地震嫌い

もしかして前世で何かあったのかも知れないが、私は昔から「地震でだけは死にたくない」という気持ちが強い。大都市で大型災害に遭いたくないというのも、東京を離れた理由のひとつであった。関西に来てからも、万一、大地震が来ても命さえあれば、一週間くらいは自給自足できそうな場所(きれいな水が流れている場所)を選んできたし、東南海地震も来ていないのに住宅ローンで家を買うことは絶対しないと決めている。山の家はキャッシュで買えたし、茅葺屋根にトタンをかぶせた古民家なので、屋根が軽く、地震がきても上物が揺れるだけで床の揺れは殆ど感じない構造だった。とはいえ、いつまでも田舎にこもってもいられず、街中に出てきたのだが、新築の賃貸住宅なので「命だけ助かれば、家はどうなってもいい」という気持ちだ。幸い、ここは津波もこない。

ああ、だけど…テレビの惨状を見ると、言葉を失う。瀬戸内で育った私は、瀬戸内海沿岸や琵琶湖の湖畔に暮らすことには憧れていたが、太平洋や日本海の沿岸に暮らしたいと思ったことはない。たくさんの島々が浮かぶ穏やかな海しか知らない私は、延々と広がる太平洋や波の荒い日本海は、見ているだけで怖くなる。こんなところに家を建てて住もうなんて思わない。けれど、そこで生まれ育った人にとっては、そこに大海があるのは当たり前で、それが心休まる景色であって、仕事や生活の場になっていたのだろう。

昔、テレビの番組でネイティブアメリカンの酋長が、地震が起きると「ああ、地球が生きている!」と喜ぶ(?)場面を見たことがある。確かに、これは単なる地球の活動であって、主に人間だけがそれに翻弄されているのだろう。人間が単なる猿だったなら、安全な場所にさっさと逃げて、新しい寝床を作って、いつもと変わりなく暮らしているのかも。

だけど、人間には知恵がありすぎて、原発施設まで作ってしまった。これをコントロールする知恵と力も、備わっていると信じたい。きょうも、ただただ祈っている。

*阪神大震災の2日前、比叡山では猿が一斉に出てきて、大騒ぎしたそうだ。

*夫から、ホワイトデーのケーキ。
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キューピッド物語

天使のお陰か何なのか、このところ何年も音信不通だった人から次々とメールが入る。これは、何なのだろう?

きょうは、もう何年も年賀状以外のやりとりはしていなかった大学時代のクラスメートからメールがきた。何年も前に私が紹介したドイツ人が、テレビに出ていたらしい。とっくに帰国したと思っていたドイツ人が、赤ちゃんを抱いて街頭インタビューに答えているのを見て、「彼女は結婚して日本にいるのですか?」とメールしてくれたのだ。

このクラスメートは、かつて某日本企業の社員としてドイツに暮らしていた。特に親しいわけではなかったが、私がパリに留学したのを風の便りに聞き、一度、ドイツからパリに遊びに来てくれた。その後、ふたりとも東京に戻っていたのだが、互いの連絡先は知らぬままだった。

ある日曜日、用事があって東京駅から中央線に乗ろうとしたとき、同じホームに彼女の姿をみつけた。外国人グループを年配の日本人男性とふたりで引率しているようで、明らかに仕事中である。声をかけるのもはばかられ(遠かったし)、一生懸命手を振ったけど、気づいてもらえず、私も時間が迫っていたので、そのまま電車に乗ってしまった。

声をかけておくべきだったなぁと思いつつ、その週の水曜だったか祭日の日に友達と待ち合わせした表参道に向かった。そして地下鉄からホームに下りたと思ったら、目の前に彼女が立っていた。私は思わず、「日曜に東京駅で見かけたのよ~、電車の時間が迫ってて、声かけられなかったけど」と言うと、彼女も「私は月曜の夜、あなたに電話したのよ。友人に電話番号を教えてもらって。でも留守電だったから、伝言を残さずに切ってしまったの」と言う。お互いにビックリして、連絡先を交換し、近々会う約束をした。

後日、ふたりで会ったとき、彼女は違う業界への転職を考えていて、私にアドバイスを求めてきた。ちょうど、その業界でバリバリ働いている女性を知っていたので、「よく飲み会をする人だし、今度、飲み会があれば誘ってもらうよう言っておくわ」と話しておいた。するとまもなく、そんなに頻繁に連絡をとっていなかったその女性から、「飲み会するんだけど、女性が少ないから参加してくれない?」と電話があった。もちろん、ドイツ帰りの彼女も誘って参加する旨を伝えた。

ところが当日、何を食べてもお腹を壊さないと豪語するほど強靭な胃袋を持っていた私が、なぜか突然の食あたりで、会社を休んでしまった。ドイツ帰りの彼女は、ひとりきりで知らない人ばかりの飲み会に参加することを躊躇していたが、「私も、誘ってくれた女性しか知り合いはいないけど、彼女はとってもフレンドリーな人だから、何も心配しなくて大丈夫。彼女の友人なら、みんな楽しい人ばかりよ。絶対、行くべき!」と私は彼女の背中を押した。

それから数ヵ月後、彼女から会おうと連絡があった。転職活動に進展があったのかと思い、出かけていくと、開口一番、彼女はこう告げた。「実は結婚することになったの。」ええ~っ!? 相手は飲み会で出会った男性だという。再び、ええ~っ!? 出会って数ヶ月で結婚!?

