ポリープ切除とパリの中華の思い出

一週間ぶりに病院に行き、ポリープ切除。もともと自覚症状はないし、切除も痛くないので、いったい何があったのやら?って感覚だが、一時間ほど安静にするよう言われ、病院の一室で寝かせてもらった。風邪気味で疲れていたので、これ幸いとぐぅぐぅと寝てしまった。

お昼に夫が迎えに来てくれたので、近くの中華屋さんでお昼を食べた。私がどうしてもスープが飲みたくて、近くでスープのあるお店といえば、ここしか思いつかなかったのだ。前に頼んだ卵スープが美味しかったのだが、きょうは季節メニューに酢辣湯を発見。早速、注文した。

酢辣湯で思い出すのは、あまりお金がなかったパリ生活で重宝したリュクサンブール公園近くの中華屋さん。ハゲた横山やすしみたいなベトナム人のおっちゃんが、安くておいしい定食を出してくれた。そに行くと、私はいつも酢辣湯を選んでいたのだ。

日本人留学生は、あまりお金がない人が多かったけど、台湾出身のお金持ちのクラスメートはひとりで外食するときも、何品も料理を注文していた。食べ切れないほど、たくさんの種類を注文するのが流儀なんだと。

その彼女が日本人留学生(の男性陣)に言っていたことを思い出す。

「この国では意見を言って主張しないと、バカだと思われるわよ。クラスの議論が低レベルでくだらないと思ってるのはわかるけど、だからって黙っていたら、バカにされるだけ。あなたたちの方がよっぽどいろんなことを知っていて賢いことを私は知っているけれど、主張しないとダメなのよ!」

彼女はもどかしそうに叱咤激励するのだけど、おくゆかしい日本人男性たちは、「あんな重箱の隅をつつくような、ただ議論に勝つためだけの議論に参加するのは、はしたない」と思って黙ってしまうのだ。で、私はと言えば、退屈して居眠りしていたんだけどね…。

そういえば、きょうのポリープ切除のあと、「へ~、こんなに簡単にとれるんですね~!」と言うと、台湾出身の先生が、「簡単じゃないよ。私の30年の技術ですよ!」とおっしゃった。確かに、それはごもっとも! 

上手に主張してアピールする力を日本人も身につけないと…。

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中国民主化運動(天安門事件)、ウルケシ(ウーアルカイシ)の思い出

念願の(!?)整体師さん来訪!
たまりにたまったコリをほぐしてもらって、本当ならば至福のひとときなのだが、「選挙、どうしましょうね~」って話から、どんどん盛り上がってしまった。この方とは、ぶっちゃけ話ができるので、心のコリまでほぐれたかも…!?

岡田外相の実家が、子ども手当で買い物しようと宣伝してるだの、韓国の子どもたちの描く絵が信じられないねなど、いろんな話で盛り上がってたら、「あの天安門のリーダーの人はどうして逮捕されたの?」という話から、またまた話が広がってしまった。

私がパリ留学時にメトロで目撃したウルケシは、ぽっちゃり太って、おしゃれな皮ジャン着て、彼女といちゃついていたっけ。同じく天安門事件後に中国から逃亡してきたクラスメートにそのことを話したら、「あいつは堕落した」と吐き捨てていたけど、ウルケシは今も民主化運動を続け、ウィグルのこと、家族のことを思っていたのだ。

ちなみに私はそのクラスメートと、その数年後に東京で再会した。フランスで就職した彼が、出張でアジア各国を回っていたのだ。亡命者扱いなので、パスポート代わりの分厚い書類を持ち歩き、「台湾にも、日本にも行けるのに、中国だけは行けない」と話していた。「ウルケシほどの有名人なら、帰国して逮捕されてもすぐに処刑はされないだろうが、ボクのような無名の活動家は帰国したら処刑されて終わり。エアコンもない、四川省の田舎で暮らす母親には二度と会えないだろう」とも。同年代なのに、私にはまったく想像もできない人生をこれまで送ってきたのだろう。彼の遠くをみつめる鋭い眼差しは今も忘れられない。

考えてみると、パリのクラスメートには母国を追われた人たちが数多くいた。イラン人、レバノン人、ラオス人、中国人…。帰りたくても母国に帰れない人たち。さらには、母国はあるけど、あえて外国での安定した生活を選んだ人たちもいた。

そう思うと、日本人は本当に恵まれているのだ。(今のところ)
で、この国の将来を考えて、どこに投票すればいいのだろう???と、整体師さんと一緒に悩んでしまった。まだ答えが出ない。

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春節休暇でNINJA KYOTOへ

昨日は夕方から家族で京都に繰り出し、またも
NINJA KYOTOに行って来た。春節の休暇で日本
に遊びに来ている香港人の友人と夕食をするた
めだ。

彼女は、私のかつての上司の娘さん。香港から
赴任してきたばかりの上司一家のお世話をして
いるうちに仲良くなり、当時、小学生だった彼
女のベビーシッターもしたものだ。(週末にな
ると上司夫婦は香港人の仲間とマージャン大会!)

