しあわせの小道

昨日は知人について思うことを勝手に書いてしまったが、きっと
彼女は愚痴を聞いてほしかっただけなのだな…と、今になって思う。なにか変えるつもりなら、思い悩んだり、相談したりせず、行動しているはずだし。

でも昨日の続きじゃないけど、本当に何歳になっても出会いはある。きょう会ったイーデスさんが、まさにそう。47歳で単身、京都に来て、65歳で日本人男性と結婚。出会いの場所は哲学の道だった。お互いの言葉はよくわからないけど、心は自然と通じ合い、20数年間しあわせに暮らした。

昨年、ご主人が93歳で他界され、今は京都の街から少し離れた場所にある老人ホームで暮らす彼女と知り合ったのは最近のことだ。ホームの近所に暮らす友人に連れられ面白い話をたくさん聞かせてもらった。

きょうは京都に行く用事があったので、途中でホームに立ち寄り、イーデスさんも一緒に京都に行くことになった。なんと、チャーミングな人だろう。体は老いても、高貴で自由な精神を持ち続け、すべてを受け入れる寛容な心、強さをもった人。それは、すべて彼女がこれまでの日々の積み重ねで得たものに違いない。

その人の生きてきた人生が、そのままその人自身に現れるのね。
彼女は常に心の声に従って行動してきたのだろう。

89歳の彼女が、きょう何度も口にした言葉。それはご主人は最高の人だったということと、京都が大好きということ。いい人生を送ってきたとも。

彼女は真の意味で哲学の道を歩んできた人だ。詩人として活動してきた彼女からプレゼントされた今年出版されたばかりの最新の詩集のタイトルも、『Pathways』だった。

edith

幸福への足跡

少し暖かくなって、雪もかなりとけてきたが、それでも屋根から
落ちた雪はまだ高く積もったまま。殆ど空家状態の近所の家の屋根についているのは、ねこの足跡?

空も晴れて気持ちいいし、暖かいと体も動く!
掃除をして、テレビをつけたら江原啓之の人生相談をやっていて、ついつい見てしまう。そしたら、この間、私が知人へのメールに書いたのと同じようなことを言っていて、ちょっと心強くなった。

故郷から遠く離れた街で、自立して生活しているその知人は、そ
れだけでりっぱだと私は思っているが、彼女自身は30代も後半に入り、子供が産めるうちに結婚したい、子供は絶対欲しい、でも本当に産めるだろうか…などと心配している。
結婚もしていない、つきあっている人もいないのに、まだ起きて
いないことを心配している。それより目の前の問題から考えた方
がいいのでは…と思ってしまう。

今、自分が幸せかどうか。Yesなら、それでいいし、Noなら、その状態を変えればいい。それの繰り返しでいいんじゃないかと思うけど、人生ってそんな簡単なものじゃない!?

本当の出会いだって結婚だって、何歳になっても起き得るし、自
分で子供を産めなかったとしても、母になることはいつだって可
能だ。人を育てること、母親の役割を果たすことは、その気さえ
あれば、誰でもできる。年なんて、関係ない。

私は子宝に恵まれたが、いまだにこの子はどこから来たのだろう
と思うことがある。自分の子、というより、授かりものの感覚だ。ときに、自分の思い通りにならないと、きぃきぃ怒ってしまうけど。「社会から今だけ預かって育てていると思った方がいい」と言われたことがあるけれど、自分でもそう実感する。自分の意志で子供をもったつもりでも、本当のところは、天から遣わされたのだと。

しあわせは、状況じゃなく、自分の心の状態で決まるもの。
今、しあわせじゃなかったら、結婚してもしあわせになれないと
思うけど、今の彼女に私の言葉は届かないかな~。

neasi

こだわり

今朝はカーテンを開けると、雪が舞っていた。しかも屋根から、つらら。

きょうは夫も子供も休み。世間的には三連休という人が多いのだろうが、うちの夫は職業柄、日曜・祝日は基本的に休みではない。休んでも支障がない日に休むので不定休。ただ、今の部署になってからは、子供の休日に極力あわせて休んでもらっている。といっても週休一日だから、雑用や買い物や子供の相手であっという間に過ぎてしまう。

