リフレクソロジー@ショッピングセンター

自宅では家まで来てくださる整体師さんのお世話になって
いたが、実家ではそれもかなわず、体中がコリコリの毎日。

きょうは事前にショッピングセンターのお店に思い切って
一時間コースを予約した。それも体のマッサージだけでな
く、フェイスと足のリフレクソロジーと組み合わせ。自分
では肩を中心としたコリに気をとられているけど、実は足
もぱんぱんに腫れているし、眼もかなり疲れているのだ。

大昔に足裏マッサージを何度か受けたことがあるけど、本
当に久々のリフレクソロジー。いた気持ちいい箇所がいく
つもあって、その都度訊いてみると、泌尿器系のツボで老
廃物がたまっているようだとか、眼や耳のツボだとか教え
られた。足のツボって侮れない!!!

体全体のツボを頭に入れるのは私には大変そうだけど、足
裏のツボなら覚えられるかな? ちょっと自分でも勉強し
たい気持ちがわいてきた。

いや、その前に自分でストレッチ運動した方が早いかな。

入院先でやっと落ち着いた母

飲み会のせいもあるけど、きょうはみんなお疲れ。
夫と息子は移動&夜更かしで。私は連日の施設&
病院通いと、暑さと冷房のせいか。

母は前の病院にいたときと比べて、本当に落ち着
いている。酸素をつけて、管や機械につながれて、
ガリガリに痩せていたときを思えば、嘘のようだ。

父は行くタイミングによって、かなりしっかりし
ている時もあれば、眠くてぼ~っとしていること
もある。時間や場所は相変わらずわかっていない
し、最近は話すことも事実でないこともたくさん
まじっている。それでも機嫌は悪くないし、最後
は「お世話になりました。ありがとう」と言って
見送ってくれる。

このところ医療や介護の本を何冊か読んでいるの
だが、小沢勲さんの本は涙なくしては読めなかっ
たし、三好春樹さんの本はなるほど~と感心する
ことばかり。介護や認知症の良書を読むと、下手
な本よりよっぽど人間というものを勉強できる。

いろいろなことがわからなくなっても、父が穏や
かでやさしい人であることは、本当に嬉しい。
私もそうなれるか…自信がない。

高校野球で如水館が負けてしまった。ああ~、
きょうは早めにゆっくり寝よう!

*息子もお疲れ!
11aug09

大久野島の毒ガス工場

今朝もまた「きょうは長崎原爆記念日です」という町内放送が聞こえた。思えば、父も母も含め、あの戦争を生き延びてきた人たちというのは幸運に恵まれて、何かの力で生かされているのかも知れない。

何気なくテレビをつけたら、NHKのETV特集で『カルテだけが遺された~毒ガス被害と向き合った医師の闘い~』という番組をやっていた。戦争中、大久野島の毒ガス工場に勤務して、その後、呼吸器に障害を負った人たちの治療をひとりで続けた故・行武医師のドキュメンタリーだ。根本的な治療法もない中で、行武医師は患者の治療だけでなく、患者への医療手当を政府に訴え、イランの毒ガス患者治療の支援も行っていた。長年のカルテに書き込んだ患者の心の叫びをまとめる作業にも着手したが、それが完成しないまま、この春、肺がんで世を去った。番組では、ベッドの上で娘さんに口頭で作業を指示している医師の姿も映された。残りの作業は、家族の方が引き継いでおられるようだ。

実は私の母も学徒動員で大久野島の毒ガス工場に通ったひとり。長年、行武先生にお世話になった。母にとって忠海病院に定期健診で通う日は、懐かしい同級生にも会える日だったが、そのうち母の体調が思わしくなくなり、行武先生が健診に来なくても大丈夫なように(手当の申請のためにも健診が必要だったようだが)配慮して手続きをしてくださった。

なのに、その先生の方が先に亡くなってしまったのだ、母は訃報に驚いていた。先生は母とほぼ同年代だったのだ。

今回、テレビで私は初めて先生の姿を拝見した。昔は、なんでわざわざ忠海まで母は通わなくちゃいけないんだろう、もっと近くの病院で治療してくれたらいいのに、と思っていたけど、この番組を見て初めて知った。毒ガス患者を専門に診てくれたのは、行武先生だけだったのだ。毒ガス患者の話を真摯に聞いて、彼らのために動いてくれたのは行武先生だけだったのだ。

