易経

理想の家に引越し、毎日、美しい眺めに心癒されながらも、次なる思想現実化実験のためにも少し外に出て働いてみたい・・・という思いに駆られていた。たいていのことに迷いはない私だが、ここ数年、仕事については方向性を定めることができないでいたのだ。この年になって何を今更なのだが、自分が本当に何をやりたいのか、見極められないでいる。

昨年末に算命学の親戚から、今年は働き方を変えるのが良いとアドバイスされたので、ずっと家にこもっていたから、そろそろ外で働こうと思い立った。親戚によると、今までひとりで働いていたから、今度は組織で働くのもいいとのこと。単発の仕事でもいいし、とにかく変化があればいいらしい。フルタイムというよりも、変則的に。

私自身、いまのライフスタイルが快適なので、フルタイム勤務をする気はさらさらないのだが、ネットで仕事を検索すると、「面白そう」とか「やってみたい」とか思える仕事はどれもフルタイム。週2、3日のパート仕事は、ほぼ単純労働の類。世の中、そんな美味しい話があるわけないか・・・と納得しつつ、しばらく検索を続けていた。

そこでみつけた高時給の仕事は、フルタイムだけど期間限定。これなら頑張れるかも・・・!?と応募したが、結局、不採用。面接時に採用かな?と思っていたので、連絡がきたときは正直びっくりしたのだが、しかし、同時にほっとしている自分もいた。まったく知らない業界の上に、遠方だったので朝早くからの通勤となるはずだったからだ。

実は昨年末の荷物整理で、大昔に買った「易経セット」が出てきたため、この仕事の応募を決めたときから何度か易経占いをやってみたのだが、何度やっても悪い卦しか出なかった。易経って、実は自分のその時点の心理状態を反映しているのだろうか? いきなりフルタイムで、まったく知らないところで仕事をすることに私自身も不安を感じていたのではないか? そんな自己分析をしてみたが、要は高時給に目がくらんだだけで、本当にやりたい仕事ではなかったのだ。

『引き寄せの法則』によれば、自分にとって好ましいこと、望ましいことへ思考や気持ちを向けるようにするための指標が「感情」であるという。不安や不快に感じていたら、それは自分が望んでいることではないと判断できる。感情というナビゲーションシステムを上手に使いこなせば、自分の意に沿うものを引き寄せ、自分の思い描いた人生を送れるはず。

自分でもどんな仕事を求めているかわからない状態の私は、いろいろ試してみて、自分の感情ナビゲーションシステムの反応を見て判断するしかないのかも知れない。で、とりあえず手始めに、近所の会社で週何日か働くことになりそうだ。興味のある業界なので、勉強させてもらうつもりで。それと、家の中にいるよりは、身体を動かせるのでは・・・という甘い期待も。

今のところ私の感情ナビゲーションシステムに大きな動きはないが、易経占いをやってみると大吉ばかり。さて、これからどうなることやら。

偶然の意味

きょうは結婚記念日。正確には入籍記念日。私たち夫婦は結婚式も披露宴もしていないのだ。私は昔から結婚したいと思いながらも、披露宴だけはしたくない・・・と思っていた。「披露宴はお嫁さんのためにあるのよ」というセリフをよく聞くが、私は「絶対お断り!」だった。自分が主役の宴会というシチュエーションに堪えられない、別にお披露目しなくていい・・・という気持ちだった。

当時、私はいわゆる晩婚だったし(その後、世間の晩婚化はさらに進んだけど)、いろいろと難しい状況の中で結婚にこぎつけたので、夫も私も入籍できればそれで満足だった。実をいうと、結婚生活はとうに始まっていたのだが、夫がある事情から跡継ぎのいない家の養子になっていたことが入籍を阻んでいたのだ。夫自身は望まない縁組だったので、いつか離縁できたらと思っていたようだ。とはいえ、籍を抜くのは大変なことで、相手方に了承してもらうまではすったもんだがあった。よく入籍できたなぁと、いまだに思うが、愛情のないつながりは切れてしまうということなのかも。

