Anchorのポッドキャストのアカウントにログインできない(;’∀’)

4月10日から始めた新しいポッドキャスト『鳩胸厚子の琵琶湖日記』、昨日、第30回をアップしたあと、アカウントにログインできなくなり、更新できなくなりました(泣)。

そもそもAnchor のアカウントを作って、『生きたい人生を生きる–厚子とリンのフェリシテカフェ』というポッドキャストを始めたのですが、毎回、録音した音声をパソコンでアップロードしています。先日、スマホにもAnchorのアプリを入れて、ログインしたところ、『生きたい人生を生きる–厚子とリンのフェリシテカフェ』が自分のポッドキャストとして出てきません。検索すると出てくるので、とりあえず「お気に入り」登録しましたが、私自身のポッドキャストとして認識されていないのです。

おかしいなと思いつつ、スマホのAnchorを開くたび、あなたのポッドキャストを作ってみようという画面が出てくるので、試しにやってみると、スマホだけで本当に簡単にできることがわかり、面白半分でそのまま始めたのが『鳩胸厚子の琵琶湖日記』でした。

ところがパソコンで『鳩胸厚子の琵琶湖日記』のアカウントをチェックすると、『生きたい人生を生きる--厚子とリンのフェリシテカフェ』のアカウントが出てくるのです。同じアカウントでふたつのポッドキャストができているみたいだけど、パソコン上で『鳩胸厚子の琵琶湖日記』のアカウント情報やデータを見ることはできないのです。どうなっているんだろう!?

Anchorのいいところは、Anchorで作ったポッドキャストがそのままApple Podcastなど、ほかのポッドキャストのプラットフォームにも配信されることだとか。確かに『生きたい人生を生きる--厚子とリンのフェリシテカフェ』は、そうなっているのですが、『鳩胸厚子の琵琶湖日記』はApple Podcastに配信されておらず、やっぱりなにかおかしいなと思い、調べてみました。

すると、Anchorでは現時点では、ひとつのアカウントで複数のポッドキャストを作ることはできないとのこと。複数、作りたい場合は、別のメールアドレスを使って、別アカウントを登録する必要があるようです。

では、どうやって私はふたつのポッドキャストを作ってしまったのか!? いまだに謎です。スマホにAnchorをインストールした際、パソコン上ですでに作っていたアカウントと同じメールアドレスとパスワードを入れてログインしたはずなのですが。もしかして、パソコンで『フェリシテカフェ』用に作ったアカウントの登録メールアドレスを変更すれば、スマホの『琵琶湖日記』のアカウントとは別アカウントと認識されるだろうか!?と思い、昨夜、登録アドレスを変更してみたのですが…すると、パソコンでもスマホでも、私のアカウントで作ったポッドキャストは『フェリシテカフェ』のみ表示され、『琵琶湖日記』は出てこなくなりました。『琵琶湖日記』のアカウントにログインしようとしても、失敗。これで、月~金は毎日、更新していたポッドキャストが、ストップしてしまいました。ああ~(😿)

どうしていいかわからず、Anchorに質問メールを出しましたが、新型コロナでスタッフも少ないらしく、返信には通常より時間がかかるみたいです。わけもわからず始めたポッドキャスト、早く解決方法がわかるといいのですが…。とほほ。

さそり座の満月

昨夜、2020年5月7日の午後7時45分に満月となりました。占星術的に言うと、今回は蠍座の満月だそうです。6時45分には、琵琶湖の上に大きなオレンジ色の満月が…。写真だと、肉眼で見たときよりも小さく白く写っていますが、美しい月としばらくの間、真正面から対面して、満月ビーム(!?)をたくさん浴びた気がします。月って、本当に神秘的ですね。

この満月にあわせて、リンさん、そしてヒロコさんと3人でお喋りしたポッドキャストフェリシテカフェ』もアップしました。リンさんの占星術に基づくアドバイス、毎回、参考にしています。宇宙の星や月の動きにあわせて、自分の心を整えるって新鮮です。

『生きたい人生を生きる-厚子とリンのフェリシテカフェ』*新月と満月の日に更新↓

『鳩胸厚子の琵琶湖日記』*月-金は毎日更新予定↓

ポッドキャスト『鳩胸厚子の琵琶湖日記』

新型コロナの外出自粛要請のおかげで、家にいる時間がさらに増えたので、なにか新しいことを始めようと、またポッドキャストを作ってみました。

『鳩胸厚子の琵琶湖日記』

5分程度の短い番組なので、とりあえず平日は毎日録音することを目標にしてみよう…かな!?