私が子供の頃から、母は気管が悪くて、日常的に鼻をつまらせ、痰を出していた。見ていて嫌になるくらい、ひどかった。不思議なことに、17年前の心筋梗塞で大手術をしたら、なぜか気管の症状がおさまった。今も理由はわからないけど、ふつうに呼吸ができるようになり、母もだいぶ楽になったはずだ。

母にたくさんの病気があるのは生活習慣のせいもあるだろうし、母自身も毒ガスや放射能のせいだと言ったことはない。昔話はたくさん聞いたけど、毒ガス工場に関しては当時、一学生に過ぎなかった母が知っていたことはほんのわずか。今夜の番組を見て、初めて知ることがたくさんあった。

行武先生の孤軍奮闘ぶりに感動しながら、こういったさまざまな人たちに助けられて、母は生かされているのだなぁと改めて思った。それは私も同じ。

大久野島にもいつか行ってみなくちゃ。行武先生のご冥福をお祈りします。

9aug09

母は食欲旺盛

雨がやんでる間にと、午前中に母の病院に行った。
国道が途中、片側通行になっていたが、わりとス
ムーズに到着。このところ、母は食欲がでてきて、
「食べたいもの」が毎日いくつも出てきている。

握り寿司、ちらし寿司、いなり寿司…と連日食べ
ているのだ。病院食はどろどろのおかゆなのに!
甘いデザートも欲しがるようになり、どらやきも
おはぎもぺロリと食べた。

転院前後の検査結果には、生きているのが不思議
と思える数字が出ているのだが、本人の姿をみる
となかなか調子がよさそうに見える。おかしな話
だが、数字よりも目の前の生きている母の様子こ
そが現実なのだ。

嬉しい現実に感謝して、大雨になる前に帰路につ
いた。

*息子の好きな定食屋さんに着くと、黒い雨雲が!
26jul09

ストレス解消

昨晩、いろんなことを話したせいか、これまで心にたまって
いたストレスがすっきり流れて出ていった感じ。

きょうは天気もよかったので、シーツなど、大きな洗濯もど
っとすませて、気分がいい。子どもがお昼過ぎに帰宅すると、
あとは夕方まで用事がないと安心したせいが、ぐうぐう眠っ
てしまったようだ。

実はここ一週間くらい、目の周りが痙攣する症状が出ていた。
最初は左目の下がピクピクなっていたのが、最近は右目の上
まぶたがピクピク。それがきょうは、ほぼ止まっている。

心配事がなくなると、ぴたっと症状が止まるとは!身体は正
直だ。とにかくストレスはためないようにしなくちゃ。

15jul09

涙の効用(母の転院)

今朝、早い時刻に母の病室を訪ねると、隣のベッドの方が
母の横に座って、涙ながらにお喋りをしている最中だった。
いろいろ悩みのある方らしく、別れを惜しんで、最後にお
喋りをされていたようだ。

他にも先日まで同室だった方々と別れの挨拶をしたり、一
足先に退院された方からカードが残されていたり、入院生
活の中で自然にコミュニティができていたようだ。

さて、レンタカーで本当に久々に母とのドライブ。転院先
に到着すると、昨日の電話通りに母の手伝いをしてくださ
っていた女性もちょうど同時にやってきて、ふたりで荷物
を運んで、病室の準備。母はまず検査と医師の診察を受け、
病室に移ると看護士さんより詳しい聞き取り調査。あらゆ
るスタッフの方が、とっても丁寧で、親切で、優しくて、
明るくて(平林都さんの接遇の研修を受けたのかと思うほ
ど!)、こちらの緊張&不安もほどけてきた。

その後、別室にて私は新しい主治医の先生(&婦長さん)
と面談。母の心臓はもう末期的状況にあることを改めて説
明された。前の病院でも聞いていたし、この春以降の母の
様子を見て覚悟もしていたので、気持ちの動揺はなかった
のだが、私は思わず泣いてしまった。なぜなら、ここの方
々が母をやさしく受け入れてくださったことで、本当に安
堵したから。「本当はもっと母のそばにいたいのですが、
遠くに住んでいてそうもいかず。広島を離れたときから、
こうなることはわかっていのですが。だから、ここに入れ
てよかったです、よろしくお願いします」と泣いてしまっ
たのだ。