実は彼女、大学の頃から男子に大人気のモテモテ女性だったのだが、これまでずっと独身を貫いていた。先日、話したときも、「結婚なんて考えられないし、転職してもっと仕事にがんばりたい」と言っていたのだ。だから私は思わず訊いてしまった。
「あなたは昔からモテたし、彼氏もずっといたし、結婚話もいくらでもあったと思うけど、それでも結婚しなかったでしょ。なのに、今回こんな突然に。いったいどうしてなの?」
彼女の答えはただ一言。
「理想の男性に出会ったから」
はぁ~、なるほど! そりゃ、納得。

そして彼女はひとしきり私に感謝してくれた。私のおかげで彼に出会ったのだと。けれど、よく考えれば、私たちも何かに導かれるかのように東京で再会していたわけだから、すべては最初から決められていたのかも。私は単に、ふたりを引き合わせるキューピッドの役割を仰せつかっていたのかも知れない。

当時、まったく恋愛運に恵まれていなかった私は、「いま、こうやって他人様のキューピッドになれたのなら、いずれ私の理想の男性も現れるだろう」と自分に言い聞かせていた。そして、それが本当に現実となっている。

さてさて、ドイツ人の友人にも久々にメールして、クラスメートからのメッセージを伝えなければ。

*天使を迎えるために白い花をいくつも部屋に飾ったら、夫もお花をもらってきた。
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卑怯者(小学校のガキ大将の思い出)

前原外相辞任だと。こんなにあっさり自分から辞めてしまうのは、これ以上、表に出されては困ることがいろいろあるからだと勘ぐってしまう。しかも、前原氏への同情を引くような報道が多いことが、さらに怪しい。私が信頼している番組ですら、きょうは前原擁護に徹していた。(その理由は、なんとなく想像できるんだけど。)

私は霊感はないくせに、直感と感情で動く人間だ。前原氏は「口だけ番長」と言われているそうだが、私も、彼のおどおどした目を見た瞬間に、「こいつと喧嘩したら、私でも勝てる!」と思えてしまった。逆に、西田議員はクラスでも一目置かれる存在だったのではないかと思う。

私の故郷は「仁義なき戦い」の舞台であったせいなのか、日常生活の中で明らかにヤクザさんとわかる方々を見ることがあった。小学校の同じクラスには、そういう人の子供も含め、やけにガラの悪い奴がけっこういた。けれど、クラスの番長のおかげで、弱い男子も女子も、ガラの悪い連中からいじめられるずに済んでいた。たとえ、いじめられかけていても、誰かが番長に告げ口(?)すると、「われ、やめちゃれーや」と止めに来てくれるのだ。

ところが、番長とはいうものの、この男子、見た目はおぼっちゃんだった。身長も高く、上品な、いいところの坊ちゃん風。女子にも、優しい。まったく怖い感じはしないのに、彼に歯向かう男子はいなかった。

私もクラスの中では身長が高く、バシバシものを言う方だったので、彼とは仲良くしたり、喧嘩をしたりしていたのだが、ある日、どういう経緯だったか、彼ともうひとりの男子が下校時に私の家までついて来た。私がどんな家に住んでいるか見てみたい…ということだったと思う。その頃、我が家はおんぼろ借家に住んでいたので、私は必死で「ついてこないで」と訴えたのだが、とうとう我が家についてしまった。私はかぎっ子だったので、留守宅に男子が二人、上がりこんでしまい、どうしようと思っている間に、ふたりは私の机の上の日記帳をめざとくみつけてしまった。

私は「ダメ~!」と日記帳を隠したのだが、それで余計に「見せ~や!」となってしまい、とうとう日記帳を取られてしまった。実は、この日記には、どうしても誰にも知られたくない秘密を書いていたのだ。その秘密とは、「大正2年生まれの父が今もふんどしを愛用していること」。今思えば、なんともないけど、小学生の女子にとっては死ぬほど恥ずかしい秘密だったのだ。

