六四天安門事件の思い出(あれから30年)

30年前のきょう、私は東京・丸の内の英国系企業に勤務していた。香港に大きな拠点のある企業だったので、天安門事件後はチャイナリスクの影響をもろに被り、資金調達が容易にできなくなって大変だった。当時のボスは、カナダへの移住を目指していた香港人だった。彼にとって事件の衝撃は計り知れないほど大きかったと思う。その後、彼は毎日のように昼休みになると香港人の仲間と連れ立って、中国大使館前で抗議活動を行っていたようだ。

その年の秋、私は以前からの計画通り、その会社を辞めてパリに留学した。フランスのグランゼコールに新たに設置された英語で学べるMBAコースだったが、クラスには民主化運動をしていたらしい中国人の学生が2名いた。徐々に親しくなって話を聞くと、「詳しいことは言えないが、多くの人の助けにより、香港経由でここまで逃げ延びたのだ」という。あとでわかったのだが、クラスの大金持ちのエリートフランス人が、無償で住居を提供していたようだ。MBAコースの学費はかなり高額で、私はそれまで何年もかけて貯めたお金を使い果たしたのだが、彼らの学費は誰が払ったのか、私は知らない。しかし、こういう点に関して、フランスはとても懐が深い国だと思う。ラジオで中国民主化の特集番組を長時間やっているのを聞いたことがあるし、そもそもベトナム難民として渡ってきたと思われる人たちもパリではたくさん見かけたし、クラスには(国から逃げてきたと思われる)パーレビ王朝派のイラン人や、レバノン人、ラオス人もいた。特に政治難民には寛容な国なのだろう。

当時、カルチェラタンに「中国民主之家」という看板を掲げたアパルトマンがあり、そこが中国人クラスメイトたちの活動拠点だったらしい。その頃、パリのメトロで私は中国の民主化運動のリーダー的存在だったウーアルカイシ(ウルケシ)を見かけたことがあった。応援の言葉をかけたかったが、報道で見た姿よりもだいぶ太って、おしゃれなレザージャケットを着込んで、ガールフレンドらしき女の子といちゃついていたので、私はそのまま立ち去った。あとでクラスメートにその話をすると、「あいつは堕落した」と吐き捨てるように言ったのが忘れられない。

その彼が、卒業後、東京に出張でやって来た際に、再会を果たした。彼は、「フランス企業に就職し、アジア各地を廻っているが、まだパスポートがないので(おそらく政治亡命を申請中だったのだろう)、代わりの分厚い書類を持ち歩いている」と苦笑いしていた。そして、「シンガポール、台湾、香港、日本にはこうやって来れるのに、中国には二度と帰れないだろう」とも。「ウーアルカイシほどの有名人なら、帰国してもその動静を国際社会が注視するが、僕のような無名の活動家は帰国すれば、即逮捕され、処刑されて終わりだ」と。北京の大学で学んでいた彼だが、実は四川省の出身で、夏は暑く冬は寒いのに、エアコンもない家で母は暮らしていると話していた。その母に、二度と会うことはないだろうと。

その時の彼の、遠くを見つめるような、それでいて怖いほどに鋭い眼差しにドキリとしたことを思い出す。いったい彼は、それまでに何を見てきたのだろうかと。同世代の同じアジア人でありながら、こうも違う運命を生きているとは。中国人であることは、なんと過酷なことなのだろうかと、この時も、そしてその後、中国に太極拳留学した時も思ったものだ。

つくづく、日本は本当にいい国だ。

その後、音信不通になってしまったウーハイ。また会えることを願っている。

ウイグル、チベットへの弾圧–見て見ぬふりをするメディア(!?)

私は以前からほんのわずかではあるけれど、中国で弾圧されているチベット人ウイグル人の支援している。チベットについてはダライ・ラマ法王の長年の精力的な活動もあり、欧米の有名人の支援もあったりで、わりと知られていたと思う。ウイグル弾圧についてはアメリカ政府が中国批判を始めたことで、ようやく日本の大手メディアでも取り上げられるようになった。しかし、「弾圧」なんて言葉は生ぬるい。実際は「民族浄化」が着々と進んでいる気配だ。

