カラスの家族も「空の巣症候群」!?

6月26日の記事で、この辺りでは3羽のカラスが夏の晴天に羽を広げて日干しをする(たぶん)と書いたのだが、実はこの夏はまだ3羽のカラスを見かけていない。6月26日の記事に載せた写真でも、日干しをしているのは2羽のカラス。去年までは3羽のカラスが仲良く寄り添って、まるでコウモリ傘が3本並んでいるかのように、大きく羽を広げていたのに…。

3羽のうち1羽が少し小さかったので、両親と子供の3羽から成る家族だったのだろう。そして恐らく子供は巣立っていったということか。だから、今年は2羽のカラスしか現れないのだろう。しかし数日前に撮った写真を見ると、やけに2羽の距離が離れているではないか。子供が巣立ったあとの、冷め切った中年夫婦って感じで、こちらも身につまされながら眺めてしまった。

ところが、なんときょうは、とうとう1羽のみが現れて、ゆうゆうと羽を日干ししていた。写真は撮れなかったのだが、もしかして「空の巣症候群」のお母さんカラスだろうか!? それとも、お母さんに相手にされなくなって暇つぶしをしているお父さんカラスだろうか!?

よそのカラス一家のことを心配していたら、ネットを見ていた夫が話しかけてきた。「上沼恵美子夫源病別居しているらしいよ。完全別居の決定打は、大阪北部地震の時に別荘から自宅に帰ってこなかったことだって」

我が家の子ガラスが巣立っていくのは、いつだろう(と戦々恐々)。

小学校の給食の思い出

今となっては信じられないのだが、小さい頃の私はわりと食が細く、好き嫌いもあって、けっこう神経質な子供だったらしい。その上、食べるのも遅かったので、小学校入学後は時間内に給食を完食できず、困った担任の先生がうちの母に、「お宅ではどんなご馳走を食べさせていらっしゃるのですか?」と訊いたという。もちろん「家で毎日、ご馳走を食べていたから、給食なんてまずくて食べられなかった」わけではなく、単に食べるのが遅い私に、先生が「早く食べろ、全部きれいに食べろ」とプレッシャーをかけてくるのが逆効果になっていただけなのだ。

小学校中学年までの担任は、3人とも年配の女性教師だったので、特に「食べ物を残してはいけない」と私たちに強く言っていたのだろう。彼女らも、私の母と同じく、戦争中にひもじい思いをした世代だったのだ。

ところが高学年になって、初めて担任が彼女らより若い男性教師となった。その先生は熱血だけど、怒ると怖いと評判だった。当時は体罰もオッケーの時代だったから、悪いことをした生徒は前に立たされて、平手打ちをされた。罰を受ける生徒が多いときは、先生も手が痛くなるので、黒板消しでガツンとやったり…。でも、叩かれた生徒は誰も反発しなかった。「自分が悪かった、叱られて当然」という時に叩かれるので、みんな納得していたし、逆に先生の愛情の証みたいに感じて、叩かれた生徒は内心、喜んでいたような…。とは言っても、先生が実際に平手打ちするのはよっぽどのことがあった時で、普段は「われ、ドタマかち割っちゃろうか!」と怒鳴るだけの愉快な先生だった。

その先生が、担任となった最初の給食の時間にこう言ったのだ。「ほんまは給食は残さず全部食べた方がええよ。じゃけど、わしは自分が好き嫌いがあって全部食べられんけぇ、あんたらにも全部食べとは言わん。なるべく食べるようにすりゃあ、ええ」。怖い先生だと思っていたので、てっきり「給食はきっちり食べろ」と言われると思っていたのに、無理して全部食べなくていいとはビックリ。しかも先生は、パンを一切食べなかったのだ。当時の給食のパンは確かに不味かったので、今となると、先生の気持ち、よく理解できるのだけど。

これは市内のすべての小学校でやっていたのか、それともうちの小学校だけだったのか、よくわからないけれど、当時、うちの学校ではプールを使わない季節には、プール鯉の稚魚を飼っていた。(さすが、広島だ!)毎年、プール開きの前にその稚魚を売って、何かの足しにしていたのだと思う。なので、プール開きの前には、藻などで緑になったぬるぬるのプールをみんなで掃除するのが恒例だった。

パンを食べない担任の先生は、稚魚がいる時期は、給食を食べ終わるとプールに行き、パンをちぎってはプールに投げ入れて鯉の餌にしていた。私たちも、たまに一緒に行って、自分が残したパンや、先生の残したパンをもらって、プールに投げ入れた。わけもなく、すごく楽しかったのを覚えている。

