第21回『お坊さんと話そう』比叡山はなぜ霊山なのか?(2018.08.12.)

前回のお話で、最澄比叡山で修行を始める以前、仏教伝来のはるか以前から、「比叡山」という山そのものが信仰の対象であったと伺いました。現在も「霊山」と呼ばれる比叡山は、ここで修行に励んだ数多くの僧侶たちが生んだ伝説の山でもあるようです。きょうはそのほんの触りをお送りします。

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学ラン(と男子校)の効用

この夏、関西では今までにない酷暑が続いた。

隣市の高校に電車通学しているうちの息子は、異常に暑い日が続くというのに、7月に入ってもかたくなに冬服を着続けた。息子が通う男子校の制服は学ランなのだが、夏は学ランを脱いで、半袖(または長袖)のシャツ姿となる。中学生は素直に半袖シャツの子が多いようだが、高校生になると長袖シャツの袖をまくって着る人が多い気配。ところが、うちの息子は毎年、なかなか学ランを脱がないのだ。酷暑の今年も、相変わらず学ランを脱がないので、熱中症になるんじゃないかと心配していたのだが、本人に言わせると、「電車も学校も冷房がきいてるから」とのこと。しかも、高校生男子は冷房をかなり低い温度に設定するのだとか。

この夏、関西は酷暑の上に、何度も豪雨に見舞われた。大阪北部地震もあったし、地震や豪雨で広範囲に電車が止まることが何度もあり、そのたびに私が急遽、車で息子を迎えに行った。ところが息子はいまどきの高校生には珍しく(!?)スマホを持っていないので(というか、欲しがらないので)、こちらから連絡不可能なのだ。学校の公衆電話から突然、「電車が止まっているらしい」などと連絡が入ると、待ち合わせ場所を指定して迎えに行くしかない。

西日本豪雨の日も、お昼すぎに息子から電話が入り、授業が終わる頃には電車が運休になる見通しだというので、私は学校近くの喫茶店で待機することにした。その後、学校から各学年の授業終了時刻が書かれた一斉メールが届き、全員授業が終わり次第、部活なしで下校させるとのことだった。あの日の豪雨はすさまじく、いつもの山道は通行止めとなっていたので、私は市街地のルートで早めに迎えに行ったのだが、授業終了時刻を過ぎても、息子は姿を現さない。15分過ぎて、ちょっと心配になり、学校の前まで行くと、出口からちらほらと生徒が出てくる。まだ少し残っている子がいるようだけど…それにしても、息子は出て来ない。さすがに心配になってきて、学校の事務所で確認してもらおうかと正面玄関に向かっていたら、建物の奥の方で何人かの生徒が喋りながら歩いている姿が見えた。その中にひとりだけ、学ランがいるではないか! よかった、息子だ! そう、この時期に学ランを着ている生徒は、ほかにはいないだろう。

このとき初めて、「学ラン着てくれていて、よかった」と思った次第。夏に学ランを着ていると、「どこにいるかすぐわかる!」という効用があったのだ。本人に言わせると、学ランの効用は「内側を含め、ポケットがたくさんあることによる機能性」であるらしい。なので、7月も半ばを過ぎ、ハンパない酷暑が続いていた頃、「きょうこそ、学ラン脱いだら?」と薦める私に、息子は「かなり暑くなってきたけど、ポケットがないと困るしなぁ」とブツブツ言いながら悩んだ挙句に学ランを着て出かけていたのである。そして息子がようやく学ランを脱いだのは、なんと終業式の日であった。その前日が、あまりに暑くてマジでやばかったらしい。

それにしても…「学校でお前以外にまだ学ランの人、いたの?」と聞いたら、「さぁ、少なくとも同じ学年にはいなかったと思うよ」との答え。「じゃあ、きっと変人だと思われてるね」と言うと、「大丈夫。いろんなカテゴリーの変人がたくさんいる中の一種類だから」とニヤリ。ああ、これぞ男子校! 楽しいはずだよね。

