第3回『お坊さんと話そう』現代の比叡山のお坊さんの生活は?(2018.04.08.)

第1回、第2回は奈良、そして平安時代のお話がテーマでしたが、第3回は現在の比叡山について伺いました。「比叡山のお坊さんって、どこに住んでいるの? 比叡山ではどんなことをしているの? なにを食べているの?」という素朴な疑問に答えていただきました。さて…。

本屋閉店…どうすりゃいいの!?

かつて山奥の過疎地に暮らしていた頃、街の書店に行くことが我が家の楽しみでした。本屋に行くことが、ほとんど休日のイベントと化していました。夫も私も息子も本屋が大好きで、街に出かけるときは、出来る限り本屋に立ち寄ったものです。本好きの息子は、近くの町の図書館に連れて行ってもあまり喜ばず、理由を聞くと、「人の触った古い本は嫌だ…」と贅沢なことを言っておりました。(そのくせ、中学以降は学校の図書館に入り浸っているのですが。同じ学校の人たちが触ったものはOKなのでしょうか。)でも、その気持ちはわかります。本屋に入った時に感じる「新しい本の匂い」が好きなんでしょうね。夫にいたっては、新しい本の匂い(インクの匂いらしいですが)を嗅ぐともよおすらしいです。(どっちを!?)なので、本屋に行くと、夫はよくトイレに消えていくのです。

その後、我が家は町の住宅地に引っ越しましたが、相変わらず家族で本屋に出かけるのは大きな楽しみでした。しょっちゅうアマゾンで本を買っていても、やはり書店で本を手にとってみるのは楽しい時間です。書店で偶然みかけた本が、自分にとって大切な本になることも多々あるのです。以前、面白そうだなと思ったのに、「また次の機会に買おう」と思って買わずに帰った本が、次の機会にはもうなくなっていた…ということがありました。それ以来、そのとき出合った面白そうな本は、なるべくその場で買うようにしています。

私が「引き寄せの法則」に興味を持つきっかけとなったのは、2014年に『こうして、思考は現実になる』(パム・グラウト著)を読んだことでした。この本の新聞広告を何度も見て興味をそそられ、アマゾンで購入して読んだあとに、自分でも思考現実化実験をしてみたら、ぴったり一ヶ月後に「理想の家」をゲット! 以来、この実験にはまっているのですが、それはこの本を読んだ直後に、『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』を読んで、妙に納得してしまったからなのです。『こうして、思考は現実になる』は、軽い気持ちで、騙されたと思ってゲーム感覚で実践してみたのですが、エイブラハムの本はそのゲームの仕組みを解き明かしてくれたのです。といっても、一度ですんなり理解できず、ことあるごとに読み返しては理解の度合いが深まっていく感じです。

実はこの本、車で移動中にたまに立ち寄る書店でみつけました。シリーズ本が3冊、棚に並んでいたのですが、最初はちらっと立ち読みしただけで購入しませんでした。あやしさ全開のスピリチュアル系の本に思えたので、レジまで持っていく勇気がなかったのです。しかもわりと分厚くて値段も高めだったので躊躇した・・・というのもあります。

その後、その書店に立ち寄るたびに、「エイブラハム」の本があるかどうかをチェックしては、買わずに帰る…ということを何度か繰り返していたのですが、ある日、とうとう最初の1冊を買って帰ったのです。「きょう、あの本屋にまだエイブラハムの本があったら、買って帰ろう!」と心に決めていたからです。そして、その1冊に納得してしまった私は、その次に2冊目、その次に3冊目と、その書店に並んでいたシリーズ本3冊すべてを購入していました。その後、エイブラハムの本が補充されることはなく、今に至ります。

今ではこの本屋、我が家が一番よく通う本屋さんとなったのですが、先月、お店で衝撃の貼紙を目にしました。なんと、今月でこの本屋さん、閉店するのだそうです。が~ん!!! 