そして、給食が食べられなかった私が、なんとこの先生が担任になってから、給食を楽しく完食するようになったのだ。「無理して全部食べなくていい」と言われたら、全部食べられるようになったのだから、人間って不思議。(なお、「強制しない方がうまくいく」というこの法則は、自分が子育てをするようになってから、何度も実証済みだ。)

ところで給食の残飯って、今はどう処理しているのだろう? 当時は、給食係りがまとめて大きなバケツのような容器に入れた残飯を、近所の豚小屋に持って行っていたように記憶している。(その豚小屋を覗きに行くと、豚が残飯を食べていた。)その頃は、学校のトイレもすべて水洗ではなかったので、バキュームカーが来ていたし、今思うとエコな時代だったのだ。

さて、私を「好き嫌いなく何でも食べられる人間」に変えてくれた担任の先生とは、小学校を卒業してから会ったことはない。いや正確には、一度だけ、先生の姿を見かけたことはある。私が帰省した際、夜遅くに夫と一緒に駅前の大型書店に行ったところ、先生らしき人を見かけたのだ。いつも口癖のように、「若いうちに本はたくさん読め」と言っていた先生だったので、間違いはないと思う。「年をとってから、あの時、もっと本を読んでおけば良かったと後悔するから、今のうちにたくさん読め」という先生の言葉を、まさにその通りだと思い出していたのだけど、その時の私は、すっぴんでどうでもいい格好をしていたことが恥ずかしくて、先生に声をかけられなかった。そして、そのことを今も後悔している。それ以来、どこで誰に会うかわからないから、恥ずかしい格好では出歩かないように…と言い聞かせているのだが。ちなみに、先生の住んでいらした地区は、今回の豪雨で大きな被害があったらしい。まだそこに住んでいらっしゃるかどうかもわからないけれど、今も元気でいらっしゃることを祈っている。


*ご近所さんから頂いたナス!

呉市が舞台のドラマ『この世界の片隅に』

2016年のアニメ映画が話題になった時に初めて知ったこの作品、見たいなあと思いつつ、そのままになっていたら、このたびドラマ化されて、TBSの『日曜劇場』で7月15日より放送が始まった。こうの史代さんの漫画が原作で、2011年にも日本テレビでドラマ化されていたらしい。

西日本豪雨の甚大な被害が連日、報じられる中でのドラマ開始。久しぶりに広島弁のドラマを見て、懐かしさに駆られた。江波、草津、呉、広…懐かしい地名の数々。しかしあろうことか、私は初回の最初を見逃してしまったので、その後、毎週録画に設定。これで安心して最後まで見られるはずだ。

水道のある広島からの高台の家に嫁いだ主人公は、毎朝、近くの井戸で水を汲んで運ぶことになり、慣れない作業に四苦八苦する場面があったのだが、今も断水が続く地区では、この暑さの中、さぞ大変だろうと考えてしまう。給水の水は、臭いがあって調理にはなかなか使えないらしい。市内でも、断水がまだまだ続きそうな地区が、いくつか残っているし、道路や鉄道の復旧は今年後半、あるいは来年まで、かなり時間がかかるらしい。そのため、今、通行できる道路はいつも渋滞していて、移動の時間が読めないのだとか。

被害が広範囲すぎて、テレビが報じた被災地はほんの一部。日に日に全国ニュースで報じられる時間も減っているので、遠くにいると様子がわからないのだが、私の生まれ故郷もけっこうな被害が出ているらしい。テレビでは一切報じられなかった気配だけれど。

ちなみに『この世界の片隅に』の作者、こうの史代さんは、広島市の出身で、年代も私とわりと近い。実は数日前から夢中になって読んでいる本の作者が、私と同世代の広島県出身の作家(男性)なのだが、偶然にも夫がいま読んでいる本の作者も広島県出身(の女性)で、男性作家と同い年であった。

なんだか、寝ても覚めても広島の日々。広島を引き寄せているのだろうか。(ちなみに、少し前に近所のスーパーで買ったおいた味付け海苔を開けたのだが、これも広島矢野の会社だった。)

そして、このタイミングでの『この世界の片隅に』のドラマ開始。通常の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうな被災地でも、このドラマを見て励まされている人が多いのではないだろうか。

晋川尚人さんのご両親の言葉

西日本豪雨で殉職された広島県警呉署晋川尚人さんのご家族から、友人を通じて感謝のメッセージが届いた。故郷の惨状を報道等を通して見て、祈ることしか出来なかった私としては、もどかしい、やるせない気持ちでいっぱいだったけれど、こうやって素晴らしい警察官とそのご家族に間接的にでも知り合えたことを本当にありがたく思う。

以下、尚人さんお母様のメッセージです。

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みんなにはツイッターで拡散してもらって、尚人の最後の仕事をわかってもらえてほんとに感謝しています。