だけど、きょうは雪も降ってることだし、たまにはのんびりしようと三人で久々に朝寝坊。一日家でなにもしないで過ごす休日!なによりも、風邪気味の夫にゆっくりしてもらおう…と思ったのだが、結局、犬の散歩も雪かきもまかせてしまった。しかも、近所のおばちゃんからにしんの麹漬けや漬物までもらってきてくれた。(その前日には大量の辛子明太子ももらってきてくれた。)お陰で、きょうは殆ど夕飯も作らなくていい! ラッキー!

こういうとき、食べるものに決して文句を言わない夫はありがたい。子供も、白いご飯さえあれば、文句を言わない。私も食意地は張っているが、あんまりこだわりはないかも知れない。

窓外

何日か前に久々に電話で話した友人が、私のこだわりのなさに驚
いたエピソードを話してくれた。私にはまったく記憶がないのだ
が、その昔、私が彼女に「あ、靴を買わないといけない。つきあってくれる?」と言うと、たまたまそこら辺にあった靴屋に入り、足さえ入ればいいという感じで、適当に、まるでネギでも買うかのようにあっという間に買い物を終えたのだという。彼女なら、雑誌などで流行りの靴などをチェックして、自分の気に入る靴がみつかるまでいろんな店を探し回るらしい。

そういえば、昔、彼女から「厚子ちゃん、どうしてそんなに見栄
がないの?」と訊かれて、ビックリしたことは覚えている。いや、私なりに見栄はいろいろあるんだけど…それがズレてるのかな?

私にとって、靴は履ければいいだけで、それ以上にあんまり意味
がない。なるべくすてきなデザインがいいけど、そこにこだわっ
て探し回る時間があったら、もっとほかのことをしたい、と思う。要はずぼらで、ファッションに興味がないということか。
ちょっと女としては反省。

電話の友人は、いい意味でのこだわりがあって、面白いモノやヒ
トを探しだし、そこにすてきな物語を見出して、あったか~い雑
誌を作っている。才能のある人は違う、と思う。

いずれにせよ、どこにこだわって、どこにこだわらないかに、そ
の人の価値観が現れる。なるべく、お金やモノに関わることには
時間やエネルギーを費やしたくない、というのが私のポリシー?
だが、結婚相手にはこだわったぞ~。(だから、こんなに遅くな
った!)逆に夫の方はこだわりがないからこそ、私と一緒になっ
たのかも。ありがたや~。

観察力

私はわりとなんでも真に受けるとういか、見たまんまの形で
受け止めてしまうのだろうか。しばらく時間が過ぎて初めて、
その人の本質を見誤っていたことに気づくことが多い気がす
る。しかも、この年になってますますその傾向が…。
要するに、観察力が足りないということかな。
逆に言えば、見たまんまの人が少ないということか。

子供はよく親のことを見ているよなあと感心する。知らない
うちに親の真似などするから、こっちはドキッとすることも
ある。私って、こんなことしてたんだわ~と。

もひとつビックリするのは、夫の鋭い観察力。モノマネ好き
の夫は、ときどき私のモノマネも披露して笑わせてくれる。
「え~、私にこんな癖があったの~?」と初めて気づく。自分の
言動を客観的に見て、はっとする。もしかして、自分自身の姿も見誤っていたか?

