ふるさと体験学習で息子がいない夜

新型インフルエンザ騒動の休校処置で途中で中止になった息子の「ふるさと体験学習」が、きょう実施されることになった。朝は授業を受け、給食を食べてから、後半部分だけやり直す(?)のだ。息子は「楽しみだなぁ、楽しみだなぁ」を連発しながら、登校した。人数が少ないと、こういうところで融通がきくのがいい。

きょうは久々に入院中の母とも話ができた。まだ退院のメドはつかないけれど、とりあえず前より声は出ている。

で、仕事をしながらも気分転換に読書に励む私。息子に「あやしい~!」と馬鹿にされたコーチングの本をこそこそと。すると意外なことに、ここに書いてあるコーチングの手法はまさに息子が実践していることが多くてビックリ。

あいつはしょっちゅう自分のいい所、すごい所は何かと私に尋ね、答えを確認しては、気分を良くしている。とにかく自分をおだてて盛り立ててるようだ。お陰で、たまに落ち込んでも立ち直りが異常に早い。私も早いが、もっと早い。けっこう見習うことがある奴だ。

息子がいない夜、息子に教えられる母であった。

子供の先生との関係

学校を欠席するのが嫌で、中高の6年間は皆勤賞までとった私だが、実は学校という組織、いや「教師」という人種(?)にあまり馴染めず、先生とは常に距離を置いてきた。

けれど我が子の「先生」となると、なるべく良好な関係を築きたいと思う。息子が1歳半で保育園に入って以降、いろんな先生に出会った。相性もいろいろだし、尊敬できる人から、問題のある人まで、さまざま。

でも概ね、息子はいい先生との巡り合いが多くてラッキーだと思っている。けれど、きょう近所のPTA仲間と話していたら、息子も夫も私も大好きな先生の評価がめちゃくちゃ低いのだ。彼女の回りでは、そういう評価をする人が多いらしい。

もちろん人間なんて相性もあるし、立場が違えば見方も変わるものだけど。思えば、その先生は「型破り」なタイプだから、支持者が多い分、敵もいるのだろうと思う。「出る杭」として打たれ続け、それでも実績を積んできたからこそ、今のポジションや評価があるのだろうし、少々の批判なんて気にしてないだろう。

ホント言うと、私はまだその先生と個人的にお話したことがない頃、偶然に複数の人から「すっごくいい先生よ」という絶賛の声を聞き、いぶかしんでいた。でもある日、その先生が子どもたちを指導しているところを見たら、なんだか感動してしまったのだ。どこにどう感動したのか、よくわからないけど、たぶん先生が子どもたちをひとりの人間として見てくれているのがすごく伝わってきたんだと思う。

隣町で若くして教育委員になった女性、東京で活躍している若きカメラマン、夫の知人の高校教師、私が偶然出会った同窓生などから聞いた「あの先生にはお世話になった、素晴らしい先生だ」という声を、今は本当に実感できる。

こんな保守的な田舎では、余計に「出る杭」と見られがちかも知れないけど、出る杭がどんどん伸びて、みんなもそれに引っ張られることを私は秘かに願っている。

家族の時間

今朝も息子の送迎をして、午後は久々に家族三人、家で過ごした。一緒にゲームをしたり、昼寝したりで、結局、草刈りも片付けもできなかったけど、こういう他愛もない時間がきっと大切なのだ。

このところ、いろんな問題が目の前にあるせいか、実用書の読書スピードがあがっている。それでも本の山は減っていかない。息子は息子で、自分が読んで面白かった本を私にも読めと持ってくるのだ。

家で過ごす日曜日も、こんなにやること&やりたいことがあるのに、とても手が回らない。日々、激務に追われている人たちは、いったいどんな風に時間を使っているのだろう!?