今までも、ナチス、クメールルージュ、ユーゴ紛争、ルワンダ、ダルフールなど、世界各地でジェノサイドは行われてきた。メディアはその非人道的な行いの悲惨さを訴えてきたはずだが、それでジェノサイドが防げたことはあるのだろうか。過去の出来事を振り返るのも、もちろん大事だけれど、現在進行形で行われていることを広く知らしめて、その蛮行を阻止することはできないのだろうか。メディアはなんのために、あるのだろう。

以前、東京に暮らしていた頃、メディア関係の仕事をしている知人宅でテレビを見ていたら、ある企業の不祥事(だったと思う)を報じていた。詳細は覚えていないが、「へぇ、こんなことやってたんだ!」と私は内心、驚いたのだが、知人があっさりと「これ、メディア関係者なら前から知ってることだけどね」とのたまったので、私はさらに驚いた。と同時に、「じゃあ、なんでそれが発覚した時に、さっさと報じなかったの?」という疑問と憤りを感じたことを覚えている。

ウイグルについても、同じことが言えないだろうか。アメリカが大々的に中国批判を始めていなかったら、日本の大手メディアもいまだにこの問題を取り上げていなかったのではないか。

中東の紛争地域に取材に行くジャーナリストが話題になったりするけれど、むしろいま一番危険な場所、取材すべき場所はウイグルではないのか。

とはいえ、主な大手メディアチベットダライ・ラマ法王の来日すら報じないのが、日本の現状のようだ。(11月20日に衆議院議員会館にて、「日本チベット国会議員連盟」主催で講演会が行われたのだけど。)

「上海親子戦争」を見て考える「教育勅語」

反日的なドキュメンタリーや偏向番組が多くて、けっこう嫌になるNHKだけど、海外の良質ドキュメンタリーを放送したり、興味深いテーマの番組もたくさん作っている。「上海〝親子戦争”~急増する財産トラブル」という番組もそのひとつ。上海ではこのところ、「子供が面倒を見てくれない」とか、「子供に家をとられて追い出された」などと途方に暮れる高齢者が増えているのだそう。番組では、そういった高齢者をボランティアで支援している女性弁護士に密着しているのだが、上海の不動産の急騰がこの背景にあるという。親が購入した時に比べて、下手すると約10倍に値上がりした家の権利を巡って、親子が争うケースが多々あるらしい。女性弁護士がいくら話し合って解決しようとしても、聞く耳を持たない息子のケースを見ていると、最終的に和解する家族はどれほどいるのだろうかと寂しい気持ちになった。

そもそも中国は儒教の国だし、中国の憲法には「親孝行」の義務が明記されているらしいが、文化大革命時には孔子儒教は否定され、伝統的価値観は破壊されたという。さらには社会主義のくせに改革開放と称して市場経済を取り入れた結果、経済格差拝金主義が横行という、もうなんだか矛盾だらけではないか。

この番組を見ながら、私はふと教育勅語について考えてしまった。先日、NHKの記者が柴山文科相から教育勅語の肯定発言を引き出し、野党や一部大手マスコミなどが問題視して批判していたけれど、まさに大臣の発言の通り、教育勅語精神には「普遍性を持っている部分がみてとれる」と思ったからだ。

ちなみに下記は、国民道徳協会訳文による口語訳の抜粋↓

「国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。」

この後、「この教えは昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく外国で行っても間違いのない道」だと書かれている。そして実際に、その証ともいえる逸話がある。第二次世界大戦の同じ敗戦国でありながら、日本よりも早く復興を果たした西ドイツを訪れた日本の訪問団が、当時のアデナウアー首相ドイツ復興の原動力は何かと尋ねたところ、執務室の壁にかけられたドイツ語訳の教育勅語を指差したという。これはロンドンのドイツ大使館から要請を受けた日本大使館が、明治41年に渡した教育勅語のドイツ語訳だったらしい。

国の基本、そして人間の根本はやはり精神にあるのだと、つくづく感じたドキュメンタリーでした。

『馬三家からの手紙』の衝撃 Letter from Masanjia (2018)

もう何ヶ月か前になるが、NHKで『馬三家からの手紙』というドキュメンタリーが放映された。その予告を見て、私は何気なく録画予約をしていた。ほんとに何気なく。内容について詳しく知るわけでもなく、どうして録画予約をしたのか、自分でもよくわからない。予告では実写とアニメーションからなるドキュメンタリーであることはわかったのだが、そもそも私はドキュメンタリーは好きだけれど、アニメーションは好きではない。なのに、そのアニメーションに限っては、なにか惹かれるものがあったのだ。