一区切りついた今、ほんとに孫がパパのこと誇れるのか?わかりませんが、孫には「パパは凄く大変なお仕事したから、すごく疲れて眠たくなっちゃった。寝させてあげてね」と話しました。理解できる年齢ではないけれど、何かを察しているようです。あどけない笑顔を見たら泣きそうになります。

6日以降、連日捜索に行きテレビ、新聞にも目を通す暇もありませんでした。お誉めの言葉をいただいているようですが、故人は当たり前のことをしただけ…と言っています、ほんとにそういう子でした。

お通夜の日に助かった方がお礼に来られて涙を流してくださり、初めて私はほんとにそういう行動をしたんだと確信できました。
ですが、残された家族はこれから哀しみに溺れながら、それでも前を向いて歩かなくてはいけません。

どうかそんな警察官を天職として選び人のために生き、短い人生を終わらせた男がいたことを心の片隅に残していただければ…と思います。
捜索にあたり、拡散していただいた皆様に感謝します。

みんなのおかげで拡散してもらって家に帰ることができました。ありがとう。拡散してくださった方に伝えて下さい。

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友人によると、お母様は「尚人の死を無にしないよう家族仲良く前を向いて進めるよう頑張ります。たくさん褒めていただきありがたいです。そんなにヒーローなんかではない、ただの愛しい息子です」ともおっしゃっていたとか。

また葬儀に参列された方によると、お父様は次のようにお話されたそうだ。

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与えられたミッションを果たしたけれど自分の命を落としてしまいました。
こんなカッコ悪い息子ですが誇りに思います。
皆さん、尚人のことを忘れないでください!

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私も同じひとりの親として、おふたりの言葉に込められた思いにただただ胸が締めつけられる。こんな素晴らしいご両親の下に生まれて、幸せだったね、尚人さん。そして尚人さん自身も幸せな家庭を築かれていたのだろうと思うと、辛くてたまらないけど、最後までりっぱな警察官だった尚人さんを誇りに、奥様とお子さんも、お母様がおっしゃっていたように前を向いて歩いていかれますよう、影ながら応援しています。

豪雨の被災地の一日も早い復旧も、祈りつつ。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月16日の記事「〔西日本豪雨〕呉署の晋川尚人さんに関する報道について

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

第18回『お坊さんと話そう』お盆について(盂蘭盆会・うらぼんえ)(2018.07.22.)

前回の「戸津説法」の説明で、お中日に「施餓鬼」や「地蔵盆」をするというお話がありましたが、これはどちらも「お盆」の行事です。そこで今回は比叡山から離れて、「お盆」について伺いました。「お盆」は正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、その由来となった「盂蘭盆経」というお経があるのだそうです。それはどんな内容なのでしょうか…!? 
(*この番組は、iTunesでも聞くことができます。購読ボタンを押すと、更新時に自動的にエピソードが追加されます。なお、番組についてのご質問は、https://hatomuneatsuko.com/ のお問い合わせのページからどうぞ。)

家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

尚人さんたちが行方不明になった7月6日尚人さんの親御さんのお友達Iさんは、広島から矢野に帰る際、JR呉線が止まっていたので、バスに乗ったものの、自宅近くは通行できない状態になっていたため、その手前の地区に暮らす妹さん宅に泊めてもらったそうです。実は、その妹さん宅のお隣さんのお友達が尚人さんたちの避難誘導で助かった方たちだったので、尚人さんたちが行方不明になった場所を教えてくださったのだと。

現場は車で行ける状況ではなく、ご家族はお友達Iさんの妹さんのお宅に車を停めて、そこから1時間歩いて捜索に行かれたそうです。連日の捜索活動、酷暑の中でどんなに過酷だったことでしょうか。それでも、尚人さんがきっとこの近くにいると思うと、辛いというよりも、居ても立ってもいられないような気持ちだったでしょうか。考えるだけで、胸が締めつけられます。

それにしても、こうやって偶然にも、最後まで尚人さんと一緒にいた方々とすぐに出会えたのは、尚人さんの叫びが伝わったからでしょう。尚人さんがご家族を現場に引き寄せたとしか思えず、またも感動…。

広島県警・呉署の晋川尚人さん、昨日がお通夜で、きょうが葬儀だったと聞きました。辛すぎるけれど、りっぱな人生を生き切った尚人さん、心からご冥福をお祈りいたします。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月16日の記事「〔西日本豪雨〕呉署の晋川尚人さんに関する報道について

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月22日の記事「晋川尚人さんのご両親の言葉

お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

西日本豪雨で行方不明だった呉署の警察官山埼賢弘(かつひろ)さん、そして晋川尚人さんもみつかったと一報が入った。本当に悲しすぎるけど、ご家族のもとにようやく帰ることができて、よかったです。りっぱに最後まで務めを果たされたこと、忘れません。ありがとうございました。

