どこかで誰かが

さすがに昨日は寒さと乾燥のせいで、のどがちょっとやられた。
夜にはくしゃみと鼻水が出て、今朝起きると、風邪の最後に出
るような洟が出てきた。

長い冬の間に風邪も進化してきたのか、これまで三~四日かけて
出ていた症状が一晩で一気に進行したみたい。風邪も回を重ねる
ごとにスピードアップするのか? それでも、症状がひどくなる
前に、毎回不思議とおさまるのだ。

けど、たまりにたまった肩こりはおさまらない。急ぎの仕事も終
わったので、久しぶりに整体に出かけた。気持ちよくて、途中で
寝てしまった。家に帰ると、こりがほぐれたのか、体がだるくて
心地よい。とてもじゃないけど仕事にならない。

それで岩井志麻子のエッセイ(?)を読んでいたら、また寝てし
まった。有名人って、自分の知らない人たちに自分のことを知
られていて、大変だなあ、気味悪いだろうなあと思いながら。

目が覚めて、ふと思い出した。私の知らない人が私を知っている
変な感覚。そう、有名人でなくても、こういうことはある。いや、私の場合、正確には私が会った人のことを覚えていないというだけなのだが。

*整体院の辺りの景色。

和邇

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東銀座 レストラン「ナイル」の思い出

今朝も雪が舞っている。
日曜だけど、夫はきょうは普段より早く家を出て、神戸・大阪で仕事。

私は子供の相手をしながら、相変わらず仕事。と言いつつ、おやつ代わりにパッパドを食べる。先日、輸入食品店でみつけて初めて買ってきたのだ。おとといのインド料理がまだ尾を引いている。

私が初めてパッパドを食べたのは、東銀座レストランナイル。(ここのメニューはパッパルと表記していたと思う。)カレー好きの私は、東京で機会あるごとにカレーの食べ歩き(?)をしたけれど、今でもここのカレーが一番好きだ。

カレーの味ももちろんだが、お店の人たちも忘れられない。インド独立運動の闘士だったという今は亡き初代ナイルさんは、レジの前に座って、ときどき話しかけてくれた。二代目ナイルさんは、BGMのインド音楽について質問したら、テープに録音してくれた。そして…驚異的だったのが、名前も知らない給仕のおじさん。これぞ、プロ中のプロ。こんな人は見たことない。

ナイルさんを始め、このおじさんもお客に「お嬢さん」、「若旦那」と呼びかける。なんと新鮮な響き! そして、うま~いこと店の名物「ムルギランチ」を薦め、食べ方を教えてくれる。というより、その通りに食べなくてはいけないのだ。

私は何度か通ううちに、ようやく「ムルギランチ」以外のものを頼む勇気が出たが、店の表のウィンドウで見て興味津々だったインドのハンバーグのようなものだけは、「時間がかかるよ」の一言で注文を受けてもらったことがない。

そのうち、私は「ムルギランチ」かその他のカレーパッパド二枚、食後はマサラティーを注文するのが定番となった。といっても、そんなに頻繁に通っていたわけではない。よくても二ヶ月に一度。一緒に行く人も、そのつど違っていたはずだ。そのおじさんのすごいところは、私のパターンを覚えていて、カレーを注文したあと、やっぱりパッパドも…と思っていると、ふと目が合って、「はい、お嬢さん、パッパド二枚ね」と心を読んでくれること。辛いカレーを食べて、ああ紅茶が欲しい…と思って顔を上げると、「マサラティーね」と声がかかる。

そして一番驚いたのが、パリで二年間を過ごして東京に帰り、久々にナイルを訪れたときのこと。店に入るなり、「ああ、お嬢さん、久しぶりだねえ」と声をかけられた。「え、覚えてますか?」と驚く私に、彼は「当たり前ですよ。きょうもパッパド二枚つける?」と言ってくれたのだ。これには感激した。

きょう久々にパッパドを食べたせいで、こんな記憶が蘇ってきた。ああ、またナイルカレーが食べたい。あのおじさんは健在だろうか。あれから十年は過ぎたから、もう私のことは覚えていないだろうか。

気がついたら、夫のために…と思って多めに揚げたパッパドを殆どひとりで食べつくしていた。辛いものを食べると、今度は甘いものがほしくなるんだよな~と思っていたら、大阪のど真ん中のホテルに行ったからと、夫がケーキをお土産に買ってきてくれた。「おお、ここにも私の心が読める人がいた!」と、ひとしきり感激したのでありました。

ああ、また食べすぎ。

ケーキ

生命の輝き!?