そうやって録画されたそのドキュメンタリーを、私はしばらく忘れていた。日ごろからたくさんの海外ドラマを録画しているので、ほかにも見るものがたくさんあったのだ。だから後回しにしていたのだけれど、ある日、子供とふたりでご飯を食べていた時、「海外ドラマより真面目なドキュメンタリーの方がいいかな」という軽い気持ちで、この映像を見始めた。ところが、すぐにこれはとんでもない物語だとわかり、ふたりして映像に釘付けになった。

始まりは2012年秋、オレゴン州の主婦、ジュリー・キースさんが子供にせがまれ屋根裏部屋にしまっていたハロウィーンの飾りつけを取り出したところ、箱から一通の手紙がはらりと落ちた。英語で書かれた手紙には、この飾りが製造された中国の労働収容所で多くの人が拷問などを受けていることが綴られており、この「馬三家」という労働収容所の存在を世界に知らせてほしいと訴えていた。

ジュリーさんが動いたおかげで、この事実はアメリカを始め、世界各地で報道されることとなる。だが、そのとき手紙の主はすでに労働収容所から解放され、北京で妻と暮らしていた。手紙の主は、孫毅さん。英語で手紙を書いた彼は、北京で国営の石油会社で働いていたというから、おそらくエリートだったのだろう。映像を見ると、物腰もやわらかく、知的な雰囲気の紳士だ。そんな彼が労働収容所に入れられたのは、法輪功を信奉しているから。

彼が法輪功に魅せられたのは、1997年。「真・善・忍」をモットーとする法輪功は、「心と身体を向上させて良い人間になることを目指している」と、彼は説明する。(法輪功を学び実践する人は、学習者と呼ばれているようだ。)彼によると、1999年7月に中国共産党政府は法輪功非合法として、弾圧を始めたという。国内の法輪功の学習者7千万人~1億人にまで増え、共産党員の数(6千万人)を上回ったことで、大きな脅威となったからだ。それでも彼はこっそり仲間たちと法輪功の活動を続け、テキストを制作し、配布していた。映像にその様子も出てきたのだが、隠れ家で彼らが使っていたのはCanonのプリンターだった。

2008年に入ると、北京オリンピックを前にして締め付けはさらに厳しくなり、学習者を通報した人は報奨金がもらえることになった。その結果、彼はとうとう2月に逮捕され、遼寧省馬三家の労働収容所に送られるのである。そこで待っていたのは、拷問や長時間の強制労働。彼らがそこで作らされたのは、ハロウィン用の十字架とドクロの飾りものだった。発泡スチロールに黒い染料を沁みこませる作業を日に20時間近くやらされていたので、寝ている間も手が動いていたほどだという。

そんな中、この飾りものがアメリカに輸出されることに気づいた彼は、夜中、こっそり音を立てないようにして、馬三家での惨状を訴える手紙を20通ほど英語でしたためた。そしてそれを飾りものにしのばせていたのだが、ある日、このことがバレてしまう。彼の手紙のことを知りつつ協力してくれていた仲間は、口を割ることはなかったが、その後、法輪功の学習者は、ひとりずつ呼び出され、その教えを捨てるよう拷問された。最初に連れて行かれた仲間は、最初はうめき声をあげながらも、「法輪功は正しい」と叫んでいたが、その後、わずか10分ほどで、法輪功をけなし始め、あっけなく教えを捨てたという。

馬三家内の映像はもちろんないので、彼のイラストを元にしたアニメーションで描かれるのだが、これがまたリアルなのだ。拷問を受ける部屋の前には、マルクス毛沢東の肖像画が飾られていたりと、ディテールもしっかりと描きこまれている。彼ももちろん拷問を受けたが、教えを捨てることはなかった。

ドキュメンタリーには、当時、拷問の監視役だった人との再会シーンもある。元監視役が、「彼は友人でもなく、なんの借りもないけれど、良心のある人間なら見るに堪えない」と涙を浮かべて語っていたのが印象的だった。

