昨日の話の続きですが、実家の母の入院中、私は毎日、父に電話をして様子を聞いていました。ふだんは電話など一切しない父が、補聴器を合わせながら、そして一生懸命言葉を探しながら、話してくれるのです。
目の前にいるときは名前で呼びかけているはずのヘルパーさんの名前が思い出せず、「あのヘルパーさん…名前はなんだったか…」と考えたり、出てこない言葉は他の言葉で説明しながら話してくれるので、こちらは連想ゲームをしている気分でした。
面白かったのは、何度も同じ言い間違いをすること。「きょう病院に行ったら」というのを、「きょう現場に行ったら」と言うのです。
父は30年余り前、60歳で建設会社を定年で辞めた後、母とふたりで測量事務所をたちあげました。今でこそ60歳での起業も珍しくありませんが、当時(昭和40年代)、これから私たち一家はどうなるのだろうと、子供心に心配していたことを覚えています。
最初は、従業員を雇う余裕がなかったので、父と母のふたりで現場に出て測量をしては、自宅で計算機とにらめっこをしながら、図面を書くという日々を送っていました。24時間、ふたり一緒にがむしゃらに働いていたのです。男性にも負けない母の働きぶりを、父は賞賛していました。後年、従業員も雇って事務所も少し大きくなりましたが、父は若い測量士よりも母の方がいい仕事をしていたと、よく陰で言ったものです。
父にとって、病院の母に会いに行くことは、毎日の仕事のようになっていたので、思わず「現場」に行くと言ってしまったのでしょう。父と母は常に「現場」で一緒に働いていたのですから。父は病院という「現場」で母と一緒に病と闘っているつもりだったのかも知れません。
ちなみに、内科病棟がいっぱいで産婦人科病棟に入院していた母と、母に付き添う父の姿を見て、若い妊婦さんや看護士さんが、「年をとったら、ああいう夫婦になりたいね」と微笑ましく見守ってくれていたようです。