共感ー亡き父を偲んで

年明けに父が亡くなったあと、いろいろな手続きをした。3年半前に母が亡くなったときの経験があるので、特に戸惑うこともなく、わりとスムーズにことは進んだ。(といっても、すべて終えたわけではないのだけど。)

中でも、かんぽ保険は、広島に行かず、こちらの郵便局で手続きできるので助かった。近所の郵便局に2回、足を運んだが、たいして時間はとられなかった。最初に行ったときは、私より少し若そうな男性職員が対応してくれた。てきぱきしていたが、わずかに慇懃無礼な態度と口臭が感じられて、不快だった。

二回目に訪れたら、今度は私より年上と思われる女性職員が対応してくれた。最近はけっこう年配でも勤められるのだな~と思いつつ、彼女の動きや口調から、「これは、かなり時間がかかりそう・・・」と不安になった。「まだ、あのちょっと嫌な感じの男性職員の方がよかったな~」と、心の中でため息をつきながら待つことに。

やがて、他の職員さんに確認しながら手続きを進めていたその年配女性に、名前を呼ばれた。思ったほど、時間は経っていなかった。彼女はまず、「お父様ですか?」と、お悔やみの言葉を述べてくれた。そして、「大正2年生まれとは、私の父と同じです。長生きされましたね」と言ってくれた。
「そうなんです、100歳の大往生で・・・。そちらのお父様は?」
「うちは数年前に亡くなったんですよ。」
「それでも長生きされましたね。」
などと、しばし雑談。父は入院や手術を一度も経験することなく、自然に亡くなったことも話してしまった。その方も、「うちの父も老人ホームに入って、元気だったんですけど、認知症で暴れたりして、大変なこともありました」と言いながら、「それでも、長生きしてくれてよかったですけどね」と微笑んでいた。なんだか、お互い、気持ちを分かり合えたようで、一瞬、心が温かくなった。

その後、書類を見ながら、その方がまた声をあげた。「お父さんの誕生日、私と一緒です!」
ちょっとした偶然が、さらに共感を高めてくれたようで、ちょっと嬉しかった。

自然な老衰、100歳の大往生ということで、「めでたし、めでたし」と言いながら、実は心の中にぽっかり穴が空いていたのだな~と、そのとき気づいた。何歳だろうが、父がいなくなって寂しい・・・という気持ちを、一瞬でもこの方と共有できて、なんだかほっとしたのだ。

手続きを終えた私は、「きょうはいい日だわ!」と思いながら、郵便局を出た。もう顔も覚えていないけど、彼女のことは一生忘れないと思う。

by 鳩胸厚子

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日常会話で死はタブー?

早いもので、今年もすでに1/3が過ぎてしまいました。
今さらですが、実は年明け早々に父が亡くなりました。100歳の大往生だったので、「こんな風に人生を終えられて羨ましいな~」と感動をもって見送ることができました。このことは別の機会にまた詳しく話すとして、きょうは「死はタブーなのか!?」という話です。

年末に、友人に紹介されたとある方と会う約束をしました。その時点で年明けのスケジュールがお互いにはっきりしなかったので、お正月休みが明けたら連絡しましょうということに。ところが、父が亡くなったことで私からの連絡が遅れてしまい、落ち着いた頃にメールでその旨を書いて詫びたところ、その方から返信があり、結局2月に会うことになりました。それはそれでよかったのですが、その方の返信メールには私の父の訃報について一切、触れてありませんでした。まだ直接会ったことがない方に、父が亡くなったと書いて気まずい思いをさせてしまっただろうか・・・と反省しましたが、その方は霊界に詳しいスピリチュアルな方と聞いていたので、逆に不思議な気もしたのです。もしかしたら、日常的に魂の話をしている人にとって、あの世に旅立つことはたいしたことではないのかも・・・などと考えたりしました。

