再会話(その2)

雪がとけたと思ったら、ここの奥の隣町の国道が土砂崩れで通行止めになった。うちの裏で雪に埋もれていたシイタケの原木も、やっとすべてが姿を現し、雪の中で育っていた巨大シイタケを発見した。自然の威力を感じるなぁ。

ところで、もうひとつ不思議な再会話。高校時代に仲良しだった友人と東京で同じ大学に入ったのだが、ある日、いきなり絶交を言い渡す手紙が届き、その後まもなく彼女は消えた。あとで、ドイツに留学したらしいと噂を聞いたが、高校の同級生で彼女のその後を知る人もなく、そのまま七年の年月が過ぎた。

その頃、パリに留学していた私は、寝起きの汚い格好のまま、電気料金の支払かなにかのために家を出た。そして、とても美しい日本人らしき女性とすれ違った。ほんの一瞬、遅れて角を曲がっていたら、彼女の姿を見ることはなかっただろう。きれいだけど、どこかで見たような…あ、あの同級生だ!と思ったけど、絶交された手前、ちょっと声をかけるのをためらった。(しかも、ひどい格好!)

が、思い切って声をかけたら、一瞬で彼女もわかってくれた。そして私の手をとって「厚子!」と叫ぶと、目に涙を浮かべた。近くのカフェに入って話をきくと、彼女は留学先のドイツで難病を発症し、帰国して入院治療をしていたのだという。その後、病状がだいぶよくなり、ヨーロッパ各地で療養したり、勉強をしたりしていたようだ。そして当時の彼女はロンドンでの留学を終え、最後にパリでの休暇を楽しみ、その日の夕方の飛行機で日本に帰るところだったのだ。空港に向かう直前の一時間ばかりを、偶然にも私たちは共に過ごした。

その後、彼女との交流は続いていたが、お互いにあちこちと移動が続き、結局また音信普通となっている。彼女の動静を知る同級生も、残念ながらいない。再び偶然の再会があることを、祈ってやまない。

*きょうは休日の夫と再度、近くの街のビストロに行ってみたが、12時前ですでに満席で1時間半待ちと聞いて諦めた。田舎でも流行るところは、流行るのだ。右の写真は、うちでできた巨大シイタケ&隣のおばちゃんがくれた雪の下から出てきた出来そこない大根。
manoysitdai

ドゥブロブニク

昨晩、サッカーのボスニア戦を見るとはなしに見ていたら、アナウンサーがビッチ、チッチ言っている。いやぁ、ボスニアの選手名を見たら、見事にほぼ全員が○○ビッチ、○○チッチとなっていた。大学時代、ホテルの電話オペレーターのバイト中に、ポッポビッチさんという人から電話があって、吹き出しそうになったことを思い出した。(まだ箸がころんでもおかしい年頃だったのだ。)

80年代の終わり頃、私はクロアチアのドゥブロブニクという街に一週間ほど行ったことがある。アドリア海の真珠と呼ばれる美しいリゾート地だ。銀行のジュニアディーラーの世界大会だったので、日中はずっとセミナーを受け続けたが、夕方や週末の自由時間に中世の姿をそのまま残す旧市街やお隣のモンテネグロまで足を伸ばした。

ある日の夕方、ドゥブロブニクの旧市街をひとりで歩いていたら、どこからともなく美しいリュート音楽が聴こえてきて、中世にタイムスリップしたような幻想に襲われた。そのまま音楽の出所をたどると、一軒の画廊(といってもお土産屋さんに近い)に行きついた。そこではおばあさんが、息子の版画を売っていた。絵にもひきつけられて、衝動買いしたら、作者である息子さんも出てきて、リュート音楽のタイトルを教えてくれた。

あまりに美しい街だったので、いつか新婚旅行で再訪しようと決意したが、その後、内戦が勃発した際に、この美しい街も攻撃された。なぜかわからないが、私はセミナー中もセルビア人と思われる人たちには好意がもてず、クロアチアの人たちに妙な親近感があった。あの日の夕方の、あの夢のような空間体験もいまだに鮮明に脳裏に焼きついている。バカらしいと思われるだろうが、密かに私は思っている。きっと私は前にもここに来たことがあったのだと。だって、そこにいるだけで涙がでてきたのだ。

だから、ボスニアには負けるわけにはいかない(!?)。引き分けでよかった~。(あとで調べたら、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口構成は、ボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%でした。う~ん、複雑!)