天使に会いました(オーストラリア編)

このブログにも、かつて何度か天使に遭遇した話を書いたことがあります。いや、正確には、私にとって天使と思える人に出会ったという話なのですが、あれは本当に人間だったのだろうか…と今でも不思議に思う存在でした。

実はこの間から『天使に会いました』(エマ・ヒースコート・ジェームス著、ラッセル秀子訳)という本を読んでいます。これは神学を専攻していた著者が、博士課程論文のために行った天使体験のリサーチを基に書かれたもので、天使に出会ったという体験談を一般から募集したところ、350ものエピソードが集まったそうです。

その中でもよくあるのが、何か困っている時に天使が助けてくれたり、危機的場面で救ってくれたというお話。誰もいない場所なのに、ふと誰かが現れて助けてくれて、気がつくとその姿は消えていた…というパターンです。それを読んで、昔、オーストラリア旅行で私が出会った人たちも、もしかして天使だったのかも知れない…と今になって気づきました。

もう20年以上前の独身時代のこと。運転免許をとったばかりの私は、ドライブ暦の長い友人と女2人旅に出かけました。オーストラリアブリスベーンからシドニーまで、レンタカーで内陸部のルートを通って行くという1週間余りのドライブ旅行。宿はその都度、電話帳などでみつけたB&Bなどに電話で予約しました。オーストラリアは自然も人間も、とってもおおらか。いい意味での驚きがたくさんあって、心が解き放たれたような、すがすがしい時間を過ごしました。

奥田民生の『イージューライダー』を大ボリュームで流しながら、荒野を走る」という、免許とりたての私の夢も、早速、実現しました。ワラビーの飛び出し注意の看板が立っている道路を、延々と走るのは爽快でした。ところが、ある日の夕方近く、これまでの何もない平地から山道に入り、建物もなにもない山の中をただ延々と走ることに。その景色が、初心者の私がよく走っていた京都の八瀬・大原に似ていたので、私はそこが慣れた道であるかのように錯覚して運転していました。確かに景色は似ていたけど、ひとつ違っていたのは、そこは舗装道路ではなかったということ。舗装道路しか走ったことのない私は、カーブでスピードを落としきれず、車を少しぶつけてしまいました。本当にヒヤリとしましたが、車は前の方が少しへこんだだけで、私たちに怪我もなく、そこからは友人が運転を代わってくれたのですが、すぐに異常が!そう、タイヤがパンクしていたのです。

いったいどうしたものか。一瞬、焦りました。これまで通過する車は1台もなく、しかもそろそろ夕方が近づいています。左手は山しかないし、右手は大きな牧場が広がっているようでしたが、建物は見えません。ところがその時、よく見ると、遠くに男性が2人見えたのです。どうやってその人たちを呼んだのか、もう記憶もさだかではありませんが、とにかくその人たちは私たちに気づいて、道路までやってきてくれました。事情を話すと、「タイヤの替え方、知らないのかい?」と驚かれましたが、2人は嫌な顔ひとつせず、手際よくさっさとスペアのタイヤをつけてくれました。そして、その日は金曜日だったのですが、「今週末は土日だけじゃなく月曜も休みだから、今のうちにガソリンを入れておいた方がいいよ。ここから何キロか先にガソリンスタンドがあるけど、もうじき閉まるから」と教えてくれたのです。私たちは本当に感激して、お礼を言って、ガソリンスタンドに向かったのですが、改めて思い出すと、あの人たちは天使だったとしか思えません。あの時、あの人たちが助けてくれなかったら、私たちはどうなっていたのか…想像したくもありません。

後日談。初心者の私の無謀な運転のせいで、こんなことになってしまって、友人には大変申し訳なかったのですが、このあと、友人も気持ちよく荒野を運転していたら、スピード違反の罰金を払うことになりました。いろんな経験ができて、楽しかった! ああ、あのおおらかなオーストラリアにもう一度行ってみたい!

