もしかして前世で何かあったのかも知れないが、私は昔から「地震でだけは死にたくない」という気持ちが強い。大都市で大型災害に遭いたくないというのも、東京を離れた理由のひとつであった。関西に来てからも、万一、大地震が来ても命さえあれば、一週間くらいは自給自足できそうな場所(きれいな水が流れている場所)を選んできたし、東南海地震も来ていないのに住宅ローンで家を買うことは絶対しないと決めている。山の家はキャッシュで買えたし、茅葺屋根にトタンをかぶせた古民家なので、屋根が軽く、地震がきても上物が揺れるだけで床の揺れは殆ど感じない構造だった。とはいえ、いつまでも田舎にこもってもいられず、街中に出てきたのだが、新築の賃貸住宅なので「命だけ助かれば、家はどうなってもいい」という気持ちだ。幸い、ここは津波もこない。
ああ、だけど…テレビの惨状を見ると、言葉を失う。瀬戸内で育った私は、瀬戸内海沿岸や琵琶湖の湖畔に暮らすことには憧れていたが、太平洋や日本海の沿岸に暮らしたいと思ったことはない。たくさんの島々が浮かぶ穏やかな海しか知らない私は、延々と広がる太平洋や波の荒い日本海は、見ているだけで怖くなる。こんなところに家を建てて住もうなんて思わない。けれど、そこで生まれ育った人にとっては、そこに大海があるのは当たり前で、それが心休まる景色であって、仕事や生活の場になっていたのだろう。
昔、テレビの番組でネイティブアメリカンの酋長が、地震が起きると「ああ、地球が生きている!」と喜ぶ(?)場面を見たことがある。確かに、これは単なる地球の活動であって、主に人間だけがそれに翻弄されているのだろう。人間が単なる猿だったなら、安全な場所にさっさと逃げて、新しい寝床を作って、いつもと変わりなく暮らしているのかも。
だけど、人間には知恵がありすぎて、原発施設まで作ってしまった。これをコントロールする知恵と力も、備わっていると信じたい。きょうも、ただただ祈っている。
*阪神大震災の2日前、比叡山では猿が一斉に出てきて、大騒ぎしたそうだ。
*夫から、ホワイトデーのケーキ。