報告日(天文教室、そして両親のこと)

きょうはいろんなことを報告する日になったようだ。まずは天文教室で目撃した国際宇宙ステーションとソユーズがあの直後にドッキングしたことを、きょう学校で子どもたちに説明してもらったことを講師の先生に報告。長年、複数の学校で天文教室を開いていらっしゃるようだが、こういうフォローをしてもらえる地域はなかなかないのだと羨ましがられた。

それから、親戚のおばちゃんたちにうちの両親の様子を報告。みんな自分も年をとってる上に、介護が必要な家族がいたりして、互いに心配しつつも簡単に行き来ができないのだ。

どんなに仲がいい夫婦でも、最後まで一緒にいるというのは難しいことなのだなぁと、いまつくづく実感する私だが、年配のおばちゃんたちは既に達観しているようだ。しかも「今は子どもが親の面倒をみなくてはいけない時代じゃない。介護が必要なら、プロの人にお願いしなさい。あんたは子どもがいるんだから、子どもを第一に、無理しないように」などと母の姉に当る伯母からアドバイスされた。手はかけなくてもいいから、愛情だけかけなさい…と別の人からも言われたところだ。

きょう息子がベッドに入りながらつぶやいていた。
「困ったな、ばあちゃんは入院中だから、前みたいに毎日電話できないね。僕の声を聞くと元気になるってお母さんが言ってたでしょ。」
そう、耳が遠くて、認知症が始まった父の方も、孫の名前だけはしっかり覚えていて(他の家族の名前が出て来なくても!)、孫のことを気にかけているのだ。

息子の誕生が最大の親孝行だったのだから、子育てをおろそかにしないことを自分に言い聞かせた。(もちろん夫も同じく大切に…!)

*セッコク咲いた!
1jun09

老父、ショートステイ先で妹と出会う

私も従姉も昨晩は思わぬ夜更かしをしてしまったが、今朝ちゃんと待ち合わせて、一緒に施設に行った。従姉が車椅子に乗った叔母を、お茶を飲んでいた父のところに連れてくると「お兄ちゃん」と呼びかける。父と一緒にお茶を飲んでいたおばあさんが、「妹さんがいると言ってたのは、この方なのね」と話しかけた。

従姉によると、父はスタッフの方に「妹をよろしくお願いします」と言ってたらしい。自分もお世話になってるくせに、兄の自覚が蘇っているようだ。

その後、従姉も一緒に父を病院の母のところまで連れて行ってくれた。前回よりも母が元気そうになっていると、父はさらに安心したようだ。今回も広い病院内を車椅子なしで、自分で歩いた父の方がよっぽど元気なのだけど。

私と従姉は一緒に電車で広島に出て、お昼ご飯を食べてから別れを告げた。昨晩のファミレスといい、きょうのフードコートといい、従姉にとっては初体験だったらしい。

父のショートステイを始め、何歳になっても初体験することはいろいろあるのだ。

*カープの大ファンの従姉が持たせてくれたお土産。「打たせま煎餅」や「カープ最中」など。
31may09-1

*こちらは連休中のマツダスタジアム。ユニコーンの看板にメンバーがサインしているらしい。
31may-09-2

従姉と再会!

土曜出勤の夫が少し早めに帰宅してくれたので、
私は昼過ぎに家を出て、広島へ向かった。

駅から直接、病院の母のもとに行き、母が夕飯
を食べ終わるまで、いろいろと話をした。

父の施設は8時頃まで面会可能ということだった
ので、急いで駆けつけると、スタッフの方から
「○○さんもいらしてますよ」と教えられた。
同じ施設に入所している叔母(父の妹)のとこ
ろに、従姉が来ているらしい。

彼女と私も本当に久しぶりの再会だ。何年か前
までは帰省の度に会っていたのに、叔母の介護
が必要になってから、なかなか自由がきかなく
なっていたのだ。

叔母は数ヶ月前から入所しているので、従姉は
すでにここの「顔」となっているらしい。偶然、
スタッフにご近所さんもいるらしく、「もう帰
るなら、私の車に乗って行く?」と誘われていた。

親切な誘いを断り、きょうはふたりで夕飯に行
くことになった。(叔母も父も、8時前にすでに
すやすや眠っていたのだ。なんと健康な兄妹!)
8時も過ぎたので、家の近くのファミレスに入り、
おばちゃんふたりで延々と話しこんでしまったよ~。

*鹿に若芽を食べられたけど、花が咲いた!
30may09-1
*大津側から見た比叡山。
30may09-2

バタバタ~!!

