さそり座の満月

昨夜、2020年5月7日の午後7時45分に満月となりました。占星術的に言うと、今回は蠍座の満月だそうです。6時45分には、琵琶湖の上に大きなオレンジ色の満月が…。写真だと、肉眼で見たときよりも小さく白く写っていますが、美しい月としばらくの間、真正面から対面して、満月ビーム(!?)をたくさん浴びた気がします。月って、本当に神秘的ですね。

この満月にあわせて、リンさん、そしてヒロコさんと3人でお喋りしたポッドキャストフェリシテカフェ』もアップしました。リンさんの占星術に基づくアドバイス、毎回、参考にしています。宇宙の星や月の動きにあわせて、自分の心を整えるって新鮮です。

『生きたい人生を生きる-厚子とリンのフェリシテカフェ』*新月と満月の日に更新↓

『鳩胸厚子の琵琶湖日記』*月-金は毎日更新予定↓

ポッドキャスト『鳩胸厚子の琵琶湖日記』

新型コロナの外出自粛要請のおかげで、家にいる時間がさらに増えたので、なにか新しいことを始めようと、またポッドキャストを作ってみました。

『鳩胸厚子の琵琶湖日記』

5分程度の短い番組なので、とりあえず平日は毎日録音することを目標にしてみよう…かな!?

天使に会いました(オーストラリア編)

このブログにも、かつて何度か天使に遭遇した話を書いたことがあります。いや、正確には、私にとって天使と思える人に出会ったという話なのですが、あれは本当に人間だったのだろうか…と今でも不思議に思う存在でした。

実はこの間から『天使に会いました』(エマ・ヒースコート・ジェームス著、ラッセル秀子訳)という本を読んでいます。これは神学を専攻していた著者が、博士課程論文のために行った天使体験のリサーチを基に書かれたもので、天使に出会ったという体験談を一般から募集したところ、350ものエピソードが集まったそうです。

その中でもよくあるのが、何か困っている時に天使が助けてくれたり、危機的場面で救ってくれたというお話。誰もいない場所なのに、ふと誰かが現れて助けてくれて、気がつくとその姿は消えていた…というパターンです。それを読んで、昔、オーストラリア旅行で私が出会った人たちも、もしかして天使だったのかも知れない…と今になって気づきました。

もう20年以上前の独身時代のこと。運転免許をとったばかりの私は、ドライブ暦の長い友人と女2人旅に出かけました。オーストラリアブリスベーンからシドニーまで、レンタカーで内陸部のルートを通って行くという1週間余りのドライブ旅行。宿はその都度、電話帳などでみつけたB&Bなどに電話で予約しました。オーストラリアは自然も人間も、とってもおおらか。いい意味での驚きがたくさんあって、心が解き放たれたような、すがすがしい時間を過ごしました。

奥田民生の『イージューライダー』を大ボリュームで流しながら、荒野を走る」という、免許とりたての私の夢も、早速、実現しました。ワラビーの飛び出し注意の看板が立っている道路を、延々と走るのは爽快でした。ところが、ある日の夕方近く、これまでの何もない平地から山道に入り、建物もなにもない山の中をただ延々と走ることに。その景色が、初心者の私がよく走っていた京都の八瀬・大原に似ていたので、私はそこが慣れた道であるかのように錯覚して運転していました。確かに景色は似ていたけど、ひとつ違っていたのは、そこは舗装道路ではなかったということ。舗装道路しか走ったことのない私は、カーブでスピードを落としきれず、車を少しぶつけてしまいました。本当にヒヤリとしましたが、車は前の方が少しへこんだだけで、私たちに怪我もなく、そこからは友人が運転を代わってくれたのですが、すぐに異常が!そう、タイヤがパンクしていたのです。

