解放段階だから勇敢になれた女性

本書の第3章:「ミッドライフ・クライシス」の誤解の中に、「解放段階だから勇敢になれた女性」(P99)の話が紹介してあります。他人に従順で波風を立てないタイプだったアネット・グリーンが、娘のためにもっと自分の意見を主張すべきではないかと思うようになったという話です。「私がやらなければ誰が…」という思いから、それまで活動的でなかった彼女が行動を起こすのです。

この間から保育園の問題で奔走していた私は、保護者会の役員を共に務めているママさん友達を見ていて、この話を思い出しました。アネットは68歳、ママさん友達は30代後半と年齢差はあるのですが。

うちの保育園は少人数のため、家庭的ないい雰囲気だったのですが、今年度から園長が変わったことで、これまでののどかさが失われてしまいました。また行事を含め、日々の保育も前に比べて明らかに手抜きとなり、さらに現場の担任の無神経な言動が子供たちを通して母親たちの耳に入るようになりました。最初は保護者同士で愚痴っていたのですが、とうとう保護者会で一丸となって、先生方に懇談会の開催を要請したのです。

会長である私たち夫婦が、先生方とやりとりして、会の取りまとめ役となりましたが、実際、当日の懇談会が始まる前は保護者の皆さんがどれだけ発言してくれるのか、少し不安でもありました。保護者同士ではいろいろ話せても、いざ大きな会議の場で発言するとなると緊張するし、まして我が子を預ける先生に対して、どこまで発言していいものか、躊躇するのも当然ですから。

結果として、懇談会では皆さん冷静に、しかし園生活の向上を願って、真摯な気持ちで発言をしてくださいました。中でも、このママさんの涙ながらの訴えは、保護者全員の胸を打つものでした。出てくる涙を抑えながら、感情的にならないように、あくまで子供たちのことを一番に考えた、至極まっとうな、やさしい意見でした。

それに対する先生の反応は期待外れのものでしたが、彼女の発言に私は心の中で拍手喝采していました。あとで彼女は、

私は強くないし、泣き虫だし、感情的になって…と思われたくない気持ちもあって本当は発言したくなかったけど、ここで言わなきゃ!と思い発言しました

と言っていました。また、「これが親として子育てについてもう一度考えるいい機会になった」とも。
心配ばかりしていないで、前向きに考えていかないと!」という彼女の姿に、娘のために立ち上がったアネット・グリーンを思い出した…というわけです。

もうひとつ印象的だったのは、懇談会で発言する彼女を隣の席でしっかりと見守っていたご主人の姿。家族のためなら人間って強くなれるんですね。

書評が掲載されました。

いくつになっても脳は若返る』の書評が高齢社会ジャーナル3月号に掲載されました。

http://muratainc.com/media/senior-bussiness/text2007/kourei0703.html

3月10日発売の『いきいき』4月号でも紹介される予定です。

使い慣れた言葉

昨日の話の続きですが、実家の母の入院中、私は毎日、父に電話をして様子を聞いていました。ふだんは電話など一切しない父が、補聴器を合わせながら、そして一生懸命言葉を探しながら、話してくれるのです。

目の前にいるときは名前で呼びかけているはずのヘルパーさんの名前が思い出せず、「あのヘルパーさん…名前はなんだったか…」と考えたり、出てこない言葉は他の言葉で説明しながら話してくれるので、こちらは連想ゲームをしている気分でした。

面白かったのは、何度も同じ言い間違いをすること。「きょう病院に行ったら」というのを、「きょう現場に行ったら」と言うのです。

父は30年余り前、60歳で建設会社を定年で辞めた後、母とふたりで測量事務所をたちあげました。今でこそ60歳での起業も珍しくありませんが、当時(昭和40年代)、これから私たち一家はどうなるのだろうと、子供心に心配していたことを覚えています。

最初は、従業員を雇う余裕がなかったので、父と母のふたりで現場に出て測量をしては、自宅で計算機とにらめっこをしながら、図面を書くという日々を送っていました。24時間、ふたり一緒にがむしゃらに働いていたのです。男性にも負けない母の働きぶりを、父は賞賛していました。後年、従業員も雇って事務所も少し大きくなりましたが、父は若い測量士よりも母の方がいい仕事をしていたと、よく陰で言ったものです。

父にとって、病院の母に会いに行くことは、毎日の仕事のようになっていたので、思わず「現場」に行くと言ってしまったのでしょう。父と母は常に「現場」で一緒に働いていたのですから。父は病院という「現場」で母と一緒に病と闘っているつもりだったのかも知れません。

