母の主治医へのお礼状

この間から少しずつお礼状を書いている。一気に書ければいいのだけど、慣れないことは時間がかかる。きょうはやっと、母がお世話になった歴代の(!?)主治医の先生方への礼状を書き終えた。18年前の急性心筋梗塞以降の主だった先生方だけで、6名。

1992年、バルセロナ・オリンピックの開会式を見て、「すごかったわ~」と電話で話してくれた母が、その翌日に病院に運ばれた。父からの「もうダメらしい」という留守電を聞いて、慌てて東京から広島に戻ったら、「血管も詰まっているし、心臓の真ん中の壁にも穴が開いているし、打つ手はない」と説明を受けた。けれどICUでいろんな機器につながれている母は、しっかり意識もあって、自分がそんな状況とも知らず、普通に喋っていた。だから、葬儀はどうしたらいいんだろう…などと相談していた私と父も、母の前では普通にオリンピックの話をしていたのだ。冷たくて黄色くなってきた母の足を触って、あと何日もつんだろうか…と思いながら。

ICUの横に畳の家族控え室があり、私たちの他にも二家族くらいが待機していらしただろうか。確か、火事で大やけどを負った患者さんがいらしたのだ。部屋では誰も喋る者はなく、たまに電話が鳴ると、みんなドキリとする。患者に異変があったときなどに呼び出されるのだ。

夕方に私と父は、「今すぐどうこうはないですから、きょうはお家に帰って休んでください。何かあれば、すぐにお家に電話しますから」と言われ帰宅した。自宅は病院の近所だったので、すぐに駆けつけられるという気持ちもあったし、何よりあの重苦しい控え室から抜け出せて、ほっとした。

と思ったら、夕飯後に病院から電話が入った。ドキドキしながら話を聞くと、今までとは違う医師が「今から緊急手術をすれば、まだ助かる可能性があると思います。すぐに準備を始めますが、輸血用にお母さんと同じAB型の人を、できたら10人ちょっと集めてください」とのこと。うちは父も私もAB型だが、とにかく大急ぎで親戚や仕事関係の人などに電話をかけて、夜中までに10人以上が集まった。ただし、父は高齢すぎて輸血メンバーから外された。私は血縁者で若かったため、一番たくさん採ってもらった。夜中にも関わらず、急いで集まってくださった皆さんには、なんとお礼を言っていいかわからなかった。もちろん、一睡もせず翌朝までかけて手術を敢行した医師や看護士の方々にも。

手術後の報告を執刀医がしてくださったのは、翌朝の7時か8時くらいだったろうか。その夜は私も手術室前の廊下の椅子で明かしたのだが、はて、誰が一緒にいてくれたのか…はっきり思い出せない。手術は無事に成功。心臓の壁の穴を塞ぎ、詰まった血管のバイパス手術もできたとのこと。心臓は筋肉の塊で、本来なら硬いのだが、母の心臓は豆腐のように柔らかくなっていたらしい。しかも2/3は壊死状態。そんな説明をしてくださる先生は、私に対して母のことを「おばあさん」と言う。父が母より20歳近く年上で、かなりの高齢のため、先生は私を「孫」と勘違いしていたのだ。最初の切羽詰っていたときに、「おばあさん」を訂正できなかったことを悔いたけど、すでに遅し。けれど、最初に対応してくださった心臓内科の先生から、手術を担当したこの心臓外科の先生に主治医が交代し、やがて先生にも私が「娘」であることが明らかとなった。

ところで、母が突然入院したとき、私は東京で転職したばかりだった。最初は助からないと聞いていたから、「葬儀が終わったら戻りますから」とお休みをもらったものの、一命をとりとめ、これから看病が必要な入院生活が続くこととなり、私は悩んだ末に職を失うことも覚悟して、社長にお伺いをたてた。「本当にずうずうしいお願いなんですが、しばらくの間、在宅勤務という形をとらせてもらえませんか?」

それまで勤務していた外資系証券会社であったら、おそらく有休を使い果たして、退職せざるを得なかったと思う。ところが、転職先はワンマン社長の中規模(?)出版社だったため、事情を聞いた社長の「いいよ」の一言で話は決まった。それで、まだ業界のこともわからない新入りスタッフの私が、広島の実家でFAXをやりとりしながら勤務することになった。お陰で2ヶ月近く、毎日病院に通って母の看病もすることができた。

退院のメドがついて東京に戻ったとき、社長にお礼を言いに行ったら、「俺は情深くて、OKしたわけじゃないよ。お前が単行本のセクションだからOKしただけ。雑誌のセクションだったら認めてないよ」と軽く言われた。恩着せがましくない社長の男前ぶりに、心の中で泣きながらお礼を言ったことは忘れられない。

思えば、本当にたくさんの人のお世話になったのだ。手術の決断をしてくださった主治医はもちろんのこと、ICUの看護士さんたちの仕事ぶりも感動モノだった。母が元気になったとき、せめてものお礼にとチョコの詰め合わせを持って行ったら、「病院の規則で受け取れません」と言われたのに、どうしても気持ちがおさまらず、「ほんとに感謝しているので、ほんとに小さなチョコなんで…」と泣きながら、無理やり受け取らせた記憶がある。

先生方への礼状を書きながら記憶を辿っていたら、名前も住所も知らない方を含め、感謝すべき方があまりにもたくさんいることに改めて気づかされた。人間、本当にひとりでは生きていけないのだ。

この感謝の気持ちを忘れないように…と言い聞かせる。(しょっちゅう忘れるんだけどね。)

*きょうの夕方は京都。
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“母の主治医へのお礼状” への2件の返信

  1. ホント厚子さんに同感です!
    人はいくら一人で人に迷惑掛けないように生きている人でもいろんなところで人のお世話になったり、支えられているのですよね。それに気付いて感謝できることは素晴らしいことだと思います。
    人は周りの人にたくさんの物をもらっています。自分もいつでも誰かの支えになったり、惜しみなく分け与えることができる人になりたいと思います。
    …なんてなかなか実践できていませんが。
    うちの子供たちはまったくそれがわからないので…困ったもんだ。

  2. 私も言っておきながら、なかなか言動が伴っているか…反省です。
    うちの老親もご近所の方々にお世話になったからと、せめて近所のお年寄りの長い世間話にはつきあうようにしているんだけど。

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