このところ、年配の知人が癌になった話が続いたと思ったら、
同世代の友人からも次々とがん検診に行ったという話を聞いた。
子育て中の友人は、精密検査でがんの疑いが晴れたものの、自分
の人生を考え直したと言っていた。

私も30歳頃だったか、がんの疑いで精密検査を受けたことがあった。
結果はなんでもなかったけど、それが判明するまでの間、世の中が
きらきら輝いて見えたことを覚えている。子供がいない独身の身軽
さもあってか、視点が変わるだけで世の中がこんなに違って見える
のかと感心したものだ。

「これが最後かも知れない」、「明日はないかも知れない」という
思いを頭の片隅に常にもっていたら、いつも「今」が輝くのだろうか。

そんなこと思わなくても、今朝の景色は輝いていたけど、この景色
を見るだけで、「生きていてよかった」と生命に感謝しちゃいます。

光

Martin FryとTony Hadley(なんて知らない?)

なにを思ったか、昨晩ネットでマーティン・フライを検索した。
80年代にABCというバンドで一世を風靡した(?)シンガーだ。
するとビックリ、なんと二月からABCがトニー・ハドリーとツアー
をするそうな! まだ活動していたんだ、しかも同じく私が大好き
だったシンガー、トニー・ハドリーと。

くだらない話だけど…と、このことを大学時代の友人に早速メール
した。今朝、彼女から「くだらなくない話だよ」と返事がきた。
思えば、彼女と出会ったのは、渋谷のパルコの前。マーティン・
フライの公開トークショウ(?)があるというので、私は朝早くか
ら友達と一緒に整理券を取りに行った。実はそんな早くに行かなく
ても、余裕で入場できたんだけどね。で、私たち以外に並んでいた
のが、彼女とその友達。ふっと見たら、彼女が私の大学の手帳を持
っていたので、話をしてみたら、同じ大学の同学年。しかも、彼女
は一時、私の実家の近くに住んだことがあるという。たぶん、高校
時代は同じ電車で通学していたらしいとわかり、話がはずみ、今に
至る…というわけ。

彼女に限らず、人の出会い、縁というのは不思議なものだ。
ちなみに、このトークショウで私はマーティン・フライに手紙とプ
レゼントを渡した。しばらくして、マーティンから返事がきた。
私の日記風の手紙のことを「masterpiece」だ!と言ってくれた。
そして、自分が最近見た映画やライヴの感想や近況などを綴り、
put pen to paper soooon!と結んであった。そのあと、ピクチャー
シングルも送られてきた。いい人だなあ…と感動した。

saru2

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薬も過ぎれば毒となる(雪も・・・?)

きょうも雪です。まだまだず~っと降ってます。
雪が降りしきる中、まだ誰も通っていない真っ白な雪道を保育
園まで往復し、またも気分は冬ソナ!
が、家に帰ると玄関先まで埋まった雪をかきだして、ぜえぜえ。
家の裏を見ると、屋根から落ちた雪が屋根の高さまで積もって
いる。ひぇ~! 本当の雪国は、こんなもんじゃないのかなあ。

ところで昨日、風邪薬はいらないと書いたけど、実際うちには
飲み薬が一切ない。この家に引っ越す際に薬箱が行方不明にな
って、そのままなのだが、そもそも私は薬を飲むのが大嫌い。
自慢じゃないが、頭痛薬は生まれてから一度も飲んだことがな
い。

私の薬嫌いは恐らく父譲り。男の人には珍しく、父は痛みに強
い。少々の病気や怪我は、黙って耐えて、自分で治す。若い頃
は結核療養所で何年も過ごしたというが、私が物心ついてから
寝込んだことは殆どない。

80歳を過ぎても運転していて、交通事故にあい、胸骨を骨折し
たときも、自宅静養のみ。病院で出された三種類の薬も、内容
を確かめて、化膿止めだけを飲んでいた。痛みどめと胃腸薬は
必要ないと。痛み止めを飲んだら、骨折がどの程度治っている
か、自分で感じられなくなるからと。確かに。

私が幼稚園の頃から、おじいさんに間違えられていた父だった
が、90歳を超えた今でも、元気にしている。

屋根

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しあわせって・・・?