家族の要請で人権派弁護士江天勇氏が代理人となったことから、孫毅さんは刑期を延長されることなく、2010年9月に釈放され、その後も迫害の事実を知らせる活動を密かに続けていた。その間、妻に危害が及んではいけないと偽装離婚をしていたのだが、2012年に彼の手紙がアメリカで公開されたことを機に、秘密裏に映像を撮影することを決意したらしい。彼がカナダ在住の中国人映画監督レオン・リー氏に連絡をとったことで、最終的にこの作品ができあがるのだが、完成前の2016年11月人権派弁護士の江天勇氏が消息をたったと知り、彼は妻と再婚してふたりで亡命することを決意する。

ところが、両親が病気になったと妻が実家に呼び戻され、計画は中止。その後、妻から「北京の自宅に強制捜査が入ったから、戻ってきてはいけない」と連絡が入るのだが、まもなく孫毅さんは逮捕されてしまう。しかし体調を崩したため釈放されるも、押収された携帯のパスワードが破られたと聞き、撮影のことがバレる前にと、ひとりで中国脱出を決行する。妻とは「永遠の別れ」となることを覚悟して。

2016年12月に無事に脱出してインドネシアのジャカルタで暮らし始めた彼を、オレゴン州で手紙を受け取ったジュリー・キースさんが2017年に訪ねる。彼女のお陰で多くの中国人がネットを通じて労働収容所のことを知ることができたと、彼は感謝を述べる。ジュリーさんも、彼の手紙が「私の人生を変えた」と言う。自分が買うものが、どこでどうやって作られているのか、それまで考えたこともなかったのに、「外の世界に無関心ではいられなくなった」と。

その時、孫毅さんは中国に残した妻がとても脅えていて、「自分の情報や写真はすべて削除して」と言ってきたと話していた。「結婚して20年なのに、一緒に生活できたのは2、3年」、「離れている間、彼もこの同じ月を見ているのだとと思って月を眺めていた」と言っていた彼の妻は、今も脅えながら月を見ているのだろうか…と思っていると、ドキュメンタリー衝撃のラストを迎えた。

私がほしいのは自由」、「信念のためなら苦難も厭わない」と温和な表情で静かに語る孫毅さんだったが、ジュリーさんの訪問からまもなく中国の公安関係者が接触してきて、その2ヶ月後の2017年10月に突然、死亡。急性腎障害ということだが、家族が要請した死因調査は行われないままだった。

まだ中国には迫害されている人がたくさんいるが、「最後には正義が悪に勝利します」という生前の孫毅さんの言葉で、この作品は終わる。

孫毅さんの突然死という唐突な終わりは衝撃だったが、あくまでも温和な口調で優しい表情を崩さなかった孫毅さんの姿が、あとからじわじわとボディブローのように効いてきて、呆然としていた私はどっと泣き出してしまった。インドネシアに脱出したことで、彼の命は助かったと思っていたが、中国共産党はそんなに甘くはなかったのだ。

それにしても思い出すのは、私と同世代と思われる孫毅さんの柔和なお顔。かつては中国の優秀なエリートだったであろう彼が、法輪功と出会ったことで、生きる意義や目的を見出したからこその、あの表情だったのだろう。邪悪なものが一切感じられない、まっすぐな優しい視線。命は落としたかも知れないが、「真・善・忍」を貫いた彼の精神は、中国共産党に決して負けることはなかったのだ。これからも、ずっと。

*なお中国共産党は法輪功だけでなく、チベット、ウイグル人たちも弾圧していることを忘れてはいけない。

*ちなみに、ジュリー・キースさんが暮らすのは、オレゴン州ダマスカスという町だった。シリアダマスカスとはえらい違いだ。

*関連記事:「中国民主化運動(天安門事件)、ウルケシ(ウーアルカイシ)の思い出

映画『バンク・ジョブ』で知った英国の謎の強盗事件

ケーブルテレビの映画チャンネルで適当に「面白そうかな?」と思うものを録画しているのだが、その中から最近、観たのが2008年の英国映画『バンク・ジョブ』。いったいどういう類の物語なのか、まったく前提知識なく見始めたのだが、これは1971年9月11日にロンドンで実際に起きた銀行強盗事件を基にしていて、一応、「半分フィクションです」と断っているのだが、あとで調べてみたところ、かなり綿密な取材をして制作されているようで、意外と真実に近い物語なのかも…と思っている。