さて、私の親戚に算命学の大家がいるのだが、当時、やけに私の結婚を心配して、「結婚するなら、この頃よ」としきりに伝えてきた。あとで聞くと、その頃の2、3年の期間が私が結婚したいと思う星回りで、それを過ぎると、一生独身で過ごしそうだったので、何度もせっついてくれたらしい。そのため、私が夫と出会ったことをとても喜んでくれたのだが、入籍するなら天中殺の前にと釘をさされていた。夫と結婚を決めた翌々年が私の天中殺だったからだ。

しかし、養子先の問題がすったもんだしたことで、気がついたら天中殺の年を迎えていた。親戚によると、算命学の新年は1月1日ではなく、節分明けとのことだったので、ぞろ目の2月2日に入籍しようと決めたのだが、夫の手違いですべての書類が揃ったのがなんと節分の夕方。しかし、その年の旧正月が2月5日だったので、その前なら大丈夫と、翌2月4日に役所に向った。すると、入籍の手続きをしながら、自分の用意した書類をまじまじと見ていた夫が驚きの声をあげた。件の家の養子となったのも2月4日だったのだ。養子手続きは、その家の人が勝手に進めたので、自分がいつ養子になったのか正確なことはまったく知らなかったのだという。

夫の手違いで2月2日に入籍できなかったことを私は責めてしまったのだが、それは2月4日に入籍するための天のはからいだったのかも知れない。2月4日は、私たちにとって意味のある日にちだったのだ。振り返ると、けっこう大変なこともいろいろあったような気がするが、我が家はいつも幸せな空気に満ちていると思う。夫に出会えたことに今も日々感謝しています。

*我が家の敷地に勝手に入りこむ近所の猫たち。黒猫と三毛猫が仲良くうずくまっている。
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『引き寄せの法則』から、瞑想についての考察

私の古い友人で、どんな逆境にもめげず頑張っている人がいる。その人生はドラマのように波乱万丈で、ひとつ問題が解決すると、また別の問題が発生・・・という具合。それでも常に物事の明るい面を見て、前を向いて進んでいく彼女にはいつも感心するし、尊敬もするのだが、こうも問題が続くのを見ると、これは彼女自身が招いているのでは!?と思わざるを得ない。もちろん本人は意識していないだろうけれど。

問題に向って頑張る自分、およびその状況が好きな人なんだろうなと前から思ってはいた。「問題があるからこそ、頑張れる!」という面はあるだろう。けれど、ここまでの問題を本人が心から望んでいるとは思えない。

数年前から私が繰り返し読んでいる本によると、『引き寄せの法則』とはすべての現象の基本であり、自分の経験は自分の思考に『引き寄せの法則』が働いた結果、引き寄せられたものだという。自分が焦点を定めた思考が、自らの中に波動を引き起こし、その波動に『引き寄せの法則』が作用する。だから、自分が望まないことが起こった場合も、はからずも望まないことに思考を集中してしまった結果なのだという。要は、自分の思考や感情のエッセンスを引き付ける磁石と理解すればいい。

だからこそ、自分にとって好ましいこと、望ましいことへ思考や気持ちを向けるよう、いま現在、私も訓練中なのだけど、頭ではわかっても、自分の感情をコントロールすることはなかなか難しい。引き寄せの法則など、自己啓発系の本をいくつも読んでみたが、どの本も要点はほぼ同じ。この法則をいい意味で活かすため、ほとんどの本が瞑想を薦めている。といっても、そんな本格的なものではなく、5分とか10分とか、短い時間でいいから、自分の気持ちを落ち着けて、自分が望んでいることを思い浮かべよう・・・といった感じ。また、ネガティブな気分になったり、ネガティブなことを考えていることに気づいたときは、無理に考えないようにしようとしても、余計にそちらに意識が向いて逆効果なので、自分が好きなことや楽しいことなどを思い浮かべるといい(らしい)。これくらいなら、私にも実践できそう!!!・・・なのだが、まだ願いは引き寄せられていない。いや、現在、じわりじわりと引き寄せ中・・・と思っている。

