直観医療者

入院中、夫に頼んで家から本をたくさん持ってきてもらった。入院直後は読書できる状態じゃなかったけど、そのうち、じっくり本を読む時間に恵まれた。夫が適当にみつくろって持ってきてくれた本の中に、『病を寄せつけない心と身体と心を作る~直観医療からのメッセージ』(クリスタル・ナニ著)という本があった。病気を早く治すようにとの願いをこめて、夫が選んでくれたのだろう。自分で買ったことはなんとなく覚えているけれど、どうやってその本のことを知ったのか、いつ頃、手に入れたのか、記憶にない。買っただけで満足して、未読の本がうちには山のようにあるのだ。

直観医療」とは聞きなれない言葉だが、著者のクリスタル・ナニ女史は、子どもの頃から身近な人たちに命の危険が迫っているのを察知する能力があったという。長らくその能力を封印して暮らしていたが、看護師となってニューヨークの救急病棟で16年勤務する間に、否が応でもその能力に助けられることとなり、紆余曲折を経て、「直観医療者」としてさまざまな病気の人たちを救うことになったらしい。

彼女には、その人の身体のどこが悪いのか、どういう病気なのか、またその原因となった過去の出来事や心理状況などが見えたりするという。どの病気にも、当然ながら原因があり、身体上の病気も実際には心理的な内面の状態が大きく関わっていることを彼女は教えてくれる。

100歳まで生きた私の父も、「病気は自分で作るもの」というのが口癖だったが、私自身も今回の入院により、過去一年の自らの生活状況を反省させられた。しかし、この本を読んだことで、それ以上の驚きの発見もあった。

多くの病人をみてきたクリスタル・ナニ女史によれば、それぞれの病気にかかるパターンというものがあるらしい。性格や性質、また抱える問題のタイプによって、その人がかかる病気も違うようなのだ。

私の場合は、「自信のなさ」がそもそもの根本原因だったのかも…と気づかされ、自分でもはっきり言って、とても驚いた。確かに私は自信家ではないが、何事も楽観的に捉えるタイプだと自負していたので、「自分に自信がない」と明確に意識していなかった。でも、よく考えると、本当にそうだ。自分に自信がないからこそ、今まで、こういう人生を歩んできたのだな…と確かに思い当たる。

この気づきは、かなりの衝撃を私に与えている。ここから、どんな変化が起きるのだろう? 自分でも予測がつかない。
(ちなみにクリスタル・ナニ女史も、大変な病気を乗り越えて、自ら大きな変革を遂げる必要があったようだ。)


潜在能力開発(秋ですねぇ)

先日、私が算命学の師と仰ぐ親戚に会う機会があった。彼女は、私の少し年の離れた従兄のとても上品で素敵な奥さんで、だけど実は算命学の大家なのだ。これまでも折に触れて、算命学に基づくアドバイスをもらってきたが、遠方に暮らしているため、実際に会う機会は滅多になく、たまに会っても他の親戚も同席しているので、なかなか算命学の話を聞けずにいた。

今回は珍しくふたりでランチに出かけたので、直接、いろいろなことを聞けた! といっても、時間は全然足りなかったけど。意外だったのは、彼女が算命学の勉強を始める以前、潜在能力を開発する自己啓発セミナーに通っていたこと。要は瞑想して脳波をα波にする訓練みたいなものだったらしい。大きな会場で大勢が講師の話を聞いて練習したそうだが、彼女はすぐにα波状態に入れたという。とても気持ちよく、リラックスした楽しい気分になって、頭の中で「りんりんりん」という音が聞こえるので、自分でもわかるのだとか。

その頃、夫(私の従兄)が大切な鍵をなくして困っていたので、「私にまかせて!」と彼女は瞑想モードに入ったそうだ。そうしてα波状態になった時、飛行機の座席の下に鍵が落ちているところが見えたので、「航空会社に電話してみたら?」と告げたそうだ。最初は笑っていた夫も半信半疑で電話をしてみたら、本当に鍵があったという。どうも、これは単なる一例みたいで、訊けば他にも面白いエピソードがたくさんあるようだった。