*******
映画では、まずロンドンで中古車店を営む主人公が知り合いから銀行強盗を持ちかけられる。ベイカーストリートロイズ銀行の警報装置が、取替え工事の期間だけ機能しなくなるので、その間に地下の貸金庫を狙おうと。そこで主人公は仲間を募り、銀行の二軒隣の空き店舗を借り、内装工事をしていると見せかけて、その店舗から銀行まで地下トンネルを掘る。

実はこの計画の黒幕は英国諜報部MI5なのだが、主人公はもちろんそんなことは知らない。MI5の目的は、ブラックパワーの指導者として有名なマルコムXに傾倒して、当時「マイケルX」と呼ばれていたトリニダード・トバゴ出身の似非活動家が貸金庫に保管していた英国王室関係者のスキャンダラスな写真を入手することだった。マイケルXは、実は麻薬の密輸など数々の犯罪を犯しながらも、その写真を脅しに使って、逮捕を免れてきていたのだ。

しかし主人公たちの一団がまさに強盗を実行に移そうという時、見張り役とのトランシーバーでのやりとりを偶然、近所の無線愛好家が聞きつけ、警察に通報。近隣のどこかの銀行が狙われていると調べて廻るのだが、危機一髪で強盗団はみつかることなく、貸金庫の数々の財宝を盗み出した。しかし…貸金庫に隠されていたのは、王室のスキャンダル写真だけでなく、政財界の大物たちのスキャンダル写真や、警察官への賄賂の記録など、表に出たら困る人たちがたくさんいたため、強盗団はプロの刺客に狙われることに。結局、主人公は王室の写真を返却することで逮捕を免れ、マイケルXトリニダード・トバゴで逮捕される。
******

この強盗事件は、最初の数日間だけ報道されたものの、その後、ぱったりと報道がやみ、未解決のままとなっているそうだ。これは「D-note(D通告)」という、機密保持のため政府から報道機関への報道差し止めの通告がされたからだと言われている。事件当日にアマチュア無線家の通報を受けた警察も、当初は動きが鈍かったと言われているし、不審なことが多々あるらしい。

映画の中では、マイケルXが持っていたのはマーガレット王女(エリザベス女王の妹)のスキャンダラスな写真ということになっていて、それを受け取ったマウントバッテン卿が写真を見て、「なんておてんばな!」みたいなことを言うのである。マウントバッテン卿といえば、IRA爆破テロで暗殺されたけれど、葬儀には遺言により第二次世界大戦で戦った日本人の参列を拒否したのだとか。大英帝国の植民地を日本軍に次々と解放されたことを、よほど恨みに思っていらしたのだろうか!? また映画の最後でマイケルXの逮捕の場面が出てくるのだが、ここで明らかになる惨い事件は実際の出来事らしい。

しんどいエピソードを並べてしまったので、ちょっと楽しい映画のみどころも記しておくと、当時、革命運動家として有名だったマイケルXが実際に交流していたジョン・レノンオノ・ヨーコのそっくりさんが一瞬、出てきたりする。それから、私は気づかなかったのだが、当時、マーガレット王女と交流があったミック・ジャガー貸金庫の係りとして出演していたと知り、びっくり。また、裏社会のボス役を演じるのが、『名探偵ポワロ』役で有名なデヴィッド・スーシェだったのも意外。でもこの方、実は悪役もたくさん演じているのだとか。

この映画を見て、どこの国にも、未解決の謎の事件がいろいろあるんだなぁと思った次第。でも、英国王室といえば、ハリー王子全裸写真流出や、アンドルー王子少女買春疑惑など、さまざまなスキャンダルが続出済み。今だったら、こんな写真のために銀行強盗をやらせるなんてあり得ないかも…。

左翼の社会科教師の告白(昭和天皇の広島行幸)

先日に続き、私の広島での女子校時代の思い出話である。女子校にも、もちろん男性教師はたくさんいて、その中にダンディーな社会科の先生がいらした。私は世界史と公民を教えてもらったように記憶している。授業中にたまに雑談が始まり、熱くカープ愛を語ってくださったりもしたが、その話しぶりから、なんとなく左翼思想の方なのだと認識していた。それも、けっこう筋金入り…という印象。まあ、当時の社会科教師は殆ど左翼思想だったろうけど。素直な高校生だった私は、お陰でしっかり自虐史観に染まり、戦争を体験している両親に突っかかっていったことがある。