主治医の先生は私より若い女性で、婦長さんは私よりちょ
っと年上の女性。私の気持ちも、しっかり受け止めてくだ
さった。あとで婦長さんが、「うちの母も、何度もよくな
ったり悪くなったりを繰り返して、似たような状況でね。
妹は遠くに住んでいて、しょっちゅう帰れなくて。だから
気持ちがわかるのよ。娘がしょっちゅう帰れない分、私が
お母さんをちゃんとみてあげるからね」と言ってくださっ
た。

怒りや悔しさで流れる涙は、交感神経が関係していて、悲
しみや嬉しさで流れる涙は、副交感神経が関係しているそ
うだ。成分も違い、前者はしょっぱく、後者はうす味(?)
だとか。いずれにせよ、涙はストレス物質を排出してくれ
るらしい。

たぶん私も緊張がほどけた安心感から、どっと涙が出たの
だろう。ストレスを吐き出したせいか、その後はすっきり
と心から笑顔になれた。きれいな心の人たちに囲まれると、
こちらの心も洗われるようだ。

*その後、母が「家を見せてもらっておいで」と言うので
 新興住宅地の新居を訪ねた。
6jul09

疲労のピーク

昨日から量は少ないけど、超急ぎの仕事があったりしたもので、
このところの疲労がピークに達した。本当はきょうの夕方、広
島に向かうつもりだったが、あまりにしんどいので、今からゆ
っくり眠って、明朝出発することにした。

疲れがたまっているのは確かだけど、睡眠をしっかりとれば回
復するかな。不眠症とは無縁の私。今からぐっすり眠るのだ~。

きょうは息子の合唱の待ち時間に買い物をすませてママ友たち
と合流して、久々のお喋り大会もできて、ちょっとすっきり。
私以外は四人の子持ち。私が「疲れた~」なんて、ちょっと申
し訳なかったわ。

*ご近所さんからいただいた鮎!
4jul09

医療難民

来月、母が転院する予定の病院に紹介状を持って行った。
短時間で終わるだろうと思っていたら、副院長からゆうに
40分以上は説明があった。パソコンの画面を使って、現在
の医療・介護制度の説明から始まり、疑問だらけのその制
度の中で、この病院はどういう信念で、どういう方針で患
者を受け入れているかを説明され、それを納得した上で手
続きをしてください、とのことだった。

数年前から厚労省が、医療費を削減するため(その分、介
護費につけ代えるだけなのだが)、いわゆる「社会的入院」
患者を減らす方針を打ち出した。さほどの医療が必要のな
い高齢者を、病院ではなく自宅か介護施設へ誘導する政策
らしいが、国が決めた線引きでは実は医療を必要とする患
者(つまり、介護施設が受け入れを拒むような高齢者)ま
でが病院を追い出され、行き場のない「医療難民」になる
という。

こういう実態を現場の医師たちは、みな疑問に思っている
らしい。少なくとも、この副院長、そして現在の母の主治
医も。そして病院にも国は目的別のカテゴリー分けをして、
国の求める基準を満たさないと、そのカテゴリーをはずさ
れるらしい。なので、「本来なら現在の主治医の先生は、
医療者として最後まできちんとお母さんのことを診たいと
思っていらっしゃるでしょうが、制度として無理なのです」
ということらしい。

幸いなことに、現在の病院と、この病院は互いに連携して、
密な連絡をとりあっているとのこと。母が退院できる状態
になれば、責任をもって受け入れ体制のある施設を捜しま
すとも言われた。

矛盾だらけの制度の中でも、信念をもって働いている方々
がいらっしゃるお陰で、なんとかこの国の医療・介護制度
はもっているのか…と複雑な気持ちだ。母はラッキーなこ
とに医療難民にならずにすみそうだけど。

ちょっと離れた町にある病院まで、なんと友人が車で迎え
に来てくれた。ちょうど彼女も帰省中で、きょうは時間が
あるからと。去年、お母さんを看取った彼女も、医療制度
の矛盾を訴えていた。(苦しんでいたお母さんが退院させ
られ、次の病院は自力で探さねばならなかったそうだ。)

この国のあり方に憤慨しながらも、まっとうな人たち、温
かい人たちに会えて、心が救われた一日だった。ありがとう!

