スコットランドの思い出(2)

近所の小学生の女の子に、「最近、学校で何が流行ってるの?」と訊いたら、「みんなで怖い話をすること!」と答えが返ってきた。それでふと、スコットランドでの出来事を思い出した。

昼間はひとりで勝手に行動していた私だけど、夜は日本人グループのみんなと一緒に過ごしていた。私たちの宿泊先は、夏休みで学生がいなくなった大学の寮。広い敷地内の古い館で、泊り客も少なかったせいもあり、夜になるとし~んとして、不気味な雰囲気だった。だもんで、夜はみんなでひとつの部屋に集まって、なんだかんだお喋りしていたのだが、だんだん夜も更けてくると、誰からともなく怖い話が始まった。周囲の雰囲気も怪談にはもってこいだったこともあり、どんどんと話が盛り上がり、私たちの恐怖心も高まってくる。

ふと、みんなが静かになった瞬間に、変な音が聞こえてきた。ぴっちゃん、ぴっちゃん・・・と、何かのしずくが垂れる音。床に丸くなって座っていた私たちは、まわりをきょろきょろ。すると、そばのデスクから何かの液体がしたたり落ちているではないか。しかも、暗くてよくわからないけど、赤っぽい色だ。

思わず、「きゃ~っ!」と全員が叫んだ。「なに、これ~?」と、恐怖におののく私たち。
すると、ひとりがデスクの上に倒れていたビニールの袋を持ち上げた。「これだったみたい」。
なんとそれは、きゅうりのキューちゃんだった! 

その部屋に泊まっていたメンバーが、日本から持ってきたきゅうりのキューちゃんを食べかけのまま、デスクの上に置いていたのが倒れちゃったみたいです。

情けないけど、これがアイドルの実家に行ったことの次に鮮明に心に残っているスコットランドの思い出なのでした。(だって、本当に怖かったんだもん。)

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スコットランドの思い出(1)

せっかくなので、高1の夏に訪れたスコットランドの思い出を書こうと思う。私は憧れのアイドルのお母さんからハガキをもらったことがあった。日本の雑誌が彼の実家を取材して、ご両親はエジンバラのメドウス通りに住んでいて、お母さんは息子のファンとの交流を楽しんでいるというようなことが書いてあったのだ。それを見た私はダメ元で、メドウス通り宛てにファンレターを出したら、なんとお母さんからお礼のハガキが届いたのだ!

スコットランドに行ったら、メドウス通りのお家に行きたい!・・・というのが私の願いだった。イングランドのホームステイ・ツアーに参加した約10人(だったか?)の日本人グループと共に二泊三日のエジンバラ旅行に行った私は、昼間だけ、みんなとは別行動をとった。

初日は、知り合って間もないペンパルに会いに行った。彼女がテレビドラマ『西遊記』が好きだと言うので驚いた記憶がある。それから、私の好きなアイドルの実家への行き方も教えてもらった。なんと、彼のご両親はすでにメドウス通りのフラットから、ちょっと郊外の一戸建てに引っ越していた。

翌日、私はペンパルに教えてもらった住所を手に、最寄のバス乗り場に行った。そこに立っていたおじさんに、「ここに行きたいのだけど、このバスで大丈夫か?」と質問したら、おじさんは「私と一緒にいれば大丈夫」と、その後、一緒にバスに乗ってくれて、ここで降りなさいと教えてくれた。おじさんの目的地は、偶然にも私と同方向だったのだろうか。それとも私を目的地まで届けるために、わざわざ一緒に来てくれたのだろうか。

お陰で私は無事に大好きなアイドルの実家に到着。呼び鈴を押すと、雑誌で見たことのある女性が出ていらした。私が日本から来たというと、「これにサインしてちょうだい!」とゲストブックを差し出された。少しお喋りをして、玄関先でお母さん、お父さん、それぞれと記念撮影をした。最後に宿泊先の大学寮の住所を見せ、どのバスに乗ればいいかを教えてもらって、お暇した。