帰宅後、私は嬉々として夫にこの話をした。「あの方はやっぱりすごい!」と。そして、その日の就寝時、私もちょっとα波の練習をしてみようと、ベッドに横になって目を閉じた。と思ったら、すぐにリンリンリンとかすかな音が聞こえるではないか。「一瞬でα波状態に入ったなんて、すごい!」と思い、「ねえ、いま頭の中でリンリンリンって聞こえたんだけど」と興奮気味に夫に告げると、冷静な声が返ってきた。「それ、外の虫の音だよ。」秋ですねぇ。


引き寄せの法則(新車編by夫)

思考現実化だとか、引き寄せの法則だとか、このところ私がぐだぐだ騒いでいるわけですが、常に静観していた夫が、いつのまにか新車を引き寄せていました。それも想像もできない方法で。(もちろん本人は無自覚だと思うけど)

我が家は広島愛ゆえに車もマツダと決めていて、夫と私とそれぞれにマツダ車に乗っています。(この辺りでは一家に2台がスタンダード。)私はおととし新しいマツダ車を買ったのですが、夫は走行距離もかなりいってる今年10年目のマツダ車に乗っていて、最近、窓の操作がうまくいかなかったり、ちょっと疲れてきているかな…?と思っていたところ。そこで、「そろそろCX5に買い換えろってことなんじゃない?」と私がけしかけても、本心では「CX5、いいなぁ!」と思っているくせに夫は「いや、まだ大丈夫」と言い張るのでした。

ところが先日、客人を乗せて山道を移動中、切り株にぶつかって車をへこませてしまったのです。夫自身もかなりへこんだようでしたが、それでも「修理して、この車に乗り続ける」と言うのです。私は「ほら、やっぱりこれは、早くCX5に買い換えろってことよ!!」とけしかけましたが、「いま買い換えるお金、どこにある?」と冷静に答える夫。「引き寄せるのよ~!!」と私は力強く答えましたが。

さて見積もり20万円の修理に車を出す暇もなく、夫は毎年恒例の出張仕事に出かけました。何年か前から、この時期は泊りがけで同業者のお手伝いに行くのですが、そこは携帯の電波も届きにくい山の集落なのだそうです。そして最終日の昼間、夫から「車がはまった」と連絡が入り、いったい何事かと心配したのですが、その後は電波状況が悪く、連絡がつきません。

ようやく夕方になって、電話が入り、状況がわかりました。山の集落のお宅に伺うため、細い道の脇に車を停めて降りたところ、とつぜん車がのろのろと後方に動き始め、そのまま道を越えて川に落ちていったのだそうです。車が動き始めた時点で、夫は慌ててドアを開けて、運転席に戻り、ブレーキを踏んだそうですが、たいした坂道でもないのに車は下がり続け、ドアを開けた状態で夫もろとも5メートルほど下の川底に落ちたのだとか。潅木などが茂っていたので、スピードはゆっくりだったそうですが、夫に怪我がなかったのは幸いでした。川の水深も30センチほどだったので、急いで荷物を取り出し、車体以外に物的な被害はほぼありませんでした。ラッキーだったのは、夫の車が到着したのをその家の方が窓から見ていらしたこと。次に窓を見たら、車が消えていたので不審に思った家の方が、外に出て来て、すぐに警察に通報してくださったのです。

その後、その家の方々や警察の方のお陰で、夫は車の処理を手配した上で、予定されていた仕事もすべてやり終えて、無事にタクシーで帰ってきました。お手伝いに行った同業者の方のはからいです。しかも、この方、「うちの仕事のせいでこんなことになって…新しい車を買わせてくれ」とおっしゃったのだとか。そんなわけにはいきません…と一旦は断ったそうですが、結局、その申し出を受けることに。ただし、原状回復ということで、夫はCX5ではなく、前と同じ車を買うそうです。