そもそもは、チンピラみたいなガラの悪い男子が私の家を見に行くと言い出したせいで、彼のお目付け役のような形で坊ちゃん風の番長が一緒について来てくれていたので、とられた日記帳を彼が返してくれるのでは…と期待していたのだが、番長も好奇心に負けてしまったのか、私の日記帳をぱらぱらとめくって、ふと目を留めて読み始めた。

私はてっきり父のふんどしのことを知られたと思い、「恥ずかしい!!」と思っていたら、番長はものすご~くショックを受けた顔で、私にこう言った。「○○、わし、卑怯じゃったか?」 「え!?」と、私は一瞬、なんのことかわからなかったが、彼が読んでいたページを見ると、どうやら私が彼のことを名指しで批判していたらしい。クラスでちょっとした事件があり、彼が仲裁役のようなことをしたのだが、それを不公平に感じた私が、「××君って、卑怯だ」と書いていたのだ。番長の逆鱗に触れた…と内心びくびくしていたら、彼は静かに、「ほうか~。わし、卑怯じゃったかのぅ」と反省するかのように言う。彼にしてみれば、よかれと思ってやったことを、第三者から卑怯と見られていたことがショックだったのだろう。

私はふんどしのことがばれなかった安堵感もあったのか、番長が他人の批判に素直に耳を傾ける人であったことに驚き、それ以来、彼に一目置くようになった。翌日、チンピラ風の男子は「○○の家、ぶちぼろじゃった」と言いふらしたようだが、番長は私の家に行ったことについては、何も言わなかった。

あの日を境に、私はチンピラ男子をさらに大嫌いになり、授業中に私を見ていることに気づくと、「ガンつけんな」とばかりに睨みつけてやった。逆に、あれ以来、番長とは卒業まで仲良くしていたが、私が女子校に進学したため、親交はなくなった。

大人になって知ったのだが、彼は単なるお坊ちゃんではなく、えら~いヤクザさんの息子だった。どおりで、誰も歯向かわなかったわけだ。けれど、彼には回りを納得させる公平さ、謙虚さ、優しさがあった。本物の番長とは、そういうもんだと思う。

ちなみに、うちの母も言っていた。「何歳になっても、町で出会ったら、ちゃんと挨拶して、『○○ちゃん、元気ですか?』と訊いてくれる男の子は、あの子くらいじゃった」と。私の大学受験で、一緒に東京に来た母は、新宿の交差点でその番長とすれ違い、そのときも明るく挨拶してくれたらしい。

今頃は、もしかして、りっぱなヤクザさんになっているのだろうか!? だとしたら、民主党には献金していないことを願うばかり。
(よく考えたら、広島のヤクザさんは反山口組系だから、民主党に献金なんて、あり得ないか。広島のこのマイナーさ加減が好きだ。)

*散歩途中にみかけたお家。こういう小さな家が好き!
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雨の奇跡(第二弾)@東京

「ボンマルシェ愛の奇跡事件」では私の愛が雨を降らせた(と思っている)のだが、これの逆パターンの奇跡事件があったことを思い出した。

私がとある外資系企業に勤めていたときのこと。私の属するグループの日本人スタッフは、全員が外国人上司のことを嫌っていた。いろんな出来事が積み重なった結果なのだが、要は何か起こると部下のせいにして、自分で責任をとろうとしない彼に、みんなが愛想を尽かしていたのだ。

そんな中、運の悪いことに(!?)私が直接、彼とやりあうことになってしまった。私は彼を個人的に嫌っていたわけではない。むしろ、いい人だと思っていた。ただし、いい人なだけで、小心者で自信もガッツもない奴だとも思っていた。だから、彼がちょっと涙目で、「君は僕をそんなに嫌っているのか?」と訊いてきたときは、さすがに可愛そうになり(でも、心の中ではガッツポーズ!)、「嫌ってるわけじゃありません。あなたは上司なんだから、もっと自信をもってください!」なんて励まして(?)しまった(心の中では、「わりゃぁ、部下に責任なすりつけんと、自分でちゃんと落とし前つけろや」と思いながら…)。これで、グループのみんなが言いたくて言えなかったことを、ぶちまけられたかな…と思っていた。

上司は、その翌日からやけに私たちに愛想よく振舞うようになった。そして、「○日にホームパーティを開くんだけど」と、ある日、ひとりひとりに声をかけた。けれど、「その日はちょっと都合が悪くて…」などと全員が断ってしまった。すると、今度はみんなが断れないように、「何日だったら、都合がいい?」と全員の予定をきいてパーティの日を決めてしまった。

わかってないよね。別に私たちと仲良くする必要なんか、ないんだよ。私たちは、彼と仲良くしたいという気持ちなんて、とっくに失っているんだから。ただ上司としての責任を果たしてくれれば、それでいい。それしか望んでないんだよ。