いったいどうしたものか。一瞬、焦りました。これまで通過する車は1台もなく、しかもそろそろ夕方が近づいています。左手は山しかないし、右手は大きな牧場が広がっているようでしたが、建物は見えません。ところがその時、よく見ると、遠くに男性が2人見えたのです。どうやってその人たちを呼んだのか、もう記憶もさだかではありませんが、とにかくその人たちは私たちに気づいて、道路までやってきてくれました。事情を話すと、「タイヤの替え方、知らないのかい?」と驚かれましたが、2人は嫌な顔ひとつせず、手際よくさっさとスペアのタイヤをつけてくれました。そして、その日は金曜日だったのですが、「今週末は土日だけじゃなく月曜も休みだから、今のうちにガソリンを入れておいた方がいいよ。ここから何キロか先にガソリンスタンドがあるけど、もうじき閉まるから」と教えてくれたのです。私たちは本当に感激して、お礼を言って、ガソリンスタンドに向かったのですが、改めて思い出すと、あの人たちは天使だったとしか思えません。あの時、あの人たちが助けてくれなかったら、私たちはどうなっていたのか…想像したくもありません。

後日談。初心者の私の無謀な運転のせいで、こんなことになってしまって、友人には大変申し訳なかったのですが、このあと、友人も気持ちよく荒野を運転していたら、スピード違反の罰金を払うことになりました。いろんな経験ができて、楽しかった! ああ、あのおおらかなオーストラリアにもう一度行ってみたい!

ポッドキャスト『フェリシテカフェ』

紅茶と星詠みを愛するティーアストロロジャー、リンさんと2人で昨年11月から始めたポッドキャスト、ほぼ2週間ごとに更新しています。月の動きに合わせて、新月満月の日に更新しているのですが、きょうがまさにその満月(しかもスーパームーン!)の日です。これまでは毎回、琵琶湖を眺めながら、リンさんに用意してもらった紅茶&スイーツを楽しみつつ、お喋りしていたのですが、今回は新型コロナの影響で初めての遠隔収録となりました!!!そのため音声が途切れたり、聞きにくいところもあるかも知れませんが、ご了承のほどを。

さて、2020年4月8日の「てんびん座の満月」のテーマは、「心から信頼できるパートナーとは?」です。家で過ごす時間が増えたことで、普段よりイライラしたり、今までの人間関係の見直しを迫られたり、ということはありませんか? また、先が見えない今の状況に、どうしようもない不安を抱く方も多いのでは!? そんな時、どう考えればいいか、どう対処すればいいか、リンさんと一緒に考えてみました。今回は最後にリンさんが、とっても簡単で具体的なアドバイスをしてくれました。そう、部屋の中ですぐにできる腹筋などの運動です。満月から新月に向かうこれからの2週間、ぜい肉も不安な気持ちもそぎ落としていきたいですね。皆さん、心身の健康に気を付けて、この状況を乗り切っていきましょう!(鳩胸厚子)
リンさんのオフィシャルブログ『カメリアズティーハウスロンドンに恋をして』

天中殺の始めと終わりに入院

前にも書いたことがあるが、算命学ではどんな人にも12年のうち2年間の「天中殺」が巡ってくる。空間の世界である「十干」と、時間を示す「十二支」を組み合わせたとき、「十二支」がふたつ余ってしまう。「十干」は神様の宿る空間であり、「十二支」は神様が通過する方向を示すのだが、余った二つの時間は神様がいない時間となる。神様不在、つまり神様の力を得られないこの2年間を天中殺と呼ぶ。天が味方しない時間は魔が差すことが多いため、新しいことを始めるのは避けるべきと言われている。転職、引越し、結婚などなど。しかし、むやみに怖がる必要はなく、季節でいえば冬と考え、春に向けての準備期間とすれば、やがて来るときに活動を始めて花開くことになるのだろう。

で、私の場合。戌亥天中殺なので、ようやくこの節分で2年間の天中殺が明ける。思い返せば、戌年を迎える前年の秋、私は突然、入院した。出産と痔の手術以外で入院したのは初めてのことだった。それまで1年近く勤めていた職場のストレスが相当溜まっていたことが、一番の原因だったように思う。当時、算命学の先生に「天中殺前にお知らせ現象が起こることもある」と聞いたことがあった。この入院も、ある意味、そうだったのかも知れない。この時、入院したおかげで、天中殺の間、私はいつも以上に体調に気をつけ、無理をしないように過ごしたからだ。