*これがドゥブロブニクで買った版画です。
dubpr

*大学時代にゼミで読んだ『ドリナの橋』。ユーゴの複雑な歴史がわかります。
ドリナの橋

鳥のさえずり

どんなに寒い日も、鳥のさえずりは聞こえる。
すべての生き物が雪のかげで息を潜めているようなときも。

そもそも私がブログを始めたのは、何人もの知人・友人がブログ
をやっていることに触発されたから。
その中のひとり、中国留学時代のルームメイト(中国系アメリカ
人)のブログを読んで、彼女が大切な人を失い、つらい思いをし
ていたことを初めて知った。狭い部屋に一緒に暮らしていた頃の
彼女の明るい姿からは想像できなかった一面を知り、人間とは、
人生とは複雑なものだと感じ入った。

私のことを「自分に正直に生きているね」と言う友人は、自分の人生を「偽りの人生」と言っていた。
「人生は思い描いたとおりには進まない」と言う人もいた。
「感情には白黒のつかないことが多くて、なかなか自分の心が決まらない」という人もいた。

世の中には、私の理解の及ばないことが多い。
私が単純すぎるのか、極端なのか。どうしてみんな、そんな複雑な世界に生きているのだろうかと、それが私の悩みになる。なぜか、寂しい気持ちにもなる。

そんなとき、鳥のさえずりを聞いて、ほっとする。
きょうの夕方は子供を連れていつもの友達の家に行き、そこで彼
女の話を聞いて、またほっとした。自分の心の通りに生きている
強い人だ。彼女の入れてくれたジンジャー入りの紅茶も、私の心
身を暖めてくれた。

みぞれが降る中、家に帰ったら、夫が風呂を焚く煙の匂いがした。なんだか嬉しくなって、台所に立った。特別なことはなにもないけど、悩みもない。毎日、同じことの繰り返しがありがたい。

tor

雪の華咲く朝

今朝は家の前があまりの雪で、歩くのも大変な状態だった。雪かきをしながら、道を作ってようやく大きな道まで出た。子供を保育園に送って、犬の散歩にでかけたら、雪かき中の近所のおじいさんが「こんなものがいた」と、イタチの死骸を見せてくれた。まだやわらかい、小さなイタチ。もしかして凍死? 雪というのは、怖いものだ。だが、今朝も木々は雪の花を咲かせている。

雪の中の散歩は、どうしても少し長めになる。いろんなことを考える。異常気象や自然災害が地球、あるいは宇宙からのメッセージだとすれば、自分の体に起こることも同様だろう。

たとえば、風邪をひきかけたら、疲れがたまっているのかなと思って、ちょっと休めば、そんなひどいことにはならないだろう。私の便秘や生理不順だって、それまでの生活の積み重ねの結果だったはず。原因不明の突発的な病気もあるだろうけど、たいていの病気の原因と過程は自分の生活の中に隠されていると思う。

だから先天的な原因がある場合などを除いて、不妊症で悩む方も、まずは自分の生活を見直すことから始めたらいいんじゃないかと思う。「そんなことやってる時間はない!」という人が多いのかも知れないけど、時間がないと焦る気持ちが、状況をより悪化させる気がする。

元々は健康なはずなのに不妊であるとしたら、「今のあなたは妊娠できる(させられる)状態ではないですよ。状況を改善したらどうですか」と自分の体がメッセージを発していると思った方がいいのではないだろうか。そこに身体的にもつらそうな不妊治療を施すと、余計に体がストレスを抱えて逆効果なのではないかと、心配になる。