それにしても、なんとも不思議な話。まるで長年の愛車が、「早く次の車を買ってあげて~」と自ら去って行ったかのよう。これまで何度か、私や夫を危ない状況から守ってくれた大切な車だったので、突然の別れに私も少なからずショックを受けましたが、お陰でまもなく我が家には新しいマツダ車がやって来る予定です。

その同業者の方の懐の大きさに驚きつつ、これも何かのご縁かも知れません。来年以降、夫もますますご奉公させていただくことでしょう。

ほんとに新車を引き寄せちゃった夫に、ビックリです。いろんな意味で、すごい人だわ。


偶然の繋がり(5)

両親が亡くなってから、広島に帰る回数はめっきり減った。今年は母の七回忌なので、お盆に実家の菩提寺で法要をしてもらった。早いものだ。

法要のあと、レンタカーで竹原に向かい、忠海港からフェリーで大久野島に行った。母は女学校の頃、学徒動員としてこの島の毒ガス工場で終戦まで働いていたのだ。母亡き後、毎年、大久野島での慰霊祭の知らせが届くのだが、秋の平日に開催のため、まだ行ったことがない。今回、夫と子供と三人でやっと訪れた。

今では大久野島はウサギの島として有名な観光スポットとなっている。しかも、お盆休みの日曜だったので、港やレストランなどは大混雑。若い人でいっぱいだった!
大好きな瀬戸内海の中でも、この辺りの景色は本当にすばらしい。まさに日本の地中海。平和で美しいこの島で、毒ガスを作っていたなんて。

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久しぶりに広島の同級生と会って、お茶をしたら、また偶然の繋がりを発見。息子が同じ学年の5名で同好会を結成しているのだが、その中のひとりのお父さんが広島出身だった。私の同級生と同じ仕事というか研究をしている人らしく、しかもその同級生のご主人と同じ高校の卒業生だったので、名前を出してみると、「よく知ってるよ~。この間、東京で一緒に飲んだところよ!」とのこと。世間は狭い!

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毎回、帰省するたびに思うのだが、今回も部屋がとてもきれいでびっくり。両親の生前から自宅1階の事務所を使ってくださっている社長さんが、私たちの帰省前に掃除をしてくださっている気配。いやはや、窓から床までピカピカの本気のお掃除。両親が結んでくれたご縁のお陰と感謝している。

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大久野島で母たちは大変な思いをしただろうけど、あの瀬戸内海の素晴らしい景色に救われたに違いない。私もいつまでも、いつまでも見ていたかった。

偶然の繋がり(4)–付記

ここ半年以上、用事がない限り参加しているジムのクラスがある。最近、そのクラスに新しい方がやって来るようになった。先日、そのクラスが終わって、近くのスーパーのお花屋さんで働いているお友達と喋っていたら、その方がお花を持ってレジに現れたので、「あ、先ほどジムでご一緒しましたね」とお互いに挨拶をした。

さて、東京の友達が遊びに来たとき、うちの家族も一緒に近所の蕎麦屋に出かけたら、土曜日の夜だったので満席で、入口あたりに順番待ちの人がたむろしていた。偶然にも、我が家の前に並んでいたのが、夫の元上司の一家! 「お久しぶりです」などと話していたら、支払いを終えて帰ろうとする人が前を通った。それが、またあのジムの顔見知りの方だったのだ。「あら、まあ、ここでも!」とお互いにびっくりして挨拶をした。

その後、いつもは行かない曜日に初めてジムに行ったら、お目当てのクラスがキャンセルになっていて、がっくり。と思っていたら、そこにまたその方がやって来て、「ええ~、このクラス、キャンセルなの~」とおっしゃるので、「私も知らなくて…」と会話が始まり、エアロバイクをこぎながら、しばらくお喋りをして別れた。この方ともやはり何か縁があるのかも!?

ちなみに、蕎麦屋では元上司が支払いを済ませてくれた。なんというラッキー。これは夫の引き寄せか!?