なのに、なのに…天中殺が明ける直前の昨年末、私はまたも緊急入院してしまった。謎の体調不良が続いたあと、ある日、お腹が痛くなり、救急病院に駆けつけ、そのまま入院。原因は胆石だった。もう20年近く前に胆石があることはわかっていたが、それが痛くなったのは初めてだった。幸い、胆石の痛みはすぐにおさまったのだが、諸々の検査の結果、別の病気があることが判明。おそらく検査をしなければ、発症に気づかなかっただろうから、胆石が痛んでラッキーだったのだろう。(主治医もそのような見解だった。)算命学の先生も、この時期に持病が出ることは、むしろ良いことなのだと言ってくださった。

今は既に元の生活に戻り、いや、以前よりも健康的な生活を送っていると思う。天中殺が明けても、しばらくはのんびりと、少しずつ活動を始めようかと思っている。病気はある意味、自分が作り出しているのだと、しみじみ思う。さらに言えば、病気になる時期にも意味があるのだろう。天中殺の始めと終わりに、じっくり自分自身を見直し、いろいろと考える時間を与えられたのはありがたいことだと思う。


無事にお正月を迎えられて良かった!!

新しいポッドキャスト、始めました。

なかなか記事もポッドキャストも更新できないでいましたが、実は友人と新たにポッドキャストを始めました。
よかったら聞いてみてください。↓

『生きたい人生を生きる—厚子とリンのFelicite Cafe』

紅茶と星詠みのスペシャリストである「ティー・アストロロジャー」のリンさんには、なにかあれば相談にのってもらい、アドバイスや励ましをもらってきましたが、なによりも、いつ会っても楽しくお喋りの花が咲き、あっという間に時間が過ぎているのです。このポッドキャストで、そんな心地よい時間を少しでも共有できたらいいのですが。

リンさんのブログ↓
RINのオフィシャルブログ カメリアズティーハウスロンドンに恋をして

『鈴木るみこさんを偲ぶ会』を終えて

photo by Rin Matsubara
比叡山坂本の「むあ文庫」

2019年11月4日(祝月)に開催された『鈴木るみこさんを偲ぶ会』の報告を投稿せねばと思いながら、なにもできないまま、時間が過ぎてしまいました。11月が終わる前に、あの日のことを少しだけ記しておきます。

秋の穏やかな日に、スタッフを入れると20数名が「むあ文庫」さんに集まって、午後の間中、るみこちゃんのことを語らいました。関西はもとより、富士宮、鎌倉、東京、そして遠く仙台からも、るみこちゃんの綴った文章が大好きという方々が参加してくださいました。

この日、特別にお店を開けてくださった「むあ文庫」さんの玄関先には、「鈴木るみこさんを偲ぶ会」の案内板が立てられ、カフェの先の絵本の館(!?)には、「むあ文庫」さんが特別にるみこちゃんのこれまでの記事/エッセイに関連した絵本を選びだしてディスプレイしてくださっていました。

photo by Rin Matsubara
「偲ぶ会の案内板」

会が始まる前に、その入口の写真を撮っていたら、きらきらと光る風が何度か吹き渡り、「るみこちゃんがやって来たのかしら?」と私たちは囁きあっていたのですが、会のあと、窓際に座っていた参加者の方から、「窓の外で、風が何度もきらめいていて、るみこさんかと思いました」と言われ、確信しました。永遠の光の塔のことも。

photo by Rin Matsubara
永遠の光の塔から!?

