幸福への足跡

少し暖かくなって、雪もかなりとけてきたが、それでも屋根から
落ちた雪はまだ高く積もったまま。殆ど空家状態の近所の家の屋根についているのは、ねこの足跡?

空も晴れて気持ちいいし、暖かいと体も動く!
掃除をして、テレビをつけたら江原啓之の人生相談をやっていて、ついつい見てしまう。そしたら、この間、私が知人へのメールに書いたのと同じようなことを言っていて、ちょっと心強くなった。

故郷から遠く離れた街で、自立して生活しているその知人は、そ
れだけでりっぱだと私は思っているが、彼女自身は30代も後半に入り、子供が産めるうちに結婚したい、子供は絶対欲しい、でも本当に産めるだろうか…などと心配している。
結婚もしていない、つきあっている人もいないのに、まだ起きて
いないことを心配している。それより目の前の問題から考えた方
がいいのでは…と思ってしまう。

今、自分が幸せかどうか。Yesなら、それでいいし、Noなら、その状態を変えればいい。それの繰り返しでいいんじゃないかと思うけど、人生ってそんな簡単なものじゃない!?

本当の出会いだって結婚だって、何歳になっても起き得るし、自
分で子供を産めなかったとしても、母になることはいつだって可
能だ。人を育てること、母親の役割を果たすことは、その気さえ
あれば、誰でもできる。年なんて、関係ない。

私は子宝に恵まれたが、いまだにこの子はどこから来たのだろう
と思うことがある。自分の子、というより、授かりものの感覚だ。ときに、自分の思い通りにならないと、きぃきぃ怒ってしまうけど。「社会から今だけ預かって育てていると思った方がいい」と言われたことがあるけれど、自分でもそう実感する。自分の意志で子供をもったつもりでも、本当のところは、天から遣わされたのだと。

しあわせは、状況じゃなく、自分の心の状態で決まるもの。
今、しあわせじゃなかったら、結婚してもしあわせになれないと
思うけど、今の彼女に私の言葉は届かないかな~。

neasi

バイオリズム!?

昨日はバイオリズムが低調だったのか、寒くて体調を崩したのか、やることはあるのにやる気が起きず、どうでもいいことで落ち込んで、イライラしてしまった。

近所の山の中にあるすてきなファームレストランの姉妹店として
最近オープンしたカフェに初めて行ってみたのに、そこでのディ
ナーも子供がぐずったことがきっかけでサイテーの雰囲気に。
子供も私のイライラに影響されたんだろうな~と、あとで反省。

たった三人でも、各人が満足できる形でことを運ぶのは難しい。
そして、自分の機嫌が回りの人間にこんな影響を与えるとは…。
つくづく反省しました。

体調がいまいちで、しかも鼻が詰まって匂いがわからないことで、せっかくのディナーが楽しめなかったのも、大きかった。
匂いがわからないと、なにを食べてもおいしくないのね。

ほんとにバイオリズムって関係あるのかなと、ネットで調べてみ
たら、まさに昨日は一ヶ月の中でもっとも不安定な要注意日と出
た。へぇ~。これだけで納得して、なんかすっきりした私って、
やっぱり単純!?

yui

雪は降る

今朝は天気予報のとおり積雪--30センチほどだろうか。
雪かきをすませ、夫は普段通り出かけたが、結局職場に行き着く
ことなく、午後早いうちに帰ってきた。保育園も、きょう登園したのはうちの子をいれて三人だった。

降り続く雪の中を、子供と保育園に向かって歩いたり、犬の散歩に出かけたり…。こんな幸せなことはない。真っ白な雪の中は、何度歩いても楽しい。嬉しい。

歩くだけで、こんな幸せな気分になったのは妊娠中くらいか。
あのときはなにを見ても、感動していた。川の流れ、木の葉のそよぎ、雲の形を見るだけで、「この世はなんてすばらしい!」とすべての神仏に感謝したくなった。

それから、中国で太極拳修行をしていたとき。初心者の私に、ようやく太極拳の奥深さ、面白さがわかってきたある朝、練習場に向かって歩くうち、なんともいえない感動がこみあげてきた。なぜだかローマ法王のように、大地にくちづけしたい気分だった。

体が自然の恵みを感じられるときの、特別な感覚かもしれない。
今の私の体は、なまりになまっているけれど、雪はそんな私の体にも魔法をかけてくれる。雪の中を歩くだけで、元気になった気がするから不思議だ。(雪かきで、肩はこるのだが。)

sona

生命の輝き!?

