精神的疲労(住民運動のせい)

きょうはやっと3人とも、なんの予定もなく、一日のんびり過ごせるはずだった。しかし昨夜、住民運動の先頭に立って下さっているご近所さんから、きょう、この地域一帯で行う署名活動に協力してもらえないかと連絡があり、夫と私とで参加することにした。仕事も忙しく、子供さんも小さいのに、日々がんばっておられるご夫婦から頼まれ、こちらも出来る限りのことはお手伝いしようという気になったからだ。

今回は、自治会を超えたもっと大きな地域の活動で、ほぼ初対面の方々と最初に打ち合わせをした。そして、グループごとに地域内のエリアを戸別訪問して署名を集める。前回も参加した方から、「どこのお家もだいたい好意的に対応してくれますよ」と聞いて、意気揚々(?)と出かけたのだが、私の期待値が高すぎたのか、反応は思っていたよりずっと鈍かった。正確には、私たちと同じように気持ちでは反対していても、署名をするにまで至らない人たちが意外と多かったことに驚いた。あとは、無関心というか、とにかく「関わりたくない」という人も。中には、「私は反対なんだけど、舅の関係でちょっと署名はできないの」と正直に話して下さる方もいた。私たちが暮らす地区よりも古い住宅地のせいか、地域のしがらみで、勝手に意見表明できない人がいるのかも。

留守宅もかなり多かったが、それでも夫とふたりで担当地域を回りきった時には3時間が過ぎていた。しかも、まったくの休憩なし。

その後、集合場所の市民センターに戻り、集計をしてみたら、他の方々は反応もよく、たくさん署名が集まったとのこと。私たちが回った地区がたまたま例外だったとしたら、不幸中の幸いだ。

しかしきょうは、さらにどっと疲れることがあった。この活動に参加した方の中に、うちの自治会に知り合いがいるという人がいて、その方からの伝言を聞かされたのだ。反対運動をしている住民有志への誤解や偏見があるのか、被害妄想なのか、深い溝があることは明らかだ。そうなるまでの数々の行き違いについて私は詳細を知らないのだが、中心になってがんばっているご夫婦にしてみれば、どっと力が抜ける思いだったに違いない。住民同士が団結しなければいけないときに、なんでこんな対立構造ができてしまったんだろう?

前の山の集落の住民運動でも思ったのだが、今回も実地で「民主主義とは何なのか?」という勉強をさせられている気分だ。国レベルのことも大変だけど、自分の足元に民主主義がなくて、どうするのだ!?

ああ、づがれだ~。

*息子は長時間のお留守番が楽しかったようだ。
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