ただでさえ、この辺りは本屋が少なくて、せっかくできた大型書店もいつのまにか規模を縮小したり、撤退したり…。そんな状況でも、この本屋さんは独自路線で頑張っているなぁと思っていたのに。それだけ本は売れなくなっているということでしょうか。

私をエイブラハムに引き合わせてくれた書店がなくなってしまうとは…寂しい限り。こうやって時代は移り変っていくのですね。
さてさて、私もそろそろ本気でなにかを引き寄せなければ。

第2回『お坊さんと話そう』天台宗、そして最澄について(2018.04.01)

平安時代に始まった天台宗は、奈良仏教よりも実は古い宗派であったと、前回のお話で聞いて驚きました。最澄さんは若くして奈良の都に行き、最新の教えに心酔したのか…と勝手に想像していたのですが、どうもそうではなかったようです。日本の天台宗は、温故知新の宗派だった!?

ニッポン放送『ザ・ボイス そこまで言うか』終了

6年半続いたニッポン放送の『ザ・ボイス そこまで言うか』が昨日、最終回を迎えた。私は関西在住のため、この番組をリアルタイムではなく、翌日の朝、ポッドキャストで聞くことがほぼ日課となっていた。エプロンのポケットにスマホを入れて、この番組を聞きながら家事などをすることが多かったが、私にとっては本当に有益な番組だったので終了は本当に残念。

いわゆる既存のオールドメディアの報道の偏向ぶり、いい加減さに辟易として、だいぶ前から新聞もとらなくなったし、ワイドショーもアホらしくて見る気がしない。食事の支度をしながらテレビのニュースをつけたりはするけど、朝は国際ニュースをチェックする。日本のテレビではほぼ報じられない世界情勢がざっとわかるから。あとはネットのニュースと、海外メディアのニュースの見出しをチェック。海外メディアも日本と同じく偏向ぶりが目立つけれど、それはそれでまた面白い。

といっても、どのニュースも時間をかけてチェックしているわけではないので、私にとっては『ザ・ボイス そこまで言うか』がとても有益だった。日々のコメンテータの切り口はもちろんのこと、時々呼ばれるゲストの専門的なお話がディープで興味深いことが多いのだ。そして、そんな有益なお話を引き出す司会の飯田浩司アナウンサーに私はいつも感心していた。聞き手がしっかり勉強して真摯に対峙するからこそ、ディープなお話が展開されるのだと思う。知識、情報が頭に入っていることはもちろん、相手の性格に応じて(!?)、相手に不快感を与えることなく、いい感じで深いお話を進めていく飯田アナ、聞いているこちらも変な安心感を持って聞いてしまう。それですっかりベテランのイメージがあったけど、実はまだ36歳。意外とお若いことにびっくり。

それにしても、番組の評価も高まり、ちょうど脂が乗ってきたところで突然の番組終了は本当に残念無念。飯田アナは朝の番組を担当されるそうなので、アナウンサーとしては昇進ということなのかも知れないけれど、良心的な公正なニュース番組が少ない今、ここで番組が消滅してしまうなんて。ニッポン放送の上層部(?)はどういうつもりなんだろう!?

来週から始まる『飯田浩司のOK! Cozy up!』(月~金:朝6時~8時)もポッドキャストで聞けるそうなので、私の家事タイムの楽しみが続くよう祈るばかり。ああ、でもひとつの時代が終わったみたいで、寂しいなぁ。

第1回『お坊さんと話そう』比叡山延暦寺について(2018.03.25.)

比叡山延暦寺のご住職にお話を伺いました。まずは「比叡山」、そして「延暦寺」について簡単に伺おう…と話を始めましたが、歴史が長くて、ほんのさわりだけで予定の15分が終了。この話だけで、延々と続きそう…。でも奥深いです。

ananの星占い

先日の日記に書いた通り、私は1980年代後半にパリに留学したのだが、本当はその1、2年後にアメリカに留学するつもりだった。それまでに資金も十分に貯めて、試験など諸々の準備もしようと思っていた。そのとっかかりとして、どこかの留学センターのようなところに資料請求をしたところ、ある日、突然、職場に電話がかかってきた。私が目指していたのと同じようなプログラムが、パリの学校に新設されることになり、現在、学生を募集していると言うのだ。私はそもそもアメリカ留学を考えていて、フランスに興味もなければ、フランス語もできないと答えると、電話口の女性は「アメリカと同じようなプログラムをフランスに作るので、授業はすべて英語ですから問題ないですよ」と言う。しかも、「学校はパリサンジェルマンデプレ地区にあり、日本で言えば表参道みたいな感じかしら」と言われ、パリに憧れたことのない私も心をくすぐられてしまった。