な~んて思いつつ、さすがにそれは言えなくて、上司がいないときに、みんなで「ねぇ、どうする~? もう、どうしようもないよね~、でも行きたくないよね~」と当日まで愚痴り続けた。「何か突発的な事件とか、とんでもないことが起こって、中止にならないかな~」と、私は何度も同僚と話していた。

パーティの当日は、みんなの心模様を映したかのように、空はどんより雲っていた。そして降り始めた雨が、どんどん激しくなる。オフィスの窓から外を見下ろすと、皇居のお堀の水位がみるみるまに上がってきた。すると、大雨のため地下鉄が運行休止になるとの知らせが入り、「4時に全員退社」とお達しが出た。上司には大変申し訳ないが、私たちの心が一気に晴れ渡ったのは言うまでもない。

そして翌日、「私たちの思いが空に通じたのかしら」と、みんなで言い合った。大雨の被害も、電車の運休程度ですんで、めでたし、めでたしだったのだ。

それにしても、リーダーの資質に欠ける人は、どうしたらいいんだろう? 本人が資質に欠けることに気づいてない場合が多いから、余計に困るんだけど。要は覚悟と責任感の問題だよね。

*桃の節句のきょうは、広島の友人が送ってくれた「桃色にごり酒」をいただきます!
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*きょうは雪!
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強力占いさん(京都に引っ越した理由)

相変わらず(私には珍しく)、きょうもお仕事をしているので、また昔語りを…。

昨日の話に出た算命学の鑑定をしてもらったのは、中国留学を準備していたときのこと。留学自体は私の中ですでに決定事項だったが、留学するかどうか悩んでいると勘違いした同僚が、高尾学館(?)の偉い先生に話をもっていってしまったので、ありがたく(!?)鑑定を受けたというわけだ。

その後、いずれヨーロッパで職探しをするつもりで、まずは中国に向かった私。仙人のような老師の下で、太極拳を習って修行の日々を送りたい!と思ったからだ。当時は日本…正確には東京の空気がどんどん重苦しく、負のエネルギーばかりが感じられて、そこから飛び出したい一心だった。経済成長のピークを過ぎたこの国は、今後、どんな風に上手に衰退していけばいいのか、その中で人生を優雅に楽しむ方法はないだろうか…その答えがヨーロッパにあるんじゃないかと思ったんだけど、その前にまずは自分が修行してみようと決意したのだ。当時の中国は生活水準もまだ低かったので、昔の日本に戻ったような不便な生活に再び耐えてみよう!という気持ちだった。期間限定のチャレンジなら、楽しめると思ったのだ。

最初は3ヶ月のつもりで行った中国に、結局1年ほど滞在し、その間、いろんな経験をした。ブログでは書き尽くせないような事件が山ほどあった。中国は、いろんな意味で私を覚醒させてくれた。そして最終的にヨーロッパではなく、私は日本に帰って来た。

とはいえ、私は東京の空気が耐えられなくなっていたので、どこに住むべきか悩んでしまった。実家に帰ることも論外だったので、日本のどこかまったく知らない土地で、まるで外国にでも来た気分で暮らしたい…と思っていた。具体的な地名が浮かばず、インスピレーションをもらいたくて、友人に紹介された強力占いさんのもとを訪れた。

「中国から帰国したところなんですが、今からどこに住めばいいでしょう?」と聞くと、彼女は「今度は国内よ。地名ははっきりわからないけど、この辺り…」。どうやらそれは、京都の辺り。彼女の目には「山が見える」その場所の情景がはっきり映っているらしい。

そこで私は実際に京都に行って、彼女が指摘したエリアを歩き回り、自分が気に入った山が見えるポイントを写真に撮り、彼女に見てもらった。すると、「方角はあってる。でも、この山のもうひとつ奥よ」との答え。実は、そのもうひとつ奥のエリアのアパートを、知人から勧められていたのだが、私はなるべく中心部に近い場所がいいと躊躇していたのだ。確かにその奥のエリアはのどかな所で、そのアパートはどの部屋からも山が見え、裏には小川が流れていた。なるほど、気持ちのいい場所だと、私はそこに引っ越した。

そして、会社を辞めたまま今度はフリーランスとして、私はなんのあてもなく、ひとり未知の街で新生活をスタートした。そして、それからまもなく、東京の職場で先輩だった人からの依頼で、近くの山のお寺にお供した際に、そこで修行をしていた夫に出会うのである。「もう一生、結婚しないんじゃないか」と思っていた当時の私は、山に篭って修行をしている夫を見て、「なるほど、こういう人生もあるのか~」と深い感銘を受けた。そのときは、まさか結婚するとは夢にも思わなかったのだけど、実は私は重要なポイントを忘れていたのだ。

強力占いさんは、「山の上に男の人が見える」と言ってたんだよね~。それを思い出したのは、ずっとあとのこと。いや、実は忘れていて、正解だったのだ。夫と一緒になれたのは、「無欲の勝利!」という自覚があるので。

このつづきは、また明日にでも…。

*息子は元気に弁当持って、塾へ向かいました。
 そういえば、「笑っていいとも」のランキングで今度はピザの人気メニューの1位がプルコギだったとか!? そんなメニューがあること自体、知らなんだわ。
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前世の因縁(!?)

