とんびの夫婦

田舎に越してきて困ることと言えば、以前のように手軽にエスニック
料理を食べに行けないことでしょうか。
ようやく最近、近くの町にインド人のコックさんがやっているレスト
ランをみつけ、きょうは今年初のインド料理を食べようといさんで家
族で出かけましたが、なんとお休み。ガクッ!
つい先日、前を通ったときもお休みだったのだけど、もしかしてずっ
と正月休み!?

結局、泣く泣くファミレスで食事をして、夫の用事で寄り道をしたら、
とんびの夫婦が道をふさいでいました。車がきても慌てることなく、
しばらくそこらを歩き、ようやく電線の上へ。

しばらくして用事を終えて帰途につくと、あのとんびの夫婦が優雅に
大空を舞っていました。「あんなに高く飛ぶんだねえ」と、運転しな
がら見上げる夫。

きょうはこの寄り道のおかげで、小高い丘からすばらしい景色を見る
見ることもできました。いつも見ている景色なのに、ちょっと上から
見渡すだけで、こんなに気分がいいなんて。とんびには負けると思う
けど、ちょっとした感動でした。「この裏道、知らなかっただろ~」
と得意気な夫。子供は気をきかせてか(?)、うしろですやすや眠っ
てました。

とんび

しあわせって・・・?

しあわせは状況ではなく心が決めること、というのが私の持論だが、
地震や悲惨な事件、事故のニュースをみると、どう考えていいかわ
からなくなる。ただ、しあわせは瞬間、瞬間のもので、しあわせな
状況が永遠に続くわけでないことはわかっているから、できるだけ
しあわせの瞬間を積み重ねていけたらいいと思っている。

私の母は、私や父がでかけるとき、いつも私たちの姿が見えなくな
るまでずっと見送ってくれた。うちはなだらかな坂の一番上にあっ
たので、その坂を降りきるまで、ずっと見送っているのだった。
その影響で、私も両親がでかけるときは、ずっとずっと見えなくな
るまで見送るのが習慣となった。特に、両親が自営を始め、ふたり
で仕事にでかけるようになってから、私はいつもふたりを見送って
いた。ひとり留守番する身としては、ちょっと不安だというのもあ
ったし、万一、ふたりの身になにかあった場合、「ああ、最後の朝
だったのに、ちゃんとお見送りしてあげられなかった」と後悔する
のが嫌だったから。

母はどういうつもりで見送っていたのかわからないけど、「これが
最後かも知れない」という思いをもっていればこそ、「ただいま!」
と帰ってきてくれるときの喜びもひとしお。

18年のひとり暮らしを経て結婚した現在、私は毎朝、子供とふたりで
夫の姿が見えなくなるまで見送っている。そして子供を保育園に連れ
て行くと、今度は子供が教室の窓を開けて、私が帰って行く姿をずっ
と見送ってくれるから不思議だ。
そして、私の毎日の一番のしあわせは、帰って来た夫と子供の顔を見
る瞬間だと思う。

それにしても、昨晩のテレビで見た杉田かおるの披露宴(?)には、
泣いた! 幸せになって、よかった! 赤の他人ながら、本当によか
った!!

miokur

重いまぶたも・・・

客人を無事に見送った安堵感からか、こんな私でも結構気を遣って
いたのか、ここ数日どっと疲れが出て、眠くて眠くてたまりません。
が、重いまぶたも、朝の外気に触れると、ぱっと開きます。
雪道を歩いて子供を保育園に送っていくの、気持ちいいです。

犬の散歩もそう。秋の間は、寒さが増し日が短くなるにつれ、
私の散歩の距離もどんどん短くなっていたのに、雪が降ってから
とたんに距離がのびました。雪の中を歩くのって、気持ちいいから。

都会に住む友人からのメールを読むと、みんな、忙しくて疲れ
ているんだなあと思います。疲れたと思えばゴロリと寝て、い
らいらしたらギャアッとわめいて発散する…という生活を、み
んな、していないのかな。都会で働いてたら、そんなの無理か。

私たちも自然の一部として、なるべく自然の流れに逆らわない
ように暮らしていたら、あんまり変なことにはならないと思う
のだけど。ま、思い切り逆らったとしても、最後の最後には
みんな自然に戻るんだけど。