逆境に負けない友人に話を戻すと、彼女は昔から瞑想を実践しているという。それにも関わらず、トラブル続きの人生なのだ。つい先日、久しぶりに会う機会があり、いろいろと話をしていたら、彼女は今も毎日、瞑想をして、そのおかげで心が落ち着くのだと、瞑想の効用を私たちに訴えた。
「そうよね。一日、5分でも10分でも気持ちを落ち着けると、頭の中がクリアになって、いいよね」と私が同意すると、「それじゃ、短い! せめて30分、ほんとは1時間くらいやらないと!」と彼女。そのとき私はふと思った。彼女、瞑想のしすぎで、トラブルを引き寄せているのではないかと。

だって、もし煩悩だらけの人間が1時間、瞑想したとして、そのときちょっとした心配事や悩みがあったとしたら、どうしても意識の中にそのことが浮かんでくるのではないだろうか。特に心配性の性格だったら、「もしこれが、ああなったらどうしよう」などと、まだ起きていないことをあれこれ想像したり、ともかく、その問題が頭の片隅にずっと残っていそう・・・。彼女の問題のほとんどは、彼女が執着を捨てれば解決しそうなのだが、瞑想のせいで逆に執着が強まっているような・・・!?

もちろん、これはすべて私の勝手な憶測。彼女にはなにも言っていない。自分の引き寄せ実験がいくつも成功して、法則を真の意味で理解できたら、いつか彼女にアドバイスするつもりです。

ちなみに、きょうの引き寄せはこれ↓。 去年、ネットで応募したプレゼントに当選したとかで、いきなり送られてきました。シャーロックのルービックキューブ。(めちゃ難しそう!!!)

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瞬間移動装置

前回、この家に暮らすことになった経緯を長々と書いてしまいましたが、この家について運命的と思えることは他にもあります。

今まで暮らしていた賃貸住宅に比べ、この家はずっと広いので、実家の家具等、使えそうなものはこの家に持ってくることにしました。母がいつも座っていたソファや、父が老人ホームに移った際に購入した椅子を始め、たくさんのものを運びました。中でも実家のダイニングの壁面の下半分を覆っていたキャビネットが、我が家のダイニングにぴったりと収まりました。我が家を訪ねた人たちが、この部屋にもともと取り付けられたものだと思うほど。

それから・・・今までは和室がなかったのですが、この家にはりっぱな和室があるので、実家の仏壇も持ってきました。すると、これまたぴったりと収まるではないですか。私の両親はお寺の熱心な檀徒で、母は元気な頃は朝晩、仏壇の前で読経していました。私も両親が病院や老人ホームに移ったあと、実家に帰るたび、母に代わって仏壇に手を合わせていましたが、今ではこの和室で毎朝、仏壇に手を合わせるようになりました。

すると、なんとも心が落ち着くのです。まるで、実家に帰ったのかと錯覚するほど。そして部屋を見回してよくよく考えてみると、この和室の造りや方角が実家の和室とまったく同じであることに気づきました。どちらも西側に窓があり、北側に床の間と仏壇、そして押入れが並んでいるのです。同じ造りの和室に、仏壇を始め実家にあったものを配置したのですから、実家にいるような気分になるのも当然です。

お陰で私は、故郷から遠く離れたこの家で、まるで両親が暮らしていた実家にいるかのように日々を過ごしています。懐かしくて、なんだか守られているような、本当に幸せな気分です。

この和室、私にとっては懐かしい実家への瞬間移動装置となっています。この家と出会えたのも両親のお陰かしら。感謝感謝。

思考現実化Revisitedー引き寄せの法則(理想の家編)

最近、イギリスのドラマ『ブライズヘッド再び(Brideshead Revisited)』を見たもので、こんなタイトルになりましたが、去年からひそかに行っている「思考現実化」実験について、改めて書きたいと思います。

今年2月のワンダイレクションのコンサートで、花道に一番近い最前列の席をゲットしたことは既に書きました。その際に理想の家に引越したことにも触れましたが、きょうはそれを詳しく報告します。

去年の春に読んだ何冊かの本に従って、私は「理想の家に暮らす」ことを現実にしたいと決心しました。母も父も亡くなって以降の私は、誰もいない広島の実家に帰る機会もほとんどなくなり、それなのに望郷の念は増すという日々を過ごしていました。例えば、スーパーで広島産の食材をみつけると、思わず手に取り、懐かしさのあまり涙ぐみながらカゴに入れる・・・という具合。さらに湖の景色を見ると、瀬戸内海を見ているようで、心が癒されるのでした。