まだ具体的な留学準備をしていない私に、彼女はとりあえず必要書類を提出して、面接にいらっしゃいと畳みかける。その年の10月に開講だから、今から準備すれば大丈夫!と。あまりの急展開に自分でもビックリしたが、事は動き出したら速いのかも…と思い、この流れに身を任すことにした。といっても書類選考&面接を突破しなければいけないのだが。

それでつい、面接に行く直前に私はananの星占いをチェックした。この占い、けっこう当たるとマガジンハウスの友人から聞いていたのだ。その占いによると、その時期の私のラッキーアイテムは「ピカソのプリント」、そしてラッキーカラーは「ウグイス色」。これを見て、私は「やった~!!」と叫びそうになった。

なぜなら、私はその少し前に広島の友人からピカソプリントハンカチをプレゼントされていたのだ。別に誕生日とかの祝い事があるわけでもないのに、あとで聞いてみると、「なぜか、これは厚子ちゃんにプレゼントしなきゃ!」と思って、わざわざ注文して取り寄せた品だという。普通にお店で買えるものではなかったのだ。確かに、私もこれを一目見て、とても気に入っていた。

それから、同じくその頃、私はイヴ・サンローランウグイス色のスーツを購入していた。私はおしゃれに無頓着でお金もあまりかけないタイプなので、ブランドものにあまり興味がなく、ほとんど持っていなかった。ましてサンローランなんて、とんでもない!という状況だったが、当時の職場の近くにサンローランの直営店があり、たまたまセールをやっていたので初めて覗いてみたら、ウグイス色のスーツに「5000円」の値札がついていたのだ! 日本人には好まれない色だったのだろうか。普通のスーツだって5000円ではなかなか買えないと思い、私はサイズをチェックして、即購入! レジでお店のスタッフも、「え? 5000円?」と驚愕していた。(まさか値札を書き間違えたわけじゃないよね!?)

かくして私はサンローランのスーツに、ピカソのプリントハンカチをしのばせて、パリ留学のための面接に挑んだのである。面接官として出てきたのは、私に電話をしてきた女性だったのでびっくりしたが(さらに面接場所も青山だった!)、「私も彼女とパリに行きたい!」と思わせる素敵な方だった。(実際、この方、後にどんどん出世していかれるのだが・・・)

そうして、私はその年の秋に渡仏し、パリサンジェルマンデプレ界隈で暮らし始めた。2年弱のパリ生活は、本当にめくるめく夢のような日々だったのだが、これについてはまたいつか!! 

シリアも春の兆し(でもちょっと絶望的?)

ようやく暖かくなってきた。本当に久しぶりに庭の草むしりをしたら、桜が咲いていた!(実のなる桜で、いつも開花が早いのだ。)今年初めてのウグイスの鳴き声も聞こえたような・・・。

春の兆しに嬉しくなり、シリアのおじさまに写真を送ったら、シリアも花が咲いているよと写真が送られてきた。↓
とはいえ春が訪れても、平和が訪れる兆しはなく、いつまで耐え忍べばいいのだろうとおじさまは嘆く。
しかも雨はもう長いこと、一滴も降っていないそうだ。
それでもおじさまは神を信じて、祈り続けるのみ。
私にも祈ることしかできないけれど。

国際女性デー(アエロフロートの思い出)

日本では馴染みがないけれど、3月8日国際女性デー。今朝のニュースで、ロシアでは多くの男性がこの日、女性に花を送ると解説していた。そういえば、私がこの日を初めて知ったのもソ連がらみだった。それは、ソ連崩壊直前の80年代終わりにパリに留学していたときのこと。