ちなみに息子は、散髪されると「耳元がくすぐったくて耐えられない」というお子ちゃまな理由から、髪をなかなか切りに行こうとしない。今回も2月に切ったきりで、かなり伸びている。校則もゆるい男子校ゆえ、どんなひどい髪でも、誰も何も言わないのだろうが、「見ているだけでウザいんだよ!!こら、息子っ!! お前はロッチになりたいんか!?」と、母は毎日、心の中で叫んでいる。

ところで「学ラン」とは、江戸時代に洋服のことを「蘭服」と読んでいたことから、「学生用の蘭服」から「学ラン」になったのだとか。

73回目の原爆の日、大久野島の毒ガス工場で働いていた母を思う

昭和20年、広島の田舎の女学校の生徒だった母は、学徒動員で大久野島の毒ガス工場で働いていた。広島市に原爆が投下された後は、救援隊として派遣され、焼け野原となった広島市内を歩いて郊外の学校にたどり着き、そこで被曝した人たちの看病を手伝った。といっても当時14歳の母たちがお手伝いできたのは、食事を運んだり、患者さんの身体の傷にわくウジ虫を取り除いたり…といったことだったらしい。グラウンドには遺体の山ができて、それを燃やす臭いがたまらなかったと話してくれたことを覚えているが、あまり事細かに当時のことを聞いたわけではない。折に触れて話してくれたとは思うが、私が30代の頃だったろうか、「全部は話していない。とても話せない」という母の言葉に衝撃を受けた。

原爆と違い、大久野島の毒ガス工場のことは、まだ多くの人には知られていないと思う。毎年、秋に大久野島慰霊祭が行われていて、母が亡くなってからは私に招待状が届くのだが、平日の午前中の式典のため、いまだ出席したことがない。今年こそは…と毎年思いながらも。

けれど、今年は先月の豪雨JR呉線が不通となっており、慰霊祭前の復旧はないらしい。
我が家のお墓は呉線沿いの山の霊園にあるのだが、霊園に被害はなかったものの、山に登る道路がすべて通行不能となっていて、お盆のお参りも無理。

行けないとなると余計に思いが募る。今年は大久野島や山の霊園からの瀬戸内海の景色を思い浮かべ、ここでお盆を過ごそうと思う。

ほころびたけど捨てられない母のTシャツ

もう誕生日がめでたくもない年齢になったけれど、真夏に生まれた私は誕生日がくるたびに思うのだ。こんな暑い時期に出産した母は、さぞ大変だったろうなと。当時はまだ病院にエアコンはなかっただろう。

誕生日母に感謝する日なのだと、年々、強く思う。

母が亡くなった後、母の衣類は殆ど処分したのだが、自分でも着られそうなものはせっかくだからと持ち帰った。殆ど未使用に近いと思われるTシャツも何枚かあったので、「母もTシャツを持っていたんだ~」と意外に思いながら、それ以降、私が愛用している。夏に限らず、一年中、ジムで運動をするときに着ているのだが、襟のあたりがくたびれてきて、ほころびているところもあり、そろそろ処分しなくちゃなぁと思いつつ、処分できずにいる。そして、いまだに家の中で着ていたりもする。

母のTシャツだと思うから、捨てられない。ほころびていても。でも、このまま着続けるわけにもいかないし、どうしたものか。
来年の誕生日まで、悩んでいるかも知れない。

第20回『お坊さんと話そう』比叡山延暦寺と日吉大社の関係は?(2018.08.05.)

今回のテーマは、比叡山の大津市側の麓にある日吉大社延暦寺の関係について。比叡山は仏教伝来以前から信仰の対象であり、延暦寺ができる前から神社があったのだそうです。ただ仏教伝来後もお寺と神社は一体化して、明治の神仏分離令までは、いわゆる神仏習合の形をとっていたのだとか…。日吉大社の周りには、日吉東照宮、滋賀院、慈眼堂、延暦寺の里坊などが点在し、穴太積の石垣など、歴史を感じる素敵な散策エリアとなっています。

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『さらばわが愛/覇王別姫』と香港・北京の思い出

先日、『普通の人々』に続けて見たもう一本の映画、『さらばわが愛/覇王別姫』(1993:中国・香港合作)は、当時、香港映画にはまっていた私が試写会を含め、何度も見た作品だ。その頃、私は外資系企業から雑誌の出版社に転職していたので、この映画の記者会見に行き、陳凱歌(チェン・カイコー)監督と主演のレスリー・チャンに質問をした。(でも、何を訊いたのか思い出せない!)しかも、その何年か前に、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の著書『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』を読んでいたので、記者会見後はこの本にサインまでもらってしまった! なんというミーハー!