そんな彼女もすでに30代。これまで何度か母娘
旅行で日本を再訪したことはあるのだが、今回
は初めてボーイフレンドとの旅行! 私もワク
ワクしてレストランの前で待っていたのだが、
ふたりが来ない! バスに乗り間違えたり…と
いったハプニング続きで、やっと1時間後に登
場!(ほっ!)

一目見ただけで、すてきなカップル!と納得で
きた。知的で、やさしくて、と~ってもすてき
な彼に、彼女の母親も太鼓判を押したという。
うちの夫も「香港の男性はこんなにやさしいの
か!」と感心していた。

まだ父親とは対面してないそうだけど、こんな
ナイスガイを認めないわけにはいかないだろう。
元上司の困った顔を想像しながら、笑ってしま
った。

ああ、めでたい!!

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パリ時代のルームメイトが突然現る!

きょうはあるパーティに招ばれていたのだが、
どうしても行きたくなくて困ったなぁと思っ
ていたところ、近所の週末カフェの奥さんか
ら電話がかかった。

パリで私と暮らしていたという女性がお店に
来ているのだと。ええ~!? 20年前の留学
時の日本人ルームメイト!? 帰国後、音信
不通になっていたあの彼女!? 

とりあえずカフェに行ってみると、本当にあ
の彼女だった。関東の人だったのに、彼女も
結婚して何年か前から関西に住んでいたのだ。

私の友人のブログに私の名前をみつけ、検索
していたら、このカフェのオーナーのブログ
にたどりついたのだという。この辺りはドラ
イブでよく知っていたので、立ち寄ってみた
という。

優しそうなご主人と一緒で幸せそうだったが、
本人曰く「私は去年まで悪い人だった」のだ
そうだ。去年、死にかけるほどの病気を経験
し、それを境に生き方が変わったのだとか。
生きていると、いろんなことがあるのだなぁ。

そんなわけで、私はパーティをパスしてしま
いました。

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*夫は早朝から消防団の訓練へ。
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ジャパントリップの思い出

今朝、実家でレンタルしていた介護ベッドの回収に来てもらい、
広くなった和室でしばしごろりと寝転んでいたら、携帯電話が
鳴った。相手は仕事でもお世話になっている同級生。あれ、ア
メリカに出張のはずだけど…と思ったら、ホントにアメリカか
らだった。

二年前の春、彼の所属するアメリカの組織の会員たちが日本に
やって来た際に、私も彼のお手伝いで京都観光の案内をさせて
もらい、忘れ難い三日間を過ごした。
(*2007年4月14日のブログ参照)

彼はそのときのメンバー(左右ちぐはぐのツッカケを履いて、
ニューヨークから飛行機に乗ってやって来た豪快な女性!)の
お宅に滞在中で、旅行に参加した別のメンバーなども加えて
のディナーの最中に思い出話が盛り上がり、私に電話をしてく
れたというわけだ。その場にいた全員と少しずつお喋りをして、
私も少しだけディナーに加わった気分を味わった。

いい人たちとの出会いは、本当に心を豊かにしてくれる。たま
っていた疲れが、少しほぐれた感じ。私もいつかニューヨーク
に行きたいよ~!

*きょうはショッピングセンターでマッサージもした!
 もうコリコリ。
24jul09

天安門事件から20年

きょうの午後は別のママ友が「突然だけど、いい?」と立ち寄ってくれた。彼女のご近所でも問題があるのだが、このところ、大きな動きが出てきたらしい。なんだかんだあっても、みんな「自分の家」の中が平和であることが何よりだ。

さて、きょうは天安門事件から20年。当時、私は東京で外資系の金融機関に勤めていたが、この事件で金融市場も多少、混乱したことを覚えている。香港人の上司や同僚が、お昼休みにデモに出かけたことも思い出す。

夕方、マカオから台湾に強制送還されたウアルカイシのニュース映像を見た。パリ留学時に地下鉄で見かけた時もすでに肉付きがよくなっていたが、20年もの年月でさらに脂肪が乗っていた。(人のこと言えないが)「いまだに親に会えない」と語る姿を見て、留学仲間のウーハイを思い出した。ウアルカイシと同じく民主化運動に立ち上がり、パリに政治亡命していた彼は、「ウアルカイシと違って、無名の僕が中国に帰ればすぐに捕まって処刑される」と言っていた。「四川省の田舎にいる母親とは、一生会えないかも知れない」…と。

最後にウーハイに会ったのは東京だったが、いま彼はどこにいるのだろう!?

