不思議な縁

先日、中高時代の友人からご主人が制作したテレビの新番組のお知らせがきた。ネットで検索してみたら、その番組の制作に携わった方のブログに遭遇した。そして、そのブログの最新日記を見ると、なんとその方は東京から関西まで移動して、ご主人のバンドを見るために私の友人のライヴハウスに来ているという。まさに、私がその日記を読んでいた頃、ライヴが行われていたのだ。

なんともいえず不思議な縁を感じてしまった。が、そもそもなぜこの方のブログに読み入ってしまったか。それは可愛い男の子の写真を見てしまったから。この方の息子さんは、うちの子のほぼ二年後に生まれ、わずか2歳半で突然の病気でこの世を去ったのだという。

大切なものができると、人はそれを失うことを恐れ、おびえる。私も子供をもつようになってから、この子が何事もなく無事に大きくなるようにと、いつも祈るような気持ちでいる。何かの間違いで突然、この子がいなくなってしまったらどうしよう…という恐怖心は、いつも心のどこかにある。だから、子供の事件をニュースで聞いても他人事とは思えない。子供は特に、自分の子供でありながら自分のものではない、預かりものという意識があるからこそ、この気持ちは切実だ。

子供に限らず、出会いがあれば、必ず別れがある。それがわかっているからこそ、共有できる「いま」が大切なのだ。そして出会いも「いま」も、永遠に心の中で生き続ける。不思議な縁で出会った、もうこの世にはいない男の子も、いまでは私の心の中で生きている。

*きょうも霧の朝。このあとは快晴となりました。
kiriasbs

自然の流れ

きょうで二月も終わり。
今になって、ようやく算命学による平成17年の運勢について簡単な説明をきいた。親戚に算命学を長年勉強した人がいるので、時々、アドバイスをしてもらうことがある。
バイオリズムと同じで、長い人生にも運気の流れというのがあるのだろうと思う。

その昔、職場の同僚に半ば無理やり(?)算命学のえらい先生に紹介され、特にみてもらいたいことがあったわけでもないのに、高い(?)料金を払ってみてもらったことがある。そのとき、「あなた、これまでの人生でつらかったことないでしょう? いいわねえ。これからもつらいこと、ないわよ~」と言われた。「珍しいのよ~。一生、つらいと思わずに生きる人なの。でもね、結婚だけは相当、努力しないとできないわ。ほかのことは何もがんばらなくていいから、結婚したいなら、結婚活動だけはがんばりなさいね~!」と。

これはやはり当たっていると言えるのだろうか。

この間、細木数子のテレビを見て、六星占術でいうと私と夫は何星人なのだろうと調べてみた。そして、お互いがどういう時期に出会って、結婚して、引越ししたのか調べてみたら、うま~い具合にいいタイミングで動いているのがわかった。なるほど、スムーズに物事が進むのは、運気の流れにうまく乗っているということなのか。

ここまでの私の人生は18年周期で大きく動いてきた。18年間、親元で暮らし、その後、ほぼ18年、ひとり暮らしをした。願わくば結婚後の18年は夫と子供との生活か。

自分の直感を信じて、正しいと思う道を歩んだ結果が、自然の運気の流れに沿っていれば、これ以上のことはない。体の健康状態と一緒で、常に自分自身の中の自然のリズムを聞き逃さなければ、大きく間違うことはないだろう。

きょうは朝からイライラして、夫と子供に当たり散らしたことを、今になって反省。私が不機嫌になることで、家の中をくら~くしてしまった。一日一回大笑い、これが我が家のモットーだ。笑わせてくれる夫と子供に、感謝してます。

*写真は昨日の雪景色。

日曜日

釣り人

今朝も雪。昨日とあわせて、40センチは積もったかな。
それでも日曜日のせいなのか、車が多い。週末だけ営業している
近所の喫茶店の周りに、10台近く停まっている。よく訊いてみたら、きょうが渓流釣りの解禁日なのだとか。

