不思議な縁

先日、中高時代の友人からご主人が制作したテレビの新番組のお知らせがきた。ネットで検索してみたら、その番組の制作に携わった方のブログに遭遇した。そして、そのブログの最新日記を見ると、なんとその方は東京から関西まで移動して、ご主人のバンドを見るために私の友人のライヴハウスに来ているという。まさに、私がその日記を読んでいた頃、ライヴが行われていたのだ。

なんともいえず不思議な縁を感じてしまった。が、そもそもなぜこの方のブログに読み入ってしまったか。それは可愛い男の子の写真を見てしまったから。この方の息子さんは、うちの子のほぼ二年後に生まれ、わずか2歳半で突然の病気でこの世を去ったのだという。

大切なものができると、人はそれを失うことを恐れ、おびえる。私も子供をもつようになってから、この子が何事もなく無事に大きくなるようにと、いつも祈るような気持ちでいる。何かの間違いで突然、この子がいなくなってしまったらどうしよう…という恐怖心は、いつも心のどこかにある。だから、子供の事件をニュースで聞いても他人事とは思えない。子供は特に、自分の子供でありながら自分のものではない、預かりものという意識があるからこそ、この気持ちは切実だ。

子供に限らず、出会いがあれば、必ず別れがある。それがわかっているからこそ、共有できる「いま」が大切なのだ。そして出会いも「いま」も、永遠に心の中で生き続ける。不思議な縁で出会った、もうこの世にはいない男の子も、いまでは私の心の中で生きている。

*きょうも霧の朝。このあとは快晴となりました。
kiriasbs

結晶

友達が雑誌に書いていた雪の結晶の話によると、雪の赤ちゃんともいえる氷の粒を氷晶と呼ぶのだとか。
とすると、今朝、車の窓にはりついていたこの結晶も氷晶の一種と言っていいのかしら?

今朝の気温は道路脇の表示によると、-7℃。この寒さのおかげで、自然のちょっとした神秘の世界を垣間見た。

これを見て、きゃあきゃあ喜んでいるうちの愛の結晶(?)も、よくわからない言動を繰り返す、神秘の存在です。

友達が引用していた中谷宇吉郎の言葉:「雪は天からの手紙」。
じゃあ、子供は「天からの贈り物」。

さっき、その「天からの贈り物」にせがまれて、こたつの中で膝にのせて、本を読んでいたら、その前にあられをつまみ食いしていたせいか、ゲップが出た。今朝、あんなに無邪気で可愛かった「天からの贈り物」はクールに言い放った。

「今のなに? ゲップ?」「うん」「ゲロの匂いがする」。

きれいな話のはずが、汚くなってしまった。
子供に教わることは多い。

結晶

最寄のコンビニ

毎週月曜の夕方は、子供と一緒に車で20分ほどの友人宅に行く。この過疎地区に引っ越す前の保育園で知り合った友人だ。
まだ50代前半の彼のおばあさんはイギリス人で、古い日本家屋
を上手にリフォームして、何年もかけてすてきなイングリッシュ
・ガーデンを作っている。

彼女の末の息子さんと、お孫さんのために、自宅で英語のレッス
ンをすることになり、うちの子も誘われて通い始めた。レッスン
というより、懐かしい友達と一緒に遊べるのが息子は嬉しいらしい。事実、最初に30分くらい遊んでエネルギーを発散してから、レッスンが始まる。先生は、彼女が息子のように可愛がっている20代前半のカナダ人の青年。レッスンが始まるまで、彼は大工仕事にいそしんでいる。彼女の家のリフォームも、かなり手伝ったらしい。

そして私は、彼女の庭やその先に見える山々の景色を眺めながら、ジンジャーティーをいただき、本を読んだり、お喋りしたりと、リラックスした静かな時間を過ごす。ときに、レッスン中の二階からドタバタと走り回る足音が聞こえるけれど。

大家族と、英語学校を切り盛りしながら、ガーデニングやその他
の自分の仕事もこなす彼女は、いつも忙しいのに、決して慌しい
雰囲気がない。精神的に非常に安定していて、寛容で、包容力の
ある人だ。その秘訣は、毎朝の瞑想にあるそうだ。

周りの景色が気に入って山の中に移り住んだ私だが、ここの景色
も大好きだ。うちの辺りほど田舎じゃないけど、街中の喧騒から
もほど遠い。そういえば、ちょっとイギリスに似ているのかも?

