悪人も必要?

実は昨日、父の老人ホームの施設長さんから、父がこのところ日に一度程度、不穏になるので、主治医の先生と相談して新しい薬を処方したいと言われた。ご家族の前ではそんな風にはならないので、わからないでしょうが・・・というお話であった。不穏と言っても暴力を振るうわけではなく、頑固に言うことをきかず、大きな声で怒鳴るということらしい。

私が言うのもなんだけど、うちの父は非常に精神の安定した人で、よっぽどのことがないと怒ったり怒鳴ったりしない。また、私が記憶する限り、水戸黄門以外で父が泣いた姿を見たことはない!頑固だけど、いつも穏やかな人だ。それだけに母が入院したことで、突然、老人施設に連れて行かれた日はかなり不穏になったらしい。(初日は私も広島にいなかったのだ。)その後も、しばらくの間は不穏になることがあり、私も心を痛めたのだが、このホームに来てからは落ち着いて、安心していたのだ。

施設長さんは、父の認知症が進行しているのだろうとおっしゃる。骨折を機に車椅子の生活になったので、思うように動けないもどかしさもあるのかも知れない。けれど、素の自分を見せられる家族の前では不穏にならず、一日に約1回だけ不穏になるというのは、やはり何か理由があるのでは・・・と思ってしまう私。自分の思いが通じなかったり、不快なことに対する反応ではないかと。

そんなことを思っていたら、きょう、私の面会中に父がちょっとだけ不穏になる場面を目撃してしまった。父が「便所に行きたい」と言うのでスタッフの方に伝えると、年配の女性スタッフがいらして、車椅子の父をトイレに連れて行って下さった。私も一応付き添ったのだが、熟練のスタッフらしく、ひとりで手際よく介助して下さる。ところが、すべての行動が速すぎて、父は自分がトイレまで来ているのか確認できないらしく、車椅子から立ったはいいが、便器の上に座ろうとしない。便器が見えていないので、落ちると思って怖がって座らないのだ。しかし、女性スタッフは何度も「はよう、座りんさい」と無理やり父の肩をおさえる。すると父は「やめんか、やめんか」と大声を出した。私が横から「便器の上じゃけ、大丈夫よ。座っても大丈夫」とやさしく声をかけ、無理やり座らされた格好の父に、「もう、おしっこしてもええんよ」と話しかけた。

便器に座るまでの父は、かなり大声を出して抵抗していた。本当は私も、「もう少しゆっくり、父のペースに合わせてやってください」と言いたかったのだが、ぐっとこらえた。彼女に特に悪気はなく、ベテランだけに、効率的に仕事をこなすことが優先されて、彼女なりの手法が確立されているのだろう。父が不穏になるのは、こういうスタッフに当たったときかも・・・と想像する私。

なぜなら、あの神様のような男性スタッフの前では、いつも父は機嫌よさそうにしているのだから。とはいえ、さっきのベテラン女性のようなきついスタッフも必要悪なのかも知れないと思っている。というのも、先日、神様のような男性スタッフが新人スタッフを連れて、父の体重測定に来たことがあった。「立ってみて」と優しく言われた父は、両脇をふたりのスタッフが支えてくれるものだから、甘えて体重をかけてしまい、どうしても体重計の上にしっかり立てなかった。ところがきょうはトイレで用を足した後、あのベテラン女性に「はい、立って!」ときつく言われると、さっと立ち上がって、しっかり手を洗ったのだ。

父が嫌な思いをしていたり、余計な薬を飲まされるのだとしたら、不憫なのだけど・・・人間、どんな場所で暮らしても、いい人、悪い人、好きな人、嫌いな人の両方に出会うのは仕方のないこと。長く生きてきた父ならば、これが人生だと達観してくれるだろうか・・・。仏壇に手を合わせ、しっかり父を見守ってくれるよう、母にお願いしてみた。

*今度こそ、瀬戸内海!
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