この映画の舞台は北京。子供の頃から厳しい修行を重ねた京劇の名優コンビの物語で、時代は1920年代から日中戦争文化大革命を経て、四人組の失脚後まで。ふたりが演じる『覇王別姫』は、前漢の高祖に敗れた項羽が愛姫虞美人と最後の宴を開き、そこで虞姫が剣の舞をした後、その剣で自害するという史実に基づく京劇の演目で、「四面楚歌」の由来となった有名な物語だ。

時代に翻弄されながらも、逞しく生きてきた主人公たち…なのに、彼らにはさらに試練が待っていて、中国ってほんとに、これでもか、これでもかっていうくらい過酷な国だよなぁと思う。日本軍はもちろん憎い敵ではあるのだが、それでも京劇(中国文化)を理解し、敬意を持って扱った人たちとして描かれている。なのに、文化大革命により中国の伝統文化は否定され、破壊されるのだ。中国・香港合作の映画なのに、これを見る限り、「日本軍はまだ全然マシだったよなぁ」という描き方だ。文化大革命をもろに体験している陳凱歌(チェン・カイコー)監督だからこそなのだろうけれど、1993年にはこういう作品を作ってもOKだったということだ。(現在だと、どうなのだろう!?)

私が中国に太極拳を習いに行ったのは、この映画が公開された数年後のことだが、この頃、中国政府は中国武術をオリンピック種目にすべく、いろいろと活動していると聞いた。だから、海外からの太極拳を始めとする中国武術の留学生も好意的に受け入れていたのだと思う。武術を世界的な競技にするためなのか、私たちは中国政府が制定した簡化太極拳というものを習い、大会で競うのもあくまでも「表演武術」だった。素人の留学生にも、中国の大会で優勝経験がある優秀な先生方が教えてくれたのだが、その先生方の高齢の師匠たちは、文化大革命中はこっそり隠れて武術の練習をしていたと聞いた。武術という伝統文化も、弾圧されていたのだ。

この映画を見たあと、私は実際に京劇『覇王別姫』を観に行った。踊りといい、音楽といい、かなり楽しめたと記憶している。その後、中国の伝統楽器の演奏会にも行ったのだが、国家一級演員による太鼓や二胡のソロ演奏は、ヘヴィメタのギターやドラムソロにも匹敵する超絶技巧だった。香港では、ジャッキー・チェンやチョウ・ユンファなどが国家一級演員に選ばれていると聞くが、私が見た音楽家もかなりすごい方だったのだろう。

話が逸れてしまったが、『さらばわが愛/覇王別姫』で、覇王役の小楼を愛する女形の蝶衣の悲恋を演じきった主演のレスリー・チャンはその後、香港のウォン・カーウヮイ監督の『ブエノスアイレス』に主演。これもゲイの物語なのだが、私は幸運にもこの映画の記者会見&クランクインにも香港で立ち会った。友人(日本人)のアシスタントとして、連れて行ってもらったのだけど、撮影がクリストファー・ドイルということもあり、現場には広東語北京語、そして英語が飛び交っていた。レール上のカメラが移動する際に、香港人と思われるスタッフが友人に対して英語で「気をつけて」と言ったのに、その隣にいる私には北京語で「気をつけて」と言ったので、私は大陸から来た中国人と思われていたのであろうか。実際、その時の私は北京から駆けつけていたので、北京の匂いでもしたのだろうか。香港には何度も行ったけれど、あのときだけは土産物屋でも、空港でも、北京語で話しかけられたことを思い出す。