それから、昔、暮らしていた山の集落の友達に久々にメールをしたときのこと。街に引っ越してからも、彼女とは時々会って、お喋りをして、互いの近況報告などをしていました。私が遠距離介護をしていたことはもちろん、母が亡くなるまでの経緯や、老人ホームの父の様子なども、会うたびに話していました。彼女も周りにお年寄りが多い環境で暮らしている上、いまは医療機関に勤務しているので、そういう話題をよく語り合ってきました。今回は久々に連絡事項があってメールをしたのですが、そこに「年明けに父が亡くなってバタバタしていました」という一文も入れておきました。すぐに返信メールが届きましたが、父については一言も触れてありませんでした。

前述のスピリチュアルな方は、2月にお会いしましたが、とてもすてきな方でした。山の友達も、近所の高齢者のことも心配してあげるような優しい人です。だからこそ、どうして父が亡くなったことについて一言も触れないのか、解せないでいます。単に見落としたのか!? 私の書き方が変だったのか!? なんと言葉をかけていいか、わからなかったのか!?

3月になって、ご近所のママ友たちと久しぶりに集まる機会がありました。私がここに越してきてすぐにお話をするようになった同じ町内の同級生のお母さん方です。以前は定期的に集まってお喋りしていましたが、子供たちが中学生になってからはそういうこともなくなっていたので、本当に久々にみんなで顔を合わせました。帰り際にその中のひとりとふたりきりで話す時間があったので、父が亡くなったことを伝えました。私が毎月のように広島に帰っていたのをご存知の方だったので、報告の意味でさらっと伝えたつもりです。けれど、彼女から言葉はありませんでした。その場で固まっていたのかも知れません!?

その後、別の近所のママ友とメールのやりとりをしたときも、一切、なんの反応もありませんでした。今までお互いの個人的な事情はけっこう話して、知っていたはずなのに。

もちろん、温かい言葉をかけてくれたり、お花を持ってきてくれたママ友たちもいます。反応の違いは単に親密度の違いなのかも知れません。とはいえ、親密度に関わらず、ご身内にご不幸があったと聞いた際には、お悔やみの言葉を述べるなり、何らかの反応をするのではないかな~とも思うのです。常識も教養も思いやりもある方々だと思っていただけに、いまだに解せない。日常生活の中で予期しないときに、「死」に反応する心の準備ができていないだけなのでしょうか。

日常会話で「死」の話題はタブーなのね・・・と改めて感じています。

初心に返る

近県の友人がご近所のお友達を伴って、山の寺にお参りにきた。私も案内役としてお供をした。

お寺に向かって山道を走っていると、トンビが近くに飛んできたり、リスが道路の脇を走っていたりと、私たちを歓迎してくれているようだった。

おかげで広い山の中を効率よく回ることができた。いくつものお堂を巡り、鐘をついたり、散策したり。私と夫が初めて出会った場所も久しぶりに訪れた。ここからすべてが始まったのだ・・・と初心に返り、こうやって友人と再訪できたことをありがたく思った。

お参りのあとは湖畔でランチ。やっぱり女はお喋りがいちばんなのだ。

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運命線-手相観さんの思い出

東京にいた頃は、健康診断のように定期的に(といっても2年に1度くらいか?)手相を観てもらっていた。雑誌の編集をしていた友人が、とても評判がいい手相観さんを紹介してくれたからだ。たまに占いの特集も組む雑誌だったので、彼女の情報は信頼できた。

手相観さんはスリムで小柄で、話し方も静かなのに、言葉はかなり前向きで、人生のちょっとした方向転換をしたいときに、うま~く背中を押してもらった。彼女は、「手相は変わっていくものなので、気をつけて見てみて。自分で手相をいい方に変えたいと、意識してみるのもいいわよ」とも言っていた。

手相ではないけれど、その後、指の内側にほくろができた。ちょうど職場で大きな変化が起きそうなときだったので、手相観さんに会いに行き、その大きな変化を受け入れることにした。

最後に会いに行ったのは、東京脱出を決めて、いよいよ東京を離れる直前。迷いも悩みもなかったけれど、最後にもう一度、お会いしたかったのだ。自分の決断についての最終確認の意味もあったのかも知れない。その日の彼女は、ちょっと疲れた感じに見えた。私の手を見るなり、「いいわねぇ、すごくいいわねぇ、いい感じだわ~」と喜んでくださった。「すべて、いい感じに流れてるわね~」と。私の決断も、「いいんじゃない、すごくいいわ~」と大絶賛。最後はドアの外まで出て、元気でがんばって~と見送って下さった。