きょうは一日こもって仕事をしていたので、また過去の不思議話を。

東京の小さな出版社に勤めていた頃、編集の方から突然、取材について来てほしいと頼まれた。それも通訳として。「ええっ、そんなの聞いてないよ…」と実力のない私は恐怖にかられつつ(だって普段は事前に資料や質問をもらって準備するのに!)、「すぐそこですから」と言われるまま、近くの小さなホテルに徒歩で向かった。

ホテルのカフェで待っていたのは、細身で背がやけに高い、ボンデージ系の怖そうなお方。けれど、立ち上がって手を差し出す彼と握手をしたとき、なぜかわからないけど「この人、知ってる」と思ってしまった。話してみると、外見のハードなイメージと違い、とても穏やかな知的な人で、スムーズに取材は終了。同行編集者が日本人スタッフと事務的な話を始めたので、私たちもごく自然に雑談を始めたものの、途中、彼が席をたってトイレに行った隙に編集者の話が終わり、私は彼に挨拶もせず、そそくさと帰社してしまった。

会社に戻ってからも、「この人、知ってる」と思ったのはなんでだろう?ともやもやしていたのだが、夕方6時すぎに、私は大急ぎで会社を出た。待ちに待った美輪明宏のリサイタルの日だったからだ。遅れては大変と小走りしていたら、さっきのホテルの玄関にボンデージの彼の姿が見えた。ちゃんと挨拶もせずに帰ったので声をかけようかと思ったが、そのときの私は美輪明宏の方が大事だと、そのまま会場まで走り続けた。

リサイタルは期待通り、愛と感動に満ち溢れていた。閉演後、夕食の席で友人たちとリサイタルの感動を語り合った。美輪明宏の愛のメッセージが強烈で、「そうよ、愛よ、愛よね。人生、愛よね~!」と、私はすっかり盛り上がっていた。

翌日(土曜日)、目が覚めてからも、昨夜の高揚ムードは続いていて、「昨日のボンデージの彼にちゃんと挨拶しておけばよかった~」という気持ちから、気がついたら、私はあのホテルに電話をしていた。オペレーターから「お部屋におつなぎします」と言われたときに初めて我に返り、私は何をしているのだろうと後悔し、電話を切ろうと思ったら、彼の声が聞こえた。どうしよう~と思いつつ、「昨日お会いした者ですけど」と言いかけると、「ああ、話の続きをしたいと思っていたんだよね~」と、彼はそのまま昨日のカフェに戻ったかのように話し始めた。

そして、彼の滞在中に何度か会う機会を持ったのだが、最初に感じた不思議感はずっとつきまとった。こちらの心の中を見られているような、話さなくても通じているような感覚があるのだ。例えば、「スケジュールも詰まってるだろうから、次に会う機会はいつになるかな~」と思い、訊いてみようかな~と頭の中で必死に英作文をして、頭の中でその英文を復唱していたら、「いま、なんて言った?」と訊かれてビックリ。騒々しいイベント会場だったけど、もちろん私は声には出していなかった。それから、一番好きな音楽を訊かれ、これを言うと馬鹿にされるだろうと思いつつ正直に答えると、彼もそれが一番好きだと言うので驚いたことも。(そして、その素晴らしさを語り合った。)

彼の帰国後も何度かハガキや電話のやりとりがあり、海外で会おうと計画を立てていた。ところがある日、夢の中で彼の声が聞こえた。「本当に申し訳ないんだけど、用事が入って、その日程では会えなくなった」と。間違っても英語の夢なんか見たことのない私が、その日ははっきり英語で喋る彼の声が聞こえたのだ。そうしたら、その数日後、急なスケジュールが入ったので、日程変更して欲しいと彼から電話があった。彼にとっては(私が聞いても、すごい!と思う)喜ぶべきスケジュールだった。

ともかくも、前世でなんらかの因縁があったのだろうか…と思う人だったが、同時に「この人と関わると危険に巻き込まれそう」という直感もあり、最終的にその人との縁は消滅した。

その翌年、職場の同僚に無理やり勧められて、高尾学館だったか、算命学の本部のようなところで鑑定してもらった際に、こんなことを言われた。「あなたはねぇ、珍しい星で、今までの人生で辛いこと、まったくなかったでしょう? 大丈夫、これからも、まったくないわよ~。何があっても、辛いと思わない星なのよ~。だから、今のまま、頑張らないで、楽~に生きていっていいのよ。ただし、ひとつだけどうしても頑張って、頑張って、頑張らないと叶わないことがあって、それが結婚。もし結婚したいなら、結婚活動だけは必死で頑張りなさい。あとのことは頑張らなくていいから。本当はね、去年、縁談があったはずよ。でも、それ、断って正解。お互いがどんなに好きで結婚しても、回りから絶対引き離される縁だったから。去年、結婚しないでよかったわよ~。」

結局、私にとっては、前世の因縁よりも、夫と出会って結婚したことの方が奇跡的な出来事なのでした!!!

