仕事の打ち合わせをしようと言われ、大原まで行って来ました。感じのいいレストランがあるから、そこで食事でもしながら・・・と。
ところが、お店がお休みだったので、結局、友人宅でお鍋を囲み、なんだかんだとお喋りをして帰って来ました。あれ、肝心の仕事の話は・・・? ま、あとで電話で話せばいいか。
*大原で彼岸花をみつけ、懐かしい気分。新興住宅地では、みかけません。
びわ湖畔に暮らす翻訳家の物語
昨日は雨も風も強くて、昼間から大雨警報や土砂災害警報が出ていたが、息子は普通どおりに塾に行った。電車がちゃんと運行しているか確認しようと、駅まで一緒に歩いて行ったが、風は吹くものの雨は降っておらず、電車も通常運行だった。そして、いつもの時刻になにごともなく帰ってきたが、ちょうどその頃に暴風警報発令。「おお、これでおそらく明日は休校だ!」と、なぜか元気になる私たち。
いや、これ、山の集落に住んでいたら、こんなのんきなことは言ってなかったと思う。いつどこで土砂崩れがあるかわからないから。(実際、昨日は山の集落の国道は通行止めになっていたようだ。)
結局、午後の新幹線で広島に帰ったら、台風が去ったあとでかなり涼しい! この辺りは、そもそも風雨ともにたいしたことはなかったらしい。エアコンいらずで快適だ。おかげで私は息子に早く読めといわれている海堂尊の小説を読んで夜更かしをしそうだ。
*京都駅で食べた冷製パスタ。
住民運動がやっと地域全体として動き始めてきたかなぁという手ごたえを感じていた矢先に、妨害行為が発覚したり、横槍が入ったりと、なかなか一筋縄ではいかない。先日の集会では、経験者のお話を直接聞いて、個人的にはますます危機感が募ったのだが、集会に来ていない多くの住民に、この危機感をどう伝えたらいいのだろう!? 運動に関わっている人たちには情報がどんどん入ってくるので、俄然、意識は高まり、そうでない住民との意識の差が徐々に広がってしまうのだ。現状がどうなっているのか知りたい方も大勢いると思うのだが、一般の住民の方々と直接やりとりできるチャンネルがない。どうしたら、みんなの思いを吸い上げて、共有することができるのか・・・と、このところ、有志のメンバーはもどかしさを抱え、悩んでいる。
そんな中、暑いのを我慢して、学校のベルマークボランティアに出かけた。そこで他の地区の保護者の方に、住民運動の様子を聞いてみよう・・・などと思っていたのだが、結局、それどころではなく、汗だくになって作業をして、帰り道は学級崩壊しているクラスの話を聞いた。う~む、他にもいろんな問題があるのだ。
夕方は山の美容院に行き、住民運動のあれこれを喋りまくって、ストレス発散。いつも、ちゃんと話を聞いてくれる美容師さんに感謝だわ。
このところ、空の写真を撮っている。以下は昨日の三部作。雨雲がたちこめ、夕立がきて、虹が出たら雲まできらきら輝いていたのだ。住民運動の空模様も、こうなればいいけど。
父に送った興福寺の仏像の絵葉書が、そろそろ着く頃かなぁと思っていたら、父が熱を出したと老人ホームから電話が入った。一瞬、ドキリとしたが、昨日一日で熱はおさまり、きょうは念のため点滴をして、安静にしているとのこと。ご飯も食べているので心配はいらないが、とりあえず報告です・・・と言われ、一安心。興福寺の仏様に見守っていただけますように。
夕方は友人としっかり1万歩以上のウォーキングをして、気分すっきり。
その後、関西テレビ『アンカー』の青山さんのコーナーを見ていたら、「メールやブログのコメントで、日本を出て行きたい、外国に移住したいという声がいくつもあった」と発言されていたので、ぎょっとした。私だけじゃなかったんだ…と。
今はまだ国を捨てるつもりはないけれど、かつての香港人の気持ちがよくわかるきょうこの頃だ。
*ほんとは高い高い木の上で咲くはずだったセッコク。
パソコンと読書だけが趣味かと思っていた夫に、最近、新たな趣味ができたようだ。
それはセッコク。
この間、山から持ち帰った大量のセッコクのため、水ごけや容器を買ってきて、いそいそと作業している。昨日が出勤だったので、きょうは代休。私は久々に整体師さんに体をほぐしてもらっていたのだが、夫はセッコクの世話をしていたようだ。
気がつくと、玄関の周りがセッコクだらけ。友人・知人におすそ分けしているうちに、やがて数が減っていくだろう・・・と踏んでいるのだが、さて。
ところで、息子は塾帰りに電車を乗り過ごさないために、今後ひとりのときは決して席に座らないと決めたようだ。万一、乗り過ごしたときは、すぐに電話を入れる約束もした。これで対策OKかな!?