釣りはほぼ未経験に近い私だが、釣りと聞くと、神田の小料理屋
での飲み会を思い出す。なんのつながりだったのか、ほぼ女性ば
かりの集まりで、一緒に行ったふたりの友人以外は私にとっては
初対面の人ばかり。そこで恋愛話に花が咲いたのだが、私ともう
ひとりの友人だけが、みんなとは恋愛パターンが違うために話の
中に入っていけなかったのだ。

私も彼女も、誰かを好きになると、その人を崇めてしまい、その
人のレベルに近づきたいとがんばるのだが、その人がこちらを振
り返ろうものなら、その時点で失望してしまい、思いが冷めてし
まうのだ。え~、私ごときに振り返るような人だったの~、いや
だ~!と。それでは、恋が成就するわけはないと指摘されたが、
まさにその通り。

私たちは、追いかける行為を楽しんでいたのだ。手に届かないも
のを追い求め、夢を見ることを楽しんでいたのだ。
まったく、男を振り回す失礼な女だとも指摘された。そう言われ
れば、そうだったのか。自分のことを追いかけてくる女がいると
思って振り返ったら、「きゃあ、いやだ~」と逃げていくんだか
ら、失礼といえば失礼だ。

それでも、そのとき私たちはふたりだけで納得しあっていた。
「釣りに例えたら、私たちは誰もいないところでずっと釣り糸を
垂らしているのかも知れない。みんな、あっちの方が釣れるよっ
て、どんどん移動していっても、頑なに同じ場所でがんばってる。だって、他の場所で釣れても意味がないのよ、ここで釣れなくちゃ。ここで一生釣れなくても、それはそれでいいの。」
こんな私たちを、周りの先輩女性たち(それもすてきな)は理解
不能と言っていた…。

あれから何年たったのか、一生釣れないと思っていた私に、今は
つれあいがいる。ひとつだけいえるのは、人間、同じパターンを
繰り返していては成長がないということだ。でも、きっと同じこ
とを繰り返していく中で、なんらかのブレイクスルーが起きるの
かも。

こんな寒い雪の朝から、じっと川の中で釣り糸をたらす人もいる。いったい、釣れるのか釣れないのか知らないけれど、結果に関わらず、これを楽しいと思う人がいるのだ。私は「おじさん、がんばってね!」と心の中で声をかけながら、夫の運転する車で買い物にでかけた。

釣り人

高瀬川

用事で街に行くついでに、久々に友人と会ってランチをすること
にした。今年初めて会うのに、そんな気がしないよね、と言いつ
つも、積もる話であっという間に時間は過ぎた。気がついたら、ランチタイムの最後の客となり、閉店時刻に店を出た。

それほど、落ち着く店でもあった。
高瀬川の船入が見える、元お茶屋だったという築80年の町家の小部屋で、食事をしたのだ。なんだか、すっごく得した気分。

相変わらず、スリムで美しく、優雅なのに活動的な友人の姿に、
私も女としてこうありたいものだとつくづく思う。
夫の操縦術や子育て、はたまた仕事から音楽、ヨガの話まで話
題には事欠かない。生活環境はまったく違うけど、不思議と気が
合う。

彼女と出会ったのは、前に住んでいた地区での避難訓練。わずか
一年だけの住まいだったが、彼女と知り合えてよかった。ご近所
でも、保育園でも仲良しさんが出来ない私だが、ときにはこんな
例外もあるのだわ。

船入

どこかで誰かが

さすがに昨日は寒さと乾燥のせいで、のどがちょっとやられた。
夜にはくしゃみと鼻水が出て、今朝起きると、風邪の最後に出
るような洟が出てきた。

長い冬の間に風邪も進化してきたのか、これまで三~四日かけて
出ていた症状が一晩で一気に進行したみたい。風邪も回を重ねる
ごとにスピードアップするのか? それでも、症状がひどくなる
前に、毎回不思議とおさまるのだ。

