心の折り合い(介護とは)

認知症が急激に進んだ父は、施設内で他人の部屋に
入ったり、いろいろ迷惑をかけたらしい。方向感覚
がなくなって、自分の部屋がわからなくなるようだ。
それから、母だと思って後をついていったら、違う
人だった…とも私に話していた。

日曜日に会った時には急激な変化に驚いたけれど、
月曜に会いに行くと、おかしなことは言いながらも、
母の具合はどうか?と訊いてきた。そして日曜も月
曜も、孫がどうしているかと質問してきた。そして、
ぶつぶつ不満を言いながらも、顔はにこにこ笑って、
結局このままでいいと言う。私が帰らないといけな
いと告げると、気をつけて早う行きんさいと手を振
ってくれた。

自宅に戻ると、両親がどうしているだろうかと心配
になる。実家にいれば、今も顔を見に行けるのに。
逆に実家に帰省中は、夫や子供に寂しい思いをさせ
ていると、これまた心苦しい。どちらにいても、心
は落ち着かない。身体がふたつあればいいのに。

きょうも今後のことを含め、何人かの方に電話をし
て情報やアドバイスをいただいた。介護制度につい
ては、いまだによくわからないことだらけで、人に
よって「これは誰がするべき仕事か」の解釈が違っ
ていたりする。それでも、皆さんに共通するのは、
「家族が家で面倒をみるべき」とは思っていないこ
と。むしろ皆さん、私が無理をしないように気遣っ
てくださる。「遠いんだし、子どもさんもいるんだ
し、頻繁に来るのは大変だから、人に任せられるこ
とは任せなさい」というようなことを、何度も言わ
れた。「手はかけずに、愛情をかけろ」と。

あとは自分の心の折り合いをつけるだけ。
「人間、どこにいても同じ」と言っていた私なのに、
いつもふたり二人三脚で仲良くやってきた両親が、
離れ離れになったのが、切ないのだ。むしろ当人た
ちの方が、十分に覚悟もできて、今の状態を受け入
れている。

よくよく考えれば、私が自分の家庭を大切にするこ
とが、両親が一番喜ぶことなのだと思う。あんなに
孫のことが気になるんだから。

実家の事務所を借りてくださっている社長さんは、
「介護は人から人へと繋いでやっていくもの」とい
うのが口癖。利用できるものは何でも利用して下さ
いと、本当に親身になって相談に乗ってくださる。
両親のお陰で、いろんな方と繋がって、いい勉強を
している気分。

午後の雷雨の後、夕方やっと晴れてきた。私の心に
も陽射しが射し込んできたようだ。

*やっとデジカメも戻ってきた。
16jun09

16jun09-2

“心の折り合い(介護とは)” への4件の返信

  1. 両親をすでに亡くしてしまった私にとっては長生きしてくれる両親がいらっしゃることはうらやましいです。
    しかし遠距離での介護の実情は非常に大変で、お子さんがまだ小さいし、両親を看るのは自分しかいないという気持ちの負担は大きいと思います。
    私は結婚して広島を離れたときに親の死に目には会えないかも…と思っていましたが、二人とも会えませんでした。でも二人の子供に恵まれ、子供たちを元気に幸せに育てることが、自分が幸せでいることが親孝行なのだろうと勝手に思っています。親のことは頼めることは頼んでいいと思います。厚子さん、お子さん、ご主人が元気で幸せに過ごせていることが大事です。自分が誰かにお世話になったと思うなら、自分ができるときに困っている人の力になればいいのです。

  2. >びんぼっちゃんさん、
     どうもありがとうございます。
     十分、親孝行できてないけど、確かにこの両親の下に生まれてきてよかった、私は幸運だと思っています。
    私も息子に対して、そういう親になれるようがんばらなきゃ!と思います。

  3. >mankichiさま、
     ほんと、よくここまで生きてくれたと、それだけで感謝です。
    mankichiさんの言葉、心に染み入りました。本当にありがとう。涙ちょちょぎれです!
    同い年だけど、結婚や子育てや親のことでは先輩のmankichiさん、またいろいろ話を聞けるのを楽しみにしています。ありがとね~!

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