帰りは子供とふたり、この近くのコンビニに寄るのが習慣となっ
ている。実は、ここがうちの最寄のコンビニのひとつなのだ。山
の中の我が家からは、北、南、東と三方向にそれぞれ20分ほど走ったら、コンビニに行き着く。私たちにとっては、コンビニがあるというだけで、ここはかなりの都会なのだ。

大原

バレンタインデー

子供はどこで聞いてきたのか、「きょうはバレンタインだし、
お母さん、チョコレートケーキ買ってきて。おとうさんとぼ
くはお留守番しとくし」と言われてしまった。

人気のお店に行ったのは、もう夕方だったので、チョコレー
トケーキは売り切れ。他のケーキも残り少なくなっていた。
辛うじて、カカオケーキとチョコシフォンをゲット。
私はいまひとつチョコが好きではないので、自分用に別のケ
ーキもしっかり買った。

炊飯器だけはセットしていたのだが、帰宅時間が予想外に遅
くなってしまったので、おなかをすかせた夫がすでに夕飯の
準備を始めていた。おお、ラッキー!
(そうか、この手があったか…。)
そしてテーブルには、チョコレートが! 写真のチョコは、
夫と息子のを合わせたもの。どっちがたくさんもらったのか
は、内緒。

チョコ

バイオリズム!?

昨日はバイオリズムが低調だったのか、寒くて体調を崩したのか、やることはあるのにやる気が起きず、どうでもいいことで落ち込んで、イライラしてしまった。

近所の山の中にあるすてきなファームレストランの姉妹店として
最近オープンしたカフェに初めて行ってみたのに、そこでのディ
ナーも子供がぐずったことがきっかけでサイテーの雰囲気に。
子供も私のイライラに影響されたんだろうな~と、あとで反省。

たった三人でも、各人が満足できる形でことを運ぶのは難しい。
そして、自分の機嫌が回りの人間にこんな影響を与えるとは…。
つくづく反省しました。

体調がいまいちで、しかも鼻が詰まって匂いがわからないことで、せっかくのディナーが楽しめなかったのも、大きかった。
匂いがわからないと、なにを食べてもおいしくないのね。

ほんとにバイオリズムって関係あるのかなと、ネットで調べてみ
たら、まさに昨日は一ヶ月の中でもっとも不安定な要注意日と出
た。へぇ~。これだけで納得して、なんかすっきりした私って、
やっぱり単純!?

yui

絵本とタンザニアコーヒー

今朝もさらに雪が積もった。
車を掘り出すのに一時間かかった。ふぅ。

昼過ぎに、日差しで眩しい雪の世界を出発。
きょうは子供と一緒に絵本パフォーマンスに出かけた。
場所は街中のギャラリー。
うちと同じ建築家の方が改築されたことが縁で知り合った。

パフォーマンスのあとも、子供は絵本に夢中で見入っている。
その間、私はフェアトレードによるタンザニアコーヒーを注文。
都会のど真ん中とは思えない、静かな時間が流れる町家の空間。
古都の町家で、遠いアフリカに思いを馳せながら、ほっこりさ
せていただいた。

きょうは子供についても新たな発見があった。保育園でたくさ
んの絵本を読んでいることと、外でもジャケットなしで平気な
こと。親が知らない間に、子供はたくましく成長しているのだ
なあ…。

画廊

つらら、つらつら・・・(おばちゃん、余計なお世話だよ)

今朝は雪かき中の裏のおばちゃんにつかまり、10分ほど立ち話。一人暮らしのおばちゃんは、宗教の勧誘の人まで話相手にしちゃうほど、お喋り好きです。

山が荒れているという話をひとしきり聞かされ、その後、「ひとりっ子はよくないぞ」という話やその他もろもろ。
そしてやっと犬の散歩に出かけ、昨日より長くなったつららを見ながら、つらつらと考え事…。

