第40回『お坊さんと話そう』写経の勧め:比叡山写経の祖、慈覚大師円仁(2020.05.04.)

今年のゴールデンウィークは、帰省もできず、自宅で過ごしている方が多いことでしょう。そんな時にお勧めしたいのが、写経です。といっても、実は私も今からやってみようと思っているところ。そこで、きょうは写経について、ご住職にお話いただきました。比叡山における写経の祖は、3代目天台座主、慈覚大師 円仁だそうです。法華経の中に「五種法師(ごしゅほっし)」という記述があり、そこでお経の扱い方が説明されているのだとか。具体的には、受持(じゅじ)、(どく)、(じゅ)、解説(げせつ)、書写(しょしゃ)の五つ。また、御朱印の本来の意味も教えていただきました。詳しくはポッドキャストでお聞きください。

(*この番組は、iTunes等でも聞くことができます。購読ボタンを押すと、更新時に自動的にエピソードが追加されます。なお、番組についてのご質問は、https://hatomuneatsuko.com/ のお問い合わせのページからどうぞ。)

第39回『お坊さんと話そう』比叡山延暦寺も新型コロナで拝観停止となりましたが…(2020.04.26.)

前回の収録から9か月以上が過ぎてしまいました。この間、ご住職自身にも職場で大きな変化があったようですが、世の中も新型コロナで一変。外出自粛で、比叡山延暦寺2020年4月20日から拝観停止となりました。けれど、お寺の中ではいつも通り、僧侶の方々がお勤めをされているとのこと。私たちも今は参拝できないけれど、この時期、家の中で一緒に祈ることはできるはず。ご住職から、この点についてもアドバイスいただきました。中でも、故・葉上照澄阿闍梨の「運心回峰(うんじんかいほう)」のお話が、とても心に残りました。

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ポッドキャスト『鳩胸厚子の琵琶湖日記』

新型コロナの外出自粛要請のおかげで、家にいる時間がさらに増えたので、なにか新しいことを始めようと、またポッドキャストを作ってみました。

『鳩胸厚子の琵琶湖日記』

5分程度の短い番組なので、とりあえず平日は毎日録音することを目標にしてみよう…かな!?

天使に会いました(オーストラリア編)

このブログにも、かつて何度か天使に遭遇した話を書いたことがあります。いや、正確には、私にとって天使と思える人に出会ったという話なのですが、あれは本当に人間だったのだろうか…と今でも不思議に思う存在でした。

実はこの間から『天使に会いました』(エマ・ヒースコート・ジェームス著、ラッセル秀子訳)という本を読んでいます。これは神学を専攻していた著者が、博士課程論文のために行った天使体験のリサーチを基に書かれたもので、天使に出会ったという体験談を一般から募集したところ、350ものエピソードが集まったそうです。

その中でもよくあるのが、何か困っている時に天使が助けてくれたり、危機的場面で救ってくれたというお話。誰もいない場所なのに、ふと誰かが現れて助けてくれて、気がつくとその姿は消えていた…というパターンです。それを読んで、昔、オーストラリア旅行で私が出会った人たちも、もしかして天使だったのかも知れない…と今になって気づきました。

もう20年以上前の独身時代のこと。運転免許をとったばかりの私は、ドライブ暦の長い友人と女2人旅に出かけました。オーストラリアブリスベーンからシドニーまで、レンタカーで内陸部のルートを通って行くという1週間余りのドライブ旅行。宿はその都度、電話帳などでみつけたB&Bなどに電話で予約しました。オーストラリアは自然も人間も、とってもおおらか。いい意味での驚きがたくさんあって、心が解き放たれたような、すがすがしい時間を過ごしました。

奥田民生の『イージューライダー』を大ボリュームで流しながら、荒野を走る」という、免許とりたての私の夢も、早速、実現しました。ワラビーの飛び出し注意の看板が立っている道路を、延々と走るのは爽快でした。ところが、ある日の夕方近く、これまでの何もない平地から山道に入り、建物もなにもない山の中をただ延々と走ることに。その景色が、初心者の私がよく走っていた京都の八瀬・大原に似ていたので、私はそこが慣れた道であるかのように錯覚して運転していました。確かに景色は似ていたけど、ひとつ違っていたのは、そこは舗装道路ではなかったということ。舗装道路しか走ったことのない私は、カーブでスピードを落としきれず、車を少しぶつけてしまいました。本当にヒヤリとしましたが、車は前の方が少しへこんだだけで、私たちに怪我もなく、そこからは友人が運転を代わってくれたのですが、すぐに異常が!そう、タイヤがパンクしていたのです。