けど、たまりにたまった肩こりはおさまらない。急ぎの仕事も終
わったので、久しぶりに整体に出かけた。気持ちよくて、途中で
寝てしまった。家に帰ると、こりがほぐれたのか、体がだるくて
心地よい。とてもじゃないけど仕事にならない。

それで岩井志麻子のエッセイ(?)を読んでいたら、また寝てし
まった。有名人って、自分の知らない人たちに自分のことを知
られていて、大変だなあ、気味悪いだろうなあと思いながら。

目が覚めて、ふと思い出した。私の知らない人が私を知っている
変な感覚。そう、有名人でなくても、こういうことはある。いや、私の場合、正確には私が会った人のことを覚えていないというだけなのだが。

*整体院の辺りの景色。

和邇

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最寄のコンビニ

毎週月曜の夕方は、子供と一緒に車で20分ほどの友人宅に行く。この過疎地区に引っ越す前の保育園で知り合った友人だ。
まだ50代前半の彼のおばあさんはイギリス人で、古い日本家屋
を上手にリフォームして、何年もかけてすてきなイングリッシュ
・ガーデンを作っている。

彼女の末の息子さんと、お孫さんのために、自宅で英語のレッス
ンをすることになり、うちの子も誘われて通い始めた。レッスン
というより、懐かしい友達と一緒に遊べるのが息子は嬉しいらしい。事実、最初に30分くらい遊んでエネルギーを発散してから、レッスンが始まる。先生は、彼女が息子のように可愛がっている20代前半のカナダ人の青年。レッスンが始まるまで、彼は大工仕事にいそしんでいる。彼女の家のリフォームも、かなり手伝ったらしい。

そして私は、彼女の庭やその先に見える山々の景色を眺めながら、ジンジャーティーをいただき、本を読んだり、お喋りしたりと、リラックスした静かな時間を過ごす。ときに、レッスン中の二階からドタバタと走り回る足音が聞こえるけれど。

大家族と、英語学校を切り盛りしながら、ガーデニングやその他
の自分の仕事もこなす彼女は、いつも忙しいのに、決して慌しい
雰囲気がない。精神的に非常に安定していて、寛容で、包容力の
ある人だ。その秘訣は、毎朝の瞑想にあるそうだ。

周りの景色が気に入って山の中に移り住んだ私だが、ここの景色
も大好きだ。うちの辺りほど田舎じゃないけど、街中の喧騒から
もほど遠い。そういえば、ちょっとイギリスに似ているのかも?

帰りは子供とふたり、この近くのコンビニに寄るのが習慣となっ
ている。実は、ここがうちの最寄のコンビニのひとつなのだ。山
の中の我が家からは、北、南、東と三方向にそれぞれ20分ほど走ったら、コンビニに行き着く。私たちにとっては、コンビニがあるというだけで、ここはかなりの都会なのだ。

大原

声に出すことと、耳を傾けること。

昨日の別れ際、「人間らしい気分になれたわ」とイーデスさんが
言ってくれた。殆ど話し相手のいないホームでは息がつまること
もあるだろう。大好きな京都の街で、大好きなお店のケーキを食
べながら、昔の思い出をおしゃべりすることで、彼女の心も少し
和んだかしら。

実際には、私の方が彼女のおかげで楽しい時間を過ごすことがで
きた。私も普段は家にこもっていることが多く、人に会うことも
あまりない。ひとりは苦にならないけど、おしゃべりは大好きな
ので、話し相手がいないと口がなまってしまう。思っていること
をずっと口に出せなかったら、ストレスで死んでしまうかも…と
さえ思う。

悩みじゃなくても、言葉に出して話すことで、自分の思いが明確
になることは多い。言葉にすることで、改めて確認できたり、気
持ちが軽くなったり。
喋り始めるとつい勢いづいてしまうことが多い私は、相手の話に
耳を傾けられる自分になろうと最近は意識している…つもりだが、これもなかなかエネルギーがいる。誰か聞いてくれる人がいる、それだけで人間って癒されるものだ。