教えてもらった番号のバスに乗り、運転手さんに住所を見せて、「ここに行きたい」と言ったら、「そこに座ってなさい、降りるときに教えてあげるから」と言うので、私は運転席のすぐ後ろの席に座った。途中、別のバスとすれ違ったとき、運転手さんはクラクションを鳴らして、反対車線のバスを呼びとめ、大きな声で何か話していた。たぶん、私をどこに降ろせばいいか、訊いてくれていたのだと思う。しばらくして運転手さんが、「ここで降りなさい」と教えてくれた。降りてからの道順も教えてくれていたようだが、よくわからないまま、お礼を言った。降りた場所にバス停はなかったので、運転手さんが親切にも、一番近いポイントで降ろしてくれたのかも知れない。

だが降りるてみると、朝、バスに乗った場所とはまったく景色が違っていて、私には大学寮がどちらの方向にあるのかすら、わからない。地図を広げて調べていたら、絵に描いたような英国紳士が通りかかり、「どこに行きたいのですか?」と声をかけてくれた。その方のお陰で、無事に私は大学寮に戻ることができた。

わずか二泊三日のスコットランド旅行だったけど、出会った人すべてがあまりに親切だったことに私は驚嘆した。それも、いかにも親切にしているという感じがまったくなくて、みんな、当たり前に親切なのだ。イングランドでも親切な人は多かったけど、自分が有色人種であることを常に自覚させられている感覚があった。だけどスコットランドでは、人種の違いを感じることなく、単に人として親切に接してもらっているような気がしたのだ。もしかしたら、私のアイドルへの思いがスコットランドを特に美化して見せていたのかも知れないけど。あるいは、時に英語とは思えない、ものすごいスコットランド訛りのせいで、意志の疎通ができただけでも感激が倍増したのかも知れない。

でも素朴なスコットランド訛り、私は今も大好きだ。

*先日の美大のカフェの帰りに見かけた、ヴォアイアンの残骸(!?)
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幻のスコットランドでのホームステイ

昨日の話に出てきた美術の先生、私は恨んではいない。中1と高1と二度も担任してもらってお世話になったし、おととしの同窓会でも久々に再会して、楽しくお喋りもした。私は睨まれていたわけでもないし、先生は何気なくコメントしただけだと思う。

大学で英語を専攻したわけでもなく、英語関係の資格があるわけでもない私にとって、英語の原点は中学時代に夢中になったスコットランドのアイドルバンドだった。歌詞カードを見ながら何度もレコードを聞いたり、紀伊国屋書店の洋書コーナーに行って、海外のアイドル雑誌を眺めたり、やがては欧米のファンと文通をすることが、いつのまにか私の英語の勉強になっていた。

高校に進学した頃、確かNHKラジオの英語講座のテキストに、夏休みのホームステイツアーの広告が出ていた。行き先はたいていアメリカかイギリス(イングランド)なのに、ひとつだけ「スコットランドでホームステイ」という広告をみつけ、私は大興奮。だって、どんなに探しても、スコットランドでのホームステイなんて、今まで見たことがなかったからだ。

両親はかなり無理をして私を中学から私学に行かせているのは十分承知していたけれど、私はどうしてもスコットランドに行ってみたくて、母への説得を試みた。「いま15歳のこの夏に一ヶ月、英語の生活を体験することは必ず私の人生に大きな影響をもたらす。20歳や30歳ではなく、いまこの若い年に行くからこそ、意味があるのだ・・・」みたいなことを、何度も何度も話したと思う。

今でも感謝しても仕切れないのだけど、とうとう両親は許可してくれた。どうやら母が伯母からお金を借りてくれたらしい。同じバンドの大ファンの同級生も両親を説得していたが、彼女はとうとう許可が下りなかった。彼女の家は裕福だったが、彼女がかなり悪い点のテストをいくつも隠していたことが発覚したりして、両親の信頼を得られなかったのだと思う。一緒にスコットランドに行こうと話していたのに、結局、私はひとりで参加することになった。

ところが・・・申し込みをしたあとで、ツアー会社から企画がキャンセルになったと連絡がきた。スコットランドでのホームステイを申し込んだのが、私を入れて2名しかおらず、代わりにイングランドのツアーに参加して欲しいとのことだった。「スコットランドに行きたかったのに・・・」と力説したら、「ホームステイは3週間で、最後の1週間は自由旅行ができるので、そのときに行かれたらどうですか?」とのこと。しぶしぶ了承したが、出発前のミーティングで「高校生にひとりで自由旅行をさせるわけにはいけません」と言われ、これまたしぶしぶ大学生グループと共に旅行することになった。ただし、ホームステイ期間の週末に、日本人みんなでスコットランド旅行をするという約束だった。