雪花

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雪は降る

今朝は天気予報のとおり積雪--30センチほどだろうか。
雪かきをすませ、夫は普段通り出かけたが、結局職場に行き着く
ことなく、午後早いうちに帰ってきた。保育園も、きょう登園したのはうちの子をいれて三人だった。

降り続く雪の中を、子供と保育園に向かって歩いたり、犬の散歩に出かけたり…。こんな幸せなことはない。真っ白な雪の中は、何度歩いても楽しい。嬉しい。

歩くだけで、こんな幸せな気分になったのは妊娠中くらいか。
あのときはなにを見ても、感動していた。川の流れ、木の葉のそよぎ、雲の形を見るだけで、「この世はなんてすばらしい!」とすべての神仏に感謝したくなった。

それから、中国で太極拳修行をしていたとき。初心者の私に、ようやく太極拳の奥深さ、面白さがわかってきたある朝、練習場に向かって歩くうち、なんともいえない感動がこみあげてきた。なぜだかローマ法王のように、大地にくちづけしたい気分だった。

体が自然の恵みを感じられるときの、特別な感覚かもしれない。
今の私の体は、なまりになまっているけれど、雪はそんな私の体にも魔法をかけてくれる。雪の中を歩くだけで、元気になった気がするから不思議だ。(雪かきで、肩はこるのだが。)

sona

過去か未来か(日本とヨーロッパのお正月の違い)

初めて日本のお正月を体験したオランダの友人が、こんな指摘をしてくれました。ヨーロッパでは大晦日が一番のお祭りで、お正月はさほど重要ではないのに、日本ではお正月が一番大切で、大晦日お正月を迎えるための準備をする日だと。

考えてみれば、あちらでは真夜中に花火を打ち上げ、一晩中にぎやかに過ごすけれど、日本ではおごそかに除夜の鐘をうって、初日の出を拝む。

ヨーロッパでは夜日本では朝に重きがおかれているような気がするけど、どうなんでしょうか。一年を振り返ってパーティをするヨーロッパと、これからの一年を思ってお祝いをする日本。日本人って、過去のことは水に流して、未来に重きをおく人たちなのかもしれませんね。
いや、単に私がそういう人間なのか。

ちなみにこのあと、オランダの友人は初めてのカラオケも体験しました。

二日

みんなで鍋パーティ(&オランダのお菓子、ドロップ)

きょうは、友人たちを招いて、みんなで鍋を囲みました。久々に会った友人は、4日続けて虹を見た話をしてくれました。一番すごかったのは、飛行機から見た「虹の輪」だったとか。雲の上に、虹のリングが浮かんでいるんですって!

が、しかし、やがて話は冬ソナに。日本語の殆どわからないオランダの友人まで、第一話を見ただけでのめりこみ始めているのです。(と、無理やり見せてる私!)<家にテレビを置いていない友人夫婦に、まるで新興宗教の勧誘のように冬ソナの魅力を語り続ける私たち。(そう、私だけではないのだ。)

さて、おいしい鍋と、お土産にいただいたおいしいケーキといちごを食べたあと、オランダの友人が持ってきてくれたかの国のお菓子、ドロップをみんなで試食。ゴムを噛んでいるような感触とアニス系(?)の匂いが私はダメ。見た目はごらんの通り可愛いのですが。これを初めて口にした友人たちの顔も、見ものでした。
ドロップ

オランダからの客人

はるばるオランダから休暇でやってくる友人を迎えに、夜の空港へ向かいました。年に二回は海外へ出かけていたOL時代は遠い過去。新婚旅行もしてないので、「空港」なんて何年ぶりでしょうか。

冬ソナと同じく、ここもさまざまなドラマが繰り広げられる非日常の世界。到着ロビーで誰かを待っている人たちの顔を見ているだけで、こちらまでドキドキしてきます。そして私の頭の中には、相変わらず冬ソナのテーマ曲が…。