*近所のわんちゃん。あまりにも気持ちよさそうで。
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大久野島、毒ガス工場。母の証言

私の母は戦争中、女学校から学徒動員として毒ガス工場で働いた時期があった。当時、毒ガス工場は軍事機密として存在を隠されていたので、現在もその全容をきちんと記録したものはないらしい。

戦後、毒ガス工場時代の後遺症に苦しむ患者たちを治療し、さらには国に補償を働きかけてくださった故・行武医師は、患者たちが口にした当時の思い出話をカルテやメモに書き留めていらしたそうだ。行武先生の娘さんがその遺志を継ぎ、その証言の数々をまとめて、出版を計画されているという。

そこで、その証言を確認の上、掲載を許可するかどうか知らせて欲しいと私に連絡がきた。すでに広島の親戚から、この話は聞いていたので、連絡があれば、すぐに対応しようと待っていた。

そしてきょう、その書類が届いた。母の証言はわずか10行ほどの事実の羅列。それでも読んでいたら、涙がでてきた。

昭和19年11月から終戦まで動員され、毎日通いました。(中略)最後には、大八車にドラム缶を乗せて四人で押していく作業をしました。行く回数が決められており、わらぞうりを一日に3、4足も履きつぶしました。(中略)昭和20年8月15日、玉音放送を聞きました。背が高かったので最前列におり、敗戦がわかりました。受け持ちの将校が、山の上にあがっておんおん泣いておりました。

このとき母は13歳。私が13歳の頃は、私立の中学に通わせてもらい、習い始めた英語が嬉しくて、毎日のように洋楽を聴いて胸を躍らせていたというのに。

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ボンマルシェ愛の奇跡@Paris

息子は塾にも慣れてきたようで、今までと違って、さっさと下校し、さっさと出かける。週2日のお弁当持参の日は、同じクラスの仲良し君と一緒なので、楽しくてたまらない(!?)ようだ。こうやって母は、どんどん暇になっていくんだなぁ。いや、私も仕事はたくさんあるのだが、風邪による頭痛&眼精疲労で、なかなか進まないのだ。

具合が悪いと、現実逃避のようにまた過去の奇跡(?)に思いを馳せる…。
私がパリのインターンシップ先で理想の人に出会った直後の話。当時、私と彼ともうひとり、計3人の外国人スタッフがひとつのチームで仕事をしていた(のちに5人となるのだが)。3人とも仮住まいのひとり暮らしだったので、ほぼ毎日、仕事を終えると、3人で近くのカフェでビールを飲み、その後、ご飯を食べて帰るという生活で親交を深めつつあった。そんな矢先、ひとりが用事で仕事を休んだ。外国人チームは、私と彼のふたりきりだ。「きょうはいつものカフェにふたりで行くことになるのだろうか…!?」と、朝から私はそのことが気になって仕方がない。

すると、前から彼と仲良くなりたい素振りを見せていたフランス人(男)が、「きょう一緒に夕飯に行かない?」と彼を誘った。仕事をしながら耳ダンボで聞いていると、彼は「悪いけど、きょうはどうしても買い物に行かないといけないんだ。水がなくなりそうだし…」と断っている。「なるほど、きょうは買い物に行くのね」と意気消沈する私。

が、夕方になると、「僕はそろそろ帰るけど、帰らないの?」と彼が声をかけてくれた。それで一緒に会社を出たら、彼が「いつものカフェに行く?」と誘ってくれたのに、あまのじゃくの私はなんということか、断っていたのだ。本当はいつものカフェじゃなく、別のお店に行こうと提案するつもりだったのに。「そうか、残念だね…」と彼。ああ、なんてバカな私。

すると彼が、「きょうは天気もいいし、歩いて帰ろうと思うんだけど、一緒にどう?」と聞いてくれた。夏だったので、日が暮れるのはかなり遅い時間なのだ。けれど、強い日差しの中、何十分も歩きたくなかった私はまたも「私はメトロで帰ります」と答えてしまい、「そうか、残念だね…」とメトロの駅で彼と別れてしまった。