ちなみに、内科病棟がいっぱいで産婦人科病棟に入院していた母と、母に付き添う父の姿を見て、若い妊婦さんや看護士さんが、「年をとったら、ああいう夫婦になりたいね」と微笑ましく見守ってくれていたようです。

あきらめない

去年の秋から入院していた実家の母が、年明けに無事退院しました。その間、93歳の父がひとりになることが心配でしたが、月に何度か帰省したり、毎日電話をして話をする限りでは、なんとかしっかりがんばっているように思えました。耳が遠いので、会話がおぼつかなかったりするのですが、毎日の電話が習慣になると、だんだんとお喋りのスピードも上がり、話題も増えるようになりました。また、父がずっと訴えていた慢性のひざの痛みも、天気のいい日は歩いて母の病院に通ううちに、殆どなくなったというので、日々の訓練生活習慣が大切なことを教えられました。

やっと母が退院して一安心していたのも束の間、母から父が認知症になったかも知れないという電話をもらいました。母の入院中に強いられていた緊張感が一気に解けたのか、母が帰ってきてからの父の言動がたまにおかしいというのです。

持病のせいで、これまで母は何十回と入院をしてきました。そのたびに、毎日欠かさず病院に通って看病をしてくれた父を思い、母もおかしなことを言う父に対して、やさしく接しなくては…と自分に言い聞かせたようです。

最近になって、母から父のおかしな言動がなくなったと連絡がありました。こちらがやさしく対応すると、あちらもやさしくなるそうです。また父自身も、物忘れがひどくなったという自覚があり、このところ漢字の練習をしたり、メモをとったり、『いくつになっても脳は若返る』を虫眼鏡で読んでみたりと、積極的に脳を働かせているそうです。

たとえば、父はものをどこに片付けたか、忘れてしまうこともよくあるのですが、その「もの」がみつかるまで決してあきらめず根気よく探すことに、こちらも感心させられました。

父の「あきらめない」姿勢、これは見習いたいと思います。

本の感想

私がバタバタしている間に、友人・知人の方々から『いくつになっても脳は若返る』の感想をいくつかいただきました。

介護など、おもに年配者を対象としたお仕事に就かれている方々からは、非常に参考になったという前向きな感想をたくさんいただきました。ただ、実際に介護を受ける側である私の両親の世代の方々からは、なかなか難しくて読破できない…という素直な声もいただいています。

私より若い友人からは、ちょうど会社を独立してフリーになると決めたときに本書を読み、励まされたというメールを受け取りました。今回の独立も、本書のいう「インナープッシュ」の結果ではないかと。

「じつは日本の粗食といい、老人の知恵を大切にする文化といい、もともと東洋的な生き方のほうがこれからの時代には合っているように思います。健康面からも、サステナビリティという面から見てもそうですよね?」と言う彼女は現在、環境やCSRの勉強をしながら、フリーランスとしての活動を開始したようです。

本書に出てくる脳の構造の説明など、読みにくいところは飛ばしてもらって構いません。とりあえず自分の心がけで、つまり意識的な生活習慣によって脳の能力は向上すること、そしてそれによって充実した人生が送れるのだというポイントだけ理解して、それを日々の生活に取り入れてもらえたら嬉しいのですが。

そのためにも、年配者と接する方々に本書を読んでいただけたら幸いです。私も自分の両親相手に、現在、本書のポイントを簡単に説明しているところです。

サンドイッチ世代

長らくご無沙汰していました。
年末から実家の両親の介護に追われ、年明けに状況が落ち着いたと思ったら、今度は息子の保育園の問題に追われていました。

自分のための時間をなかなか持てないのは、「サンドイッチ世代」のさだめでしょうか。私の場合は、フリーランスで仕事をしているため、多少時間の自由がきくことから、自分の仕事までついつい後回しになってしまい、いまになって焦っています。

確定申告もこれから。三月は子供の卒園、そして春休み。まだ当分、バタバタは続きそうですが、自分のためではなく、誰かのために動き、働くというのは、実はとても充実感があります。お金の報酬はなくても、損をしたという気はしません。むしろ、いい勉強をさせてもらっているのだなぁと感謝したいくらい。