実は、3年前に息子が近所のカヌースクールに入ったとき、敷地内に併設されたジムの会員になったのですが、思えばそれも湖を眺めながら運動できるというのが決め手でした。そしてガラス張りのジムで、目の前の湖を眺めながらエアロバイクを漕ぎ、「ここは私の別荘!」と妄想するのが習慣となっていました。
ところが実際に、そのジムの近所には湖に面した別荘が並んでいて、それを発見したとき、「毎朝、朝日が湖の向こうから昇るのね。こういうところに住みたいな~」と強く思ったのでした。

思考現実化実験を開始した私は、具体的に家の外観や間取りや、窓からの景色など、いろいろなことを頭に思い描きました。ジムの近所の湖岸に空き地がないかも、探しました。ネットで物件検索もしました。もともと不動産のネット検索は趣味のようなものでしたが(結婚後の転居先4軒はすべて私がネットでみつけました。)、このリサーチの結果、湖岸の売物件は非常に少ないけれど、あるにはあることがわかりました。ただし、湖に面しているというだけで、土地の値段が2倍以上になるのです。珍しく市場に出た中古物件は、土地も広く、建物も古いながらも豪華で、かなりの高額、だけど間取りはいまいち。新たに造成された宅地は、ただでさえ土地代が高く、さらにそこに新築するとなると、どれだけかかるのか。しかも、残っているのは北側の数区画のみ。

それでも、私は理想の外観、間取り、立地条件などを思い描いていました。前述の、とても手が出せない高額物件を見ても、「私には手が出せない」という残念な気持ちよりも、「湖岸の物件は実際にあるのだ!」という力強い思いの方が優っていました。本当は「手が出せない」くせに、「こんな間取りの家には住みたくない」、「私の理想じゃない!」と一蹴していたのです。

当時、暮らしていた学区近辺の湖岸物件を探していたのですが、時々チェックする不動産サイトで、たまたま近所の友人の隣家が売物件になっているのを発見。しばらくして、その友人に会ったのですが、彼女はそのことを知りませんでした。その隣家はトラブルメーカーだったらしく、「早く家が売れて引っ越してくれたらいいな」と言うので、その日、私はまたその不動産サイトをチェックしてみました。

サイトの一番最初に出てきた「最新物件」をふと見ると、建物もりっぱで土地も広いのに、かなりお手ごろな値段。写真を見ると、窓から美しい湖の景色が! 間取りも、私のほぼ理想通り。「これだ!」と思いました。しかも「安い!」 昔、外国為替のトレーダーをやっていた時期がありますが、まさにこれは即「MINE!(買い)」と叫びたい物件でした。

夫に連絡すると、「いいんじゃない?」の一言。「見に行く?」と聞くと、「いいよ」とのこと。そこで不動産会社に電話をすると、売主がまだその家に住んでいるので、確認が必要だが、その週の木曜日に別の人が内覧に行く予定なので、その人の後にどうでしょう?と言われ、「はい、何時でも大丈夫です」と即答しました。夫の職場は週休1日で、それも決まった曜日ではなく、たいてい平日のどこかで休むのですが、その週は偶然にも「木曜日が休み」と言われていたのです。これは、幸先いいではないですか。

そして、木曜日、夫とふたりでその家に向かいました。そこは当時住んでいた地域から、そんなに離れてはいなかったのですが、これまでまったく縁のないエリアだったので、私の頭の中から抜け落ちて、検索対象から外れていたのです。あとでわかったのですが、その家はしばらく前から売物件として掲載され、複数の問い合わせがあったものの成約に至らなかったので、売主が値下げをして、最新物件のページに掲載されたところだったのです。私たちの前にすでに5件ほど問い合わせがあり、中には2回も見に来た人もいたとか。私たちはさらにその後、いちばん最後の内覧者でした。

