プチ同期会

DSC01635 夏休みは、瀬戸内の島まで同級生の実家を訪ねるのが恒例となりつつある我が家。その友達はいま実家に帰っているものの、昨晩の同期会には用事で出席できなかった。そのことを昨日、別の同級生に話していたら、急遽、「じゃ、明日、島に行ってみようか?」という話になった。

そこできょうの午後、広島からドライブしてきた同級生&その娘さん2人に、私と息子が合流して島を訪ね、帰省中の同級生&そのご主人に先導されて、穴場の海水浴場に行った。島の景色にはいつも癒されるのだけど、きょうの海は格別にきれい!!!

子どもたちは最初からすんなり仲良く遊んでいるし、大人たちもプチ同期会状態。「今度は、お正月の百人一首大会で集まろう!」と約束して、夕方、島を後にした。

そうそう、今朝はまず母に会いに行き、ちゃんと仲直りをした。小さい頃から甘えん坊だった私が、母の大病以来、逆に母に甘えられる立場になっていたのだが、今朝は私がスネていた理由を話すと、母がやさしい言葉をかけてくれた。最後の最後で甘えさせてもらったかな。

きょうのドライブ中に、循環器の専門医である友人に母の病状についてもいろいろ訊けたので、覚悟もできたし、ある意味、安心した。懐かしい友人たちと美しい海を眺めたきょうの日を、忘れない!

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*夫はこのビーチにあるカフェが大好きなのだが、仕事のため不在。友人のご主人も今朝、体調を崩して欠席。残念でした!

同期会 

何十年ぶりかで参加した二年前の同期会を機に、音信不通となっていた何人かの同級生と連絡をとりあうようになった。当時は学校に「心からなじんでない」と思っていたけど、中高の6年間というのは、人生の中でかなり大きなウェイトを占めていると、今にして思う。私の母をみていても、今でも女学校時代の友達が大きな存在のようだし。

今夜は二年ぶりの同期会に出席した。母のことでもお世話になった同級生も参加するというので私も行くことにしたものの、たまに連絡をとっている他の同級生たちは欠席だ。仲のよかった人をみつけられないかも…と一抹の不安に駆られつつ、でも行ってみるとなんのことはない、クジ引きで決めた座席につくと、いきなりお喋りが始まるから不思議だ。当時はそれほど親しく付き合っていたわけではないのに、共通の思い出があるだけで、こんなに盛り上がれるとは。それに、みんなすばらしいキャリアを積んでいたり、幸せな家庭を築いていたり、ひとりひとりの人生物語を垣間見るだけでも、かなり刺激的だった。

実はきょうの昼間、母を見舞った際、またも母に無視されて、故意でないのはわかっているものの、先日の心ない言葉もあったので、「もう、腹立つ~!!」などと大人気ない態度で立ち去った私。親子ゆえ、母の前では今までどんな感情もさらしてきた私だけど、母の具合が悪くなってからは大人の対応をしてきたつもりだったのに、最後の甘えが出てしまった…と、同期会の最中も心中で反省していた。

途中、トイレに立ったとき、携帯に母の病院から何度も着信履歴があることを発見。(話に夢中でぜんぜん気づいてなかった!!)夜なのに電話してくるなんて…もしや…と、焦って電話したら、私が広島に戻っていることを知らない看護士さんが、母の容態が悪化しつつあることを知らせようと、まずは自宅に電話して、留守電だったので携帯に何度か電話をしてくださっていたのだ。容態の急変ではなかったことにほっとしたものの、きょうはあのあと、少し調子が悪かったようだ。明日、まずは母に謝って仲直りしなければ…と思いながら、一足先に同期会の会場を後にした。

他愛もない話しかしていないのに、共に成長した仲間と時間を過ごしたことで、なぜかとっても気持ちが癒されたように感じるのはなぜだろう? みんなのパワーを感じて、元気になれた気がする!

