愛の奇跡(その2)

昨日のつづき。

山に篭って修行をする夫と出会い、すっかり感銘を受けた私は、勝手に応援団になったつもりで、東京の友人が京都に遊びに来るたびに、癒しスポットとして山のお寺を案内し、ついでに夫にお菓子などの差し入れをしていた。変な下心もなく、純粋なファン心理だったのだろう。修行中の夫と会えるチャンスは限りなく小さいのだが、その山の寺に行くだけで、心が洗われるような気がしていた。

この山は、私が暮らし始めた京都の家からも、もちろん見えた。当時、ほぼ唯一の地元の友人と、しょっちゅう近所を散歩していたのだが、私がその山に向かって、「あそこで修行をしてらっしゃるのね~」と手を振っていたことは、今でも彼女が引き合いに出す笑い話となっている。

この年の夏の終わりから秋にかけて、夫は90日間の座禅という修行をしていた。閉め切った小さなお堂の中で、ひとり座禅をするのだ。外に出るのは、食事、トイレ、お風呂のときだけ。基本的に寝てはいけない。一応、精神状態のチェックのため、定期的に指導者との面談があるらしい。

この間、少しでも夫に近づきたいという気持ちから、私も家で1日わずか30分の座禅を続けてみた。そして、ある日、また夫に差し入れを持っていこうと、近所の友人を誘って山に向かった。夫に会えないのはわかっているが、夫を始め、修行中の方々への差し入れを小僧さんに預け、あとは友人と山の中を散歩しようと思っていたのだ。

小僧さんがいるはずのお堂に向かう切り立った山道の脇に、夫が座禅しているお堂が見下ろせる。陽も当たらない大きな杉林の中にぽつんと建っていて、あたりは静寂に包まれている。私が小さな声で、「あそこのお堂よ」と囁いて歩いていたら、突然、ぎぃ~っと音がして、なんとお堂の戸が開いた。友人が「●●さんが出てきたよ」と言うのだけど、私は「ダメよ、修行中の人に、会っちゃいけないのよ」と後ずさり。だが、道のはるか下のお堂では、夫が私たちに気づき、手招きしているではないか。

聞いてみると、夫は私たちの話し声に気づいたわけではなく、単にトイレに行こうと出て来たところだった。そこで私たちは差し入れを渡して、そそくさと立ち去ったのだが、そのあまりのタイミングにビックリ。かくして、ボンマルシェ愛の奇跡事件に続く第二弾として、このエピソードも私の中で奇跡認定されたのである。

ちなみに、今でも私はこの山に入るときは、心の中で感謝を述べて、手を合わせるのが習慣となっている。

さてさてきょうも、まだ仕事にがんばらねば。

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