雪道

吹雪の夜

オランダの友人を見送るため、昨日の夕方は街まで
出かけました。空港行きの最終バスの乗客は、彼女
を含めふたり。次に会えるのは夏。今度は本格的に
日本に暮らす予定です。

帰り道、峠を越えると吹雪になりました。
まっくらな空から白い雪が吹き付けてきて、私たち
はどこに向かっているんだろうと、ちょっと幻想的
な気分。

それにしても、お客さんを無事に見送った安心感か
らか、どっと疲れが出て、めちゃくちゃ眠い!
雪の晩は、早く寝るに限ります! 雪かきのために
も、体力温存しておかねば。

夜雪

少子化問題をさらに考える

昨日の続き。
少子化のなにが問題かって、年金制度が破綻するとか、労働人口が減って競争力がなくなるとか、市場が縮小するとか…結局はお金の問題でしょ。

世界的に見たら人口爆発が深刻な問題なのに、自分の国の人口は減ったら困るだなんて、身勝手な言い分だなあ。第一、年金制度や日本の競争力を維持するために子供を産もうと思う人、いないよねぇ。

その一方で、過酷な不妊治療を受けたり、代理母出産までして、子供を持とうとする人たちがいるのも、私にはかなり衝撃です。しかも新聞によると、日本のほぼ半数の人が「子供は授かるものではなくつくるもの」と思っていて、体外受精など医療技術の是非についても「自然にまかせるべき」という否定派は2割弱しかいないのだとか。私の意見って、いつも少数派なんだよなあ。

妊娠中絶の数も多く、世界には親を必要とする孤児も多いのに、一方で高度で高価な医療技術を使って子供を持とうとする人もいる。代理母出産で生まれた子供は差別されるという話にも驚いたけど、まずは差別意識なく、もっと養子を受け入れやすい制度や環境ができればいいなあと個人的に願っています。今、この世にある命から大切にしていった方がいいと思うので。

不謹慎だけど、まだ食べられる食料を残飯として捨てながら、世界中のおいしい食べ物を買って食べている今の私たちの生活に通じるものがあるような気がして。

体外受精といっても、顕微受精までいくと、なんだか人間の養殖をしているみたいで、神様じゃなくお医者さんに選ばれてるみたいで、私はどうもしっくりこない。もし自分がそんな風に生まれていたら、どう思うんだろうか。

もちろん、不妊に悩む方々が切実に子供を望む気持ちも理解できます。でも、人間って、どこまでこの人生を自分の思い通りにすることができるんでしょうか。妊娠したけど、子供はいらないから中絶する。これが当たり前の世の中だから、子供がほしいけど、できないから、つくることも当然なんでしょう。そうやって子供をもうけて、幸福になる方々もたくさんいるんだから、きっといいことなのでしょう。

不妊に限らず、人間はどこまで医療技術に頼るべきなんでしょうか。人間を幸福にするために開発された高度な医療技術のために、却って苦しむ場合もあるけれど、いずれにせよ明確な線引きはできませんね。

とはいえ、整形手術はどうなんでしょう? 高度な医療技術を使って、自分の顔を変えてもらって、幸福になれる人たちが世の中にはいるんですよねぇ。今の自分をありのまま受け入れず、外見を変えただけで、本当に幸せになれるんでしょうか。現在は過去の積み重ねと考えれば、自分の顔を変えるって、自分の過去を否定することになるんじゃないのか、などと他人事ながら心配しちゃいます。

いつも思うのだけど、幸福って自分の置かれた状況じゃなく、自分の心が決めることなのに。みんな、状況に重きを置きすぎていないかい?
うう、考えすぎて、頭が痛くなりそうだ。雪もしんしんと降り続けています。
しんしん

つらら、つらつら・・・(おばちゃん、余計なお世話だよ)

今朝は雪かき中の裏のおばちゃんにつかまり、10分ほど立ち話。一人暮らしのおばちゃんは、宗教の勧誘の人まで話相手にしちゃうほど、お喋り好きです。

山が荒れているという話をひとしきり聞かされ、その後、「ひとりっ子はよくないぞ」という話やその他もろもろ。
そしてやっと犬の散歩に出かけ、昨日より長くなったつららを見ながら、つらつらと考え事…。