ポッドキャスト『フェリシテカフェ』

紅茶と星詠みを愛するティーアストロロジャー、リンさんと2人で昨年11月から始めたポッドキャスト、ほぼ2週間ごとに更新しています。月の動きに合わせて、新月満月の日に更新しているのですが、きょうがまさにその満月(しかもスーパームーン!)の日です。これまでは毎回、琵琶湖を眺めながら、リンさんに用意してもらった紅茶&スイーツを楽しみつつ、お喋りしていたのですが、今回は新型コロナの影響で初めての遠隔収録となりました!!!そのため音声が途切れたり、聞きにくいところもあるかも知れませんが、ご了承のほどを。

さて、2020年4月8日の「てんびん座の満月」のテーマは、「心から信頼できるパートナーとは?」です。家で過ごす時間が増えたことで、普段よりイライラしたり、今までの人間関係の見直しを迫られたり、ということはありませんか? また、先が見えない今の状況に、どうしようもない不安を抱く方も多いのでは!? そんな時、どう考えればいいか、どう対処すればいいか、リンさんと一緒に考えてみました。今回は最後にリンさんが、とっても簡単で具体的なアドバイスをしてくれました。そう、部屋の中ですぐにできる腹筋などの運動です。満月から新月に向かうこれからの2週間、ぜい肉も不安な気持ちもそぎ落としていきたいですね。皆さん、心身の健康に気を付けて、この状況を乗り切っていきましょう!(鳩胸厚子)
リンさんのオフィシャルブログ『カメリアズティーハウスロンドンに恋をして』

天中殺の始めと終わりに入院

前にも書いたことがあるが、算命学ではどんな人にも12年のうち2年間の「天中殺」が巡ってくる。空間の世界である「十干」と、時間を示す「十二支」を組み合わせたとき、「十二支」がふたつ余ってしまう。「十干」は神様の宿る空間であり、「十二支」は神様が通過する方向を示すのだが、余った二つの時間は神様がいない時間となる。神様不在、つまり神様の力を得られないこの2年間を天中殺と呼ぶ。天が味方しない時間は魔が差すことが多いため、新しいことを始めるのは避けるべきと言われている。転職、引越し、結婚などなど。しかし、むやみに怖がる必要はなく、季節でいえば冬と考え、春に向けての準備期間とすれば、やがて来るときに活動を始めて花開くことになるのだろう。

で、私の場合。戌亥天中殺なので、ようやくこの節分で2年間の天中殺が明ける。思い返せば、戌年を迎える前年の秋、私は突然、入院した。出産と痔の手術以外で入院したのは初めてのことだった。それまで1年近く勤めていた職場のストレスが相当溜まっていたことが、一番の原因だったように思う。当時、算命学の先生に「天中殺前にお知らせ現象が起こることもある」と聞いたことがあった。この入院も、ある意味、そうだったのかも知れない。この時、入院したおかげで、天中殺の間、私はいつも以上に体調に気をつけ、無理をしないように過ごしたからだ。

なのに、なのに…天中殺が明ける直前の昨年末、私はまたも緊急入院してしまった。謎の体調不良が続いたあと、ある日、お腹が痛くなり、救急病院に駆けつけ、そのまま入院。原因は胆石だった。もう20年近く前に胆石があることはわかっていたが、それが痛くなったのは初めてだった。幸い、胆石の痛みはすぐにおさまったのだが、諸々の検査の結果、別の病気があることが判明。おそらく検査をしなければ、発症に気づかなかっただろうから、胆石が痛んでラッキーだったのだろう。(主治医もそのような見解だった。)算命学の先生も、この時期に持病が出ることは、むしろ良いことなのだと言ってくださった。

今は既に元の生活に戻り、いや、以前よりも健康的な生活を送っていると思う。天中殺が明けても、しばらくはのんびりと、少しずつ活動を始めようかと思っている。病気はある意味、自分が作り出しているのだと、しみじみ思う。さらに言えば、病気になる時期にも意味があるのだろう。天中殺の始めと終わりに、じっくり自分自身を見直し、いろいろと考える時間を与えられたのはありがたいことだと思う。


無事にお正月を迎えられて良かった!!