古い家と庭は、しばらく手入れが行き届いていないのか、少し荒れた雰囲気がありました。開かずの間もあり、どの部屋も荷物があふれ、ちょっとした「プチごみ屋敷」に見えないこともありません。雨戸が閉め切ってある部屋もあり、室内犬のせいか、なんともいえない悪臭も・・・。けれど、家の造りはしっかりしていて、間取りも理想的で、私は玄関に入った瞬間、「買いだ!」と思いました。そして、窓から湖の景色を見て、その思いは確信に変わりました。

夫がほとんど無言だったのが気になりましたが、あとで話すと、夫も「買いだ!」と思ったようです。不動産会社の方に確認すると、先に内覧した人に優先権があるわけではなく、一番最初に手を挙げた人が購入できるというので、その日のうちに「買います!」と連絡しました。不思議なことに、「湖岸の家に暮らす」という思考現実化実験を開始してちょうど一ヵ月後に仮契約していました。

なぜ湖の見える大きな家が、そんなに安かったかというと、その家は湖に面していなかったからです。家の裏地が大きな庭となっており、窓からは緑の庭と、その向こうに広がる湖が見えたのです。よそ様のお庭と湖を眺めるという、なんともラッキーな立地。しかも土地の値段も湖岸プライスではありません。売主さんが早く売りたかったため、さらに割安な値段になったところで、私たちが発見したというのも幸運でした。

それから、もうひとつ不思議だったこと。今回の売却理由には、売主さん一家のご主人が数年前に転勤となり、もうこちらに戻ってくることはなさそうだということもあったそうですが、なんとそのご主人、私の実家から徒歩15分ほどの場所に住んでいらっしゃいました。

割安な値段で手に入れた家は、その後、リフォームして、まさに私の理想の家となりました。毎朝、目がさめると、窓から湖の景色を眺め、その美しさに感動し、この家に暮らせることを感謝しています。毎日、この家で思想が現実化したことを実感する。それだけで、幸せを感じます。今までずっと幸せだったけれど、今はさらに感動を伴う幸福感があります。もちろん、日々、小さなことでイラついたり、落ち込んだりもするわけですが、この家にいるだけで、気分が違うんです。気分がいいんです。

思考現実化実験、まだまだ続けるつもりです。

思考は現実になる!? 引き寄せの法則(ワンダイレクション最前列チケット編)

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(私が最前列から撮った写真です)

昨年の春、新聞広告で見た『こうして、思考は現実になる [単行本(ソフトカバー)]』の本を読み、これをきっかけにこの手の引き寄せ系の本をいくつか読んだ。そして、面白そうだからと、ひそかに実践してみた。

そうしたらすぐに、ワンダイレクションの2015年来日公演のチケットが予約できた。初来日の際には、チケットが入手できない人が続出したと聞いていたので、「なんという幸運だ!」と飛び上がったけど、あとで友人に聞いたら、彼女の娘さんは申し込んだ日程すべて当ったという。私は2日分、申し込んで1日しか当らなかったので、「実はそこまで幸運ではなかったのか・・・」と思いつつ、ともかく念願の1Dを見に行けることで幸せいっぱいだった。

そして、ひそかな実験開始からちょうど1ヵ月後。私(というか正確には夫)は家の購入の仮契約をしていた。なんと、自分が求めていた理想の家がみつかったのだ。こんなにあっという間に。しかも、ちょっとした偶然から。なんという幸運!!!

昨年末までに引越しもすませ、いまは理想の家で毎朝、日の出の景色を眺めて感謝する日々だ。

そして、いよいよ念願のワンダイレクションの来日公演。2月に入ってチケットを引き換えたところ、Aブロックの8列目。なかなか良い席ではないかと思われ、どきどきしながら当日、会場に行ってみると・・・。

あーた、大変でございますよ。なんと、私の席は花道に一番近い、最前列だったんでございます。もう卒倒するかと思いました。ああ、こんな幸せがあるでしょうか!!! 目の前で1Dの5人が入れ代わり立ち代わり歌って踊ってくれるのです。本当に夢のような時間でした。