結果的には、イングランドにもスコットランドにも行けて、大学生に連れられてパリやミュンヘンやインターラーケンまで回って、充実した夏休みを過ごせたことをありがたく思う。わずか数日のスコットランド滞在の間に、憧れのアイドルの実家を訪ね、彼のご両親にも会えたので、私としては夢のような旅行だった。

で、最初の美術の先生の話に戻るのだけど、2学期の最初のホームルームの時間だったのだろうか、先生がいきなり私に、「イギリスはどうだった? みんなに話を聞かせてちょうだい」と言い出した。それで私は教壇に立って、イギリスでの体験を話したのだけど、話し出すと止まらない私のこと、たぶん授業時間をほぼ使い切ったのではないだろうか。なんでそんなことをさせられたのか、よくわからないのだが、よくも悪くも私にとっては忘れられない美術の先生なのだった。

ところで、きょうはちょっとした用事のために、山の家に戻り、それから別のお山のお寺に行った。いつ来ても、この山に入ると、神妙な不思議な気持ちになる。実はここ、私と夫が初めて出会った場所で、私たち夫婦の原点なのでした。

*山からの眺め
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魔法の街

晴れて気持ちのいい土曜日。夫はいつも通り出勤し、息子は合唱団の練習に出かけたのに、私の仕事はなかなか進まない。ふぅ。

奇跡話ついでにパリのことを思い出すきょうこの頃。私は、パリを魔法の街と呼んでいた。街の不思議な空気が、日々の暮らしに魔法を呼び込んでいるような気がしたからだ。

そのひとつの例が、広島時代の同級生との再会だ。中高6年間を共に過ごし、仲のよかった友人がいた。東京の同じ大学に進学したので、その後も仲良くしていたのに、ある日、突然、絶交の手紙がきた。もともと、私が彼女にいじられる関係だったので、なんで私の方が絶交を言い渡されたのか、よく飲み込めなかったが、今風に言えば、私のことがうざくなったということだったと思う。

しばらくして、彼女は大学を休学して、ヨーロッパに留学したと風の便りに聞いた。その後、広島時代の同級生に聞いても、彼女と連絡をとりあっている人はいなかった。

それから7年後、私はパリに暮らしていた。その日の朝はすぐ近所の銀行まで支払いに行くため、化粧もせず、どうでもいい格好で外に出た。路地の角まで来たところで、アジア系の美女が表通りをさっそうと歩いて行く姿が見えた。きれいな人だなと思いつつ、どこかで見たような…。もしかして、7年前に絶交された親友かも…。

確かめたいと思いつつ、万一、本当に彼女だったとしても、絶交を言い渡された身としては、無視されるだけかも…と不安がよぎる。でも、やっぱり声をかけなきゃ。と思い切って、後ろからその女性を追いかけ、「すいません!」と日本語で声をかけた。

女性は振り返って私を見ると、驚いた顔で私の名前を叫んだ。次いで、「なんで、ここにおるん!?」とお互い、訊いていた。私が留学中であることを告げると、彼女もイギリスに留学していたという。その留学期間を終え、日本に帰る前に何日かパリに立ち寄り、まさにその日の夕方、成田行きの飛行機に乗るのだと。

結局、お互いの用事を終えて、その日の午後、改めて会う約束をした。そこで互いの7年間の出来事を話し、またの再会を約束して、私は彼女を見送った。手を振る彼女の目は、涙でうるんでいた。

これを機に、私たちはまた連絡をとりあうようになり、私の帰国後も東京で親しくつきあっていた。けれど、彼女も海外を行ったり来たり、私も中国に留学してしまったりで、今はまた連絡が途絶えている。

次の魔法を心待ちにしているのだけど、パリに行かないと、無理かしら!?