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ポリープ切除とパリの中華の思い出

一週間ぶりに病院に行き、ポリープ切除。もともと自覚症状はないし、切除も痛くないので、いったい何があったのやら?って感覚だが、一時間ほど安静にするよう言われ、病院の一室で寝かせてもらった。風邪気味で疲れていたので、これ幸いとぐぅぐぅと寝てしまった。

お昼に夫が迎えに来てくれたので、近くの中華屋さんでお昼を食べた。私がどうしてもスープが飲みたくて、近くでスープのあるお店といえば、ここしか思いつかなかったのだ。前に頼んだ卵スープが美味しかったのだが、きょうは季節メニューに酢辣湯を発見。早速、注文した。

酢辣湯で思い出すのは、あまりお金がなかったパリ生活で重宝したリュクサンブール公園近くの中華屋さん。ハゲた横山やすしみたいなベトナム人のおっちゃんが、安くておいしい定食を出してくれた。そに行くと、私はいつも酢辣湯を選んでいたのだ。

日本人留学生は、あまりお金がない人が多かったけど、台湾出身のお金持ちのクラスメートはひとりで外食するときも、何品も料理を注文していた。食べ切れないほど、たくさんの種類を注文するのが流儀なんだと。

その彼女が日本人留学生(の男性陣)に言っていたことを思い出す。

「この国では意見を言って主張しないと、バカだと思われるわよ。クラスの議論が低レベルでくだらないと思ってるのはわかるけど、だからって黙っていたら、バカにされるだけ。あなたたちの方がよっぽどいろんなことを知っていて賢いことを私は知っているけれど、主張しないとダメなのよ!」

彼女はもどかしそうに叱咤激励するのだけど、おくゆかしい日本人男性たちは、「あんな重箱の隅をつつくような、ただ議論に勝つためだけの議論に参加するのは、はしたない」と思って黙ってしまうのだ。で、私はと言えば、退屈して居眠りしていたんだけどね…。

そういえば、きょうのポリープ切除のあと、「へ~、こんなに簡単にとれるんですね~!」と言うと、台湾出身の先生が、「簡単じゃないよ。私の30年の技術ですよ!」とおっしゃった。確かに、それはごもっとも! 

上手に主張してアピールする力を日本人も身につけないと…。

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中国民主化運動(天安門事件)、ウルケシ(ウーアルカイシ)の思い出

念願の(!?)整体師さん来訪!
たまりにたまったコリをほぐしてもらって、本当ならば至福のひとときなのだが、「選挙、どうしましょうね~」って話から、どんどん盛り上がってしまった。この方とは、ぶっちゃけ話ができるので、心のコリまでほぐれたかも…!?

岡田外相の実家が、子ども手当で買い物しようと宣伝してるだの、韓国の子どもたちの描く絵が信じられないねなど、いろんな話で盛り上がってたら、「あの天安門のリーダーの人はどうして逮捕されたの?」という話から、またまた話が広がってしまった。

私がパリ留学時にメトロで目撃したウルケシは、ぽっちゃり太って、おしゃれな皮ジャン着て、彼女といちゃついていたっけ。同じく天安門事件後に中国から逃亡してきたクラスメートにそのことを話したら、「あいつは堕落した」と吐き捨てていたけど、ウルケシは今も民主化運動を続け、ウィグルのこと、家族のことを思っていたのだ。

ちなみに私はそのクラスメートと、その数年後に東京で再会した。フランスで就職した彼が、出張でアジア各国を回っていたのだ。亡命者扱いなので、パスポート代わりの分厚い書類を持ち歩き、「台湾にも、日本にも行けるのに、中国だけは行けない」と話していた。「ウルケシほどの有名人なら、帰国して逮捕されてもすぐに処刑はされないだろうが、ボクのような無名の活動家は帰国したら処刑されて終わり。エアコンもない、四川省の田舎で暮らす母親には二度と会えないだろう」とも。同年代なのに、私にはまったく想像もできない人生をこれまで送ってきたのだろう。彼の遠くをみつめる鋭い眼差しは今も忘れられない。

考えてみると、パリのクラスメートには母国を追われた人たちが数多くいた。イラン人、レバノン人、ラオス人、中国人…。帰りたくても母国に帰れない人たち。さらには、母国はあるけど、あえて外国での安定した生活を選んだ人たちもいた。

そう思うと、日本人は本当に恵まれているのだ。(今のところ)
で、この国の将来を考えて、どこに投票すればいいのだろう???と、整体師さんと一緒に悩んでしまった。まだ答えが出ない。

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泉谷しげるの思い出

やっとひとつ仕事が終わって、ほっとしつつも、7月中に終えるべき別の仕事が控えていて、気は抜けない。気がついたら、今年も半分終わってる。

ところで今になって知ったのだが、泉谷しげるのブログが盛り上がってるらしい。口蹄疫で大変なことになってる宮崎を応援する中で、これはおかしい…と気づき、今ではひとりで与党にケンカを売ってるとか。