いったいどうしたものか。一瞬、焦りました。これまで通過する車は1台もなく、しかもそろそろ夕方が近づいています。左手は山しかないし、右手は大きな牧場が広がっているようでしたが、建物は見えません。ところがその時、よく見ると、遠くに男性が2人見えたのです。どうやってその人たちを呼んだのか、もう記憶もさだかではありませんが、とにかくその人たちは私たちに気づいて、道路までやってきてくれました。事情を話すと、「タイヤの替え方、知らないのかい?」と驚かれましたが、2人は嫌な顔ひとつせず、手際よくさっさとスペアのタイヤをつけてくれました。そして、その日は金曜日だったのですが、「今週末は土日だけじゃなく月曜も休みだから、今のうちにガソリンを入れておいた方がいいよ。ここから何キロか先にガソリンスタンドがあるけど、もうじき閉まるから」と教えてくれたのです。私たちは本当に感激して、お礼を言って、ガソリンスタンドに向かったのですが、改めて思い出すと、あの人たちは天使だったとしか思えません。あの時、あの人たちが助けてくれなかったら、私たちはどうなっていたのか…想像したくもありません。

後日談。初心者の私の無謀な運転のせいで、こんなことになってしまって、友人には大変申し訳なかったのですが、このあと、友人も気持ちよく荒野を運転していたら、スピード違反の罰金を払うことになりました。いろんな経験ができて、楽しかった! ああ、あのおおらかなオーストラリアにもう一度行ってみたい!

ポッドキャスト『フェリシテカフェ』

紅茶と星詠みを愛するティーアストロロジャー、リンさんと2人で昨年11月から始めたポッドキャスト、ほぼ2週間ごとに更新しています。月の動きに合わせて、新月満月の日に更新しているのですが、きょうがまさにその満月(しかもスーパームーン!)の日です。これまでは毎回、琵琶湖を眺めながら、リンさんに用意してもらった紅茶&スイーツを楽しみつつ、お喋りしていたのですが、今回は新型コロナの影響で初めての遠隔収録となりました!!!そのため音声が途切れたり、聞きにくいところもあるかも知れませんが、ご了承のほどを。

さて、2020年4月8日の「てんびん座の満月」のテーマは、「心から信頼できるパートナーとは?」です。家で過ごす時間が増えたことで、普段よりイライラしたり、今までの人間関係の見直しを迫られたり、ということはありませんか? また、先が見えない今の状況に、どうしようもない不安を抱く方も多いのでは!? そんな時、どう考えればいいか、どう対処すればいいか、リンさんと一緒に考えてみました。今回は最後にリンさんが、とっても簡単で具体的なアドバイスをしてくれました。そう、部屋の中ですぐにできる腹筋などの運動です。満月から新月に向かうこれからの2週間、ぜい肉も不安な気持ちもそぎ落としていきたいですね。皆さん、心身の健康に気を付けて、この状況を乗り切っていきましょう!(鳩胸厚子)
リンさんのオフィシャルブログ『カメリアズティーハウスロンドンに恋をして』

天中殺の始めと終わりに入院

前にも書いたことがあるが、算命学ではどんな人にも12年のうち2年間の「天中殺」が巡ってくる。空間の世界である「十干」と、時間を示す「十二支」を組み合わせたとき、「十二支」がふたつ余ってしまう。「十干」は神様の宿る空間であり、「十二支」は神様が通過する方向を示すのだが、余った二つの時間は神様がいない時間となる。神様不在、つまり神様の力を得られないこの2年間を天中殺と呼ぶ。天が味方しない時間は魔が差すことが多いため、新しいことを始めるのは避けるべきと言われている。転職、引越し、結婚などなど。しかし、むやみに怖がる必要はなく、季節でいえば冬と考え、春に向けての準備期間とすれば、やがて来るときに活動を始めて花開くことになるのだろう。

で、私の場合。戌亥天中殺なので、ようやくこの節分で2年間の天中殺が明ける。思い返せば、戌年を迎える前年の秋、私は突然、入院した。出産と痔の手術以外で入院したのは初めてのことだった。それまで1年近く勤めていた職場のストレスが相当溜まっていたことが、一番の原因だったように思う。当時、算命学の先生に「天中殺前にお知らせ現象が起こることもある」と聞いたことがあった。この入院も、ある意味、そうだったのかも知れない。この時、入院したおかげで、天中殺の間、私はいつも以上に体調に気をつけ、無理をしないように過ごしたからだ。