東京の会社を辞めて正式に留学する前に、準備のためにパリに行った際、私は初めてアエロフロートを利用した。自分で貯めたお金で留学するので、少しでも渡航費を節約するためだ。アエロフロートは北回り(だから早く着く)の中では一番安かったのだ。けれど、実際に乗ってみて驚いた。椅子が壊れていたり、機内食はアルミの食器で見た目も味も昔の給食のようだったり。(アイスクリームだけは、とっても美味しかったけど!)一番びっくりしたのは、モスクワで一度、飛行機を下りて再搭乗したら、自由席になっていたこと!!(要は早い者勝ち!)

パリから東京に帰る便では、いかつい大柄なロシア人男性グループの中にぽつんと座るはめになった。幸い隣の男性は、そのグループの中でも小柄な方だったので、さほど窮屈ではなかったけれど、そこら中の空気がなんだか男臭いし、みんな見た目も怖くて、とんでもない席になってしまったなぁ~と思っていた。ところが隣の男性は、とてもフレンドリーで、片言の英語でいろいろと話しかけてきて、私を女王様のように扱うほど異常に親切だった。実はその一団は、ソビエトのナショナルラグビーチームで、フランスに遠征していたのだという。

当時はゴルバチョフ大統領の時代で、彼は「グラスノスチはいいが、ペレストロイカはダメだ」と言っていた。彼自身はグルジア人で(いまはジョージア人と言うのか?)、ジョージア旧グルジア)とモスクワに家があり、ロシア人は嫌いだと言っていた。そして日本のことをいろいろと聞いてきた。

飛行機がモスクワに近づくと、彼は私にモスクワの家に泊まっていけという(ちなみに彼は既婚者)。「ビザがないから無理」と答えると、「なんとかなる」と言い張っていたが、「とにかく無理」と言うとお別れにキャビアをくれた。飛行機を降りる際に、手荷物としてタバコ(マルボロだったと思う)をたくさん持っていて、「これは空港の職員のため」と言っていたから、それで何か便宜をはかってもらったのだろうか!?(もしかしたら、ビザも本当になんとかなったのかも知れない。)

その後、彼のことは忘れていたが、正式に留学してパリでの生活が落ち着いた頃、東京の元同僚から連絡があった。私宛てにモスクワから電話がかかってきたので、パリの連絡先を知らせたというのだ。電話の主は、あのグルジアのラグビー選手以外に考えられない。連絡先を教えてくれというから当時の名刺を渡したのだが、本当に東京に電話していたとは!!

それから一度、手紙が届いたような気がするが、その後、彼はパリの私に電話をしてきた。しかし片言の英語なので、会話も一苦労。事前の手紙にも書いてあったのだが、彼のおばさんがフランスに渡航できるよう、招待状を書いてほしいと言っているようだった。ソ連の人が海外に行く場合、相手国の受け入れ先からの招待状がないとビザを取得できないらしい。「私が日本にいる時であれば、日本への招待状を書くけれど、私はフランスに来たばかりで、ここでは外国人なので、申し訳ないけれど、あなたのおばさんの保証人にはなれない」と返事をしたのだが、彼にちゃんと伝わったかはわからない。電話をしてくるぐらいだから、けっこう焦っている気配だった。今思えば、崩壊前のソ連を脱出するルートを確保したかったのだろうと思う。彼自身はナショナルチームの選手として海外に出ることは可能だったろうけど、ほかの家族のために。

助けてあげられなくて心苦しかったけれど、私自身もフランスでの生活がおぼつかない状況だった。しかも電話の最中に、突然、オペレーターが出てきて途中で通話が途切れたり、なんだか怖くなったのだ。あとで日本人の友人から、「フランスに来たばかりなのに、モスクワから電話がかかってきたりして、スパイだと思われるよ!?」と怖い冗談を言われたくらいだ。

