことがある。

その不思議ちゃんの従妹から、連絡がきた。この間の父の日に、老人ホームを訪ねた際、久しぶりだったので、父にいろいろ話しかけ、かまってしまったらしい。(具体的に何をしたのだろう?)。それが気に入らなかったのか、父はとても丁寧に彼女にこう言ったのだという。

「ご苦労様です。もう結構です。」

この話に我が家は大爆笑! うちの父は非常に我慢強い性格だ。それに、私たちが訪ねて行っても、引き止めることもしないが、帰れと言うことも決してない。そんな父が、「もう結構」なんて、よっぽどのこと。それも、「ご苦労様です」と気配りをしながら・・・。

いや、父の気持ちはすっごくわかる。彼女に悪気はなくて、本当に親切心からいろいろやってくれるんだけど、それがありがた迷惑・・・という出来事がこれまで数限りなくあったんだもの。いやはや、本当にご苦労様でした。

*朝のコーヒーは息子が淹れるようになりました。
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合奏

きょうは学校で音読と音楽のつどいが開催された。息子の学年は、去年が音読だったので、今年は音楽。合唱と合奏を披露した。

息子は学校の様子を殆ど教えてくれないのだが、近所のママ友から、合唱の練習中に息子が見本となって、みんなの前で歌わされていたことを教えてもらった。山の学校で合唱団に入って以来、大きな声で歌うのが大好きなのだ。

そしてきょうの本番。息子は大きな口をあけて、身体を揺らしながら、楽しそうに歌っていた。次の合奏は、私もよく知っている女子がピアノ伴奏を担当。お母さんから、必死で練習してきたことを聞いていたので、思わずこちらまでどきどき。難しい曲なのに、みんな上手に演奏して、しかも人数が多いから大迫力。なかなか感動的だった。

ビデオ撮影していたママ友によれば、去年からうちの学年を担任している若い男の先生が、感動のあまり壁際で顔を隠して泣いていたらしい。う~む、あの先生なら想像できる。最終学年である6年生の行事は、ひとつひとつが感慨深い。息子にとっても、またいい思い出がひとつ加わったに違いない。

(私はこの行事にかこつけて、ママ友と、またも湖畔のレストランでのランチにでかけてしまった。)

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家事労働

息子が家庭科の宿題で「家事労働」をするという。いくつかの選択肢の中から「朝ご飯づくり」を選んだらしく、きょうは夫にコーヒー豆の挽き方から教えてもらっていた。しかし、いくら朝ご飯を用意してくれると言っても、私は夫の弁当を作らねばならないのだ。同時に台所に立って、あれこれするとなると、本当に邪魔で仕方ない。しかも、予定よりも遅く起きてきたものだから、焦る、焦る。いやはや、なんとも迷惑な宿題。これ、一週間続くらしい。オーマイガッ~!!!

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台風襲来

私たちの日ごろの行いがよかったのだろうか。昨日とはうってかわって、きょうは台風が直撃。警報が発令され、子どもたちは5校時終了後に集団下校。塾も休講となった。

おかげで、きょうは夕方から、家族みんなでのんびりできた。息子にとっては、ちょっとした休息かも。

*これは昨日のランチ!
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上り調子

この前の日曜日、ばあちゃんの形見の携帯をなくしたショックをひきずりながら(!?)、月1のテストを受けに行った息子。きょう、その結果が戻ってきたのだが、なんと過去最高の成績だった。なるほど、これくらいの精神的ダメージがある方が、本気でがんばれるのか? いや、それとも今まで地道に(!?)努力してきたことの成果か? それとも単に、まぐれだったのか?

ま、とりあえず、きょうはたくさん褒めてあげよう!!! エハラマサヒロの口調で。(*塾講師のマネをするお笑い芸人です。)

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教育労働者とはなんだ?

きょう夕飯を作りながら、NHKのローカルニュースを見ていたら、近隣市の小学校教諭が平和運動の活動家に譲渡した銀行口座が過激派に使われていたという報道があり、その市の教育委員会が謝罪会見する模様が画面に映った。

台所からいい加減に見ていたので、よく意味がわからず、あとでネットで調べてみたら、すでに6月7日付で新聞報道があったようだ。ただし、詳細が微妙に違う。こちらの記事では、口座を譲渡したのは、近隣市ではなく、我が市の小学校教諭となっている。

テレビのニュースでは、近隣市の教育委員会が会見をしていたのだから、最初の新聞記事は誤報だったのか。この小学校教諭、書類送検される見通しなのだが、それだけでは実名報道はされないらしく、同一人物なのか確認できない。しかも、最初の新聞報道から、きょうの記者会見まで1週間も過ぎているのはどういうわけか? また、この小学校教諭に通帳を作らせた容疑者(逮捕済)は、我が市の住民で、平和運動の活動家と言いながら、実は中核派の活動家だった。この容疑者はかつて自ら「教育労働者」と名乗っていたようなので、おそらく教師だったのだろう。結局、書類送検の教師と、この中核派との関係はどの程度のものなのかは不明のままだ。

さりげな~く短時間で報じられたニュースだが、よく調べると、けっこう怖い内容ではないか。我が子が通う学校にも、こういう先生がいるのかもしれない。ただでさえ、最近、この住宅地には左翼傾向の人が多いことを知って驚いているのに・・・。(そして、やはりそういう方々の多くは教育関係者なのだ。)

一見、平和な町の中にも、水面下ではいろんなことが起きているのだ。

*きょうの話とはなんの関係もない、ずっと前の写真。
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