今もその余韻に浸っている私。1Dの素晴らしさはもちろんだけど、あんなすごい席をゲットできたことに今も驚愕している。やはり、思考は現実になるのね。

今まで、漠然と「こうなればいいな~」くらいのことは思っても、「なるようになるさ」で風まかせに生きてきた私。くるもの拒まずで、明確なビジョンも持っていなかった私。

でも今回のことで、よくわかりました。まずは具体的な夢を描かないといけないのだ。
確かに、夢を実現させている友人・知人を見ていると、彼らははっきりと明確な目標をずっと心の中に掲げていたように思える。

この年になって今さらだけど、私もまだまだ思考を現実にしていかなくちゃ。

 

今のところ大正解

ミッション系の学校に入った息子は、その後、どうなったか!?

キリスト教は嫌だと言ってたくせに、入学式での神父様の儀式などを見て、キリスト教に興味津々。宗教の授業や宗教研究会の活動にも熱心で、去年のクリスマスの行事では自ら手を挙げて大役を務めました。なんちゅー手のひら返しや!

学校のことが大好きみたいで、先生方を尊敬していて、どの授業も、どんなくだらない(?)雑談にも熱心に耳を傾けている様子。どうしてこんなにマジメな子になったんだろう!?と親の私が不思議なくらい。今のところ、先生の言うこともすべて真に受けて、素直に従っているようです。親の言うことはきかないくせに。

最初は知っている子もほとんどいないため、通学仲間もいませんでした。いまだに仲良くつるむグループがあるわけでもなさそうなのに、6年間の皆勤賞を目指して、息子は毎朝、元気に登校していきます。入学後、2ヶ月くらい経った頃でしょうか。息子が学校について、こんなことを言いました。

「特に何があったわけでもないのに、毎日、『ああ、きょうも楽しかったな~』と思える」と。

それを聞いて、私は本当に安心するとともに、嬉しくなりました。息子にはこの学校が本当に合っていたのでしょう。

小学校の最終学年は、そりの合わない担任に当ったことで辛い一年だったようなので、その反動で余計に居心地がよかったのかも知れません。尊敬できる先生方に出会ったことが、一番、大きかったのだと思います。滅多に学校のことを話してくれない息子ですが、「先生がこんな話をしてくれた」という報告は時々してくれるのです。それを聞くたび、私も感銘を受け、「ああ、この学校に入れて、よかった!」とつくづく思うのでした。

それは保護者会に参加しても、いつも感じます。先生方のお話を聞いていると、生徒への愛情が感じられるのです。先生方もこの学校のこと、大好きなのだな~と。だから私もあっという間に息子の学校の大ファンになっていました。保護者会で知り合った何人かのお母さん方も、私と同じくこの学校が大好きみたいで、嬉しくなります。第一志望ではなかった方もけっこう多いのですが、みんなこの学校の大ファン。この学校とのご縁は、私にとっても新しい世界を広げてくれるものかも知れません。神に感謝!

by 鳩胸厚子

後日談(母のお導き?)

息子は小3のとき、友人一家に某学校の文化祭に連れて行ってもらったことがきっかけで、その学校に行きたいと言い出した。当時、山の集落の小さな小学校に通っていた息子にとって、都会の中高一貫校は衝撃の世界だったのだと思う。大勢の若者に、多様な部活、きれいな校舎。中でも、以前、テレビで見たぜんじろう先生の理科実験を実際に体験させてもらえたことが息子にとっては感動的だったようだ。

その学校に入りたい一心で、小5から塾に通い始めたのだが、親としては主に塾情報をもとに我が子の学力を見極めながら、複数の受験校を決めることになる。私としては、別の学校の方が息子向きに思えたが、息子はその学校には見向きもしない。受験日も重なっているので併願は無理。息子は本当に自分が行きたい学校のことしか考えておらず、ほかの学校にはまったく興味を示さず、学校見学にすら行こうとしない。

結局、私が塾で開催された併願可能な近隣の学校の説明会に行き、塾の先生の指導もあって、息子もその学校を併願することを了承した。しかし、そのための対策はいっさいしない。彼の頭にあるのは、第一志望の学校だけ。