けれど、私がその先生の雑談で今でも覚えているのは、昭和天皇の広島行幸の話。先生がどの程度の左翼だったのかはわからないが、普段は「天皇なんて…」といった態度だった先生が、たまたま昭和天皇の広島行幸に遭遇。天皇陛下がお出ましになったのか、それともお車が通過したのか、詳しいことは覚えていないが、陛下がいらっしゃるとわかった瞬間、気がついたら「はは~っ」と深々と頭を下げていたそうだ。恐れ多くて、身体が自然に反応したらしい。「その時、なんだかんだ言っても自分は日本人なんだなぁと思った」という先生の言葉が、ずっと心に残っている。頭でどうこうじゃなく、日本人の身体にしみついているものがあるということなんだなぁと、少し嬉しい気持ちになったのだけど、今の日本人はどうなのだろう!?

ところで、この昭和天皇の広島行幸はいつのことだったのだろうと調べてみたら、1947年、1951年、1971年と行幸されているので、1971年のことだったのだろうか。

ちなみに、1947年12月昭和天皇戦後最初の広島巡幸の際、小学校3年生だった中沢啓治氏(『はだしのゲン』の作者)は、「天皇制を否定していた父の影響で、家族3人が被曝死したのは天皇のせいだと思っていた」ため、学校の先生に歓迎の日の丸の小旗を作るよう言われても作らなかったそうだ。

その日の様子を、中国新聞はこう報じている。「5万人の国歌大合唱が感激と興奮のルツボからとどろき渡る。陛下も感激を顔に表され、ともに君が代を口ずさまれた。涙…涙…感極まって興奮の涙が会場を包んだ」。そして天皇陛下のお言葉のあと、市民は帽子や手やハンカチを振りながら「万歳!」と絶叫したという。この市民の熱狂を、当時の広島市長は「他国で苦労した子供が、理屈なく両親に会いたくなる気持ちに似たようなものがあったと思う」と説明している。

先生の話と同じく、ここでも「理屈なく」なのだ。これは日本人にしかわからない感覚なのかも知れない。いや、正確には、もしかしてこの感覚を共有しているのは「昭和の日本人」までかも知れないけれど。

そこで思い出すのが、私が高校生で初めてイギリスに行った時のこと。英語の授業でイギリスの王室日本の皇室がテーマとなり、「日本の天皇とはどういう存在か?」と質問された。語彙の乏しい中で、とりあえず「国民がリスペクトする人」だと答えたところ、イギリス人の先生にこう言われた。「リスペクトするかどうかは、その人がどういう人物かによって決まるのであり、ある特定の地位にある人だからリスペクトするというものではない」と。先生の言わんとすることは理解できたけれど、それでも私はその時、心の中で反論していた。「でも、多くの日本国民は現実に天皇陛下リスペクトしていると思う…」と。だけど、その理由をどう説明していいかわからなくて、黙っていた。せめて、「イギリスの王室とは違うんだよ」と言いたかったけれど、この感覚はやはり日本人以外には理解し難いものかも知れない。

きょうは、73回目の終戦記念日であった…。


*豪雨でレモンの被害があったと聞いて心配していたけど、今年も瀬戸内海の大崎上島からブルーベリーが届いた!

女子校の効用と母の使命

息子が男子校を満喫していることには先日触れたばかりだが(「学ラン(と男子校)の効用」)、共学と違って異性の目がないので、変に気取ったりカッコつけたりする必要もなく、素を出せるのが、男子校女子校の良さだと思う。共学だったら女子に「キモイ」とか「ダサい」とか言われかねないオタク系男子も、その分野についてめちゃくちゃ詳しいエキスパートとしてある意味、尊敬され、きちんと認めてもらえる。いろんな趣味の、いろんなこだわりの子たちが互いに認め合って交流するのは、刺激的で楽しいだろう。成績の良し悪しや、モテるモテないといったことは別に重要じゃない。純粋に相性がいいとか、話が合うとか、趣味が似ているといったことで、友達付き合いが始まるのだろうと思う。

私も中高と女子校だったので、女子校の良さは体験済みだ。女子校育ちの影響は、かなり大きいと思う。そもそも文化祭、体育祭をはじめ、あらゆる行事は女子だけで行うので、当然ながら力仕事も自分たちでやる。「男に頼る」ことがないので、自然と自立の精神が身についたような気がする。そしてそれが、「なにをやってもいい!」というチャレンジ精神に繋がっているような…。