日中は、父がお世話になっている施設の方や、ケアマネ
さんや、お手伝いに来てもらっている元ヘルパーさんや
らといろいろ連絡をとりあった。

息子の帰宅後は、ママ友や学校と何度も電話連絡。休校
のあおりで、金曜の天文教室の参加申し込み書をきょう
配布して、明日回収することになったのだが、息子はそ
のプリントを持ち帰ってないのだ。今朝、プリント原稿
を学校に渡したのに…。

学校に電話すると、「配った」という返事。我が子だけ
が忘れたのかも知れないが、念のため、同級生のお宅に
電話すると「持ち帰ってない」。もう一度、学校に電話
すると、「3年生だけ配り忘れたようです」。

その後、別のママ友から電話が入ったので聞いてみると、
「5年生も持ち帰ってない」ことが判明。もう一度、学校
に電話すると、「3年生と5年生だけ配り忘れたようです」。

疑心暗鬼になり、4年生の保護者や、中学生の保護者にも
こっそり確認してしまったぞ。

夕方、担任の先生がわざわざプリントを家まで持って来
てくださった。
あとは好天を祈るのみ。無理そうだけど。

*5月19日の蕾が開いた!!
27may09

休校最終日

夫はいつも通り出勤だが、息子は明日まで休校なので
きょうは一日家にいる。私は少々疲れが出て、朝の用
事が一段落したら、横になった。

と思ったら電話! 実家の関係か?と焦って取ったら、
息子の担任の先生だった。金曜も家庭訪問してくださ
ったのだが、きょうは電話で息子と話してくださった。

金曜日には天文教室が予定されているのだが、休校の
ため参加者人数が把握できない。きょうはプリントの
準備やメールや電話での連絡作業のみ。準備を手伝っ
てもらっているママ友から、ついでに別の情報まで入
ってきた。PTA総会で取り上げられた一件についての新
情報だ。うーん、やっぱり人間、悪いことはできない、
うまく取り繕っているつもりでも、いつかバレてしまう
んだ…と納得させられた。

天気予報を見ると、金曜日の天体観測は無理かも知れな
い…。

26may09

街の生活

きょうも母の病院と父の施設を行ったり来たり。
両親のいない実家に泊まるのは初めてのことだ。
私が東京に出た後に両親が建てた家なので、私
は実質、ここに住んだことはないのだ。(帰省
以外で)

だから、「他人様の家」に泊まっているような
気分がいつもまとわりついていたのだが、今回
はその家をまるごと使うことになり、これまた
変な気分。山の中から家族で都会に引っ越して
来たような感じ。

私はしばらくこちらに留まった方がいいのかも
と思い、息子に「ここに暮らすのはどう?」と
聞いてみたが、「夏休みの別荘ならいいけど」
とつれない返事。息子は山の中の学校が大好き
らしい。

普通は山の中が別荘なんだけど。

*鉄のくじら
24may09

老父と妹との偶然の再会

昨晩は、京都・大阪・兵庫は一切、休憩せずに走り続け、
ようやく岡山のサービスエリアで一休みして、実家に到着
したのは午前3時だった。

今朝はまずショートステイ先の父の様子を見に行き、入院
中の母の見舞いに連れて行くと、前より元気そうになった
母を見て、父は安心したようだった。

母も父のことを心配していたので、ほっとした様子。最初
に泊まった施設と違い、今の施設は建物も新しく、部屋も
広くて明るく、しかも実家に近いので、父も嫌がってはい
ないはずだ。うまい具合に、母が退院するまではここにず
っといられそうだと報告すると、母が「もしかして…この
前、聞いたところかも」という。父の妹がその施設に入っ
ているという話を知人から聞いたというのだ。

夕方、父を送って行き、聞いてみると、本当に父の妹が同
じ施設に入っていた。9人兄弟で存命なのは、父と妹のふた
りだけ。けれど、互いに自由に外出できる状況ではなくな
り、最後に会ったのは10年近く前。人づてに近況はきいて
いたのだが、最近ではみんな年をとったせいで、「人づて」
の話すら、滅多に入らなくなっていたのだ。

早速、父は妹と対面した。「なんでここにおるんか」と最
初はびっくりしていたが、妹に会ったせいなのか、急にし
ゃん!とした。

これから一ヶ月、妹の近くで生活できるので、父も心強い
はず。これも神様か仏様のはからいかしら。

*息子お気に入りの食べ放題レストランの入り口。
23may09