いずれにせよ、新たな発見は楽しい。
それに、そんなに観察されていたなんて嬉しい。
観察力の度合いは愛情の深さに左右されるのかしら!?
そう考えると、なんか腑に落ちた。本当に大切な人、愛情を
感じる人については、見誤ったことはないぞ。(たぶん)。

きょうは、裏のおばちゃんがアクぬきをしたフキを持ってき
てくれた。このところ、ちょっと暖かくなって活動しはじめ
たなと思っていたら、山にフキを採りに行ってたなんて、さ
すがだ。引っ越してきた当初は、性悪そうなおばちゃんで嫌
だなあと思っていたのに、単におしゃべり好きのいいおばち
ゃんだった。この見誤りも、結果オーライということで、さ
っそくフキをいただきました。

やm

鳥のさえずり

どんなに寒い日も、鳥のさえずりは聞こえる。
すべての生き物が雪のかげで息を潜めているようなときも。

そもそも私がブログを始めたのは、何人もの知人・友人がブログ
をやっていることに触発されたから。
その中のひとり、中国留学時代のルームメイト(中国系アメリカ
人)のブログを読んで、彼女が大切な人を失い、つらい思いをし
ていたことを初めて知った。狭い部屋に一緒に暮らしていた頃の
彼女の明るい姿からは想像できなかった一面を知り、人間とは、
人生とは複雑なものだと感じ入った。

私のことを「自分に正直に生きているね」と言う友人は、自分の人生を「偽りの人生」と言っていた。
「人生は思い描いたとおりには進まない」と言う人もいた。
「感情には白黒のつかないことが多くて、なかなか自分の心が決まらない」という人もいた。

世の中には、私の理解の及ばないことが多い。
私が単純すぎるのか、極端なのか。どうしてみんな、そんな複雑な世界に生きているのだろうかと、それが私の悩みになる。なぜか、寂しい気持ちにもなる。

そんなとき、鳥のさえずりを聞いて、ほっとする。
きょうの夕方は子供を連れていつもの友達の家に行き、そこで彼
女の話を聞いて、またほっとした。自分の心の通りに生きている
強い人だ。彼女の入れてくれたジンジャー入りの紅茶も、私の心
身を暖めてくれた。

みぞれが降る中、家に帰ったら、夫が風呂を焚く煙の匂いがした。なんだか嬉しくなって、台所に立った。特別なことはなにもないけど、悩みもない。毎日、同じことの繰り返しがありがたい。

tor

悔いはあるか?

今朝も雪だったが、街に出ると晴れ。
久々に友人と待ち合わせてランチ。
場所は以前、私たちふたりが住んでいた懐かしい地区で人気のパン屋。
気がついたら、二時間もあれこれ喋っていた。
本当に話ができる友人との時間は、楽しい!

前に、「人生で悔いていることはあるか?」と別の友人に訊かれた
ことがある。
「ないよ」と即答したら、いろんな人に同じ質問をしたけど、ない
と答えたのは私が二人目だと言われた。
でも、きょうの友人も、きっと「ない」と答えるだろう。
彼女も、とことん納得しないと、動かないタイプだから。

一瞬でもいいから、思い込みでもいいから、100%確信して行動して
いれば、後悔することはないと思う。
たとえ結果が失敗に終わっても、納得できるから。

そんなわけで、ランチの後にケーキ(りんごのシブースト)を食べたこと
を、私は後悔してませんぞ。
だって、すっごくおいしかったんだもの!

muto

ないことにする!?

最近、聞いた話です。ポリープができたお姑さんに付き添って知人が病院にいったところ、癌であると診断され、お医者さんより「本人に告知して、すぐに大きい病院で手術・治療をするよう」言われたそうです。知人はお姑さんに話をしてくれるよう夫に伝えましたが、何日たっても夫も舅もお姑さんに癌の話をしません。すでに大きい病院に入院し、手術の日取りが決まっても。医者から患者さんとの協力体制の下、治療を進めたいと言われても。夫の妹にいたっては、「あの母のことだから、告知したら、どんなことになるかわからない。いっそ手術をキャンセルしよう」とまで言い出したとか。

結局、手術後に舅が事実を説明したらしいのですが、いろんな家族がいるものだとびっくりしました。

問題が起きても、直視したくないから、見ないふりをして、ないことにする。面倒なことは話さない。こういうポリシーで生きてきた人たちなのでしょうか。放っておいたら、問題はどんどん悪化してしまうのはわかっているのに?