なんとかギリギリで確定申告をすませました。仕事もあるのですが、正直言って東北の地震以来、手につきませんでした。平穏無事なここにいても、あまりの惨状に呆然とするばかり。被災された方々や救援に行っている方々のことを思うと心が塞がれ、こんなことではいけない!と思いつつも、言葉を発する気持ちも失っていました。
だって、こんな大変なことが、なんでこんな最悪の内閣の下で起きるのでしょう? 私個人の意見ですが、国民がひとつになって頑張ろうというときに、リーダーがこんな人だなんて、あまりに情けなくて泣けてきます。昨日の国民へのメッセージを読み上げたときの、おどおどした目。質問を受け付けないように、読み終わるとさっと目を伏せて、誰にも目を合わせず去っていく後姿…。
この間も、テレビのキャスターが沈黙した隙に、報道局スタッフが「菅直人の記者会見!」と叫ぶ声がマイクに入り、「みんな、私と同じで菅総理などと呼ばず、呼び捨てにしてるんだな」と納得したところです。昨晩のメッセージ動画も、BBCのHPではYukio Edanoとキャプションがついておりました。(さすがにきょうは修正してありましたが)。
私は前回の総選挙で、民主党だけには政権をとらせてはいけないと、本当に危機感を持っていました。「今回だけは民主党に入れる」と言う近所の自民党員に、自民党の支持者だったことのない私が、「民主党だけには入れないで。民主党以外なら、どこでもいいから、ほかのところに入れてくれ」と必死で頼んだくらいでした。だから、民主党が政権をとったとき、日本はもう半分終わったと、絶望感に近いものを感じていました。それでも、「いや、これはあまりに平和ボケしている日本人の目を覚まさせるためにも、一度こうなったのは、いいことかも知れないよ」という知人もいて、なるほどそうかも知れないと、少し希望を持ち始めていました。そんな矢先の震災です。政府の指導力如何では、日本は本当に終わってしまうかも知れないと、改めて危機感が迫ってきます。
現場では心ある方々が、覚悟を決めて、命を削って、対応しておられるでしょうから、そう簡単に国がダメになるとは思いませんが、どうかこれ以上の犠牲者が出ないよう、最悪の事態を避けられるよう、本当に祈るばかりです。
*朝日ニュースターの『ニュースの深層』の視聴者プレゼントで本が当たりました。今回で2度目です。(応募者が少ないのか!?)著者のサイン入りでした。
『働く君に贈る25の言葉』佐々木常夫著
働く君に贈る25の言葉
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もしかして前世で何かあったのかも知れないが、私は昔から「地震でだけは死にたくない」という気持ちが強い。大都市で大型災害に遭いたくないというのも、東京を離れた理由のひとつであった。関西に来てからも、万一、大地震が来ても命さえあれば、一週間くらいは自給自足できそうな場所(きれいな水が流れている場所)を選んできたし、東南海地震も来ていないのに住宅ローンで家を買うことは絶対しないと決めている。山の家はキャッシュで買えたし、茅葺屋根にトタンをかぶせた古民家なので、屋根が軽く、地震がきても上物が揺れるだけで床の揺れは殆ど感じない構造だった。とはいえ、いつまでも田舎にこもってもいられず、街中に出てきたのだが、新築の賃貸住宅なので「命だけ助かれば、家はどうなってもいい」という気持ちだ。幸い、ここは津波もこない。
ああ、だけど…テレビの惨状を見ると、言葉を失う。瀬戸内で育った私は、瀬戸内海沿岸や琵琶湖の湖畔に暮らすことには憧れていたが、太平洋や日本海の沿岸に暮らしたいと思ったことはない。たくさんの島々が浮かぶ穏やかな海しか知らない私は、延々と広がる太平洋や波の荒い日本海は、見ているだけで怖くなる。こんなところに家を建てて住もうなんて思わない。けれど、そこで生まれ育った人にとっては、そこに大海があるのは当たり前で、それが心休まる景色であって、仕事や生活の場になっていたのだろう。
昔、テレビの番組でネイティブアメリカンの酋長が、地震が起きると「ああ、地球が生きている!」と喜ぶ(?)場面を見たことがある。確かに、これは単なる地球の活動であって、主に人間だけがそれに翻弄されているのだろう。人間が単なる猿だったなら、安全な場所にさっさと逃げて、新しい寝床を作って、いつもと変わりなく暮らしているのかも。
だけど、人間には知恵がありすぎて、原発施設まで作ってしまった。これをコントロールする知恵と力も、備わっていると信じたい。きょうも、ただただ祈っている。
*阪神大震災の2日前、比叡山では猿が一斉に出てきて、大騒ぎしたそうだ。
*夫から、ホワイトデーのケーキ。
昨晩、天使を送り出した。この5日間、天使のおかげで心穏やかに、体調もすこぶるいい状態で過ごすことができた。天使がいなくなって、ちょっと寂しい。
午後は、これから5日後に天使を受け入れることを承諾してくれた友人と電話でひとしきりお喋りした。ニュージーランド地震の話などをして、「一瞬先のことはわからない、人の運命はわからない、平穏無事に家族みんなが当たり前の生活をしていることが、どれだけありがたいことか」と語り合った。
そして電話を切った直後、パソコンに向かっていると頭がくらくらしてきた。「天使がいなくなると、途端に体調まで悪くなったか!?」と思って、ふと見上げると、天井の照明が揺れている。「私じゃない、地震だわ!」とテレビをつけると、震源地は東北。なのに、ここがこんなに揺れているということは…。
あとはテレビに釘付けになり、言葉を失った。さっき電話で話したとおり。一瞬先のことはわからない、人の運命はわからない。信じられないけど、本当のことだ。これからどんなことになっていくのだろう!? 現地の人たちはどうなっているのだろう!?
なのに、ここでは普段通りの日常が続いている。私は子供に弁当を持たせ、塾に送り出す。テレビをつけると、信じられない光景が映し出されるが、いまは淡々とやるべきことをやっていくしかない。
あとはただ祈るだけ。
昨晩我が家を去った天使たちは、東北に向かっているだろうか。