同期の桜

大阪では卒業式での君が代斉唱が問題になっていたが、「日の丸・君が代」に反対する動きは、いつ頃から始まったのだろうかと常々、疑問に思っている。私が子供の頃は、祝日には多くの家の玄関に日の丸が掲げられたし、小学校でも国旗掲揚や国歌斉唱は普通に行われていた。昭和天皇や今上天皇のご成婚時の写真を飾っている家も多かった。

私が小学校に入った頃、我が家は父が勤めていた会社に住み込んでいた。あるとき、事務所のお姉さんが、会社の前の国道を皇族の方が通過されると聞いてきて、みんなで日の丸の小旗を作り、沿道に立ったことを覚えている。ミュンヘン・オリンピックの際も、テレビの前で自作の日の丸を振りながら日本を応援したものだ。

父の会社に住み込む前は、古いボロ家で伯父と一緒に暮らしていた。伯父がたまに部屋でかけるレコードは、水前寺清子か軍歌だった。当時は懐メロ番組で軍歌が歌われたし、戦争ドラマでは必ず「同期の桜」が流れたものだ。宴会でも、おじさんたちが肩を組んで、「同期の桜」を歌っていた。秋祭りでは、神社の石段の脇に傷痍軍人さんがひざまずいていたし、私が育った海上自衛隊の町では、水兵さんの姿をよく見かけたものだ。

日の丸や君が代に嫌悪感を示す人がいるということを、その頃の私は知らなかった。だが、いつのまにか日の丸を掲げる家は少なくなり、軍歌を耳にすることもなくなり、やがて君が代斉唱を拒否する学校の先生がいることをニュースで知ることとなった。それもごく一部の先生の話なのだろうと思っていたが、わが子が小学校に入ると、実際に君が代斉唱を拒否した先生がいた。それも20代の若い先生だったので、びっくりした。さらには、子供の友達のお母さんが、学校で君が代を聞いたことも習ったこともないため、いまだに歌えないと言うので驚愕した。

日本は自由な国だから、どんな思想の人がいても構わない。けれど、「日の丸・君が代」は軍国主義や侵略、抑圧の象徴だから反対だという運動(?)が、敗戦直後ではなく、戦中派が社会の中心から消えた頃から起こったように思えるのが私には解せないのだ。戦争を知らない世代で、君が代を歌うことに多大な苦痛を感じる人がいるとしたら、かなりの洗脳を受けてるんじゃないかと思ってしまう。たとえ本当に苦痛だとしても、だから歌うことを拒否するのも理解できない。逆に、苦痛をおしてでも歌うことで、戦争犠牲者に思いを馳せ、戦争があったことを忘れないようにするべきだと思うから。

日本は自由な国なのに、いつの間にか世の中(テレビ)から軍歌が消えたのも不思議な気がする。需要がなくなれば消えても仕方がないのだろうか。私自身、軍歌は好きではなかったけれど、今になって部屋でひとりレコードを聞いていた伯父の姿を思い出し、どんな歌を聞いていたのだろうと考える。

ふと「同期の桜」をYouTubeで検索したら、ちゃんと映像つきの歌があった。こんな歌詞だったのか・・・と、聞きながら胸が熱くなった。当時の映像を見ていたら、最後には涙が出てきた。この歌を今の若い人たちは、まったく知らないのだろうか? これをYouTubeにアップして下さったのは、台湾の方らしい。日本人が忘れてはいけない歌だと思う。よかったら、YouTubeで検索して見て下さい。

今年もそろそろ桜の季節だ。

*今朝は雨のあとに虹が出た!
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