このところ、年配の知人が癌になった話が続いたと思ったら、
同世代の友人からも次々とがん検診に行ったという話を聞いた。
子育て中の友人は、精密検査でがんの疑いが晴れたものの、自分
の人生を考え直したと言っていた。

私も30歳頃だったか、がんの疑いで精密検査を受けたことがあった。
結果はなんでもなかったけど、それが判明するまでの間、世の中が
きらきら輝いて見えたことを覚えている。子供がいない独身の身軽
さもあってか、視点が変わるだけで世の中がこんなに違って見える
のかと感心したものだ。

「これが最後かも知れない」、「明日はないかも知れない」という
思いを頭の片隅に常にもっていたら、いつも「今」が輝くのだろうか。

そんなこと思わなくても、今朝の景色は輝いていたけど、この景色
を見るだけで、「生きていてよかった」と生命に感謝しちゃいます。

光

The Bliss of Feeling Blessed!!

車で10分も山を下ると雪のない町に行けるのに、なにをすき好んでこんな雪深いところに住んでいるのかと思うけれど、きょうみたいに空が晴れた朝は、人生を祝福された気分でいっぱいになる。

このつかの間の景色は、ここに住んでいることの格別のご褒美! 山から朝の日差しが入り込んでくると、雪の表面が宝石みたいにキラキラ輝き、木々や家々の屋根から湯気があがり、やがて融けた水がポトポト落ちて、そんな中を鳥がさえずる…凍りついていた葉の一枚一枚、枝の一本一本も、輝きながら、あっという間に融けていく。自然のマジックを目の当たりにして、うっとり。至福のひとときです。

晴れて当たり前、暖かくて当たり前の瀬戸内に育った私は、なかなか空がすっきりと晴れることのない山の天候にまだ慣れませんが、自然の恵みを感じる機会は増えたように思います。当たり前だと気づかなかったことに、感謝できたかも。

周りの自然だけでなく、自分の身体についてもそう。健康なのが当たり前の私には、体が弱い人や病気の人がどんな風に日々を過ごしているのか、本当はわからない。でも、どんな自然も、どんな身体も、すべては魔法のような不思議な力をもった恵みだと思います。要は、その自然や身体とどうつきあうか、こちら側の問題なのでし
ょう。

simo

しあわせって・・・?

しあわせは状況ではなく心が決めること、というのが私の持論だが、
地震や悲惨な事件、事故のニュースをみると、どう考えていいかわ
からなくなる。ただ、しあわせは瞬間、瞬間のもので、しあわせな
状況が永遠に続くわけでないことはわかっているから、できるだけ
しあわせの瞬間を積み重ねていけたらいいと思っている。

私の母は、私や父がでかけるとき、いつも私たちの姿が見えなくな
るまでずっと見送ってくれた。うちはなだらかな坂の一番上にあっ
たので、その坂を降りきるまで、ずっと見送っているのだった。
その影響で、私も両親がでかけるときは、ずっとずっと見えなくな
るまで見送るのが習慣となった。特に、両親が自営を始め、ふたり
で仕事にでかけるようになってから、私はいつもふたりを見送って
いた。ひとり留守番する身としては、ちょっと不安だというのもあ
ったし、万一、ふたりの身になにかあった場合、「ああ、最後の朝
だったのに、ちゃんとお見送りしてあげられなかった」と後悔する
のが嫌だったから。

母はどういうつもりで見送っていたのかわからないけど、「これが
最後かも知れない」という思いをもっていればこそ、「ただいま!」
と帰ってきてくれるときの喜びもひとしお。

18年のひとり暮らしを経て結婚した現在、私は毎朝、子供とふたりで
夫の姿が見えなくなるまで見送っている。そして子供を保育園に連れ
て行くと、今度は子供が教室の窓を開けて、私が帰って行く姿をずっ
と見送ってくれるから不思議だ。
そして、私の毎日の一番のしあわせは、帰って来た夫と子供の顔を見
る瞬間だと思う。

それにしても、昨晩のテレビで見た杉田かおるの披露宴(?)には、
泣いた! 幸せになって、よかった! 赤の他人ながら、本当によか
った!!

miokur

記憶

先日、なんでだか、うちの子(4歳)がおなかにいたとき
の話になり、本人に「そのときのこと、覚えてる?」と
尋ねると、「覚えてな~い。」
これまでも何度か尋ねたけれど、いつも同じ答え。
が、今回は自分の作り話で、そのときのことを語り始め、
それがあまりにリアルだったので、びっくり。
やはり潜在意識の中に、しっかり残っているんでしょうか。

自分について考えると、どうも私の記憶装置は自分に都合
のいいことばかりを覚えさせているようです。この年まで
生きていると、悲しかったこと、つらかったことも多少は
あったかと思うのですが、いい思い出しか思い出せない。
自分の意識のどこかに悲しい記憶も残っているんでしょう
か。いや、悲しかった過去の出来事は、事実として記憶に
残ってはいるのだけど、それを思い出しても、悲しみは
蘇らない。逆に、幸せな思い出は、今思い出しても、その
ときの幸福感が味わえるのです。なんとも都合のいい、
私の記憶装置!

そういえば、チュンサンとしての記憶を失ったはずのミニ
ョンさんが、チュンサンと同じことを言ってたなあ…。
と、また冬ソナのこと、考えてる。やばい、やばい。

木