なのに、なのに…天中殺が明ける直前の昨年末、私はまたも緊急入院してしまった。謎の体調不良が続いたあと、ある日、お腹が痛くなり、救急病院に駆けつけ、そのまま入院。原因は胆石だった。もう20年近く前に胆石があることはわかっていたが、それが痛くなったのは初めてだった。幸い、胆石の痛みはすぐにおさまったのだが、諸々の検査の結果、別の病気があることが判明。おそらく検査をしなければ、発症に気づかなかっただろうから、胆石が痛んでラッキーだったのだろう。(主治医もそのような見解だった。)算命学の先生も、この時期に持病が出ることは、むしろ良いことなのだと言ってくださった。

今は既に元の生活に戻り、いや、以前よりも健康的な生活を送っていると思う。天中殺が明けても、しばらくはのんびりと、少しずつ活動を始めようかと思っている。病気はある意味、自分が作り出しているのだと、しみじみ思う。さらに言えば、病気になる時期にも意味があるのだろう。天中殺の始めと終わりに、じっくり自分自身を見直し、いろいろと考える時間を与えられたのはありがたいことだと思う。


無事にお正月を迎えられて良かった!!

無意識の引き寄せーモリッシー(ザ・スミス)の場合

大好きなデペッシュモードクイーンの記事にいくつかコメントをもらったことがきっかけで、しばらく忘れていたUKロック熱が近年、私の中で蘇っている。といっても最近の音楽シーンについてはまったく知らないので、あくまでも昔、好きだったバンドを今さらながらに思い出している状態。

その中で、どうしても避けて通れないのが、ザ・スミスだ。まだ大学生だった80年代に、LPレコードで聴いたのが最初だったが、そのまま東京で就職してからは、本当に没頭して聴き続けた。就職して親に頼らず自活を始めたものの、初任給では食費も切り詰めるぎりぎりの生活。仕事が終わると、狭いワンルームマンションの部屋で、毎日のようにスミスのアルバムを聴いて、モリッシーの歌詞の世界に浸り、深く深く共感していたのだ。

その後、生活に少しずつ余裕ができて、いつか留学するという夢のためにお金も貯めた。そして実際に2年ほどパリに留学して帰国した私が東京で再就職した頃、ザ・スミスが解散してソロになっていたモリッシーが初来日を果たしたのだ。昔、モリッシーは飛行機嫌いだから来日しないだろうと聞いていたので、「こんな極東の国まで来てくれるなんて!」と感激して、武道館公演のチケットを1枚買い求めた。その頃、私の周りにはスミスモリッシーの話ができる人もいなかったので、ひとりで行くしかなかったのだ。

そして、武道館公演を楽しみに待ちわびていたある日の夕方、私は昔の同僚と久しぶりに会うことになっていた。待ち合わせ場所は、六本木Waveという大型レコード店。普段は待ち合わせに遅れることのない元同僚が、その日はなぜか時間になっても現れず、私は入口の前でひとりぼ~っと待っていた。すると、まるで私に会いに来たかのように、入口のガラス扉を開けて私の目の前にモリッシーが現れたのだ。「あ、モリッシー!!!」と頭の中でつぶやきながら、「まさか!? ほんと!?」と信じられない気持ちに。思わず、そばにいたボディガードらしき外国人のおじさんに、「モリッシーですか?」と話しかけたら、「自分で訊いてみれば?」と言われ、勇気を出して訊いてみた。

モリッシーですか?」
「そうだよ」
「あ、あの、サインもらっていいですか?」
「いいよ」

私は急いで、バッグからきれいな便箋とボールペンを出した。
モリッシーがサインをしている間、「武道館のコンサート、見に行きます」と言うと、「楽しんでもらえたらいいけど」と優しい答え。それまで雑誌の記事などから、勝手に「モリッシーは、気難しいから、話しかけちゃいけない人」というイメージを自分の中で作り上げていたのだが、ごく自然に、普通に感じのよい人だった。

モリッシーにサインをもらって、入口に戻った頃、元同僚が「遅れてごめんね」とやって来た。「構わないよ。それよりも、それよりも…モリッシーが、、、モリッシーが、、、」と興奮して言葉にならない状態の私を見て、元同僚は冷静に言った。「モリッシーが誰なのか知らないけれど、厚子ちゃんがこんな状態になっているということは、ものすごい人なのね。」そして、私がモリッシーにサインをもらったことを話すと、「厚子ちゃん、せっかくだから写真も撮った方がいいよ」と言って、近くのお店で『写ルンです』を買って来た。そう、スマホもない当時、急に写真を撮るなら『写ルンです』だったのだ。