しあわせは状況ではなく心が決めること、というのが私の持論だが、
地震や悲惨な事件、事故のニュースをみると、どう考えていいかわ
からなくなる。ただ、しあわせは瞬間、瞬間のもので、しあわせな
状況が永遠に続くわけでないことはわかっているから、できるだけ
しあわせの瞬間を積み重ねていけたらいいと思っている。

私の母は、私や父がでかけるとき、いつも私たちの姿が見えなくな
るまでずっと見送ってくれた。うちはなだらかな坂の一番上にあっ
たので、その坂を降りきるまで、ずっと見送っているのだった。
その影響で、私も両親がでかけるときは、ずっとずっと見えなくな
るまで見送るのが習慣となった。特に、両親が自営を始め、ふたり
で仕事にでかけるようになってから、私はいつもふたりを見送って
いた。ひとり留守番する身としては、ちょっと不安だというのもあ
ったし、万一、ふたりの身になにかあった場合、「ああ、最後の朝
だったのに、ちゃんとお見送りしてあげられなかった」と後悔する
のが嫌だったから。

母はどういうつもりで見送っていたのかわからないけど、「これが
最後かも知れない」という思いをもっていればこそ、「ただいま!」
と帰ってきてくれるときの喜びもひとしお。

18年のひとり暮らしを経て結婚した現在、私は毎朝、子供とふたりで
夫の姿が見えなくなるまで見送っている。そして子供を保育園に連れ
て行くと、今度は子供が教室の窓を開けて、私が帰って行く姿をずっ
と見送ってくれるから不思議だ。
そして、私の毎日の一番のしあわせは、帰って来た夫と子供の顔を見
る瞬間だと思う。

それにしても、昨晩のテレビで見た杉田かおるの披露宴(?)には、
泣いた! 幸せになって、よかった! 赤の他人ながら、本当によか
った!!

miokur

子供時代の感情のコントロール

うちに遊びに来てくれたお客さんが帰るとき、うちの子は悲しさのあまり、暴れだすことがあります。きょうも悲しさに眠さと空腹が加わって、収拾がつかなくなりました。本人にもコントロールできない状態です。悲しくて、足をバタバタさせながら、「行かないで~」と泣き叫ぶ姿を見たら、6~7歳頃の自分を思い出しました。

その頃、我が家は父の勤務する会社に住み込んでいたのですが、会社のおばちゃんたちが仕事を終えて帰って行く後姿を、私が泣きながら追いかけていくので、いつも母が後ろから引き止めていたのです。明日も会えるとわかっているのに、この世の終わりかと思うほど悲しかったことを覚えています。

いったん悲しみがおさまると、ケロリとして、いつもの明るい表情に戻っているのが子供のいいところ。もてあますほどの感情があるのはいいことだけど、そのコントロール方法を身につけてもらわないとなあ。

いや、子供よりもまずは自分が身につけるべきか。子供は親の鏡だと、つくづく思います。

寝姿

記憶

先日、なんでだか、うちの子(4歳)がおなかにいたときの話になり、本人に「そのときのこと、覚えてる?」と尋ねると、「覚えてな~い。」これまでも何度か尋ねたけれど、いつも同じ答え。が、今回は自分の作り話で、そのときのことを語り始め、それがあまりにリアルだったので、びっくり。やはり潜在意識の中に、しっかり残っているんでしょうか。

自分について考えると、どうも私の記憶装置は自分に都合のいいことばかりを覚えさせているようです。この年まで生きていると、悲しかったこと、つらかったことも多少はあったかと思うのですが、いい思い出しか思い出せない。

自分の意識のどこかに悲しい記憶も残っているんでしょうか。いや、悲しかった過去の出来事は、事実として記憶に残ってはいるのだけど、それを思い出しても、悲しみは蘇らない。逆に、幸せな思い出は、今思い出しても、そのときの幸福感が味わえるのです。なんとも都合のいい、私の記憶装置!

そういえば、チュンサンとしての記憶を失ったはずのミニョンさんが、チュンサンと同じことを言ってたなあ…。と、また冬ソナのこと、考えてる。やばい、やばい。

木

お墓参り

長らくの懸案だったお墓参りにやっと行って来ました。私と子供にとっては初めての場所。日帰りとはいえ、ちょっとした旅行気分。夫のおじいちゃんも、喜んでくれたかな。

何十年かぶりに子供時代の思い出の地を訪れた夫は、ほとんど当時と変わらない景色に、しばらくたそがれていました。今では知らない人が住んでいる生家も、小学校の校舎も、昔のまま。二十年前の少年時代に戻っている夫の横顔に、思わず私まできゅんとなりました。

*お墓の近くのサザンカ(?)が満開でした。
山茶花