ほとんど初対面の方ばかりなのに、「るみこちゃんの言葉で綴られた世界が好き」という共通点だけで、昔からのお友達のようにお話ができたのは不思議でした。皆さん、それぞれの想いを語ってくださり、参加者のおひとりがおっしゃったように「宝物のような時間」を過ごしました。るみこちゃんの文章が、こんなに素敵な方々を引き寄せて、結びつけてくれたなんて、感謝してもしきれません。忘れられない日となりました。

これは当日とは別メニューのアップルクランブル@むあ文庫

あの日のことを、いまだにうまくまとめられないので、いちはやく「偲ぶ会」のことを書いてくださった参加者のブログ等を以下、紹介します。ほかにもあれば、お知らせください。

【花と空】57歳から始めた雑記ノート。by yuki-bee-62

picchipucchiさんのインスタグラム

台湾手帖 田中六花さんのインスタグラム

Hopinほぴん さんのnote

Rinのオフィシャルブログ

*12月2日に追加→ mai_nogamiさんのnote

ベルローズさんの波動バラ

*当日は、るみこちゃんが大好きなバラを飾りました。愛媛のベルローズさん波動バラ。終了後、参加者の皆さんに持ち帰っていただきました。

追記:この日の参加者の中に、同じ小学校の同級生(しかも同じクラス)だったおふたりがいたことが帰宅後に判明。会の間は、お互いに気づいていなかったとか。これも不思議なご縁でした。

西日本豪雨で殉職された呉署の晋川尚人さんのお母様より

昨年の西日本豪雨(「平成30年7月豪雨」)から1年になろうとしています。関西でも電車が停まり、私が暮らす琵琶湖周辺でも大量の雨がずっと降り続けるので、窓の外を眺めては、「これ以上、降り続けたらどうなるんだろう?」と不安になったことを思い出します。それくらい尋常でない雨でした。

この豪雨は全国各地に甚大な被害をもたらしましたが、特に私の故郷の広島県の被害が大きく、全国の死者・行方不明者231名のうち、広島県が114名(死者108名、行方不明者6名)でした。(*2018年9月末までの情報による。)

その中のおひとり、28歳で殉職された呉署の晋川尚人さんのことを昨年、このブログで何度かお伝えしました。そして、そのことがきっかけで尚人さんのお母様とやりとりするようになりました。私も同年代の母親として、お母様の悲しみに胸が痛くなりますが、けれどその悲しみの本当の深さは私の想像を超えるものだと感じます。お母様のその悲しみを私はどうすることもできないことがまた悲しいのですが、尚人さんたちのご冥福を祈り続け、そして共に生きていくことはできるかな、と思っています。生前の尚人さんを知らないのに、お母様を通して尚人さんを身近に感じられるのも不思議です。尚人さん、たくさんの方々を助けてこられたと思いますが、私にもお母様との縁を取り持ってくださり、感謝しています。

以下は、尚人さんが殉職された7月6日を前に、お母様から届いたメッセージです。今年も九州等で大雨の被害がでていますが、どうかお母様の思いが天に届きますように。

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「西日本豪雨から一年…7月6日をむかえるにあたって」

私達親、家族にとって月の始まりが6日から始まるつらいひと月を刻みながら、早、一年という節目がやってきます。

毎日、息子「尚人」を思わない日はありません。時が流れてもこの喪失感は変わらないどころか日々深くなり、私の心の傷は癒えることなく傷口すら塞ぐことはできずにいます。

親にとって、子を突然失うこと耐え難く、今まで家族4人で生きてきた道のりや、様々な楽しかった思い出までもがこの不幸の訪れに繋がっていたのか……と否定的な思いが沸き上がり溢れてきます。

「世界一立派な息子、世界一親不幸な息子」
私達のところに産まれてきてくれて感謝しています。
そしてあの状況下で勇敢に行動した息子を誇りに思っています。

尚人を失った私達がこれからどのように生きていくべきなのか、頭で考えてみてもそれを行動にうつすことはまだ困難です。

辛い一年でわかったことは、当たり前だと思っていた日常は当たり前ではなく、かけがえのない貴重な時間だったということです。

唯一、遺された息子の家族の笑顔を見ることが私達の幸せになっています。

あたたかい言葉をかけてくれる友人達、そして尚人を通して知り合えた同じ思いをされている方々、多くの優しい方々にあらためて、
「ありがとうございます。どうか、尚人を忘れないでください。」