ブエノスアイレス』の記者会見には、レスリー・チャンに加えて、トニー・レオンも参加していて、私はトニーに釘付けになった。それまで映画を見て、色気のある人だと思っていたけど、生で見るとその色気はハンパなくて、殆ど何も喋っていないのに、たぶんその場にいた女性たちは彼に軒並みノックアウトされたのではないだろうか。その時、私はものすご~く後悔していた。実はその何年か前、同じくウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』という映画の応援団に入った際、プロモーション来日したトニー・レオンカリーナ・ラウとのミーティングなるものが企画されていたのに、私は坂本龍一の武道館ライヴと重なっていたため、悩んだ末にライヴに行ったのだ。トニーカリーナは当時から私生活でもカップルとして有名だったこともあり、特に興味がなかったのだが、あとで聞くと、ふたりを交えてみんなで夕食をしたというではないか。その時も、少し後悔したのだけど、香港での記者会見で生トニーを見たら、「なんであのときライヴに行ったんだろう」と、本当に本当に後悔した。

トニーは長年のパートナー、カリーナと2008年にブータンで結婚。つい最近も誕生日を迎えたトニーの写真をカリーナインスタグラムに投稿するなど、相変わらず仲が良さそうだ。

一方、レスリーは『さらばわが愛/覇王別姫』の蝶衣と同じくゲイであると言われていたが、その役柄を地で行くように、2003年4月1日香港のマンダリン・オリエンタルから飛び降りて亡くなった。映画と同じくあまりにショッキングな最後(最期)だが、彼の作品を今でも見られることが救いである。

『生きがいの創造』飯田史彦著を読んで

何事にも適切な時機があるのだろう。

7月6日の西日本豪雨で行方不明になった晋川尚人さんが、ようやくみつかってから何日か過ぎた頃、以前、聞いていたポッドキャスト番組が更新されていたので、なんとはなしに聞いていたら、飯田史彦氏による『生きがいの創造』という本の話が出てきた。「あ、この本、聞いたことある」と思って本棚を探したら、あった、あった! 何ヶ月も前から、「これ、読んでみよう」と思って本棚の目立つところに置いて、そのままになっていたのだ。そもそも、この本を買ったのは(正確には思い出せないけど)もう何年も前のはず。どこかで紹介されていて、面白そうだと思い、具体的な内容はまったく知らないまま、買ったのだと思う。

そのポッドキャストを聞いて、「これはいま、読まなければ!」と思い立ち、すぐに読み始めたら面白くて、かなり分厚い文庫本だが苦もなく読めた。本を買ったときに想像していたのとは、まったく違う内容だったことにもビックリしたけれど、私自身が今まで感じていたことにいっそうの確信が持てる内容だったので、なんだか心強い気持ちになった。

生まれるずっと前のことや、胎内でのことを覚えている子供たち、退行催眠によって過去生を語る人たち、臨死体験をした人たち…といった不思議なお話がたくさん出てくるのだが、この本の目的はそういうスピリチュアルな世界の探求にあるのではない。そういうもののしくみを認識し(必ずしも肯定しなくてもいい)、自分たちの存在の意味を理解しようとすることで、愛情と希望をもって、この人生を生きようと提唱しているのだ。(あくまでも私の感想だけど)。

大学の経済学部で経営学について20年近く教鞭をとっていた著者は、現在は経営心理学者として、カウンセリングを始めとして、幅広い活動をされているようだ。広島県出身の同世代ということで、勝手に親近感を覚えて本を読みながら、ふと同じく広島の同世代である晋川さんのご両親のことを考えていた。

著者は、本書の初版が出て何年も過ぎた後に、自身も臨死体験をされたそうだ。そして今では(それとも昔から?)、不思議な力を得ていらっしゃるようだ。これについては、また別の著作を読んでみないと詳細はわからない。ただ、本書でもその臨死体験について、「自分の体から離れて、まぶしい『光の次元』とつながり、『究極の光』と表現するしかない存在と会話したあと、いくつもの美しい『光』たちから、素晴らしいメッセージをたくさんいただいたのです」と書いてある。退行催眠や臨死体験を経験した人の多くも、こういった「光」と出会うという。

私は退行催眠も臨死体験も経験したことはないが、昔、夢の中で「光」のような存在に出会って感激したことがある。目覚めたときに、本当に涙が流れていて、自分でも驚いたくらいだ。今もその夢ははっきりと記憶に残り、今でもあの時の感動が蘇るほど。本書を読んで、この夢が私に与えた影響の大きさを改めて認識した。そして、いまこの本を読んだことにも、何か意味があるのだと思っている。