かつて東京の(当時は小さかった)某出版社に勤務してた頃、取材のために来社した泉谷氏をビルの玄関までお迎えに行ったことがある。エレベーターに乗ってる間、沈黙は気まずいと思ったのか、「おう、○○(社長の名前を呼び捨て)はこんなりっぱなビルに事務所持ってんのかよ!」と照れ隠しのように言う姿が、愛らしかった(?)記憶がある。

自分でできる範囲のことをする、という点では大いに共感。私もいろいろ考えねば。(とりあえず宮崎県には心ばかりの募金をしました。)

*鹿が花から何から全部食べてしまうので、とうとう近所の方も大々的に鹿避けを作った!
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父の前妻

今朝は父を母の病院に連れて行き、春休み以来
の夫婦の再会を果たした。母はもっと一緒にい
たかったようだが、ともかくよかった。

午後は仕事に精進するつもりが、暖かいのと、
疲れがたまっていたのとで、どっと寝てしまっ
た。気がついたら夕方ではないか!?

ところで、昨日突然訪れた山の墓地には42歳で
病死した父の前妻だけが眠っている。
父母の故郷の海辺の町にある先祖代々の墓は、
近所の親戚の方々がときどきみてくださってい
るはずだけど、山の墓地を訪れるのは我が家だ
け。いずれここに入るつもりで、父と母が建て
たお墓なのだ。

きょうテレビで上海万博のことをやっていたの
で、私はふと思い出し、実家の納戸から子ども
時代の大阪万博のアルバムを取り出した。つい
でにそばにあった父のものらしきアルバムも取
り出して見てみると…それは父が亡き前妻のた
めに作ったアルバムだった。はさんであった彼
女の履歴書をみると、なんときょうが誕生日! 
生きていたら91歳になっていたはず。

血もつながってないし、会ったこともないけど、
何か不思議な縁があるのでしょうか。

*昨日のお墓参りで。
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春節休暇でNINJA KYOTOへ

昨日は夕方から家族で京都に繰り出し、またも
NINJA KYOTOに行って来た。春節の休暇で日本
に遊びに来ている香港人の友人と夕食をするた
めだ。

彼女は、私のかつての上司の娘さん。香港から
赴任してきたばかりの上司一家のお世話をして
いるうちに仲良くなり、当時、小学生だった彼
女のベビーシッターもしたものだ。(週末にな
ると上司夫婦は香港人の仲間とマージャン大会!)

そんな彼女もすでに30代。これまで何度か母娘
旅行で日本を再訪したことはあるのだが、今回
は初めてボーイフレンドとの旅行! 私もワク
ワクしてレストランの前で待っていたのだが、
ふたりが来ない! バスに乗り間違えたり…と
いったハプニング続きで、やっと1時間後に登
場!(ほっ!)

一目見ただけで、すてきなカップル!と納得で
きた。知的で、やさしくて、と~ってもすてき
な彼に、彼女の母親も太鼓判を押したという。
うちの夫も「香港の男性はこんなにやさしいの
か!」と感心していた。

まだ父親とは対面してないそうだけど、こんな
ナイスガイを認めないわけにはいかないだろう。
元上司の困った顔を想像しながら、笑ってしま
った。

ああ、めでたい!!

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初詣!

両親が元気な頃はお寺にお参りするだけで、神社への
初詣はした記憶がない。けれど今年は年末のスリップ
事故のこともあるし、両親の長寿も祈願するため、初
詣に行くことにした。というより、実は子どもの頃の
遊び場だった神社をもう一度見てみたい…という気持
ちが一番の要因だったかも。

我が家は同じ町内で何度か引っ越したため、現在の実
家は私にはまったく馴染みのないエリアなのだ。(し
かも住宅地じゃないし)。中学に上がるまで暮らした
山のふもとの古い家からほど近い神社は、習字教室な
どに通うときの通り道になったり、夏休みのラジオ体
操の集合場所になったり、私の日常生活の一部だった。
なのに、何度も帰省しているのに、もうずっとその神
社に足を踏み入れたことがなかったのだ。(山のふも
との古い家も取り壊されてしまったし)

夫とふたり、散歩がてら国道から細い裏道に入り、て
くてく歩いてたどり着いた。わりと人が集まっている。
こんなに長い石段だったっけ?と、息を切らして昇っ
ていくと、懐かしい風景が! そう、家の裏山を昇っ
て、山道沿いに神社までやって来ては、こんな風に町
を一望したものだ。

懐かしい景色を眺めて、昔を振り返り、気持ち新たに
この一年を過ごせそうだ。

*鳥居のすぐ近所にあった豚小屋はとっくになくなっ
 ていた。
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*石段がけっこう長い!
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*神社の裏から町を一望。
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パリ時代のルームメイトが突然現る!

