今年、同い年の友人が亡くなった。一度は寛解していたと思われる癌が再発して、しかし再発後も、ほぼ自宅でいつも通りの生活を続けていたのに、5月に病状が急変して入院。6月に自らの希望でホスピスに転院し、翌月、亡くなった。
「ほぼ自宅でいつも通りの生活を続けていた」と書いたが、遠方に暮らす友人だったので、実際のところ、どうだったのか、細かいところはわからない。私は一年限定の派遣社員生活をしていたこともあり、彼女の入院の知らせを受けて、ホスピスに日帰りで会いに行ったのが最後となった。
身体は痩せているのに、癌は大きくなっていて、だけど彼女はとても穏やかな美しい笑顔で私を迎えてくれた。清らかな美しさに私は胸を打たれ、悲しいという気持ちよりも、すばらしく神々しいものに出会えた喜びを感じたほどだ。その時、彼女が語ってくれた深い話は、私にとって大切な宝物となっている。
そのとき、クリステル・ナニではないけれど、彼女は「この癌も自分で作ったものだというのが、よくわかる」と話していた。そして、その原因も自分でわかっていると。さらに、その問題もある意味、解決に近づいた気配だった。だからこその、あの笑顔だったのだろうか。いや、それ以前にもう、なんらかの境地に達していたのかも。
彼女は遠くの世界に行ってしまったけど、病によってあのような境地に至れたのだとしたら、それもまた必要なプロセスだったのだろうか。家族の方にとっては過酷だったかも知れないけれど。
by 鳩胸厚子