それからだいぶ時間が過ぎたある朝早く(6時前後だったか)電話が鳴った。「フランステレコムですが、あなた宛にモスクワから電報が届いていますので、とりあえず電文を読み上げます。ただし私はロシア語がわからないので、スペルアウトします」と言われ、びっくり。「いや、私だってロシア語、わからないよ…」と思いながら聞き流し、電話を切った。その2時間後くらいに、実際の電報が届いたが、何が書いてあるのかわからない。差出人はあのグルジア人のラグビー選手だ。

手紙ではなく電報ということは、何か重要なことに違いないと思い、私は近所のロシア語専門書店を訪ねてみた。(そう、パリにはそんなお店があるのだ!)下手なフランス語で、「こんにちは。ロシア語の電報が届いたのですが、ロシア語がわからないので、意味を教えてもらえませんか?」と尋ねると、店主はすぐに電報を見て説明してくれた。「女性の日、おめでとう」と書いてあると。「え、なんじゃ、それ!?」とびっくりする私に、店主は3月8日は女性の日なのだと教えてくれた。

ええ~、なんだか拍子抜け! それを言うためだけに電報を送ってきたとは!!(これでは公安に、何かの暗号と思われるではないか!!)
確かその後、バラ模様のカードも届いたので、もしかしたらカードが3月8日に間に合わないからと、電報を打ってくれたのだろうか!?
結局、彼とは音信不通になってしまったが、1991年末にソ連が崩壊してから、どうなったのだろうと、国際女性デーがくるたびに思い出す。

アマロリ・・・なんと尿療法


先日、字幕ドラマについての記事を書いたとき、アメリカのドラマ『BONES』のセリフに、日本のロリータファッションの一種、「アマロリ(甘いロリータ)」という言葉が出てきたことに言及した(
1月22日の記事参照。)

ところが先日、「アマロリAmaroli)」という本を偶然みつけたところ、副題がなんと「フランス版尿療法のすすめ」! アマロリは、著者ドクター・ソレイユ(医師、研究者、教育者からなる5人のグループによる共同執筆)の造語のようだが、古いサンスクリット語からとった言葉らしい。ヨーガ根本経典に「アマローリー」という言葉が出てくるそうだし、シヴァの水(すなわち尿)はアマリーと呼ぶのだとか。

尿療法インドのアーユルヴェーダはもちろん、エジプトなど世界各地で古代から伝わるもので、マハトマ・ガンジーも実践していたそうだ。実は100歳で大往生した私の父も、尿療法を実践していた時期があったらしい。父は、私が生まれる頃まで結核で療養院に入っていたそうだが、それ以降は一度も入院することなく生涯を終えた。だいぶ年をとってからだと思うが、四国に暮らす戦友(第二次世界大戦末期に父は徴兵されたのだ)からある日、郵便が届いたそうだ。「癌で死にかけていたが尿療法で元気になったので、ぜひこの健康法を戦友であるあなたにも知らせたい」という手紙を添えて、尿療法についての小冊子が入っていたとか。父は戦友の勧めに従い、尿療法を実践し、その効果を実感していたようだ。持病がたくさんあって、まるで仕事のように病院通いをしていた母に向かって、あるとき「健康になりたいなら、騙されたと思って、一度、尿療法を試してみるべき」と言ったのだとか。

以上の話は、母がだいぶあとになって教えてくれたことだ。父は私の前では一度も尿療法に触れたことはない。母から話を聞いたときは、げ~っと驚いただけだったが、その後、子供が生まれ、京都の山の麓の一軒家に引っ越した後、なんともいえない体調不良が続いたとき、ふと父の尿療法の話を思い出した。その体調不良というのが、鼻が異常に詰まったり、ひどい頭痛がしたり、目の奥が痛かったり、身体がだるかったりと、それまでに経験したことのないもので、病院に行こうにも何科に行けばいいのかわからず(一応、耳鼻科や眼科には行ったけど)、自分でもどうしていいかわからなかったのだ。それでも「尿療法なんて…」と最後まで抵抗する自分もいたのだが、ちょうど知り合いのとてもおしゃれなご夫婦から、「実は私たち、尿療法を始めて、すこぶる元気なんです」と告白されて、「それなら私もやってみよう」と踏み切ったのだ。

「一度やってみて、嫌だったら止めればいいだけだし」と思ってやってみたら、初日、事前に読んだ通りの好転反応(!?)と思われる症状が出たので、これは効きそうだと思い、結局、一ヶ月ちょっと続けてみた。というか、一ヶ月ほど続けたら、体調が良くなったので、止めてしまったのだけど、やはりこれは効いた!ということだよね!?