もちろん、私も息子の願いが実現するよう、精一杯応援していた。息子なりに頑張っている姿を見ていたら、その思いが叶うよう、私も毎日祈るような気持ちだった。私も息子が受かることしか、考えていなかった。

ところが結果は不合格。実は合格発表を見に行く前になって、息子がぽつりと言ったのだ。

算数の試験中に鼻血が出た。

ええ~、なんで今頃言うの~!? 一番大事な算数、ただでさえ時間が足りない算数で鼻血が出たら、たぶんダメなんじゃない・・・!?」と私の頭の中でいろんな思いがよぎり、ドキドキしながら校門を入ると、やはり息子の番号はなかったのだ。

息子があれほど熱望した学校に入れなかったことは、私にとっても悲しいことだった。なんというか、息子がずっと恋焦がれていた女性への思いが通じず、ふられてしまった様子をつぶさに見てしまったような、なんともいえない切ない気持ちになった。

しかし、今だから言えるのだけど、私は息子の第一志望の学校には一抹の不安を覚えていたように思う。だから別の学校を薦めたりしたのだ。(塾の先生も息子はこっち向きだと、別の学校を薦めていたくらいだ。)

結局、息子は躊躇しながら、近隣の併願校に進学した。お寺の世界しか知らなかった息子にとって、ミッション系の学校というのは想定外で、そういう学校には行きたくないと当初は漏らしていたが、塾の先生の話などを聞いて観念(?)したようだ。しかし、私はというと、実は少し喜んでいた。私はミッション系の学校が好きなのだ。キリスト教のことなど、よく知りもしないくせに、私自身、中学からミッション系に通ったから。熱心なお寺の檀徒だった両親に育てられながら、なぜミッション系だったのか。それは私の母が私が通ったミッション系の学校を高く評価していたから。思えば小学生時代の私も息子と同じうように仏教の世界が当たり前だったため、ミッション系の学校には行きたくなかった。それを母が、わざわざ私を説得してミッション系の学校に入れたのだ。そして今になって、私はそのことを感謝している。

その後、息子が入学を決めたミッション系の学校の校舎に初めて足を踏み入れたとき、私はなぜか懐かしい気持ちになった。ミッション系の学校の雰囲気というのは、どこも似ているのかも知れない。男子校であるにも関わらず、懐かしい場所に帰ってきたような気がして、そのとき確信した。母がここに導いてくれたのだと。

息子は第一志望の受験日に相当、テンパっていたのだろうが、私はいま彼にこう言っている。

ばあちゃんがお前に鼻血を出させたのかも知れないね。こっちの学校に行きなさいって。

by 鳩胸厚子

『永遠の0』と母の幻影

今さらですが、1年半前–2012年のクリスマスの話を。

当時、小6の息子は中学受験を目前に控え、冬休みも毎日のように塾に通っていました。私にできるのは、息子のお弁当作りくらい。勉強の邪魔になってはとクリスマスの行事も控えて(?)おりました。25日も息子は塾に出かけ、私は日中の暇な時間、『永遠の0』(百田尚樹著)を読み始めました。物語にぐんぐん引き込まれ、一気に最後まで読み終えたときには部屋が薄暗くなっていました。しかも、最後は泣きながら読んでいたので、私の顔はぐちゃぐちゃ。読み終えたあとも、ひとしきり号泣したもので、目は真っ赤になり、とても見られない顔に! きょうはクリスマスらしいご馳走でも…と考えていましたが、この顔では買い物にも行けないと思い、結局、ありあわせで夕飯を作りました。

塾から帰ってきた息子はありあわせの夕飯を淡々と食べ、その後は黙々と勉強を始めました。その姿を見て、なんとなく申し訳なくなった私は、夫に「今さらだけど、クリスマスケーキ買いに行こう」と提案し、ふたりで近所のスーパーに出かけました。夜7時を回っていたので、近くのケーキ屋さんはすでに閉まっていたのです。

ところが、スーパーに行っても、クリスマスケーキは見当たりません。そりゃ、そうですよね。25日の夜ですもん。24日の夜なら、叩き売りしていたかも知れないけれど、25日の夜にはクリスマス関係のものはほぼ撤去されていました。仕方なく、ケーキ屋さんで普通のケーキを買って、急いで帰ろうとしていたら、カートを押しながらスーパーに入ってきた年配女性の姿が目に入りました。元気な頃の母のようなふっくらした体型で、髪型もあの頃の母によく似ています。しかも服装も、冬になると母が好んで着ていた紫色のカーディガンのような・・・。