最後に、著者の飯田史彦氏が2004年11月、筑波大学で開催された「日本死の臨床研究会」での特別講演で提唱されたことを記しておく。

「二十一世紀には、『死』の定義が、新しいものへと変わるはずです。それは、『死ぬということは、体から離れて生きるということである』、という定義です。私たちの正体である意識または魂は、肉体が機能を失うと離れるだけであって、決して宇宙から消えてしまうわけではないのです。この宇宙に存在することを『生きている』と表現するならば、死ぬということは、単に、体から離れて生きるということにすぎません。体を持っている人も、体を持っていない人も、みな同じく、生きているのです」

興味がある方は、ぜひご一読を。

今になって初めて見た映画、『普通の人々』

懐かしい『マネーピット』を見たせいで、今週は録り溜めている昔の映画を次々と見ている。昨日は1980年のアカデミー賞4部門受賞作品であるロバート・レッドフォード監督の『普通の人々』と、1993年の香港・中国合作、陳凱歌監督の『さらばわが愛/覇王別姫』の2本を見てしまった。

実は私が『普通の人々』を見たのは、昨日が初めて。ロバート・レッドフォードが昔から苦手な私は彼の作品を積極的に見てこなかった。といっても、これは監督作品なので、レッドフォードは出演していないのだが、初監督作品として話題になってアカデミー賞も獲ったのに、なぜか見る気にならなかった。それをなぜ今、見る気になったかと言えば、数日前に見た『THIS IS US 36歳、これから』というドラマの中で、この映画が話題になっていたからだ。このドラマ、アメリカで2016年のトップ10番組に選ばれたとかで、なかなか面白い。魅力的な愛おしいキャラクターが勢ぞろいで、今私がもっとも楽しみにしているドラマなのだ。

で、『普通の人々』。前もってなんの知識もなく見始めたので、いろいろとビックリ。この映画でティモシー・ハットンが有名になったことは知っていたけど、主演はドナルド・サザーランドだったのだ。(『24』のジャック・バウワー役のキーファー・サザーランドのお父さんだ)。今ではすっかり白髪の髭面でモゴモゴと話す姿が定着してしまって、「ああ、若い頃はこんな色の髪で、こんなにはっきり喋っていたんだ~」と再確認。

映画は、ヨットの遭難事故で兄が亡くなり、自分だけ生き残ってしまったことから自殺未遂をしてしまった高校生の弟(ティモシー・ハットン)とその両親の物語なのだが、弟がセラピーに通う精神科医が『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』でお父さん役だった俳優さん(ジャド・ハーシュ)でこれまたビックリ。さらに、弟が親しくなる女子高生が、よく知っている顔だなぁと考えていたら、『ダウントン・アビー』の伯爵夫人役のエリザベス・マクガバンだった。これが彼女の映画デビュー作だったらしい。

映画に登場する一家は、『普通の人々』という割にはかなり裕福そうで、周囲は白人オンリーという、現在のアメリカではきっと既に普通ではない人々に思えた。少なくとも、マジョリティとは言えないだろう。それが証拠に、私が一番最近見たティモシー・ハットンは2015年にアメリカで話題となった『アメリカン・クライム』というドラマで、息子を殺された貧しい白人の父親を演じていた。実は息子はドラッグの売人をやっていた気配があり、息子を殺した犯人はヤク中の黒人で、さらにメキシコ移民、その移民2世のギャングなども登場し…現在のアメリカ社会の暗部が描かれた、ものすご~くハードでヘヴィーな物語だった。アメリカのドラマには珍しく、救いがないのだ。これが現実なのかも知れないが。だからトランプ大統領が登場したのね…と変に納得してしまうドラマだった。『普通の人々』が公開された1980年から40年弱の間に、アメリカ社会がこれだけ変貌したということなのだろう。

さらばわが愛/覇王別姫』については、また今度。

何度でも笑える映画『マネーピット』(トム・ハンクス主演)