あとでわかったのだが、私たちが引っ越した築15年の家(賃貸)のセントラルヒーティング(と書いてあった)のガス暖房には、山のような埃が溜まっていたのだ。たぶん設置後、一度も掃除したことがなかったのだろう。山の麓の寒い場所だったので、強力なガス暖房はありがたかったのだが、家で仕事をしていた私は一日中、そのガス暖房のすぐそばに陣取って、知らず知らずのうちに15年分の埃を日々、吸い込んでいたのだ。夫と子供は昼間は仕事と保育園に行っていたので、体調を崩したのは私だけだったのが幸いだった。ある日、夫がガス暖房の設置面を解体して、おぞましい量の埃が出てきたときは、本当にびっくり。せっかく山の麓の自然いっぱいの静かな環境に引っ越したのに、家の中が埃だらけだったとは!!

ともかくも、この経験から、私の中では「いざという時には尿療法」という思いがある。先日も高いサプリを成り行きで買ってしまったのだけど、もともとこういうもの(錠剤)を飲むのが大嫌いなので、すぐに止めてしまった。そんなものを飲むのなら、尿療法の方が断然お薦め。自分だけの特効薬で、しかも無料。世界を牛耳る巨大製薬会社には支配されない!というささやかな抵抗でもある。

それにしても「アマロリ」だなんて、さすがフランス。尿療法までおしゃれな響き!

大杉漣さん急逝とベイブルース河本くん

2月21日に俳優の大杉漣さん急逝のニュースが報じられたあと、ネットでこんなことが話題になっていると子供が教えてくれた。大杉漣さんが亡くなる前に、Yahoo知恵袋に大杉さんの死亡日は?という質問が投稿され、その回答締め切り日が亡くなられた日だったというのだ。質問者は、ほかの質問は投稿しておらず、この質問をするためだけにID登録したのだろうかという憶測まで飛んだという。この質問はすでに削除されているが、検索するとキャプチャーした画像が出てくるらしい。

なんとも不思議な話だが、これを聞いて思い出したことがある。吉本の漫才コンビ「ベイブルース」をご存知だろうか? 私も詳しくないのだが、90年代にほぼ関西ローカルで活躍されていたので、全国的にはあまり知られていないかも知れない。私も当時、東京にいたので、東京のテレビで彼らを見たことはないのだが、関西在住の友人がビデオ録画して送ってくれていた神戸サンテレビ上沼恵美子の番組などに出演していたのだ。悩み相談番組だったと思うが、「ベイブルースの河本くんって面白い。この人は売れるな!」と思って見ていた。

ある時、先輩に誘われて珍しく飲み会に行き、初対面の男性(先輩の友人)と話していたら、関西出身のその方とお笑いの話になり、「ベイブルース、知ってる? 面白いよね。」と言われて盛り上がった。その時、私は「ベイブルースの河本くん、面白かったですよね~」と話しながら、ふと思ったのだ。「私、なんで過去形で喋ってるんだろう?」と。

そして翌日、飲み会明けで寝坊して、テレビをつけたら芸能ニュースで「ベイブルース、河本栄得さん急死」と報じていたのだ。びっくりして目が覚めた。もしかしたら河本くんの魂がこの世を去るとき、日本中の河本ファンにメッセージを送ったのだろうか!? だから私たちはあの日の夜、河本くんのことを思い出して、話していたのだろうか!? (それも過去形で!)

大杉漣さん、ベイブルース河本さん、才能あふれるおふたりのご冥福をお祈りいたします。
(*河本栄得さん、誕生日の前日の1994年10月31日、劇症肝炎による脳出血のため25歳と364日で死去。)