息子の学校もそうなのだが、私の母校でもOGの先生が多かった。つまり先輩方がロールモデルとして、日々、指導してくださるので、自然と学校の教育理念が身についた面もあるかも知れない。多感な中高時代に聞いた先生方のお話は、断片的だが今でも私の心にしっかりと残っている。

中でも一番印象的だったのが、家庭科の先生のお話だ。高校生だった私たちに、先生はおっしゃった。

「皆さんはこれから大学に進学するでしょうけど、私立であっても大学には国から多額の助成金が出ています。だから、皆さんは国民の税金をたくさん投入してもらって勉強ができるのだと自覚して、卒業後にそのお返しをしてください。例えば、社会に出て働くことで、国のためになる。あるいは結婚して家庭を築くことでも、お返しはできます。皆さんの多くは、いずれ母親になるでしょう。未来の日本を支えていく子供たちを育てるという、りっぱな使命があるのです。母親である皆さんがしっかりしてないと、明るい日本の未来はありませんよ!」

東京の女子大を出て、子育てをしながら定年まで勤め上げられた先生とは、何年も前の同窓会で再会した。その際、先生の言葉に感銘を受けて、今もその言葉を思い出しながら子育てをしていることを、先生に伝えることができた。ちなみに先生のご主人は、芸術家でいらしたとか。

いま振り返ると、中高のあの6年間が私の人生に与えた影響はとてつもなく大きかったと思う。あの時代の恩師や友人たちのお陰で、今の私があるのだ。あの学校に通わせてくれた亡き両親には感謝している。


*左上に火星、右下に花火!(8月7日の琵琶湖花火大会)昨晩はペルセウス座流星群を見た!

呉署の晋川尚人さんに関する報道について

昨日の記事『西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)』は、7月14日(土)の読売新聞の記事に基づいて書いた。その後、FNN7月15日の朝日新聞、そしてきょう7月16日テレビ朝日『モーニングショー』でも報じられたようだ。この『モーニングショー』の報道に基づいて、晋川さんらの記事をアップしたニュースサイトには、人数が間違っているというコメントが寄せられたそうだ。そこで、正確な情報を知りたいと、私宛てに問い合わせて下さったのだが、私が返信する前に夕方の日本テレビの報道を見て、情報を修正されたようだ。

その後、友人を通じて晋川さんのご家族にこの件をお知らせしたところ、正確な人数を教えてくださった。しかし、マスコミの中には勝手に、あるいはいい加減に報道するところがあるようで、直接マスコミ対応する余裕はなさそうだった。朝日新聞の記事には、直前にお父さんが晋川さんに電話をしたと書いてあったが、「実際には電話していない、誰かの話とごっちゃになっているのでは?」とのこと。どうしてそんなことを間違えるのだろうか!?

一番大事な「人数」という情報を間違えて報道するテレビ。そして「事実ではない話」を報じる新聞
災害当日の混乱の中ではなく、一週間以上過ぎてからの取材で、こんないい加減な報道がされているとは。
ただでさえお疲れのご家族の心労を増すような結果になっているとは、残念でならない。
すべてがそうだとは思わないが、ますますメディアへの信頼が揺らぐ。

*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

*2018年7月22日の記事「晋川尚人さんのご両親の言葉

*2019年7月5日の記事「西日本豪雨で殉職された呉署の晋川尚人さんのお母様より

初めての選挙。まともな野党はいないのか?

日曜日に知事選挙があった。今年18歳になった息子にとって、初めての選挙だったので、家族そろって投票所に出かけた。今回の投票所は駐車スペースが少ないから、車が停められるかなぁと心配して行ってみたら、なんと1台も停まっていなかった。予想通り、投票率はかなり低そうだ。

というのも、立候補しているのは現職と共産党推薦の新人のみ。現職は共産党以外のすべての党派の支援を受けているので、結果は最初からわかりきったようなもの。

それでも息子にとっては初めての選挙なので、一応、選挙公報もきちんと読んだのだが、これを見て唖然!