とはいえ、先立つものがないのは困るので、ここら辺でしっかり仕事もしたいと思います。そして、その合間にブログの更新も抜かり
なく…といきたいところです。 

NHKスペシャル

昨晩、NHKで『認知症 そのときあなたは』という特集番組をやっていましたね。思わず、家事をしながら、ちらちら見てしまいました。

私は40代ですが、周囲の友人、知人には老親の介護に携わっている人がけっこういます。中には認知症の親御さんを介護している人も。かくいう私も、現在、実家の老親遠距離介護中です。といっても、月に二回程度、帰省できればいい方でしょうか。

息子の通う保育園でノロウィルスが流行っていたので、この時期は病気を持って帰らないよう、神経使いますね。

うちの場合は、70代の母が現在、入院しており、90代の父がひとりで家にいるのですが、ヘルパーさんなどの力を借りてなんとかやっています。最初はどうなることかと心配していましたが、父は母が入院したことで、前よりも心身ともにしっかりしてきました。

父はほぼ毎日、母の病室に通い、昼間は一緒に過ごしているようです。天候や体調がよければ、家まで歩いて帰ることもあるそうです。また、私に毎日電話で母の様子を報告するのが習慣となり、前よりもすんなり話ができるようになりました。

人は「誰かの役に立ちたい」と思うことで、がんばれるのだなぁと父を見ていて思います。何歳になっても、どんな状態でも、できることはあるのですね。

それから、ユーモアも大切ですね。最近は父との会話の中で、ちょっとした笑いがあるのです。小さな失敗やトラブルも、笑える余裕があると、心持ちがだいぶ変わります。

両親の姿を見て、私もまだまだ学ばせてもらわなければ。

日経夕刊で紹介されました。

いくつになっても脳は若返る』が、12月7日(木)の日本経済新聞の夕刊「夕&Eye」面の「ホンのさわり」で紹介されました。

他にも、シルバー産業新聞保険毎日新聞先見経済介護新聞商工ジャーナル月刊レジャー産業資料フジサンケイビジネスアイなどに書評が掲載されました。

先日、実家の両親がお世話になっている介護ヘルパーさんから、友人のヘルパーさんが『いくつになっても脳は若返る』を読んでいたという話を聞き、ちょっと嬉しくなりました。その方は、どこで本書のことをお知りになったのか、訊いてみたかったです。 

フレディ追悼ライヴ

11月25日(土)に京都老舗ライヴハウスRAG』で今年で5回目となるフレディ・マーキュリー追悼ライヴを見てきました。イギリスの国民的バンド(!?)クイーンのヴォーカリスト、フレディが亡くなってすでに15年。今回は名作『オペラ座の夜』全曲演奏を中心に、多くの方々による熱演が繰り広げられました。

クイーン・ファンによる手作りのイベントという雰囲気の中、会場はプロもアマも、男も女も、中年も子供も、出演者も観客も、みんなが交じり合って一体となる空間と化していました。演奏の上手い下手も関係なく、みんなが「クイーン」という共通語でつながる世界。各人がそれぞれの思いを秘めながら、同じ歌を聞き、口ずさむ。時間も空間も、国境も年齢も性別も、すべてを超えた音楽の力を、改めて感じました。

いくつになっても脳は若返る』では、芸術活動が病気を予防する効果があることを大がかりな調査結果を踏まえて訴えています。土曜日の追悼ライヴでは、私と同じ中年世代の男女が、華やかな衣装をまとい、生き生きと歌い演奏する姿を見て、思わず羨ましくなりました。

楽器が老化予防になるという話はよく聞きますが、音楽は年齢に関係なく、いつまでも楽しめる芸術です。ひとりで聴いたり、演奏するもよし、誰かと合奏したり、人前で演奏を披露したり、あるいはコンサートに足を運んだり…。さらには自分で作曲したり、CDを集めたり、音楽評論をしたり、…と、自分なりの楽しみ方はいくらでもあります。

かつて若者の音楽と言われたロックですが、ビートルズ世代もすでに60歳代。これからは「ロックな年配者」が主流となっていくのかも知れませんね。私もその予備軍!のつもりです。 

『いきいき』12月号に村田さん登場!

50代からの生きかた、暮らしかた「応援雑誌」と銘打った『いきいき』という雑誌、ご存知でしょうか? この雑誌の10年の歩みが、スイスで開催された「世界エイジング・世代問題会議」で発表されました。

いくつになっても脳は若返る』の企画者であり、翻訳も担当した村田裕之さんがコーディネータとしてこの会議に参加し、発表の様子を『いきいき』12月号の誌上で報告しています。(169ページ)

通販のみで書店では買えない雑誌ですが、機会があればぜひ読んでみてください。