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ボンマルシェ愛の奇跡@Paris

息子は塾にも慣れてきたようで、今までと違って、さっさと下校し、さっさと出かける。週2日のお弁当持参の日は、同じクラスの仲良し君と一緒なので、楽しくてたまらない(!?)ようだ。こうやって母は、どんどん暇になっていくんだなぁ。いや、私も仕事はたくさんあるのだが、風邪による頭痛&眼精疲労で、なかなか進まないのだ。

具合が悪いと、現実逃避のようにまた過去の奇跡(?)に思いを馳せる…。
私がパリのインターンシップ先で理想の人に出会った直後の話。当時、私と彼ともうひとり、計3人の外国人スタッフがひとつのチームで仕事をしていた(のちに5人となるのだが)。3人とも仮住まいのひとり暮らしだったので、ほぼ毎日、仕事を終えると、3人で近くのカフェでビールを飲み、その後、ご飯を食べて帰るという生活で親交を深めつつあった。そんな矢先、ひとりが用事で仕事を休んだ。外国人チームは、私と彼のふたりきりだ。「きょうはいつものカフェにふたりで行くことになるのだろうか…!?」と、朝から私はそのことが気になって仕方がない。

すると、前から彼と仲良くなりたい素振りを見せていたフランス人(男)が、「きょう一緒に夕飯に行かない?」と彼を誘った。仕事をしながら耳ダンボで聞いていると、彼は「悪いけど、きょうはどうしても買い物に行かないといけないんだ。水がなくなりそうだし…」と断っている。「なるほど、きょうは買い物に行くのね」と意気消沈する私。

が、夕方になると、「僕はそろそろ帰るけど、帰らないの?」と彼が声をかけてくれた。それで一緒に会社を出たら、彼が「いつものカフェに行く?」と誘ってくれたのに、あまのじゃくの私はなんということか、断っていたのだ。本当はいつものカフェじゃなく、別のお店に行こうと提案するつもりだったのに。「そうか、残念だね…」と彼。ああ、なんてバカな私。

すると彼が、「きょうは天気もいいし、歩いて帰ろうと思うんだけど、一緒にどう?」と聞いてくれた。夏だったので、日が暮れるのはかなり遅い時間なのだ。けれど、強い日差しの中、何十分も歩きたくなかった私はまたも「私はメトロで帰ります」と答えてしまい、「そうか、残念だね…」とメトロの駅で彼と別れてしまった。

「なんてバカな私!」と、激しく後悔したのはメトロに乗ってから。彼と私の住まいはメトロの路線は違うものの、距離的にはさほど離れていない。彼が買い物に行くとしたら、ボンマルシェに違いない。そう思った私は、いったん家に帰ったあと、大急ぎでボンマルシェへと走った。店内に駆け込み、スーツ姿の男性はいないかと見回したが、彼の姿はみつからない。ああ、せっかくのふたりきりのチャンスを自ら棒に振るなんて…。

肩を落として買い物をしていたら、突然、私の名前を呼ぶ声がした。ふと見ると、チーズ売り場の前に彼が立っていた。「こんなところで会うなんて、奇遇だね!」と言われ、「いや、偶然じゃないんだけど…」と思いながら、さっきまでの暗い気持ちが一転、天にも昇る気分で買い物をした。けれど買い物なんて、すぐに終わってしまう。レジを通過したら、はい、さようならだ。レジの順番を待ちながら、一分一秒でも長く彼の近くにいられるようにと私は天に祈っていた。

その気持ちが通じたのだろうか。レジを終えて出口まで来たら、外はどしゃぶりの雨。さっきまで快晴だったのに、本当にバケツをひっくり返したような大雨だ。しばらく出口で立ちすくんでいたら、「あそこのカフェで雨宿りしよう」と彼が言い出し、結局ふたりでカフェに入った。退社時の彼の誘いをそのまま受けていたらよかったものを、こんな遠回りをしてしまった。

自分のあまのじゃくさ加減を棚にあげ、その後、この出来事は私の中で「ボンマルシェ愛の奇跡事件」と名づけられている。私の愛が雨を降らせたのだ(!?)。

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ごんぎつね(ベルギーの列車の中で)

昨晩はまたも愚行を冒してしまった。夫の帰宅後、3人でバレンタインのティータイムをしたのだが、夫もお土産を持ち帰っていた。それは、料亭で食べ切れなかったお寿司とステーキ。息子も私もお腹はいっぱいだったけど、明日の朝では食べられない…とばかりに一口食べると、これがまあ、美味しかったのだ。それでも息子は、「もうこれでいい」と一口で箸を置いたのに、私はもったいないからと寝る直前にまた食べてしまった。(ちなみに、私はケーキは食べていないのだけど。)