もう黙っていられないアベ政治。あなたの一票で変えよう! 暮らし第一の県政へ
改ざん、隠ぺい、ねつ造・・・国民から退場の審判をつきつけられるアベ自民党。国の悪政と対決できる知事でこそ、県民のいのちと暮らしを守れます。

なんで知事選に「アベ政治」が関係あるのか!? しかも、「アベ自民党が国民から退場の審判をつきつけられてる」!? 最新の内閣支持率、上がってたぞ。

それに現職の知事は、かつて民主党(当時)の衆議院議員だったのに知事選に立候補して、自民党が推す候補を破って知事になった人だよ。今回は自民党の支援も得ていると言っても、「アベ政治」とは関係ないと思うけど…。そもそも、なんで「アベ」がカタカナなんだ!?

国会のニュースを見てもいつも思うのだけど、まともな主張をする野党はいないのか? 与党は少なくとも、政策の決定・実行についての責任は負っているのに、野党は無責任に人の批判(中には揚げ足とりや人格攻撃まで)ばかりやっているようにしか見えない。ネガティブなことを聞かされ続けると、こちらも嫌な気分になってしまう。具体的な政策提案など、建設的で前向きな話をしないと意味ないじゃない!? 政治家が将来への希望を語れないで、どうするんだ!?

ちなみに、ただ「アベ」批判をするために立候補したのかと思えるこの対立候補、地元の国立大学の元副学長と書いてあったので、さらにがっくり。記念すべき息子の初選挙は、盛り下がりすぎでありました。

紅茶を飲みながら、英国の歴史を考える(さすがブリカス)

私も夫も朝はコーヒーと決まっていたのに、なぜか夫が去年あたりから紅茶を飲むようになった。私も紅茶好きの友人たちの影響もあり、最近になって夫と共に紅茶を飲むように。また、友人たちから紅茶の淹れ方や、カップのことやらアフタヌーンティーの歴史などを聞きかじっている。先日も、そういった本を貸してもらって読んでいたら、学校のテスト勉強をしていた息子の世界史の範囲と被っていたらしく、ふたりでしばし英国の歴史談義。(今では私が息子に教えてもらう側なのだが。)

ついでに、私が録画していたエリザベス1世メアリー・スチュアートのドキュメンタリー番組も一緒に見たのだが、見終わったあと、なんとも言えない気持ちになり、思わず言ってしまった。

結局、よそのお家のゴタゴタじゃない!? それをわざわざ世界史で勉強して、テストすることないよね~!?

すると、息子がこんなことを教えてくれた。ネットの世界でイギリスは「ブリカス」と呼ばれているのだと。

ブリカス!? 

つまり、ブリティッシュはカスってことね!? 確かに、いま現在の世界の大問題の原因は、そもそもブリカス(や欧米)が作ったものだと言えるし。世界史を勉強すると、「結局、イギリスが悪いんじゃねぇか!」という気分になるわけだ。納得。

紅茶にしたって、英国お茶が入ってたかだか350年ほどの歴史しかないくせに、「何をえらそーにアフタヌーンティーとか言ってんだ!?」と言いたくもなるのだが、それでもその優雅な雰囲気に憧れの気持ちも抱いてしまうのは、私も欧米文化に洗脳されている証拠!? 反発がありながらも、英国ドラマのあの雰囲気はやっぱり好き。

ちなみに、日本に初めてお茶を持ち帰ったのは、遣唐使だった最澄と言われている。805年お茶の種子を持ち帰ったそうで、今も比叡山の麓に日本最古の茶園がある。(日吉茶園)最近、ここのお茶のDNAを調べたら、最澄が留学していた中国・天台山お茶のDNAと同じことが判明したらしい。

ところで、よく考えたら、私も高校生の頃、シュテファン・ツヴァイクの『メリー・スチュアート』を読んだ記憶が蘇ってきた。小論文まで書いた記憶があるのだけど、本の内容はさっぱり思い出せない。やはり所詮、よその家のゴタゴタなのだ。

さっき聞いたばかりの新語「ブリカス」も、間違えて「ブリクソ」と言ってしまったし、私の記憶力、衰えてる! ま、カスもクソも似たようなものか。実は私の故郷では、「ブリ(本当はブチ)」は「very」の意味なので、「ブリカス」は「めちゃくちゃカス」という意味にとられそう。

*もしかして、「ブリクソ」と勘違いしたのは、「ブリクサ」のせいかも!? → ブリクサ・バーゲルトドイツのバンド、アインシュテルツェンデ・ノイバウテンのリーダー。こういう名前はちゃんと覚えているのが、我ながら不思議!