友人から聞いた晋川さんの親御さんの言葉を記しておきます。尚人さんに永遠に届くように。

ありがとう。世界一の立派な息子、世界一の親不孝息子、尚人

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月16日の記事「〔西日本豪雨〕呉署の晋川尚人さんに関する報道について

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

*2018年7月22日の記事「晋川尚人さんのご両親の言葉

呉署の晋川尚人さんに関する報道について

昨日の記事『西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)』は、7月14日(土)の読売新聞の記事に基づいて書いた。その後、FNN7月15日の朝日新聞、そしてきょう7月16日テレビ朝日『モーニングショー』でも報じられたようだ。この『モーニングショー』の報道に基づいて、晋川さんらの記事をアップしたニュースサイトには、人数が間違っているというコメントが寄せられたそうだ。そこで、正確な情報を知りたいと、私宛てに問い合わせて下さったのだが、私が返信する前に夕方の日本テレビの報道を見て、情報を修正されたようだ。

その後、友人を通じて晋川さんのご家族にこの件をお知らせしたところ、正確な人数を教えてくださった。しかし、マスコミの中には勝手に、あるいはいい加減に報道するところがあるようで、直接マスコミ対応する余裕はなさそうだった。朝日新聞の記事には、直前にお父さんが晋川さんに電話をしたと書いてあったが、「実際には電話していない、誰かの話とごっちゃになっているのでは?」とのこと。どうしてそんなことを間違えるのだろうか!?

一番大事な「人数」という情報を間違えて報道するテレビ。そして「事実ではない話」を報じる新聞
災害当日の混乱の中ではなく、一週間以上過ぎてからの取材で、こんないい加減な報道がされているとは。
ただでさえお疲れのご家族の心労を増すような結果になっているとは、残念でならない。
すべてがそうだとは思わないが、ますますメディアへの信頼が揺らぐ。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

*2018年7月22日の記事「晋川尚人さんのご両親の言葉

西日本豪雨で行方不明の呉署の晋川尚人さん(続報)

昨日(7月14日)、横浜の友人から晋川さんのご家族が7月13日の私のブログ記事をご覧になったと連絡があった。晋川さんには、奥様との間に2歳の息子さんもいらっしゃるとのこと。ますます涙が出てくるけど、7月14日付の読売新聞に記事が出たと聞き、多くの方が晋川さんのことを知ってくださったのが、せめてもの救いだ。

けれど、友人が送ってくれた新聞記事を読むと、またも涙が出る。同じ車で帰宅中だった呉署の警察官晋川尚人さん山崎賢弘(かつひろ)さんは、土砂崩れで行く手を阻まれた際、立ち往生しているほかの車の人たちに「避難しましょう」と声をかけ、誘導していたのだ。恐怖におびえる女性に「大丈夫ですよ」と声をかけ、一番後ろに移動した二人は「これがベストだよな」と確認しあっていたそうだ。ところが、またも土砂が押し寄せ、後ろにいた晋川さん山埼さんともうひとりの男性の姿が消えていたという。残りの7人は、幸いにもその後、救助された。

記事には、晋川さん山埼さんの顔写真も載っていた。お二人とも、なんていいお顔をしていらっしゃるんだろうと、またも涙。こんな若くて、りっぱな警察官を失ったとは悲しすぎる。勤務時間外でも、私たちの安全を守ろうと最善を尽くしたお二人に、国民のひとりとして感謝を捧げたい。しかも、私の故郷の警察官だなんて、誇らしい限りだ。

お二人については、その後、FNNや朝日新聞などでも報じられているようだ。ご本人、そしてご家族の無念さを思うと、悲しくてやりけれないけど、晋川尚人さん山埼賢弘(かつひろ)さんのお名前は忘れないと思う。私が広島を愛する理由がまたひとつ増えた。

お二人を含め、行方不明の方々が一日も早くご家族のもとに帰られることを祈っています。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月16日の記事「〔西日本豪雨〕呉署の晋川尚人さんに関する報道について

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

*2018年7月22日の記事「晋川尚人さんのご両親の言葉

第17回『お坊さんと話そう』比叡山の麓の戸津説法とは(2018.07.15.)

前回、伺った伝教大師最澄のご命日(6月4日)に行われる『長講会(じょうごうえ)』では、8月21日~25日の『戸津説法』の説法師が発表されるそうです。これは、比叡山で修行していた最澄さんが、里に下りて一般の方々に法華経を説いたことが始まりだとか。その説法は、最澄さんがご両親の供養のために建立したといわれる下阪本の東南寺で行われます。どんな行事なのか、詳しく訊いてみました。
(*この行事、あるいは番組についてご質問があれば、お問い合わせのページからどうぞ。)