さて、誰も話し相手がいない日中の私のうさ晴らし(?)は新聞
を音読することだ。妊娠中に始まった習慣だと思うが、そのせい
なのか、気がついたら子供も毎日、音読している。ときには、ふ
たりして同じ部屋の中でそれぞれ音読していたり。
変な習慣…と思っていたが、最近はボケ防止にいいと聞くし、あ
の宮崎哲弥氏も気晴らしに音読しているらしいし、実際音読する
とすっきりするし、くだらないお喋りするよりは、ずっといいこ
とかも知れない。

このブログも、デジカメを入手して嬉しかったのもあるけれど、
日々の生活の中でたまる思い(?)を吐露する場所がほしかった
のかも。とはいえ、今となってはブログもりっぱなボケ防止策。
さて、きょうは夫が宿直なので、思う存分、音読するか。

*今から、読むつもりのもの。友人が送ってくれた雑誌、わざわ
ざ取り寄せた雑誌など。子供が夢中になって読んでいる漫画もどんな内容なのか読んでみるつもり。

本

しあわせの小道

昨日は知人について思うことを勝手に書いてしまったが、きっと
彼女は愚痴を聞いてほしかっただけなのだな…と、今になって思う。なにか変えるつもりなら、思い悩んだり、相談したりせず、行動しているはずだし。

でも昨日の続きじゃないけど、本当に何歳になっても出会いはある。きょう会ったイーデスさんが、まさにそう。47歳で単身、京都に来て、65歳で日本人男性と結婚。出会いの場所は哲学の道だった。お互いの言葉はよくわからないけど、心は自然と通じ合い、20数年間しあわせに暮らした。

昨年、ご主人が93歳で他界され、今は京都の街から少し離れた場所にある老人ホームで暮らす彼女と知り合ったのは最近のことだ。ホームの近所に暮らす友人に連れられ面白い話をたくさん聞かせてもらった。

きょうは京都に行く用事があったので、途中でホームに立ち寄り、イーデスさんも一緒に京都に行くことになった。なんと、チャーミングな人だろう。体は老いても、高貴で自由な精神を持ち続け、すべてを受け入れる寛容な心、強さをもった人。それは、すべて彼女がこれまでの日々の積み重ねで得たものに違いない。

その人の生きてきた人生が、そのままその人自身に現れるのね。
彼女は常に心の声に従って行動してきたのだろう。

89歳の彼女が、きょう何度も口にした言葉。それはご主人は最高の人だったということと、京都が大好きということ。いい人生を送ってきたとも。

彼女は真の意味で哲学の道を歩んできた人だ。詩人として活動してきた彼女からプレゼントされた今年出版されたばかりの最新の詩集のタイトルも、『Pathways』だった。

edith

幸福への足跡

少し暖かくなって、雪もかなりとけてきたが、それでも屋根から
落ちた雪はまだ高く積もったまま。殆ど空家状態の近所の家の屋根についているのは、ねこの足跡?

空も晴れて気持ちいいし、暖かいと体も動く!
掃除をして、テレビをつけたら江原啓之の人生相談をやっていて、ついつい見てしまう。そしたら、この間、私が知人へのメールに書いたのと同じようなことを言っていて、ちょっと心強くなった。

故郷から遠く離れた街で、自立して生活しているその知人は、そ
れだけでりっぱだと私は思っているが、彼女自身は30代も後半に入り、子供が産めるうちに結婚したい、子供は絶対欲しい、でも本当に産めるだろうか…などと心配している。
結婚もしていない、つきあっている人もいないのに、まだ起きて
いないことを心配している。それより目の前の問題から考えた方
がいいのでは…と思ってしまう。

今、自分が幸せかどうか。Yesなら、それでいいし、Noなら、その状態を変えればいい。それの繰り返しでいいんじゃないかと思うけど、人生ってそんな簡単なものじゃない!?