ここは田舎のせいか、うちみたいなひとりっ子は少数派。兄弟が多いお家はにぎやかで楽しそうだけど、私自身もひとりっ子なので、ひとりはひとりでそれなりに楽しいことも知っている。

それより、不思議に思うのは、おばちゃんみたいな発言をする人が多いこと。(昔から。)人は誰しもひとつの立場しか経験できないのに。ひとりっ子ひとりっ子の立場しか知らないけど、たとえ兄弟がいても、長男は長男の、末っ子は末っ子の立場しかわからない。その立場がどう影響するかは、人それぞれ。自分の置かれた状況を、楽しんで、活かせることができさえすればいいんだから、どういう状況にあるかは私にはあまり重要ではないんだけどなあ。どっちにしたって、自分でどうこうできることじゃないんだし。

もっとわからないのは、少子化少子化って政府やメディアが騒いでいること。少子化のなにが悪いんだ?
つらら

母親業がいちばん大変

ようやく保育園が始まったのに、息子は朝からちょっとしたことでぐずりだし、結局なだめるのに一時間近くを費やしました。子供なりにいろいろ思いはあるだろうけど、こちらも忍耐力が足りず、子供と同じくらい暴れてしまった。

「母親業はそうでもないけど、仕事は大変」と言うキャリアウーマンがいたけど、私にとっては母親業がいちばん大変。まだまだ修行が足りません。

明日からは三連休。ああ、いつもの生活に戻るのは、いつのことやら。

*裏のおばちゃんが、山からセリを採ってきてくれました。
せり

子供時代の感情のコントロール

うちに遊びに来てくれたお客さんが帰るとき、うちの子は悲しさのあまり、暴れだすことがあります。きょうも悲しさに眠さと空腹が加わって、収拾がつかなくなりました。本人にもコントロールできない状態です。悲しくて、足をバタバタさせながら、「行かないで~」と泣き叫ぶ姿を見たら、6~7歳頃の自分を思い出しました。

その頃、我が家は父の勤務する会社に住み込んでいたのですが、会社のおばちゃんたちが仕事を終えて帰って行く後姿を、私が泣きながら追いかけていくので、いつも母が後ろから引き止めていたのです。明日も会えるとわかっているのに、この世の終わりかと思うほど悲しかったことを覚えています。

いったん悲しみがおさまると、ケロリとして、いつもの明るい表情に戻っているのが子供のいいところ。もてあますほどの感情があるのはいいことだけど、そのコントロール方法を身につけてもらわないとなあ。

いや、子供よりもまずは自分が身につけるべきか。子供は親の鏡だと、つくづく思います。

寝姿

記憶

先日、なんでだか、うちの子(4歳)がおなかにいたときの話になり、本人に「そのときのこと、覚えてる?」と尋ねると、「覚えてな~い。」これまでも何度か尋ねたけれど、いつも同じ答え。が、今回は自分の作り話で、そのときのことを語り始め、それがあまりにリアルだったので、びっくり。やはり潜在意識の中に、しっかり残っているんでしょうか。

自分について考えると、どうも私の記憶装置は自分に都合のいいことばかりを覚えさせているようです。この年まで生きていると、悲しかったこと、つらかったことも多少はあったかと思うのですが、いい思い出しか思い出せない。

自分の意識のどこかに悲しい記憶も残っているんでしょうか。いや、悲しかった過去の出来事は、事実として記憶に残ってはいるのだけど、それを思い出しても、悲しみは蘇らない。逆に、幸せな思い出は、今思い出しても、そのときの幸福感が味わえるのです。なんとも都合のいい、私の記憶装置!

そういえば、チュンサンとしての記憶を失ったはずのミニョンさんが、チュンサンと同じことを言ってたなあ…。と、また冬ソナのこと、考えてる。やばい、やばい。

木