寄る年波には勝てないようで、案の定、明け方3時に気持ち悪くて、目が覚めた。強靭な私の胃腸も、さすがに大量の高級食材は消化しきれなかったようだ。そして、前回のうどん&搔き揚げ事件と同じく、最終的には嘔吐して、やっと気持ち悪さがおさまった。美味しいものを食べた幸福感も、これで台無し。以後、腹八分目に徹することを心に誓った。

さて、きょうは遅くに塾から帰った息子が、学校の音読の宿題が残っているとうんざり顔。普段は楽しい音読なのに、今回は長すぎて、嫌なのだと。何を読むのかと思えば、『ごんぎつね』。こりゃ、長い!

『ごんぎつね』は、私も子供の頃に読んで心に残った名作だ。息子が字が読めるようになった頃、一番最初に買った絵本のひとつでもある。さらに、思わぬところで出会った思い出の本でもある。

パリ留学時に、クリスマス休暇をオランダの友人と過ごすため、ひとり電車旅行をしていたときのこと。途中、ベルギーで乗車した男性が私の隣に座り、私が読んでいた本をちらちら覗きこもうとした。読んでいたのは、パリのルームメイト(日本人)から「ぜひ読んで」と渡されたシャーリー・マクレーンの『アウトオンアリム』だったのだけど、隣の男性が気になって、読書が進まない。逆に、その人を見てみると、彼も本を読んでいる。しかもその様子が、「見てくれ!」と言わんばかりの堂々たる態度。なんのつもりだろう?と思って、よく見ると、彼も私と同じく視線を上から下へと動かして本を読んでいる。あれ、縦書き!?

ちらりと彼の本を盗みみると、やはり日本語。しかも、「おっかあ」だとか古臭い言葉が見えたので、いったい何を読んでいるのか質問したら、待ってましたとばかりに彼は嬉しそうに答えてくれた。「ごんぎつね。知ってますか?」

いきなりヨーロッパの電車の中で、「ごんぎつね」と聞いて面食らう私に、その青年は自分はベルギーの大学で日本語を勉強していて、今からブリュッセルまで小津安二郎の映画を観に行くところなのだと、語ってくれた。

さすが、日本語を勉強しているだけあって、日本人らしき人をみつけてもすぐに話しかけられない、奥ゆかしい(?)タイプのベルギー人だった。話をするときの態度も、日本人より日本人的で、ブリュッセルに着くと、私に向かって何度もお辞儀をしながら下りていった。

そうそう、それから昨日の話の後日談。私が夫と出会って、「この人と一緒になるのかな~」と思っていた頃、パリで出会った元「理想の人」が京都にやって来たのだ。美しいフィアンセも一緒だったので、私はふたりを連日、京都案内したのだが、彼は正直、あんまり幸せそうには見えなかった。彼女がトイレに立ったときに、「実は婚約は解消した」と言っていたけど、詳しいことはわからなかった。そのふたりを連れて銀閣寺を観光していたら、なんとあの時、東京からパリに遊びに来てくれた友人とばったり出会った。「ほら、昔、パリで会った●●よ!」と彼の方を指差すと、彼女は「ええ~っ!?」と一瞬言葉を失い、「●●って、あの、かっこよかった●●? まるで別人じゃない!? 子沢山でやつれたおじさんかと思った」と驚いていた。京都観光につきあってもらった別の友人からも、私がその彼ではなく、夫と一緒になることになって良かったね…としみじみ言われてしまった。

私も深く同意。だから反省はあっても悔いはない人生なのだ、今のところ。

*これを食べ過ぎたばっかりに…。
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*チョコレートケーキはこちらのお店で。
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天使(2)パリ編

DSC02362 きょうはバレンタインデーだが、夫は職場の会議を兼ねた会食で遅くなるので、息子が塾から帰ったらふたりで夕飯をとる。夫の帰宅後に、チョコケーキを披露する予定だ。