本当の出会いだって結婚だって、何歳になっても起き得るし、自
分で子供を産めなかったとしても、母になることはいつだって可
能だ。人を育てること、母親の役割を果たすことは、その気さえ
あれば、誰でもできる。年なんて、関係ない。

私は子宝に恵まれたが、いまだにこの子はどこから来たのだろう
と思うことがある。自分の子、というより、授かりものの感覚だ。ときに、自分の思い通りにならないと、きぃきぃ怒ってしまうけど。「社会から今だけ預かって育てていると思った方がいい」と言われたことがあるけれど、自分でもそう実感する。自分の意志で子供をもったつもりでも、本当のところは、天から遣わされたのだと。

しあわせは、状況じゃなく、自分の心の状態で決まるもの。
今、しあわせじゃなかったら、結婚してもしあわせになれないと
思うけど、今の彼女に私の言葉は届かないかな~。

neasi

こだわり

今朝はカーテンを開けると、雪が舞っていた。しかも屋根から、つらら。

きょうは夫も子供も休み。世間的には三連休という人が多いのだろうが、うちの夫は職業柄、日曜・祝日は基本的に休みではない。休んでも支障がない日に休むので不定休。ただ、今の部署になってからは、子供の休日に極力あわせて休んでもらっている。といっても週休一日だから、雑用や買い物や子供の相手であっという間に過ぎてしまう。

だけど、きょうは雪も降ってることだし、たまにはのんびりしようと三人で久々に朝寝坊。一日家でなにもしないで過ごす休日!なによりも、風邪気味の夫にゆっくりしてもらおう…と思ったのだが、結局、犬の散歩も雪かきもまかせてしまった。しかも、近所のおばちゃんからにしんの麹漬けや漬物までもらってきてくれた。(その前日には大量の辛子明太子ももらってきてくれた。)お陰で、きょうは殆ど夕飯も作らなくていい! ラッキー!

こういうとき、食べるものに決して文句を言わない夫はありがたい。子供も、白いご飯さえあれば、文句を言わない。私も食意地は張っているが、あんまりこだわりはないかも知れない。

窓外

何日か前に久々に電話で話した友人が、私のこだわりのなさに驚
いたエピソードを話してくれた。私にはまったく記憶がないのだ
が、その昔、私が彼女に「あ、靴を買わないといけない。つきあってくれる?」と言うと、たまたまそこら辺にあった靴屋に入り、足さえ入ればいいという感じで、適当に、まるでネギでも買うかのようにあっという間に買い物を終えたのだという。彼女なら、雑誌などで流行りの靴などをチェックして、自分の気に入る靴がみつかるまでいろんな店を探し回るらしい。

そういえば、昔、彼女から「厚子ちゃん、どうしてそんなに見栄
がないの?」と訊かれて、ビックリしたことは覚えている。いや、私なりに見栄はいろいろあるんだけど…それがズレてるのかな?

私にとって、靴は履ければいいだけで、それ以上にあんまり意味
がない。なるべくすてきなデザインがいいけど、そこにこだわっ
て探し回る時間があったら、もっとほかのことをしたい、と思う。要はずぼらで、ファッションに興味がないということか。
ちょっと女としては反省。

電話の友人は、いい意味でのこだわりがあって、面白いモノやヒ
トを探しだし、そこにすてきな物語を見出して、あったか~い雑
誌を作っている。才能のある人は違う、と思う。

いずれにせよ、どこにこだわって、どこにこだわらないかに、そ
の人の価値観が現れる。なるべく、お金やモノに関わることには
時間やエネルギーを費やしたくない、というのが私のポリシー?
だが、結婚相手にはこだわったぞ~。(だから、こんなに遅くな
った!)逆に夫の方はこだわりがないからこそ、私と一緒になっ
たのかも。ありがたや~。