サインをもらった上に写真までお願いするなんて、モリッシーに嫌がられないかしらと心配する私をよそに、彼女は「厚子ちゃん、早く!」とモリッシーに近づいた。不思議だったのは、有名なレコード店だというのに、その日はお客もほとんどおらず、店員さんもモリッシーに気づいていなかったこと。私が再び、モリッシーに写真を撮っていいかと尋ねると、彼は嫌がることなく、でもシャイな感じで、私と一緒に写真に写ってくれた。もちろん、元同僚がシャッターを押してくれたのだ。

その様子を見て、ようやく店員さんがモリッシーに気づいたようで、そのあと、モリッシーはまたサインをすることになったのではないかと思う。私はといえば、すっかり満足して、元同僚と一緒に夕飯に出かけた。本当に好きな人には、会えるものなのだなぁと思いながら。

モリッシーとの遭遇」――私にとっては大歓喜、大興奮の出来事だったが、その時の私の周りには、この喜びを共有してくれる人がいなかった。私にとってはあまりにも嬉しい出来事だったので、翌日、職場の仲良しの同僚に話してみたが、いまひとつこの出来事のすごさを理解できないようだった。実はこの時、私が勤務していたのはイギリス系の会社で、私のチーム内に2名のイギリス人がいたのだが、日本人スタッフはともかく、外国人スタッフとはまだそれほど打ち解けていなかった。仕事以外の話をすることは、めったになかったからだ。

だがこの日の私は、上司であるエリートのイギリス人ではない方のイギリス人に思わず話しかけていた。「昨日、モリッシーに会ったの」と。すると彼は、「モリッシーに!?」と大きな声でものすごいリアクションを返してきた。「嘘だろ!?」と言わんばかりに。「モリッシーに会ったのか?」と聞き返す彼に、私は前日もらったサインを見せた。すると彼はすごいなぁという顔で、本当に感心してくれたのだ。そこから彼と音楽の話が始まり、それ以降、彼と、私を含めた日本人スタッフの会話も増えて、チームの雰囲気もなごやかになったように思う。まだCDやカセットの時代だったので、彼が「ニューオーダーの新作、聞いた? まだなら録音してあげるよ」とテープを持ってきてくれたこともあった。
その後、同じ年の11月24日にクイーンフレディが亡くなるのだが、ロンドンからその第一報が入ったとき、隣のチームのイギリス人がフロア中に響き渡る大きな声で、そのニュースを伝え、『伝説のチャンピオン』を歌いだしたことを今でもはっきり覚えている。

それからしばらくして、私はある音楽雑誌の編集長と会う機会があった。モリッシーの来日時、唯一、その雑誌だけがインタビューできる予定だったのに、モリッシーの体調不良でドタキャンとなり、その編集長はずっと会いたかったモリッシーに会えなかったそうだ。「私、偶然、モリッシーに会って、サインもらって記念写真も撮りました」と思わず言ってしまった私。けれど、これ以降、このモリッシー話を自慢できる人が周りにいない状態が相変わらず続いている。去年、ザ・スミス以前のモリッシーの物語を映画化した『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』が公開された時も、ひとりで観に行ったくらいだし。

そういえば、80年代に、シェフィールド出身のABCというバンドのマーティン・フライから手紙の返事をもらったことがあった。最近読んだ本、見た映画やバンドなどのリストがあって、感想などが書いてあったのだが、当時はまだ知らなかったザ・スミスの名前があったことに、だいぶあとになって気づいたことがある。

ああ、久しぶりにカラオケに行って、ザ・スミスを歌いたい気分だ。


*モリッシーがライヴでポケットに入れていたのは、グラジオラスだったけど…

新しいポッドキャスト、始めました。

なかなか記事もポッドキャストも更新できないでいましたが、実は友人と新たにポッドキャストを始めました。
よかったら聞いてみてください。↓

『生きたい人生を生きる—厚子とリンのFelicite Cafe』

紅茶と星詠みのスペシャリストである「ティー・アストロロジャー」のリンさんには、なにかあれば相談にのってもらい、アドバイスや励ましをもらってきましたが、なによりも、いつ会っても楽しくお喋りの花が咲き、あっという間に時間が過ぎているのです。このポッドキャストで、そんな心地よい時間を少しでも共有できたらいいのですが。

リンさんのブログ↓
RINのオフィシャルブログ カメリアズティーハウスロンドンに恋をして