無意識の引き寄せーモリッシー(ザ・スミス)の場合

大好きなデペッシュモードクイーンの記事にいくつかコメントをもらったことがきっかけで、しばらく忘れていたUKロック熱が近年、私の中で蘇っている。といっても最近の音楽シーンについてはまったく知らないので、あくまでも昔、好きだったバンドを今さらながらに思い出している状態。

その中で、どうしても避けて通れないのが、ザ・スミスだ。まだ大学生だった80年代に、LPレコードで聴いたのが最初だったが、そのまま東京で就職してからは、本当に没頭して聴き続けた。就職して親に頼らず自活を始めたものの、初任給では食費も切り詰めるぎりぎりの生活。仕事が終わると、狭いワンルームマンションの部屋で、毎日のようにスミスのアルバムを聴いて、モリッシーの歌詞の世界に浸り、深く深く共感していたのだ。

その後、生活に少しずつ余裕ができて、いつか留学するという夢のためにお金も貯めた。そして実際に2年ほどパリに留学して帰国した私が東京で再就職した頃、ザ・スミスが解散してソロになっていたモリッシーが初来日を果たしたのだ。昔、モリッシーは飛行機嫌いだから来日しないだろうと聞いていたので、「こんな極東の国まで来てくれるなんて!」と感激して、武道館公演のチケットを1枚買い求めた。その頃、私の周りにはスミスモリッシーの話ができる人もいなかったので、ひとりで行くしかなかったのだ。

そして、武道館公演を楽しみに待ちわびていたある日の夕方、私は昔の同僚と久しぶりに会うことになっていた。待ち合わせ場所は、六本木Waveという大型レコード店。普段は待ち合わせに遅れることのない元同僚が、その日はなぜか時間になっても現れず、私は入口の前でひとりぼ~っと待っていた。すると、まるで私に会いに来たかのように、入口のガラス扉を開けて私の目の前にモリッシーが現れたのだ。「あ、モリッシー!!!」と頭の中でつぶやきながら、「まさか!? ほんと!?」と信じられない気持ちに。思わず、そばにいたボディガードらしき外国人のおじさんに、「モリッシーですか?」と話しかけたら、「自分で訊いてみれば?」と言われ、勇気を出して訊いてみた。

モリッシーですか?」
「そうだよ」
「あ、あの、サインもらっていいですか?」
「いいよ」

私は急いで、バッグからきれいな便箋とボールペンを出した。
モリッシーがサインをしている間、「武道館のコンサート、見に行きます」と言うと、「楽しんでもらえたらいいけど」と優しい答え。それまで雑誌の記事などから、勝手に「モリッシーは、気難しいから、話しかけちゃいけない人」というイメージを自分の中で作り上げていたのだが、ごく自然に、普通に感じのよい人だった。

モリッシーにサインをもらって、入口に戻った頃、元同僚が「遅れてごめんね」とやって来た。「構わないよ。それよりも、それよりも…モリッシーが、、、モリッシーが、、、」と興奮して言葉にならない状態の私を見て、元同僚は冷静に言った。「モリッシーが誰なのか知らないけれど、厚子ちゃんがこんな状態になっているということは、ものすごい人なのね。」そして、私がモリッシーにサインをもらったことを話すと、「厚子ちゃん、せっかくだから写真も撮った方がいいよ」と言って、近くのお店で『写ルンです』を買って来た。そう、スマホもない当時、急に写真を撮るなら『写ルンです』だったのだ。

サインをもらった上に写真までお願いするなんて、モリッシーに嫌がられないかしらと心配する私をよそに、彼女は「厚子ちゃん、早く!」とモリッシーに近づいた。不思議だったのは、有名なレコード店だというのに、その日はお客もほとんどおらず、店員さんもモリッシーに気づいていなかったこと。私が再び、モリッシーに写真を撮っていいかと尋ねると、彼は嫌がることなく、でもシャイな感じで、私と一緒に写真に写ってくれた。もちろん、元同僚がシャッターを押してくれたのだ。