「なんてバカな私!」と、激しく後悔したのはメトロに乗ってから。彼と私の住まいはメトロの路線は違うものの、距離的にはさほど離れていない。彼が買い物に行くとしたら、ボンマルシェに違いない。そう思った私は、いったん家に帰ったあと、大急ぎでボンマルシェへと走った。店内に駆け込み、スーツ姿の男性はいないかと見回したが、彼の姿はみつからない。ああ、せっかくのふたりきりのチャンスを自ら棒に振るなんて…。

肩を落として買い物をしていたら、突然、私の名前を呼ぶ声がした。ふと見ると、チーズ売り場の前に彼が立っていた。「こんなところで会うなんて、奇遇だね!」と言われ、「いや、偶然じゃないんだけど…」と思いながら、さっきまでの暗い気持ちが一転、天にも昇る気分で買い物をした。けれど買い物なんて、すぐに終わってしまう。レジを通過したら、はい、さようならだ。レジの順番を待ちながら、一分一秒でも長く彼の近くにいられるようにと私は天に祈っていた。

その気持ちが通じたのだろうか。レジを終えて出口まで来たら、外はどしゃぶりの雨。さっきまで快晴だったのに、本当にバケツをひっくり返したような大雨だ。しばらく出口で立ちすくんでいたら、「あそこのカフェで雨宿りしよう」と彼が言い出し、結局ふたりでカフェに入った。退社時の彼の誘いをそのまま受けていたらよかったものを、こんな遠回りをしてしまった。

自分のあまのじゃくさ加減を棚にあげ、その後、この出来事は私の中で「ボンマルシェ愛の奇跡事件」と名づけられている。私の愛が雨を降らせたのだ(!?)。

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ごんぎつね(ベルギーの列車の中で)

昨晩はまたも愚行を冒してしまった。夫の帰宅後、3人でバレンタインのティータイムをしたのだが、夫もお土産を持ち帰っていた。それは、料亭で食べ切れなかったお寿司とステーキ。息子も私もお腹はいっぱいだったけど、明日の朝では食べられない…とばかりに一口食べると、これがまあ、美味しかったのだ。それでも息子は、「もうこれでいい」と一口で箸を置いたのに、私はもったいないからと寝る直前にまた食べてしまった。(ちなみに、私はケーキは食べていないのだけど。)

寄る年波には勝てないようで、案の定、明け方3時に気持ち悪くて、目が覚めた。強靭な私の胃腸も、さすがに大量の高級食材は消化しきれなかったようだ。そして、前回のうどん&搔き揚げ事件と同じく、最終的には嘔吐して、やっと気持ち悪さがおさまった。美味しいものを食べた幸福感も、これで台無し。以後、腹八分目に徹することを心に誓った。

さて、きょうは遅くに塾から帰った息子が、学校の音読の宿題が残っているとうんざり顔。普段は楽しい音読なのに、今回は長すぎて、嫌なのだと。何を読むのかと思えば、『ごんぎつね』。こりゃ、長い!

『ごんぎつね』は、私も子供の頃に読んで心に残った名作だ。息子が字が読めるようになった頃、一番最初に買った絵本のひとつでもある。さらに、思わぬところで出会った思い出の本でもある。

パリ留学時に、クリスマス休暇をオランダの友人と過ごすため、ひとり電車旅行をしていたときのこと。途中、ベルギーで乗車した男性が私の隣に座り、私が読んでいた本をちらちら覗きこもうとした。読んでいたのは、パリのルームメイト(日本人)から「ぜひ読んで」と渡されたシャーリー・マクレーンの『アウトオンアリム』だったのだけど、隣の男性が気になって、読書が進まない。逆に、その人を見てみると、彼も本を読んでいる。しかもその様子が、「見てくれ!」と言わんばかりの堂々たる態度。なんのつもりだろう?と思って、よく見ると、彼も私と同じく視線を上から下へと動かして本を読んでいる。あれ、縦書き!?

ちらりと彼の本を盗みみると、やはり日本語。しかも、「おっかあ」だとか古臭い言葉が見えたので、いったい何を読んでいるのか質問したら、待ってましたとばかりに彼は嬉しそうに答えてくれた。「ごんぎつね。知ってますか?」

いきなりヨーロッパの電車の中で、「ごんぎつね」と聞いて面食らう私に、その青年は自分はベルギーの大学で日本語を勉強していて、今からブリュッセルまで小津安二郎の映画を観に行くところなのだと、語ってくれた。

さすが、日本語を勉強しているだけあって、日本人らしき人をみつけてもすぐに話しかけられない、奥ゆかしい(?)タイプのベルギー人だった。話をするときの態度も、日本人より日本人的で、ブリュッセルに着くと、私に向かって何度もお辞儀をしながら下りていった。