偶然の繋がり(3)

またもずっと昔の話になるが、息子が小3の頃、ネット上の学習サイトに登録した。当時、我が家は山の過疎集落に暮らしていて、塾などの習いものに通うことが困難な状況だったため、息子が興味を示した学習サイトを利用することにしたのだ。会費を払ってハンドルネームを登録し、サイト上の問題の回答を送信して、正解するとポイントが溜まっていく。さらに、会員同士が交流できる掲示板の存在が息子を喜ばせた。小学生同士でなぞなぞをしたり、物語を創作したりと、なかなか楽しそうだった。その中に、ある乗り物の名前をハンドルネームにしている子がいて、その発言内容から関西に住んでいることがわかり、以来、勝手に親近感をもつようになった。

さて月日は流れ、息子は受験を経て、私立中学に入学した。意外なことに、入学者名簿には我が家と同じ苗字の生徒がもうひとりいた。今まで自分が所属する組織に、自分と同じ苗字の人がいたことがなかったので、ちょっとびっくりしたが、まだ会ったこともないその子に勝手に親近感をもつようになった。

その後、中学一年生の有志が何人か集って、勉強会のような組織が立ち上がった。息子も、もうひとりの鳩胸(仮名だが)君もメンバーだという。そして、勉強会の内容が、あのネット上の学習サイトに似ていると息子から聞いた私は、ふと「もうひとりの鳩胸君、もしかしてあのサイトのHN乗り物くんだったりして~!」と口にした。直感的に。

「今度、鳩胸君に会ったら、訊いてみて~」と半分、冗談で息子に言ったものの、その後、息子に確認しても、「まだ訊いてない」とつれない返事。

ところが、それから数ヶ月後、息子が何気なく、あっさりとこう言ったのだ。「あ、そういえばお母さんに言うの忘れてたけど、鳩胸はHN乗り物君だったよ。」

思わず鳥肌がたった。まったくなんの根拠もなく、単に直感で言っただけだったのに、やっぱりそうだったのか~と。

息子によれば、もうひとりの鳩胸君もうちと同じ中学受験塾の別の教室に通っていたそうだ。当時、息子がお世話になっていた先生が、鳩胸君の教室でも教えていて、一度、息子宛のプリントを間違えて鳩胸君に渡したとかで、鳩胸君はそのときから「もうひとりの鳩胸」の存在を知っていたらしい。

同じ関西でも、お互い、けっこう離れた場所に暮らしていたのに、こんな形でめぐりあえるとは! この世で出会う人は、最初から決まっているのかも…と思わずにはいられない。

ちなみに、息子の上級生にも「鳩胸」君がいることがわかり、この間まで同じ学校に3人の鳩胸君が在籍していた。しかもその上級生、漢字は違うけど、私の亡き父と同じ名前だったのだ。(*我が家は私の旧姓を名乗っている。) ちょっと不思議な、だけど嬉しい偶然だ。

ソウルメイト

息子の学校で再会したご一家とは、息子だけでなく、私自身も学校の行事等で奥さん(&たまにご主人も)とお話したり、何度かランチをご一緒したりと、お付き合いをしてきた。うちと同じ3人家族で、とても仲のいい素敵なご一家で、特にご夫婦は趣味も職業も同じで、忙しい中でもオフの時間に一緒に出かけたりと、自立したパートナー関係という感じ。「まさにソウルメイトなのだろうなぁ」とおふたりを見るたびに心の中で思っていた。

先日、学校の行事に行った際、きっとご夫婦でいらしているだろうなと思って姿を探すと、奥さんがいらしたので、「きょうはご主人は?」と声をかけると、彼女は何か早口で聞き取れない返事をしながら、慌てて立ち去った。いつもはとてもフレンドリーで感じよくお話してくださる方なので、不思議に思いながらも、急用でもあったのだろうとあまり深く気に留めなかった。