英米人の友人たちの思い出話

昨晩の飲み会で、高校時代に一年間、交換留学で広島に
暮らしたというアメリカ人の友人から当時の思い出話を
聞いた。中でもビックリしたのが、日本語のまったくわ
からない彼女が学校の清掃係のおじさんの「折鶴の会」
とやらに入らされた話。おじさんは、彼女にチマチョゴ
リを着せて、原爆病院の韓国人被爆者の見舞いに行かせ、
ケロイドで変形した足の爪を切らせたり、病院では禁止
されているモグサを買いに行かされたという。

もちろん彼女はひどい目にあったと思っているわけでは
なく、忘れられない出来事として語ってくれたのだけど、
私の目は点になった。もう30年以上前の話。

きょうはイギリス人の友人と久々に会って、子どもたち
も一緒に食事をした。彼女の大伯父に当る人はインド総
督を務め、明治時代の日本も訪れ、発足したばかりの国
会を見学し、伊藤博文などと交流していたという。これ
もビックリな100年以上前の話。

地元で出会って、親しくなったふたりの友人だが、今で
は仕事で協力しあうことも。これもまたご縁なのだ。

今後の仕事のため、私はちょっと奮発して新製品の電子
辞書を買った。がんばるぞ~!

*北白川の疎水沿いの桜並木。
1apr09

アメリカ人のペンパルとネットで再会

SNSを通じて、音信不通になっていた海外の友人とまた交流が始まるということが何度かあったけど、きょうも突然、登録しただけで殆ど活用していないSNSを通じてメッセージが届いた。

私も以前からネットで探したけど、みつからなかった昔のアメリカ人のペンパルだ。20代後半のパリ留学時代の夏休みにイギリスで会ったことは覚えているのだが、さてどの辺りから音信不通になったのか…。

ともかくもネット上の再会にふたりとも大喜び。SNS上で彼女の写真を見ることができ、家族の様子や近況もすぐにわかった。なんという便利な世の中だ。

とりあえずSNSは登録しておく価値はあるようだ。

*雨が降って雪もほぼなくなりつつある。
23feb09

王の悲しみ

きょうは一日家にこもって、仕事に励んだ。実家はネットもブロードバンドなので、快適快適! ついつい、普段は見られない画像も見てしまう。

エアコンをつけないと暑いけど、つけるとこれまた温度調整が難しい。なんだか慣れないことばかりだ。息子はといえば、私の両親がいる階下でずっとゲームに夢中のようだが(私の目がないのをいいことに)、たまに退屈したり寂しくなると、私の仕事を邪魔しに来る。それも階段を使わずに、ホームエレベーターを使って。

「若いくせに、なぜ階段を使わない?」と尋ねると、「階段のとこに飾ってある絵が怖い」と言われてしまった。私がパリ留学の最後に記念に買って帰ったお気に入りのマティスの大きなポスターなのに。タイトルは、『王の悲しみ』。

グルジアでの戦闘のニュースを聞くたび、パリに行く際に出会ったグルジア人のラグビー選手のことを思い出す。当時はまだソ連崩壊前で、ソビエト・ナショナル・チームのメンバーだったが、「自分はロシア人ではない、グルジア人だ!」と誇らしげに語っていた。

王でなくても、世界には悲しみが溢れているようだ…。

12aug08

神仏のご加護

去年、交流が復活した旧友と20年ぶり(?)の再会を果たした。連休で旅行中の友人一家を、桜が満開の山のお寺に案内した。

年月の経過を感じることもなく、初対面の互いの家族とも不思議に違和感なく過ごせる。そんな中、友人のご主人から「神仏のご加護」という言葉がでてきた。なんとご主人は、911テロの際にWTCビルの80階から生還されたのだという。衝撃的な話だった。

私たち全員がきょうこんな風に出会い、このような楽しい時間を共有できたことは、いくつもの奇跡が重なり合った結果なのかも。霊山の美しい空気を吸いながら、私も神仏のご加護に感謝した。

*山の麓の棚田地区ではレンゲが満開!
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