ここは田舎のせいか、うちみたいなひとりっ子は少数派。兄弟が多いお家はにぎやかで楽しそうだけど、私自身もひとりっ子なので、ひとりはひとりでそれなりに楽しいことも知っている。

それより、不思議に思うのは、おばちゃんみたいな発言をする人が多いこと。(昔から。)人は誰しもひとつの立場しか経験できないのに。ひとりっ子ひとりっ子の立場しか知らないけど、たとえ兄弟がいても、長男は長男の、末っ子は末っ子の立場しかわからない。その立場がどう影響するかは、人それぞれ。自分の置かれた状況を、楽しんで、活かせることができさえすればいいんだから、どういう状況にあるかは私にはあまり重要ではないんだけどなあ。どっちにしたって、自分でどうこうできることじゃないんだし。

もっとわからないのは、少子化少子化って政府やメディアが騒いでいること。少子化のなにが悪いんだ?
つらら

きらきら光る雪の朝

年末からうちに滞在していたオランダの友人が、今朝のバスに乗って、次の目的地へ向かいました。昨晩の帰り道も、雪がきらきら輝いていましたが、今朝も快晴の空の下、雪はまぶしく光っています。

文化や言葉が違う彼女に、どれだけのもてなしができたか不安ですが、きらきら光る白銀の世界を走り去るバスを、息子と一緒に見送りました。

他者との共存に一番必要なのは、やはり寛容の精神でしょうか。
見送り

鑑真和上とヨン様

数年ぶりに奈良を訪ねました。80歳を過ぎた伯母の見舞いが目的です。思いのほか元気な姿に安心しましたが、そうとう愚痴がたまっていたらしく、私の夫を連れ出し、ひとしきり喋っていました。私に言っても笑われるだけだからと。(たしかに。)

さすがに夫がかわいそうになり、そろそろいいだろうと助け舟を出しに飲み物をもっていき、冬ソナの話題を出したら、伯母の表情がぱっと明るくなりました。そして、またひとしきり喋る、喋る。冬ソナ20回は見たそうです。巷には50回も見た人がいると聞いて驚いていたけど、私の身近にも似た人がいたなんて。(しかも血縁者!)伯母はベッドに横になり、顔の下にハンカチを敷いて見るのだそうです。涙をいちいち拭わなくてもすむように。しかし、伯母と話を合わせるために冬ソナを見たというお嫁さんが、気の毒でした。

せっかく奈良まで来たので、近くの唐招提寺も訪ねました。私は何度も来ていますが、夫とオランダの友人は初めて。以前、ここで初めて鑑真和上像と対面したとき、思わず「よくいらっしゃいました」と、感動がこみあげたことを覚えています。そのお姿を見るだけで、涙が浮かぶなんて、鑑真和上ヨン様くらいかも。

しかし夫にとっては、とんだ一日だったことでしょう。せっかくの休日、しかも自分の誕生日なのに仏像を見て、おばあちゃんの愚痴を聞いて…これじゃ、普段の寺生活と変わらない!しかも長い道のりを運転させて…お疲れ様でした。ありがとう!
寺

木になる猿!?

今朝もまた雪が積もりました。少し雪かきをして、こたつの中でいい子にしていたら、目の前の窓の外にが! いつもの一家(?)が裏のお宅の庭の木に登って、まるでが木になっているかのよう。

よっぽど食べるものがないんだなあ。お正月ということで、たくさんの食料を買い込んでいた私は、少し分けてあげたい気分。木になる猿が気になる私!

猿だけでなく、最近は自分の悩みがないせいか、他人の悩みや問題が気になって、心配してしまう私です。

どっちにしても、こうやって見ているしかないんだけど…。

木の猿

母親業がいちばん大変

ようやく保育園が始まったのに、息子は朝からちょっとしたことでぐずりだし、結局なだめるのに一時間近くを費やしました。子供なりにいろいろ思いはあるだろうけど、こちらも忍耐力が足りず、子供と同じくらい暴れてしまった。

「母親業はそうでもないけど、仕事は大変」と言うキャリアウーマンがいたけど、私にとっては母親業がいちばん大変。まだまだ修行が足りません。

明日からは三連休。ああ、いつもの生活に戻るのは、いつのことやら。

*裏のおばちゃんが、山からセリを採ってきてくれました。
せり