その次の学校の行事では、講堂の入口で偶然、彼女と出会った。いつものフレンドリーな口調で声をかけられ、一緒に席についた。そして、彼女は「こんなときにどうかと思うけれど、お話しなくてはいけないことがある」というような前置きをして、ご主人が突然の事故で亡くなったと告げられた。実は前回、学校で会ったのは、その亡くなられた翌日だったとのこと。息子さんにとって大事な行事だったので、ご主人のお父様から、「息子のために行ってやってくれ」と言われ、彼女がひとりで参加していたのだ。

あまりのショックに私は言葉を失い、その後、号泣してしまった。何も知らずに、あの日、私が「ご主人は?」と声をかけてしまった時の彼女の姿が目に浮かんだのだ。あの素敵なご主人にもう会えないという悲しみはもちろんのこと、突然にソウルメイトを失った彼女の気持ちを考えると、涙が溢れた。

私は勝手に、うちの夫とご主人とで一度ゆっくり話す機会があればいいなぁと思っていた。夫にとって故郷は、自分で捨てたわけではないものの、いろいろな事情でもう帰る場所ではなくなっている。そんな中で、同じ高校の一年先輩であるご主人となら、共通の懐かしい話題がいろいろとあっただろう。私自身も、あの博識なご主人から大好きな音楽の話をもっと聞きたかった。

しかし、それよりも何よりも、息子さんや奥さんの気持ちを思うと、胸がしめつけられて、涙が止まらなくなってしまった。ある日、突然、愛する人を失うというドラマのようなことって、本当にあるんだ…と思いながら、これをどう受け止めていいのか、わからなかった。『引き寄せの法則』では、自分の人生に起こる出来事はすべて自分自身が引き寄せた結果だというけれど。

思わず泣き出した私を、逆に彼女が慰めてくれた。冷静に落ち着いた態度でずっと接してくれる彼女は、すでに達観したかのような、だけどものすごい悲しみを胸に秘めているような不思議な感じだった。その日、行事が終わると早々に学校を出て、彼女を私の車で近くの駅まで送って別れたのだが、そのときの彼女の言葉が耳にずっと残っている。

「私は神様に何を試されているんだろう?」

偶然の繋がり(1)

体力維持のため、数年前から近所のジムに通っている。そこで顔見知りとなった年上の女性と話していたら、我が家が以前、暮らしていた山奥の集落に何十年も昔に住んだことがあるという。いまは夫の職場の近所にお住まいで、夫の職場にも知り合いの方々がいらして、さらにはある会合で夫がお世話をしていたことも判明。

ま、これはご近所さんだから、別に驚くことではなかったのだが、息子の同級生のお母さんと話していたら、そこのご主人の勤務先がジムの女性のご主人と同じことが判明。ふだん学校の保護者の方とは、よほど親密にならない限りこういったことは話題にしないのだが、ひょんなことからわかってしまった。これもまた偶然のなせる業?

その後、その方と保護者会の活動で顔をあわせるうちにランチに行こうという話になり、先日、山奥にオープンした知る人ぞ知るお店に出かけた。山や湖や住宅地などいろいろドライブして、最後にその方のリクエストで我が家の近くのパン屋に寄った際、「厚子さんのお宅、この近くなんですよね。どの辺りですか?」と訊かれて説明すると、「もしかして知っているかも…。番地は?」とさらに訊かれて答えると、「やっぱり」。せっかくだから、家まで行くと、「そうです、ここです!」

実はうちのお隣に、以前、彼女のおじさん夫婦が住んでいらしたのだが、お年を召され、私たちが越してくる少し前に近隣のマンションに引っ越されたそうだ。そのおじさまも、彼女のご主人と勤務先が同じで、大学の後輩でもあるご主人を気に入って、他県に住んでいた姪の彼女に引き合わせ、仲人も引き受けてくださったとか。このおじさまがいなかったら、息子の同級生君も生まれていなかった…と思うと不思議な気がする。

そして、そんな方の隣家に私たちは引っ越していたのだ。どおりで…私が引っ越した際に、ジムのおばさまが「その地区のどの辺り?」と訊いてきて、「その近くに少し前までお友達が住んでいたの」と話していたのだ。ほら、なんだかみんな繋がっているような気がしてくるではないですか!?