珍しい人たちがいるものだ…と感心したけれど、よく考えたら、これって今の日本の国(政府)のことじゃない!? いや、世界全体か。
自分も含め、人間って愚かで弱い存在なのだわ…。

きょうはみぞれ。奈良のおばが送ってくれたヨン様のDVDを早く見なくちゃ。やま

しあわせって・・・?

しあわせは状況ではなく心が決めること、というのが私の持論だが、
地震や悲惨な事件、事故のニュースをみると、どう考えていいかわ
からなくなる。ただ、しあわせは瞬間、瞬間のもので、しあわせな
状況が永遠に続くわけでないことはわかっているから、できるだけ
しあわせの瞬間を積み重ねていけたらいいと思っている。

私の母は、私や父がでかけるとき、いつも私たちの姿が見えなくな
るまでずっと見送ってくれた。うちはなだらかな坂の一番上にあっ
たので、その坂を降りきるまで、ずっと見送っているのだった。
その影響で、私も両親がでかけるときは、ずっとずっと見えなくな
るまで見送るのが習慣となった。特に、両親が自営を始め、ふたり
で仕事にでかけるようになってから、私はいつもふたりを見送って
いた。ひとり留守番する身としては、ちょっと不安だというのもあ
ったし、万一、ふたりの身になにかあった場合、「ああ、最後の朝
だったのに、ちゃんとお見送りしてあげられなかった」と後悔する
のが嫌だったから。

母はどういうつもりで見送っていたのかわからないけど、「これが
最後かも知れない」という思いをもっていればこそ、「ただいま!」
と帰ってきてくれるときの喜びもひとしお。

18年のひとり暮らしを経て結婚した現在、私は毎朝、子供とふたりで
夫の姿が見えなくなるまで見送っている。そして子供を保育園に連れ
て行くと、今度は子供が教室の窓を開けて、私が帰って行く姿をずっ
と見送ってくれるから不思議だ。
そして、私の毎日の一番のしあわせは、帰って来た夫と子供の顔を見
る瞬間だと思う。

それにしても、昨晩のテレビで見た杉田かおるの披露宴(?)には、
泣いた! 幸せになって、よかった! 赤の他人ながら、本当によか
った!!

miokur

つらら、つらつら・・・(おばちゃん、余計なお世話だよ)

今朝は雪かき中の裏のおばちゃんにつかまり、10分ほど立ち話。一人暮らしのおばちゃんは、宗教の勧誘の人まで話相手にしちゃうほど、お喋り好きです。

山が荒れているという話をひとしきり聞かされ、その後、「ひとりっ子はよくないぞ」という話やその他もろもろ。
そしてやっと犬の散歩に出かけ、昨日より長くなったつららを見ながら、つらつらと考え事…。

ここは田舎のせいか、うちみたいなひとりっ子は少数派。兄弟が多いお家はにぎやかで楽しそうだけど、私自身もひとりっ子なので、ひとりはひとりでそれなりに楽しいことも知っている。

それより、不思議に思うのは、おばちゃんみたいな発言をする人が多いこと。(昔から。)人は誰しもひとつの立場しか経験できないのに。ひとりっ子ひとりっ子の立場しか知らないけど、たとえ兄弟がいても、長男は長男の、末っ子は末っ子の立場しかわからない。その立場がどう影響するかは、人それぞれ。自分の置かれた状況を、楽しんで、活かせることができさえすればいいんだから、どういう状況にあるかは私にはあまり重要ではないんだけどなあ。どっちにしたって、自分でどうこうできることじゃないんだし。

もっとわからないのは、少子化少子化って政府やメディアが騒いでいること。少子化のなにが悪いんだ?
つらら

きらきら光る雪の朝

年末からうちに滞在していたオランダの友人が、今朝のバスに乗って、次の目的地へ向かいました。昨晩の帰り道も、雪がきらきら輝いていましたが、今朝も快晴の空の下、雪はまぶしく光っています。

文化や言葉が違う彼女に、どれだけのもてなしができたか不安ですが、きらきら光る白銀の世界を走り去るバスを、息子と一緒に見送りました。

他者との共存に一番必要なのは、やはり寛容の精神でしょうか。
見送り