そして二度と同じ辛い思いをする方が一人もでませんように…と祈っています。

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*2018年7月13日の記事「呉署の晋川尚人さん(西日本豪雨で行方不明)

*2018年7月15日の記事「西日本豪雨で行方不明の晋川尚人さん(続報)

*2018年7月16日の記事「〔西日本豪雨〕呉署の晋川尚人さんに関する報道について

*2018年7月18日の記事「お帰りなさい。(晋川尚人さんへ)

*2018年7月20日の記事「家族を現場に導いた呉署の晋川尚人さん

*2018年7月22日の記事「晋川尚人さんのご両親の言葉

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先日なにげなく読んだ記事があります。

Foresightの連載記事【魂となり逢える日まで】シリーズ「東日本大震災」遺族の終わらぬ旅(4)-寺島英弥

石巻市の警察官だった31歳の息子さん(謙治さん)を東日本大震災で亡くした母、青木恭子さんのお話です。

警察官の謙治さんが住民の避難誘導をしている際に被災したこと、しばらく行方不明だったのちにようやくみつかったこと、その間の、そしてその後のお母さんの思い…。

思わず、尚人さんのお母様を思い出していました。
この記事のことをお知らせすると、「東日本大震災が起きた時、なにか自分にできることを…と立ち上がって活動を始めたことが、尚人が警察官になろうと決めた理由のひとつでもありました」と。

同じ志、あるいは同じ悲しみを持つ人たちが、実は目に見えないところで繋がっていて、大きな輪となっているのかも知れません。

息子の引き寄せ力(会いたい人には会える!)

息子は6年間お世話になった学校を巣立ったあとも、何かあれば学校に足を運んでいる。学校で同級生と待ち合わせたり、たまたま出会った先生と2時間もお喋りしたり。そんなに学校が好きなんかい!と、思わず羨ましくなるほど。

つい先日、私があるホテルのパーティに出席したら、偶然にも向いの宴会場で息子の学校の先生方のパーティが開かれていた。夫にお迎えを頼んだ際にそのことを話したら、夫と一緒に息子もお迎えに現れ、うまい具合にロビーで先生に遭遇し、宴会場に入れてもらっていた。担任を始め、いろいろな先生と雑談してきたらしい。(よく聞いたら、その前日も学校に行ったけど、担任の先生には会えなかったのだとか。)

それからちょうど一週間後、息子はまたも学校の行事に出向き、友達と一緒に後片付けまで手伝って、やっと帰ろうとしていたら、またも担任の先生と出会い、友達と一緒に夕飯をおごってもらって帰ってきた。男同士の絆が深まってる感じで、羨ましい。

最近では、小学校時代の同級生との再会も相次いでいる。息子は山奥の過疎地の小学校から、新興住宅地の大規模小学校に転校し、その後、中学受験をしたのち、またも市内の近隣地区に引っ越したため、いまの家の近所には友達がいない状態だ。小学校時代の仲良しとは、たまに連絡をとりあっていたが、彼らも東京だの大阪だので新生活を始めた。その中で、ひとりだけ近況がわからない友達がいて、共通の友達(複数)に訊いても、わからないまま。一応、家の場所もわかっているけど、いきなり訪ねる理由もなく、そのうちどこかで会えるかな~と思っていたら、数日前に会えたそうだ。電車に乗ったら、そこに彼がいたのだと!

しかし電車がけっこう混んでいたので、一駅過ぎた際にちゃんと顔を確かめて、そこでようやく話ができたそうだ。息子は連絡先を交換しようと思ったものの、カバンの中の携帯をすぐに取り出せず、とりあえず番号を口頭で伝え、「覚えてたら電話して」と言って、その次の駅で降りたらしい。私だったら一度で覚えるのは無理だと思うが、その夜、ちゃんと息子の携帯は鳴り、ふたりは久々にゆっくりと話せたようだ。

「会いたい人には会える!」ということを、改めて息子に教えられた。


*夏休みの思い出*