ローソクの芯

亡き母を真似て、仏壇の前でお経を読むのが日課となった。

母が買い込んでいた線香は既に使い終わったが、母や父が亡くなったあとにいただいた数々の線香や、夫がお寺関係からもらってきた線香がたくさんあり、少しずついろいろな香りを楽しんでいる。

ローソクはスーパーで買ってきたものを使っていたが、父の葬儀場で用意された(と思う)ローソクの残りが出てきたので、そちらも使ってみた。ところが、これ、使い勝手の悪いローソクなのだ。見た目はスーパーで買ってきたものと変わらないが、芯がよくない。糸の質が悪いのか、糸の撚り方が悪いのか、燃え尽きやすい。そのため、一度消して、また火をつけようとしても、燃え尽きた芯になかなか火がつかないのだ。なのに、一度、火がついたら、今度は燃えすぎて、炎が大きくなる。安定した灯りを燈し続けるローソクは、クオリティ高いのだな~。

葬儀場はもしかして安物のローソクを使ってたのか・・・!? 葬儀場では、消したり点けたりしないから、構わないのかな?

なにごとも芯がしっかりしていないといけないのだ、と改めて納得いたしました。

声明効果(引き寄せの法則実践中)

今週はパートの日程を調整してもらって、前から友人と約束していた声明公演に行ってきました。去年、初めて行った声明公演を友人がいたく気に入ったようで、今年も行きたいと早くから予約していたのです。

「声明(しょうみょう)」とは仏教の伝統的な儀式音楽・声楽・歌謡のことで、日本の音楽の原点とも言われます。その音階は独特で、楽譜を見ても素人には漢字ばかりでちんぷんかんぷん。しかし不思議な不協和音がなぜか心地よく、個人的な印象を言えば、西洋の宗教音楽が心に響くのに対して、声明は細胞に作用しているような気がします。友人も前回、若い僧侶たちの声明を聴いて、心が洗われたような、すがすがしい気持ちになったそうです。

今回も楽しいお喋りとランチを楽しんだあとに、声明を聞いて、身も心も浄化された気分となりました。ありがたや。そのお陰か、翌日、一週間ぶりにパートに行くと、なぜか電話もさほど鳴らず、割と余裕で仕事ができました。(あくまでも、前週と比べてですが。)

私ともうひとりの新人パートは、電話をとりながら、入力作業をすることになっているのですが、商品の種類が多い上に業者によって入力方法が違うという複雑なシステムで、私たちはまだすべてを把握していません。とりあえずネット経由の予約注文のやり方は覚えたので、今はそれで精一杯(数量的にも)なのに、ベテランさんたちはこの間から、特殊な業者の入力方法を教えようとしています。一応、ひととおりは教えてもらったものの、ネット経由の入力すら夕方までに終わらない日が何日も続いたので、いつも仕事の指示を出す社員さんが今のところはネット経由だけにしておこうと思ったのでしょう。
朝いちでベテランさんが私に特殊な業者の注文票を渡して、指示を出していたのに、あとから来たその社員さんが、「これ、自分でやって下さい。ネットだけで手一杯になるから」と、ベテランさんに注文票を突っ返してくれたのです。ほっ!
慣れない電話でもたついても、なぜかその日はその社員さんがやさしくフォローを入れてくれたり(普段はそんな人じゃないのに!)、いつもがなり立てている社長が普通に喋っていたり(普通に喋れるんだ~!!)、ちょっとびっくりの一日でした。声明パワーをもらって、邪悪なものを跳ね除けたのかしら!?

このパートが始まって以来、引き寄せの法則の実践練習と思って、ポジティブな方に、心地よい方に意識を持って行くようにしているのですが、確かに効果があると感じます。自分の感情のナビゲーションシステムを上手に使いこなせるように、ただいま訓練中。そう思うと、劣悪な職場も意外と楽しめるから不思議です。

壮大な夢(妄想?)も浮かんできたし、もうしばらく頑張ってみるつもりです!