見れば見るほど、母なのです。本当に、元気な頃の母なのです。思わず私はその女性を凝視していたようで、すれ違いざまにその方が私の方を見返しました。すると、まったく別人の女性の姿が・・・。

私は一瞬、呆然として、「私、少し疲れているのかしら?」と自問しました。そういえば、『永遠の0』の最後の方で、戦死した特攻隊員の幻が現れる場面で号泣したばかりでした。その影響で、私も母の幻を見たのかも・・・と自分を納得させました。私には霊感もなく、幽霊だとか、そういった類のものは一切、見た経験がないのですから。

とはいえ、母の姿に感動(&動揺)した私は、その場で夫に伝えました。
「いま、ちょっとおかしなことがあったのよ。さっきすれ違ったおばあさんが、母に見えたの。」
すると、夫はこう答えたのです。

俺にも見えたよ。

私はびっくりして一瞬、言葉を失いました。そして確認のため、夫にいくつか質問しました。夫が見たのも、元気な頃のふっくらした母が紫色のカーディガンを着ている姿だったのです。どうやら私たちは同じ幻を見ていたようです。あれは本当に母だったのかと思うと嬉しくて、涙があふれそうになるのを必死にこらえました。

うちの息子の中学受験をいちばん応援していたのは母だったので、息子をしっかりバックアップするように、私たちの前に出てきたのでしょうか!?
帰宅後、息子にケーキを差し出しながら、「今夜、お前の最強の支援者が現れたぞ!」とさっきの出来事を報告しました。「第一志望に絶対、受かるよ!」

亡くなってから夢にすら一度も現れたことのなかった母が、ほんの一瞬、姿を見せてくれたとは。今でもあの瞬間を思い出すと、胸がいっぱいになって、涙がでてきます。これは『永遠の0』効果だったのでしょうか。

しかし、これで合格間違いなしと確信していた第一志望に、その後、息子は落ちてしまうのです。その続きはまた後日。

by 鳩胸厚子


すまたんラジオ

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平日の朝は5時半に起きて、子供の弁当と朝食を作る。時計がわりのテレビのチャンネルは10。読売テレビの『すまたん』だ。早朝の関西ローカルゆえか、そのいい加減さ、ゆる~い感じがいい。しかもニュース解説(by辛坊治郎)がけっこう鋭い。ニュース解説は、5時台、6時台、7時台と3回もあるのだが、5時台は視聴者が少ないという前提からか、さらに鋭い論評(というか本音?)が出てくることもある(ような気がする)。新聞各紙の主張を比較して、違いをきちんと説明してくれるので、わかりやすい。

とはいえ、台所で調理をしながら見ていると、いろんな見落とし、聞き落としがある。なので、私は毎朝、この番組を録画して、家族が出かけたあとにきちんと見直している。(つまらない全国版ZIPの部分は飛ばせるしね!)

子供が朝食をとるのは、だいたい6時半。そして7時前には家を出る。残念ながら、この時間帯は「すまたん」ではなく、全国版の「ZIP」の放送枠。申し訳ないが、番組があまりにつまらないので、チャンネルを変える。しかしNHK総合も最近ではつまらない民放番組を真似ているのか、さらにつまらない。

で、結局、いきついたのがNHKのBSニュース。淡々と海外のテレビニュース(抜粋)が流れるだけ。各国の状況もわかるし、同時通訳の妙な日本語も面白かったりする。日本のニュース番組では扱わない事柄も多いし、何より変なキャスターのコメントを聞かなくていいので、ストレスもない。

結果、日本のテレビがいかにお気楽で、視聴者をバカにしているか、よくわかるのである。

とか言いながら、くだらない(?)話題も満載の「すまたん」だけは見続ける私。先日は初めて「すまたんラジオ」とういコーナーでハガキを読まれ、番組から記念品が届いて喜んでます