外は晴れていたのに、いつのまにか雪景色。天使でも舞い降りてきそうな気配だ。というわけで、天使話の第二弾。今度はパリ留学時の出来事。

留学の最後に、私はインターンシップとしてフランス企業に半年近く勤めた。早く帰国したい気持ちを抑えて、しぶしぶ会社に向かった初日、私はそこで自分が心に思い描いていた“理想の男性”(あくまで見た目が)と出会ってしまった。「一日も早く終わってほしい」という気持ちが一転、「一日でも長く続いてほしい」と願いながら、インターンシップはあっという間に終わりとなり、私も彼も外国人スタッフとして同じチームで仕事をする中で、親交を深め、友情を築いたものの、なんというか、まるで映画『日の名残り』のような結末を迎えてしまった。

その頃、東京から女友達が遊びに来たので、当時ロンドン在住の別の女友達も合流して、3人でパリの休日を過ごした。実はロンドンの友人がパリを発つのと同じ日に、彼もパリを離れ帰国することになっていた。そこで私は友人の見送りを口実に、彼のお見送りもしたいと思っていた。女友達2人には言わなかったけど。

ところが友人のフライトの方が少し遅い時間だったため、私の努力(?)も空しく、私たち3人が着いたとき、空港に彼の姿はなかった。私は間に合わなかったのだ。最後のお別れができなかったことが、内心ショックでたまらなかったけど、私はなんとか平静に友人を見送って、もうひとりの友人とパリの街に戻る電車に乗った。

本当は悲しくて悲しくて仕方なかったのだけど、友人はそんなこと知る由もない。彼女のせっかくのパリでの休暇を、私の失恋話でしめっぽくするのは申し訳ない。そう思った私は、自分の悲しさを紛らすためもあってか、車中のお喋りが普段よりさらにパワーアップしていた。

ふと気がつくと、四人座りの席で私の斜め前に座っている金髪の男性が、ちらちらと私を見ている。日本語の響きが珍しいのだろうかと思っていたが、あまりに私のことを凝視するので、気になり始めた。私もその人を見ると、その人は恥ずかしそうに目を伏せる。けれど、気がつくと、また私を見ている。

隣に座っていた友人も気づいていて、「前の人、○○ちゃんのこと見てるよ」と教えてくれた。「まさか、日本語はわからないよね? 私たちの話してることを、わかってないよね?」と話しながら、その男性の様子を見るのだが、相変わらず私を見ている。

「まさか…本当に日本語がわかってたりして…」と不安になり、思い切って下手なフランス語で質問した。「日本語、わかりますか?」 その男性は”Non”と答えたあと、こう言った。
“Vous etes tres jolie.” (あなたはとてもきれいです。)
そして、またすぐにうつむいたのだ。

あまのじゃくの私も、そのときは素直に”Merci”と言えた。私が必死で悲しいのをこらえていたのを知っていて、そう言ってくれたような気がして、心からありがとうと思えたのだ。

その後、その男性は車内の放送がよく理解できなかった私たちに、「ここで乗り換えですよ」と教えてくれて、次の電車を待つ間、他愛もない雑談をして、私たちが正しい電車に乗るのを見届けて、去って行った。「パリはきれいな街ですね」という私に、「そう、あなたのように」と言い残して。

この人も、きっと天使だったに違いない…と私は勝手に思い込んでいる。前回とは対照的に、あまりに気弱でシャイだったけど。

*雪がだんだん積もっていく…。
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海外ブーム

小さい頃から外国に憧れて、留学や旅行など、海外には何度も足を運んでいた私が、結婚してからはパタリと旅行欲がなくなった(国内であっても)。その結果、結婚時に更新した10年パスポートも一度も使うことなく失効した。それだけではない。海外アーティストのコンサートに行くこともなくなったし(妊娠中にシルヴィー・ギエムを観たのが最後かも!)、外国映画を観ることも殆どなくなった。

あとは、たま~に我が家で海外ドラマ・ブームが起きるくらいだったのが(『24』とかね)、このところ、なぜか私だけに、ひっそり海外ブームが再来している。『Being Erica』というドラマにはまって80~90年代を懐かしんだり、久々のフレディ追悼ライヴがきっかけで70~80年代を懐かしんでいるところ。海外ブームというより、単なる懐古趣味かも知れない。

今はインターネットの時代。懐かしい歌やバンドの姿も、YouTubeですぐに検索して見ることができる。ふと気がつくと時間を忘れてしまってる。

と思えば、Facebookで私の名前をみつけたと、昔のペンパルからメッセージが届いた。中高時代の私は、英語文通で英語の勉強をしたと言っても過言ではなく、トータルにすると何十人ものペンパルと知り合った。確か、この人はフィリピンから移民してNYに暮らし、週末はディスコでプエルトリコ人の仲間と踊り明かしていた人だ。今は結婚してトロントに住んでいるらしい。(『Being Erica』の舞台だわ!)