ちょっと疲れがたまっていた手相観さんに、感謝の気持ちと、少しばかりのパワーをお返しできたのだろうか。彼女のお陰で、私は清々しい気持ちで旅立つことができた。その後、いろいろあって、結局いまはここでこんな生活をしている。

手相はあれ以来、一度も観てもらったことはないのだが、実は最近、気になることがある。左手の運命線が途中で切り替わり、そこから上の部分だけ、やけにくっきりと、とても目立つのだ。本屋で手相の本を立ち読みしたのだが、結婚を機に運命線が切り替わっているのかも!? これから、ちょっと気にして観察してみようと思う。

実を言うと、手相よりも、指が太くなって指輪が入らなくなったことの方が今の私にとっては大問題なのですが。

*故郷の町
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算命学

このところ親戚から届いた資料や自分で買った本などで、算命学を勉強している。といっても、まったくの独学で本格的なものではない。いずれきちんと勉強したいと思いつつ、もうこんな年になってしまった。とてつもなく奥深い世界のように思えるから、今から始めたとしても、とても一生のうちに学びきれないかも。

とりあえず今年は陰の年の最後に当り、来年からの陽の時代への変換点らしい。つまり世の中が大きく変わりつつあるということ!? 私は昔から乱世に強いタイプと言われていた通り、変化は大歓迎。不安になるより、わくわくするのだ。でも、こういうときこそ、浮き足立たず、足元をしっかり固めておかねば・・・とも言い聞かせている。

やっぱり本腰入れて勉強したい!(が、根気が続くかな?)

*モザイク作家の友人からのプレゼント。彼女の教室に参加すると、自分で作れるらしい!
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我ら仏教徒(!?)

DSC03717 今朝、クリスマスプレゼントを見た息子の反応はというと、あんまり喜んでなかったみたい(汗!)。読んだこともない作家の小説が3冊、「なんだ、こりゃ?」ということだろう。ま、いずれ、この小説のすごさがお前にもわかるときが来るだろう・・・(なんつーて)。

DSC03720で、クリスマスのきょう、住民運動の会議を休み、私たち3人は山の寺へ向かった。雪がうっすら積もる霊山には、多くのお堂が点在している。そのひとつのお堂に新しいパソコンを持ち込み設置する任務を夫が請け負ったのだ。そのお堂は、駐車場から谷をしばらく下ったところにあり、徒歩でしかたどり着けない。そこで私たちが駆りだされたというわけ。

DSC03730山上の空気は冷たいけれど、清々しい。白い息を吐きながら、3人で山道を下っていく。はるか昔から、お堂を建てたり、必需品を運んだり、お参りをするために、この道を多くの人が延々と歩いてきたのだろう。途中で休憩したり、下界の景色を眺めたり、古木の大きさに圧倒されたり、道端の仏様にお参りしたり・・・。このところ文句ばかり言っていた私の心も、少し洗われてきたような気も。

お堂に到着後、夫がパソコンのセッティングをしている間に私と息子は小僧さんたちと一緒にお昼ご飯をいただいた。精進料理だけど、どれも美味しくて、特に精進お好み焼はかなりいけた! (写真に撮っておけばよかった・・・)
多くの人が、こうやって信仰の山を支えているのだとしみじみ。よいクリスマスの一日となりました。

*お堂に向かう道、ずっときれいに掃かれている!!!
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*別のお堂にもお参りしたあと、街を望む。
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不思議友達の輪

整体師さんに体をほぐしてもらいながら、きょうも住民運動の経過を聞いてもらっていた。この活動で知り合った面白い人の話をしていたら、その人から電話がきた。「突然なんですけど、もしかしたら夕方、動きがあるかも知れないんです。どうしましょ~。一応、夕方、見張っておこうかと思うんですけど~」と、かなり慌てている様子。そこで、「夕方なら出られるから、一緒に行きますよ」と返事をした。

そして夕方、待ち合わせをして、ふたりで様子を伺っていたのだが、結局、動きはなし。ほっとして立ち話をしていたら、彼女の知り合いが通りかかり、「あら~!」と話が始まった。どうやら趣味のお仲間らしい。私もいつのまにか話の輪に入り、ぺちゃくちゃ。うーむ、上品だけどかなり変わったお方で、面白い!