相当、やられてます。

空港

冬ソナについて

テレビをつけても、気の滅入るニュースか、くだらないバラエティ。だからというわけじゃないけど、マジではまっています。冬ソナ。いまさらですが。クリスマスのディナー(というほどのもんじゃないが)も早々に切り上げ、子供を寝かせ、こたつに入って、DVDに釘付けです。メールをしたり、年賀状を書きながら見ようと思っていたのに、そんなの無理、無理。

NHK総合で放送されていた頃、偶然にちらっと見たときには、「なんだ、このメロドラマは!?」という印象しかなかったのに、最初から見ていくと、もう、はまる、はまる。なぜ、ユジンがあんなに涙を流すのか、わかる、わかる。

夫とふたりで見ていると、互いにウルウルくるポイントが違っていたりして、それもまた面白い。そして、ふたりしてヨン様のセリフにノックアウトされるのです。あんな言葉を言われて、惚れない女はいないだろう。なんと心の広い男だ!と。夫はヨン様のセリフを、いくつもいくつも、心のメモに書き留めています。いったい、いつ使うつもりだ?

それにしても、ヨン様(というか役名でいえばミニョンさん)のセリフはすばらしい。「私にも言って、言って!」、と日本中のおばさん(だけでなく若い女性も)が思ったとしても不思議ではない!

が、私たちはこれ、日本語の吹き替えで聞いてるんです。萩原聖人の声がいまいち高めで、ちょっと不満なんだけど。だから、二回目は字幕で見ようと思っています。なるほど、こうやってみんな、韓国語バージョンに流れ、やがて韓国語クラスに通うようになるのだな…。多分ヨン様のセリフを紅毛碧眼の青年が言っても、ダメなんだよね。見た目は日本人と変わらなくて、でも、日本人の男にはとても言えないことを言ってくれる。これが、おばさんたちの心をくすぐるのは当然でしょう。(私もくすぐられてますよ、おおいに。)

そんなわけで、お正月の準備がなかなか進みません。このところ寝坊も続いてます。夫との会話も、冬ソナの引用ばかり。ああ、おそるべし、冬ソナ。

ところで、私がヨン様の年齢だった頃、中国に留学したことがあります。留学生寮の二大勢力は日本人と韓国人で、当時、両者の間には壁がありました。日本人の若者は、団結力もなく、小グループに分かれ、特に韓国人を意識することもなく、のほほんと過ごしていました。一方、韓国人は学校内に韓国人学生組織を作り、日本人との恋愛関係はご法度と決めたりして、日本人への対抗意識を露わにしていました。それでも、文化的にも近い日本人と韓国人は結構仲良くなったりして、私も韓国人の学生とよく遊びました。

今思えば、ヨン様と同世代の青年たちだったのだな~と、懐かしく思い出します。大学の広いキャンパスで、私の姿をみつけ、遠くから大きく手を振りながら、大声で私の名前を呼んでくれたパクくん。特に仲良しでもないのに、私の買い物袋を当然のように運んでくれたキムくん。そして、みんなの前では知らんふりしながら、影では声をかけてくれたり、太極拳を教えてくれたチュングン。そういえば、彼はミニョンさんみたいに、米国在住だったなあ。などと、遅ればせの青春時代に思いを馳せる年の瀬なのでありました。

リース

クリスマスの起源(冬至のお祭、ユール)

クリスマスの起源はキリスト生誕以前に遡るヨーロッパの冬至のお祭りだそうです。北のケルト人や南のローマ人など、地域によって違う風習で祝っていたお祭りが、やがてキリストの誕生日と結びつけられて、長い時間をかけて今のような形になったのだとか。

長年、日本に暮らすイギリス人の友人に教えてもらった話です。これを聞いて、なんだかすごく納得。キリスト教徒でなくても、堂々と祝っていいんだな~と。

北欧の冬至のお祭り「ユール」は12月21日。ということは、きょうが本当のクリスマスイブ?

*その友人宅の玄関に飾られた古代ローマ式のリースです。(ちなみに、ローマ人の冬至の祭りは12月25日の「サナテイリア」)

ユール