生命の輝き!?

このところ、年配の知人が癌になった話が続いたと思ったら、
同世代の友人からも次々とがん検診に行ったという話を聞いた。
子育て中の友人は、精密検査でがんの疑いが晴れたものの、自分
の人生を考え直したと言っていた。

私も30歳頃だったか、がんの疑いで精密検査を受けたことがあった。
結果はなんでもなかったけど、それが判明するまでの間、世の中が
きらきら輝いて見えたことを覚えている。子供がいない独身の身軽
さもあってか、視点が変わるだけで世の中がこんなに違って見える
のかと感心したものだ。

「これが最後かも知れない」、「明日はないかも知れない」という
思いを頭の片隅に常にもっていたら、いつも「今」が輝くのだろうか。

そんなこと思わなくても、今朝の景色は輝いていたけど、この景色
を見るだけで、「生きていてよかった」と生命に感謝しちゃいます。

光

The Bliss of Feeling Blessed!!

車で10分も山を下ると雪のない町に行けるのに、なにをすき好んでこんな雪深いところに住んでいるのかと思うけれど、きょうみたいに空が晴れた朝は、人生を祝福された気分でいっぱいになる。

このつかの間の景色は、ここに住んでいることの格別のご褒美! 山から朝の日差しが入り込んでくると、雪の表面が宝石みたいにキラキラ輝き、木々や家々の屋根から湯気があがり、やがて融けた水がポトポト落ちて、そんな中を鳥がさえずる…凍りついていた葉の一枚一枚、枝の一本一本も、輝きながら、あっという間に融けていく。自然のマジックを目の当たりにして、うっとり。至福のひとときです。

晴れて当たり前、暖かくて当たり前の瀬戸内に育った私は、なかなか空がすっきりと晴れることのない山の天候にまだ慣れませんが、自然の恵みを感じる機会は増えたように思います。当たり前だと気づかなかったことに、感謝できたかも。

周りの自然だけでなく、自分の身体についてもそう。健康なのが当たり前の私には、体が弱い人や病気の人がどんな風に日々を過ごしているのか、本当はわからない。でも、どんな自然も、どんな身体も、すべては魔法のような不思議な力をもった恵みだと思います。要は、その自然や身体とどうつきあうか、こちら側の問題なのでし
ょう。

simo

しあわせって・・・?

しあわせは状況ではなく心が決めること、というのが私の持論だが、
地震や悲惨な事件、事故のニュースをみると、どう考えていいかわ
からなくなる。ただ、しあわせは瞬間、瞬間のもので、しあわせな
状況が永遠に続くわけでないことはわかっているから、できるだけ
しあわせの瞬間を積み重ねていけたらいいと思っている。

私の母は、私や父がでかけるとき、いつも私たちの姿が見えなくな
るまでずっと見送ってくれた。うちはなだらかな坂の一番上にあっ
たので、その坂を降りきるまで、ずっと見送っているのだった。
その影響で、私も両親がでかけるときは、ずっとずっと見えなくな
るまで見送るのが習慣となった。特に、両親が自営を始め、ふたり
で仕事にでかけるようになってから、私はいつもふたりを見送って
いた。ひとり留守番する身としては、ちょっと不安だというのもあ
ったし、万一、ふたりの身になにかあった場合、「ああ、最後の朝
だったのに、ちゃんとお見送りしてあげられなかった」と後悔する
のが嫌だったから。

母はどういうつもりで見送っていたのかわからないけど、「これが
最後かも知れない」という思いをもっていればこそ、「ただいま!」
と帰ってきてくれるときの喜びもひとしお。

18年のひとり暮らしを経て結婚した現在、私は毎朝、子供とふたりで
夫の姿が見えなくなるまで見送っている。そして子供を保育園に連れ
て行くと、今度は子供が教室の窓を開けて、私が帰って行く姿をずっ
と見送ってくれるから不思議だ。
そして、私の毎日の一番のしあわせは、帰って来た夫と子供の顔を見
る瞬間だと思う。

それにしても、昨晩のテレビで見た杉田かおるの披露宴(?)には、
泣いた! 幸せになって、よかった! 赤の他人ながら、本当によか
った!!

miokur

記憶

先日、なんでだか、うちの子(4歳)がおなかにいたときの話になり、本人に「そのときのこと、覚えてる?」と尋ねると、「覚えてな~い。」これまでも何度か尋ねたけれど、いつも同じ答え。が、今回は自分の作り話で、そのときのことを語り始め、それがあまりにリアルだったので、びっくり。やはり潜在意識の中に、しっかり残っているんでしょうか。

自分について考えると、どうも私の記憶装置は自分に都合のいいことばかりを覚えさせているようです。この年まで生きていると、悲しかったこと、つらかったことも多少はあったかと思うのですが、いい思い出しか思い出せない。

自分の意識のどこかに悲しい記憶も残っているんでしょうか。いや、悲しかった過去の出来事は、事実として記憶に残ってはいるのだけど、それを思い出しても、悲しみは蘇らない。逆に、幸せな思い出は、今思い出しても、そのときの幸福感が味わえるのです。なんとも都合のいい、私の記憶装置!

そういえば、チュンサンとしての記憶を失ったはずのミニョンさんが、チュンサンと同じことを言ってたなあ…。と、また冬ソナのこと、考えてる。やばい、やばい。

木