そうそう、それから昨日の話の後日談。私が夫と出会って、「この人と一緒になるのかな~」と思っていた頃、パリで出会った元「理想の人」が京都にやって来たのだ。美しいフィアンセも一緒だったので、私はふたりを連日、京都案内したのだが、彼は正直、あんまり幸せそうには見えなかった。彼女がトイレに立ったときに、「実は婚約は解消した」と言っていたけど、詳しいことはわからなかった。そのふたりを連れて銀閣寺を観光していたら、なんとあの時、東京からパリに遊びに来てくれた友人とばったり出会った。「ほら、昔、パリで会った●●よ!」と彼の方を指差すと、彼女は「ええ~っ!?」と一瞬言葉を失い、「●●って、あの、かっこよかった●●? まるで別人じゃない!? 子沢山でやつれたおじさんかと思った」と驚いていた。京都観光につきあってもらった別の友人からも、私がその彼ではなく、夫と一緒になることになって良かったね…としみじみ言われてしまった。

私も深く同意。だから反省はあっても悔いはない人生なのだ、今のところ。

*これを食べ過ぎたばっかりに…。
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*チョコレートケーキはこちらのお店で。
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天使(2)パリ編

DSC02362 きょうはバレンタインデーだが、夫は職場の会議を兼ねた会食で遅くなるので、息子が塾から帰ったらふたりで夕飯をとる。夫の帰宅後に、チョコケーキを披露する予定だ。

外は晴れていたのに、いつのまにか雪景色。天使でも舞い降りてきそうな気配だ。というわけで、天使話の第二弾。今度はパリ留学時の出来事。

留学の最後に、私はインターンシップとしてフランス企業に半年近く勤めた。早く帰国したい気持ちを抑えて、しぶしぶ会社に向かった初日、私はそこで自分が心に思い描いていた“理想の男性”(あくまで見た目が)と出会ってしまった。「一日も早く終わってほしい」という気持ちが一転、「一日でも長く続いてほしい」と願いながら、インターンシップはあっという間に終わりとなり、私も彼も外国人スタッフとして同じチームで仕事をする中で、親交を深め、友情を築いたものの、なんというか、まるで映画『日の名残り』のような結末を迎えてしまった。

その頃、東京から女友達が遊びに来たので、当時ロンドン在住の別の女友達も合流して、3人でパリの休日を過ごした。実はロンドンの友人がパリを発つのと同じ日に、彼もパリを離れ帰国することになっていた。そこで私は友人の見送りを口実に、彼のお見送りもしたいと思っていた。女友達2人には言わなかったけど。

ところが友人のフライトの方が少し遅い時間だったため、私の努力(?)も空しく、私たち3人が着いたとき、空港に彼の姿はなかった。私は間に合わなかったのだ。最後のお別れができなかったことが、内心ショックでたまらなかったけど、私はなんとか平静に友人を見送って、もうひとりの友人とパリの街に戻る電車に乗った。

本当は悲しくて悲しくて仕方なかったのだけど、友人はそんなこと知る由もない。彼女のせっかくのパリでの休暇を、私の失恋話でしめっぽくするのは申し訳ない。そう思った私は、自分の悲しさを紛らすためもあってか、車中のお喋りが普段よりさらにパワーアップしていた。

ふと気がつくと、四人座りの席で私の斜め前に座っている金髪の男性が、ちらちらと私を見ている。日本語の響きが珍しいのだろうかと思っていたが、あまりに私のことを凝視するので、気になり始めた。私もその人を見ると、その人は恥ずかしそうに目を伏せる。けれど、気がつくと、また私を見ている。

隣に座っていた友人も気づいていて、「前の人、○○ちゃんのこと見てるよ」と教えてくれた。「まさか、日本語はわからないよね? 私たちの話してることを、わかってないよね?」と話しながら、その男性の様子を見るのだが、相変わらず私を見ている。

「まさか…本当に日本語がわかってたりして…」と不安になり、思い切って下手なフランス語で質問した。「日本語、わかりますか?」 その男性は”Non”と答えたあと、こう言った。
“Vous etes tres jolie.” (あなたはとてもきれいです。)
そして、またすぐにうつむいたのだ。

あまのじゃくの私も、そのときは素直に”Merci”と言えた。私が必死で悲しいのをこらえていたのを知っていて、そう言ってくれたような気がして、心からありがとうと思えたのだ。

その後、その男性は車内の放送がよく理解できなかった私たちに、「ここで乗り換えですよ」と教えてくれて、次の電車を待つ間、他愛もない雑談をして、私たちが正しい電車に乗るのを見届けて、去って行った。「パリはきれいな街ですね」という私に、「そう、あなたのように」と言い残して。

この人も、きっと天使だったに違いない…と私は勝手に思い込んでいる。前回とは対照的に、あまりに気弱でシャイだったけど。

*雪がだんだん積もっていく…。
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