天中殺の始めと終わりに入院

前にも書いたことがあるが、算命学ではどんな人にも12年のうち2年間の「天中殺」が巡ってくる。空間の世界である「十干」と、時間を示す「十二支」を組み合わせたとき、「十二支」がふたつ余ってしまう。「十干」は神様の宿る空間であり、「十二支」は神様が通過する方向を示すのだが、余った二つの時間は神様がいない時間となる。神様不在、つまり神様の力を得られないこの2年間を天中殺と呼ぶ。天が味方しない時間は魔が差すことが多いため、新しいことを始めるのは避けるべきと言われている。転職、引越し、結婚などなど。しかし、むやみに怖がる必要はなく、季節でいえば冬と考え、春に向けての準備期間とすれば、やがて来るときに活動を始めて花開くことになるのだろう。

で、私の場合。戌亥天中殺なので、ようやくこの節分で2年間の天中殺が明ける。思い返せば、戌年を迎える前年の秋、私は突然、入院した。出産と痔の手術以外で入院したのは初めてのことだった。それまで1年近く勤めていた職場のストレスが相当溜まっていたことが、一番の原因だったように思う。当時、算命学の先生に「天中殺前にお知らせ現象が起こることもある」と聞いたことがあった。この入院も、ある意味、そうだったのかも知れない。この時、入院したおかげで、天中殺の間、私はいつも以上に体調に気をつけ、無理をしないように過ごしたからだ。

なのに、なのに…天中殺が明ける直前の昨年末、私はまたも緊急入院してしまった。謎の体調不良が続いたあと、ある日、お腹が痛くなり、救急病院に駆けつけ、そのまま入院。原因は胆石だった。もう20年近く前に胆石があることはわかっていたが、それが痛くなったのは初めてだった。幸い、胆石の痛みはすぐにおさまったのだが、諸々の検査の結果、別の病気があることが判明。おそらく検査をしなければ、発症に気づかなかっただろうから、胆石が痛んでラッキーだったのだろう。(主治医もそのような見解だった。)算命学の先生も、この時期に持病が出ることは、むしろ良いことなのだと言ってくださった。

今は既に元の生活に戻り、いや、以前よりも健康的な生活を送っていると思う。天中殺が明けても、しばらくはのんびりと、少しずつ活動を始めようかと思っている。病気はある意味、自分が作り出しているのだと、しみじみ思う。さらに言えば、病気になる時期にも意味があるのだろう。天中殺の始めと終わりに、じっくり自分自身を見直し、いろいろと考える時間を与えられたのはありがたいことだと思う。


無事にお正月を迎えられて良かった!!

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