その様子を見て、ようやく店員さんがモリッシーに気づいたようで、そのあと、モリッシーはまたサインをすることになったのではないかと思う。私はといえば、すっかり満足して、元同僚と一緒に夕飯に出かけた。本当に好きな人には、会えるものなのだなぁと思いながら。

モリッシーとの遭遇」――私にとっては大歓喜、大興奮の出来事だったが、その時の私の周りには、この喜びを共有してくれる人がいなかった。私にとってはあまりにも嬉しい出来事だったので、翌日、職場の仲良しの同僚に話してみたが、いまひとつこの出来事のすごさを理解できないようだった。実はこの時、私が勤務していたのはイギリス系の会社で、私のチーム内に2名のイギリス人がいたのだが、日本人スタッフはともかく、外国人スタッフとはまだそれほど打ち解けていなかった。仕事以外の話をすることは、めったになかったからだ。

だがこの日の私は、上司であるエリートのイギリス人ではない方のイギリス人に思わず話しかけていた。「昨日、モリッシーに会ったの」と。すると彼は、「モリッシーに!?」と大きな声でものすごいリアクションを返してきた。「嘘だろ!?」と言わんばかりに。「モリッシーに会ったのか?」と聞き返す彼に、私は前日もらったサインを見せた。すると彼はすごいなぁという顔で、本当に感心してくれたのだ。そこから彼と音楽の話が始まり、それ以降、彼と、私を含めた日本人スタッフの会話も増えて、チームの雰囲気もなごやかになったように思う。まだCDやカセットの時代だったので、彼が「ニューオーダーの新作、聞いた? まだなら録音してあげるよ」とテープを持ってきてくれたこともあった。
その後、同じ年の11月24日にクイーンフレディが亡くなるのだが、ロンドンからその第一報が入ったとき、隣のチームのイギリス人がフロア中に響き渡る大きな声で、そのニュースを伝え、『伝説のチャンピオン』を歌いだしたことを今でもはっきり覚えている。

それからしばらくして、私はある音楽雑誌の編集長と会う機会があった。モリッシーの来日時、唯一、その雑誌だけがインタビューできる予定だったのに、モリッシーの体調不良でドタキャンとなり、その編集長はずっと会いたかったモリッシーに会えなかったそうだ。「私、偶然、モリッシーに会って、サインもらって記念写真も撮りました」と思わず言ってしまった私。けれど、これ以降、このモリッシー話を自慢できる人が周りにいない状態が相変わらず続いている。去年、ザ・スミス以前のモリッシーの物語を映画化した『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』が公開された時も、ひとりで観に行ったくらいだし。

そういえば、80年代に、シェフィールド出身のABCというバンドのマーティン・フライから手紙の返事をもらったことがあった。最近読んだ本、見た映画やバンドなどのリストがあって、感想などが書いてあったのだが、当時はまだ知らなかったザ・スミスの名前があったことに、だいぶあとになって気づいたことがある。

ああ、久しぶりにカラオケに行って、ザ・スミスを歌いたい気分だ。


*モリッシーがライヴでポケットに入れていたのは、グラジオラスだったけど…

新しいポッドキャスト、始めました。

なかなか記事もポッドキャストも更新できないでいましたが、実は友人と新たにポッドキャストを始めました。
よかったら聞いてみてください。↓

『生きたい人生を生きる—厚子とリンのFelicite Cafe』

紅茶と星詠みのスペシャリストである「ティー・アストロロジャー」のリンさんには、なにかあれば相談にのってもらい、アドバイスや励ましをもらってきましたが、なによりも、いつ会っても楽しくお喋りの花が咲き、あっという間に時間が過ぎているのです。このポッドキャストで、そんな心地よい時間を少しでも共有できたらいいのですが。

リンさんのブログ↓
RINのオフィシャルブログ カメリアズティーハウスロンドンに恋をして