きょうはあるパーティに招ばれていたのだが、
どうしても行きたくなくて困ったなぁと思っ
ていたところ、近所の週末カフェの奥さんか
ら電話がかかった。

パリで私と暮らしていたという女性がお店に
来ているのだと。ええ~!? 20年前の留学
時の日本人ルームメイト!? 帰国後、音信
不通になっていたあの彼女!? 

とりあえずカフェに行ってみると、本当にあ
の彼女だった。関東の人だったのに、彼女も
結婚して何年か前から関西に住んでいたのだ。

私の友人のブログに私の名前をみつけ、検索
していたら、このカフェのオーナーのブログ
にたどりついたのだという。この辺りはドラ
イブでよく知っていたので、立ち寄ってみた
という。

優しそうなご主人と一緒で幸せそうだったが、
本人曰く「私は去年まで悪い人だった」のだ
そうだ。去年、死にかけるほどの病気を経験
し、それを境に生き方が変わったのだとか。
生きていると、いろんなことがあるのだなぁ。

そんなわけで、私はパーティをパスしてしま
いました。

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*夫は早朝から消防団の訓練へ。
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田舎暮らし考

きょう読んでいる2冊の本。『霞ヶ関維新』と『サラリーマン
のためのお金サバイバル術』。現実に即した本ばかり読んで、
フィクションの世界に浸れない私…。

2冊目の本のサブタイトルは、「家・車・保険、『人並み』な
買い物が破滅を招く」とある。「資本主義は誰にお金を使わせ
るかのゲーム。みんな知らないうちにババを引いているのだ」
だって。そのゲームに参加しないでおこう…という主旨は理解
できるのだが、見栄はともかく、煩悩はなかなか捨てられない。

でもでも、よく考えてみたら、昔は本当に質素な生活をしてい
たはずだ。幼い頃は電話も冷蔵庫もなかったし、ぼっとん便所
に井戸水に銭湯や、その後は手作りの五右エ門風呂を使ってい
た。歩いて移動は当たり前だったし、洋服も母の手作りか従姉
のお下がり。外食も旅行も、ほぼ皆無だった。

独り立ちして東京で「人並み」の生活ができるようになってか
らも、30代でふと振り返り、過去のあの生活に戻れるか、ちょ
っと修行でもしたい気分になって、今のように発展する直前の
北京の田舎で一年を過ごした。夜は断水で、狭い相部屋という
過酷な環境(といっても中国人学生に比べたら格段に恵まれて
いたのだけど)で、一日5時間の太極拳。真冬も暖房の入らない
体育館でTシャツ一枚で練習した。

だけど、それが実はとっても楽しくて充実していたのだ。期間
限定とわかっていたからかも知れないけど、モノに恵まれない
方が生活がシンプルになり、よって生活の充実をはかりやすい
と実感した。

翻って今の生活は…?と考えていたら、パート帰りのママ友が
子どものお迎え時間まで30分ほど立ち寄ってくれた。この山奥
に越してきた若いファミリーは、かなり低額の家賃で暮らして
いる。車は必需品だが、高級な新車を乗り回す人はいないし、
外食や旅行をする人も殆どいないから、サバイバル術の著者の
提唱するライフスタイルを実践している。だけど、だけど、問
題は、いくら支出を抑えても、収入を確保するのが大変だとい
うこと。このママ友だって、片道35キロを運転して時給の安い
パートに通い、4人の子どもを育てている。学童保育もないから、
働ける日数、時間も限られているし、雪の季節はご主人は住み
こみ仕事で不在になる。この生活の中から、いくら蓄えに回せ
るのか?

それでも、このパート仕事をとっかかりに、いずれもう少し条
件のよい仕事を目指そうと、ママ友はちゃんと戦略を立てて、
動いている。私も本を読んでるだけじゃなく、行動を起こさね
ば…とエネルギーをもらった感じ!(ついでにチョコクロワッ
サンももらってしまった!)

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