またひとり、知り合いが増えた。しかも不思議系! 見張りも、無駄足ではなかったのだ。

*またセッコクの花が咲いた!
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下山ー修行は終わった

きょうは秋晴れ。夫の出勤後、友人とモーニングを食べてから、駅でそのまた友人をお迎えして、ふたりを山のお寺まで送って行った。その後、急いで帰宅して、またもチラシ配り。なかなか、いい運動になる。

いよいよきょうは行事最終日。夜、暗くなってから子供のお迎えに再びお山へ。最後に親子全員で行事の事務局長に御挨拶をしてから、解散となった。実は事務局長の姿を見て、びっくり。りっぱな法衣をお召しになったその高僧と、夏休みのラーメン屋で遭遇していたからだ。夫が「宜しくお願いします」と挨拶していたその方は、どこの現場監督かという風情だったのに、きょうはまったく趣が違う。いやはや、びっくり。

子供たちはさすがに早く家に帰りたい様子だったのに、最後の駐車場ではなかなかみんなと別れがたく、なんだかんだと喋っていた。そして車に乗り込むと、一気に喋り出すわが息子。楽しいことがいっぱいあって、すぐに報告したかったようだ。

家に到着して、着替えをしながら、ぷっと思い出し笑いをして、また話し出す息子。男子8人の合宿生活は、かなり楽しかったようだ。一週間、親元を離れて、これでまたひとつ、大人になるのかな・・・。

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いよいよ本番!(息子はただいま修行中)

DSC03394 きょうがいよいよ子供たちの本番の日。朝早く近県より友人夫婦が我が家に到着。一緒にモーニングを食べてから、いざ山へ。お昼前に子供たちと同じお部屋で、家族もお昼ご飯をいただき、子供たちは衣装に着替えてお堂に向かった。私たちも少し遅れてお堂に入り、御簾の裏から子供たちの問答を見せてもらった。

外では籠に乗ったお偉い方々の行列を見ようと、観光客などが集まっていたらしい。私たちはその間もずっと板間で座ったまま・・・練習時よりもずっと長い待ち時間に子供たちも疲れている様子。直前にトイレに行く子もいて、ひやひや。それでも、天皇使の前で全員が間違えることなく、大きな声で問答をやりおえた。わが子はともかく、よそのお子さんたちの必死な姿を見ていると、私までうるうる・・・。気が付くと、殆どのお母さん方が目を潤ませていた!

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ああ~、これで一安心。ちょっと気が抜けた~。わざわざ遠くから足を運んでくれた友人夫婦にも感謝!

*ちなみに、こちらがきょうの昼食。精進です。
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修行中の差し入れ

きょうはまたお山に行って来た。昨日の夕方、母仲間のひとりと一緒に買った差し入れを届け、さらに洗濯物を持ち帰ったり。実は初日の夜、山上のお堂の中は寒いので、貼るカイロを持ってきてほしいと急遽、リクエストがあった。子供たちは昼間は交代で、まっくらなお堂の中で行事のお手伝いをしているのだ。寒くても上着を着るわけにもいかず、カイロを貼るしかないらしい。

朝も宿泊所の掃除などの作務をしているようだ。寝るときにパジャマを着る以外は、ずっと白衣で過ごしているという。足袋と下駄にも慣れてきただろうか。

修行中の子供をよそに、私はここぞとばかりに(?)自由な生活。といっても住民活動も忙しく、結局、台所仕事は超手抜き。夫とふたりで昨日もきょうも、外で夕飯を食べてしまった。(すまん、息子よ。)ちょっとデート気分です。

*久々の定食屋さん。
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