数日前、家族と「一番好きな映画はなに?」という話になり、思わず考え込んでしまった。最近は映画から遠ざかっているが、東京で一人暮らししていた20代~30代の頃は頻繁に映画館に通っていたし、ビデオも加えたら、かなりの数を見ているはずだけど、もう遠い過去の話…。それでもいろいろ考えるうちに、好きだった作品が次々と思い出されてきた。でも、この中でどれか一つ選ぶのは至難の業だ。

個人的には、リアルな生活は明るく楽しいのが一番だけど、映画や音楽は暗いものが好きなので、映画シリアス系がけっこう好みなのだが、こうやっていろいろ考えて、もう一度見てみたいと思ったのが、若きトム・ハンクスが主演のコメディ『マネーピット』(1986年)だった。

若き…と言っても、トム・ハンクスが30歳の頃、『ビッグ』がヒットする2年前の作品で、製作総指揮はスピルバーグだ。ロックスターの顧問弁護士のトム・ハンクスと、オーケストラのビオラ奏者のガールフレンドが、ニューヨーク郊外の豪邸を格安で手に入れたはいいが、リフォームしてみたら、あちこちが壊れていて、どんどん工事が大掛かりになっていくという悲惨なお話。タイトルの『マネーピット』は「金食い虫」という意味だそう。

これ、単なるドタバタコメディなのだけど、この頃のトム・ハンクスの愛らしさと言ったら! 家がどんどん壊れていって、ヤケクソになったり、途方に暮れたりする姿が、あまりにおかしくて、何度見ても大笑いできるのだ。この作品、実は映画館ではなくレンタルビデオで初めて見たのだが、あまりに面白いので、その後、レーザーディスクを購入した。それ以降、むかつくことがあったときや、なんとなく落ち込んだときには、この映画を見るのが習慣となっていた。時間がないときは、「二階の床に穴があいて、絨毯ごと穴にはまって抜け出せなくなったトム・ハンクスが困っている」場面だけを見る。このシーンを見ると、どんなに悲しいときでも絶対笑えたのだ。

その後、レーザーディスクプレイヤーが壊れてしまい、私が大量に買い込んでいたディスクも、大掃除の際に夫に言われて、すべて廃棄してしまった。(昔、カールスモーキー石井レーザーディスク5千枚持っていると、どこかで読んだ記憶があるのだが、それが今、どうなっているのかちょっと気になる。)昔、好きだった映画を今になって有料チャンネルでみつけては録画しているのだが、『マネーピット』ももちろん録画済み。思わず懐かしくなって、家族との会話のあと、何十年かぶりに(!?)見てしまった。そして、やっぱり笑ってしまった。大声を出して本気で笑える場面がいくつもあるなんて、ほんとすごい。

この頃のトム・ハンクスの出演作品はほぼ網羅したけど、私の中ではやはり『マネーピット』が一番だ。アレクサンダー・ゴドノフが共演というのも、すごい。ニューヨーク公演中にアメリカに亡命したボリショイバレエの大スターだったゴドノフさんが、いや~な性格の指揮者の役でコメディに出演しているのだ。(ゴドノフさんは1995年に45歳で急死。死因は急性アルコール中毒らしいけど…)

とはいえ、ここ20年弱は『マネーピット』が手元になくてもまったく気にならないくらい、楽しく暮らしていたのだなぁとしみじみ。いや、もちろん大変なこともあったけど、家族がいるとオッケーみたいだ。今回は夫と一緒に『マネーピット』を見て大笑いできて、幸せだなぁと思う。

第19回『お坊さんと話そう』比叡山延暦寺の夏の行事について(2018.07.29.)

今回のテーマは、比叡山延暦寺夏の行事。夜のライトアップはなくなりましたが、8月4日比叡山宗教サミット阿弥陀堂での総回向(番組内では8月15日と言っていますが、正しくは8月16日です)…そして今年限定の『至宝展』が2018年8月1日より延暦寺内の国宝殿にて始まります。(2018年11月30日まで)信長の焼き討ちを免れた瑠璃堂の薬師如来を始め、滅多にお姿を拝むことができない仏像など、貴重な文化財が多数、展示されるのだとか。

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