遠い記憶を辿りながら、実際のペンパルの姿と海外ドラマの世界が重なっていく…。相変わらず旅行欲はわいてこないけど、今夜も海外ドラマを見てしまいそう…。

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京都観光2

きょうは夫が一日、運転手をしてくれるというので雨の中、8時半に祇園に到着。旅館の2階の部屋で、友人たちは浴衣姿で朝食中だった。

昨日は梅雨の晴れ間だったけど、きょうは雨の予報。友人のリクエストで、まずは伏見稲荷へ。DSC01484ちょうど見終わったところで雨が降り出し、車で哲学の道へ移動。念のため傘を持って南から北へと散策していたら豪雨となり、急遽カフェでランチタイム。DSC01488その後、銀閣寺と法然院を見て、雨の中、比叡山へ移動。相変わらずの大雨だったが、夫の顔パスで浄土院と根本中堂を最短距離で拝観。

その後、友人は錦市場に行きたがっていたのだが、明朝の新幹線の切符をとっておきたいというので京都駅へ。夫と子どもたちは駐車場に待機して、私と友人のふたりでみどりの窓口に行ったのだが、そこでクレジットカードのトラブルが発生し、なんだかんだと大騒ぎして、やっと切符が取れたときには夕方6時前。彼女が楽しみにしていた祇園の舞台は7時開始だ。

そこで直接、祇園の会場まで送り届けて、お別れすることとなった。とんだトラブルに憤慨する友人の影で、実は子どもたちはその間、車の中で自分たちだけでワイワイできたのが楽しかったようだ。最後の握手をしたときに、息子は友人の娘さんからハグをされて照れていた。アメリカの子どもたちの間で流行っているという輪ゴムのブレスレットをもらったのも、嬉しかったらしい。言葉が通じなくても、すぐに心が通じるのが、子どものすごいところだ!

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京都観光1

DSC01467 今朝は息子とふたり電車に乗って京都に向った。(夫は仕事&同僚の結婚披露宴!)昔はお茶屋さんだったという祇園白川の風情のある料理旅館まで友人&2人の娘さんを迎えに行き、いざ京都観光へ!

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 まずは竜安寺の石庭、次いで金閣寺、大徳寺・高桐院を見てから遅い昼食をイスラエルカフェで。(友人はビーガンのベジタリアンなのだ。)彼女たちが予約していた舞妓さんとのティータイム(?)の3時ギリギリに祇園のお茶屋さんに友人たちを送り届けたら、お店の方が「通訳ということで、一緒に入ってもらって構いませんよ」と声をかけてくださった。しかし、暑くて喉が渇いて疲れていた私は、「いえいえ、大丈夫です」と息子とふたりで立ち去り、どこかの喫茶店で休憩しようと思ったのだが、お店の人が後ろから追いかけていらした。「いや、本当に入ってもらっていいんですよ。こちらも助かりますから」…ということで、結局、中に入れていただいた。日本人男性3名、私の友人母娘3名に、私と息子が加わって舞妓さんとお喋りしてお茶をいただき、舞を見せてもらって最後は記念撮影というイベントだった。(私と息子は写真もお抹茶もなしだけど、冷たいほうじ茶をいただいた!)

エネルギッシュな友人は、その後も大混雑の四条通りでウィンドウショッピング。子どもたちも私も暑くて疲れて、「アイスクリーム食べたい!」状態。ようやく高島屋にたどり着いたが、デパートの地下街も人が溢れ返り、アイスクリーム屋に行き着くまでが大変だった。その後も友人はデパートやその近辺で買い物しまくって、夕食の時刻ギリギリに旅館に戻り、みんなで懐石料理!(うちの息子は子ども用メニュー)。

彼女はその間も喋りまくっていたのだが、元気だった子どもたちは段々と静かになっていき、食事が終わる頃にはうとうと…。さて明日はどうなることやら。

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 *大徳寺・高桐院