*新球場(新幹線から)
23jun09

心の折り合い(介護とは)

認知症が急激に進んだ父は、施設内で他人の部屋に
入ったり、いろいろ迷惑をかけたらしい。方向感覚
がなくなって、自分の部屋がわからなくなるようだ。
それから、母だと思って後をついていったら、違う
人だった…とも私に話していた。

日曜日に会った時には急激な変化に驚いたけれど、
月曜に会いに行くと、おかしなことは言いながらも、
母の具合はどうか?と訊いてきた。そして日曜も月
曜も、孫がどうしているかと質問してきた。そして、
ぶつぶつ不満を言いながらも、顔はにこにこ笑って、
結局このままでいいと言う。私が帰らないといけな
いと告げると、気をつけて早う行きんさいと手を振
ってくれた。

自宅に戻ると、両親がどうしているだろうかと心配
になる。実家にいれば、今も顔を見に行けるのに。
逆に実家に帰省中は、夫や子供に寂しい思いをさせ
ていると、これまた心苦しい。どちらにいても、心
は落ち着かない。身体がふたつあればいいのに。

きょうも今後のことを含め、何人かの方に電話をし
て情報やアドバイスをいただいた。介護制度につい
ては、いまだによくわからないことだらけで、人に
よって「これは誰がするべき仕事か」の解釈が違っ
ていたりする。それでも、皆さんに共通するのは、
「家族が家で面倒をみるべき」とは思っていないこ
と。むしろ皆さん、私が無理をしないように気遣っ
てくださる。「遠いんだし、子どもさんもいるんだ
し、頻繁に来るのは大変だから、人に任せられるこ
とは任せなさい」というようなことを、何度も言わ
れた。「手はかけずに、愛情をかけろ」と。

あとは自分の心の折り合いをつけるだけ。
「人間、どこにいても同じ」と言っていた私なのに、
いつもふたり二人三脚で仲良くやってきた両親が、
離れ離れになったのが、切ないのだ。むしろ当人た
ちの方が、十分に覚悟もできて、今の状態を受け入
れている。

よくよく考えれば、私が自分の家庭を大切にするこ
とが、両親が一番喜ぶことなのだと思う。あんなに
孫のことが気になるんだから。

実家の事務所を借りてくださっている社長さんは、
「介護は人から人へと繋いでやっていくもの」とい
うのが口癖。利用できるものは何でも利用して下さ
いと、本当に親身になって相談に乗ってくださる。
両親のお陰で、いろんな方と繋がって、いい勉強を
している気分。

午後の雷雨の後、夕方やっと晴れてきた。私の心に
も陽射しが射し込んできたようだ。

*やっとデジカメも戻ってきた。
16jun09

16jun09-2

衰えていく両親。現実は厳しい!

二週間ぶりに帰ったら、母の病状は悪化し、父の認知症は
驚くほど急激に進行していた。ときたま顔を見に行ってく
れる従姉も、父の急変ぶりにショックを受けるほど。二週
間前に従姉と私と一緒に、母の見舞いに行ったことも父は
覚えていない。最初は私のこともスタッフだと思っていた。
名前を告げるとわかってくれたので、ほっとした。しかも、
「○○はもっと古い顔をしとると思うとったけぇ。若いけ、
わからんかった!」と笑わせてくれた。
しかし…二週間前にはまともなことも半分は言っていた父
なのに。

一時は少し体重が増えた母も、またげっそり痩せてしまっ
た。今後、退院しても自宅生活は無理だから、なるべく父
と一緒に入れる施設を探して欲しいと言っていたが、今は
もう別々の施設になっても仕方ないと、覚悟しているよう
だ。

ふたりの状況が違うので、同じところというのはなかなか
難しい。「なるべく家で死にたいね、なるべく最後まで一
緒にいたいね」と思っても、現実的には厳しいようだ。

とりあえず、ふたりとも身体のどこかが痛いとか苦しいと
いうことはないので、それだけはよかったのだけど。