第36回:比叡山の『お坊さんと話そう』春の延暦寺-連休中の行事など(2019.04.28.)

4月4日~11日の御修法のあとも、春は法要が盛りだくさんの比叡山延暦寺。ここでしか行われない数々の法要の舞台裏について、ご住職からお話を伺いました。4月22日上宮太子講式4月26日廣布薩が終わり、今年は特別に4月28日から5月1日まで『天皇陛下御即位奉祝御修法』が行われます。また連休中は、西塔で「さくら祭り」を開催。普段は非公開のにない堂座禅写経ができるそうです。比叡山の麓の坂本地区でも、5月2日慈眼堂で、5月3日滋賀院門跡で法要があるほか、地元のお祭なども催されるとか。私もこの連休中に比叡山の桜を見に行こうと思っています。(鳩胸厚子

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息子の引き寄せ力(会いたい人には会える!)

息子は6年間お世話になった学校を巣立ったあとも、何かあれば学校に足を運んでいる。学校で同級生と待ち合わせたり、たまたま出会った先生と2時間もお喋りしたり。そんなに学校が好きなんかい!と、思わず羨ましくなるほど。

つい先日、私があるホテルのパーティに出席したら、偶然にも向いの宴会場で息子の学校の先生方のパーティが開かれていた。夫にお迎えを頼んだ際にそのことを話したら、夫と一緒に息子もお迎えに現れ、うまい具合にロビーで先生に遭遇し、宴会場に入れてもらっていた。担任を始め、いろいろな先生と雑談してきたらしい。(よく聞いたら、その前日も学校に行ったけど、担任の先生には会えなかったのだとか。)

それからちょうど一週間後、息子はまたも学校の行事に出向き、友達と一緒に後片付けまで手伝って、やっと帰ろうとしていたら、またも担任の先生と出会い、友達と一緒に夕飯をおごってもらって帰ってきた。男同士の絆が深まってる感じで、羨ましい。

最近では、小学校時代の同級生との再会も相次いでいる。息子は山奥の過疎地の小学校から、新興住宅地の大規模小学校に転校し、その後、中学受験をしたのち、またも市内の近隣地区に引っ越したため、いまの家の近所には友達がいない状態だ。小学校時代の仲良しとは、たまに連絡をとりあっていたが、彼らも東京だの大阪だので新生活を始めた。その中で、ひとりだけ近況がわからない友達がいて、共通の友達(複数)に訊いても、わからないまま。一応、家の場所もわかっているけど、いきなり訪ねる理由もなく、そのうちどこかで会えるかな~と思っていたら、数日前に会えたそうだ。電車に乗ったら、そこに彼がいたのだと!

しかし電車がけっこう混んでいたので、一駅過ぎた際にちゃんと顔を確かめて、そこでようやく話ができたそうだ。息子は連絡先を交換しようと思ったものの、カバンの中の携帯をすぐに取り出せず、とりあえず番号を口頭で伝え、「覚えてたら電話して」と言って、その次の駅で降りたらしい。私だったら一度で覚えるのは無理だと思うが、その夜、ちゃんと息子の携帯は鳴り、ふたりは久々にゆっくりと話せたようだ。

「会いたい人には会える!」ということを、改めて息子に教えられた。


*夏休みの思い出*

第35回:比叡山の『お坊さんと話そう』延暦寺の僧侶の日常業務とは?(2019.03.31.)

少し間があいてしまいましたが、早いもので、このポッドキャストを開始して1年が過ぎました。今回はご住職に、延暦寺での日常業務について伺いました。天台宗の総本山という大きな組織である上に、比叡山という大きな山が境内であるため、普通の街中のお寺とは違う業務や日常があるようです。大きな法要の舞台裏についても教えていただきました!(鳩胸厚子

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第3回:鳩胸厚子の「人生は奇跡の連続!」2019.01.23.

月1回更新のポッドキャスト、「人生は奇跡の連続!」の第3回目。受験シーズン真っ只中ですが、今回は子供の中学受験時のお話です。テーマは、「母の幻影」。少し長くなりましたが、私にとっては大切な思い出です。

私もこんな偶然を経験したよ!」というエピソードがある方は、ぜひぜひhatomuneatsuko.com問い合わせページからお知らせください。たくさんの奇跡を皆さんと共有できたら、もっと楽しくなりそうです。

鈴木るみこちゃんの思い出

るみこちゃんとは同じ大学の一年違いで、出会ったのはバイト先だった。同じシフトの時には、恋愛話など、たわいないことを語り合った。そこにはいつからかノートが置いてあって、日誌のようにみんな何かしら書いていくのだが、るみこちゃんの文章はいつも際立っていた。

大学卒業後、るみこちゃんは大手出版社の編集者となり、その会社の学生向けの新聞広告の一面にデカデカと写真が載っているのを見て、やっぱりここでも花形なんだなぁと誇らしく思った。時代はまさにバブル期。出版界は特に華やかだった。 

私の留学前後は東京のアパートを引き払っていたので、るみこちゃん家に泊めてもらったことが何度もある。その後、私が関西に越してからは、るみこちゃんが我が家に何度も来てくれた。生後3ヶ月の息子を抱いた、るみこちゃんの写真がアルバムに残っている。

東京を離れたあとも、こんな風に付き合いが続いていたのに、ある時、ちょっと気まずいことになり、実はそれ以降は会わないままだった。といっても、表面上は今まで通り。たまにメール等で連絡はしていたし、本屋でるみこちゃんの文章をみつけては喜んでいたんだけど。

それがおととし、突然ハガキが届き、それまでと違う筆跡と文章に驚いた。すぐにでも会いに行きたかったのに、私自身も仕事に追われて体調を崩した。ようやく落ち着いた頃、るみこちゃんからのメールに関西に遊びに行きたいと書いてあったので、きっと近いうちに会えると思っていた。メールには、仕事のことなど、ほかにもいろんなことが書いてあったので、るみこちゃんも元気になったと思っていたのだ。

どうして私はその後、連絡していなかったのか、自分でも不思議でならない。いや、連絡したつもりだったのだ。「いつでも来てくれて大丈夫よ。私もいつでも遊びに行けるよ」と伝えたつもりだった。それで、ずっと待っていたのだ、るみこちゃんからの連絡を。

るみこちゃんからの最後のメールを読み返したら、関西に遊びに行けたらいいなという書き方をしていた。つまり、自信を持って遊びに行ける状態ではなかったのだろう。そして、私に対して、遊びに来てねと書いてくれていた。それなら、私が会いに行けばよかったのだ。

いつでも、すぐにでも、会いに行くつもりだったのに、私の心のどこかに遠慮があったのだと思う。あの気まずい一件のせいで。もうわだかまりはなかったはずなのに。るみこちゃんの心の中にも遠慮があったから、あんな書き方をしたのだろうか。というより、それを読み取れなかったあの時の自分が情けない。そして、それを今になって気づいている自分も情けない。

もうずっと前、るみこちゃんが山奥の我が家(当時)に遊びに来てくれた時、幼かった息子にはまだ生まれる前の記憶が残っているかも知れないからと、るみこちゃんが「生まれる前はどこにいたの?」と尋ねたことがある。息子は、その時、肌身離さず持っていた大好きなアニメのゲーム攻略本をぱらぱらめくり、目に入った単語を組み合わせて、「永遠の」+「光の塔」と答えた。それを聞いて、「本当にそうかも!」、「すてきな言葉だね~」と盛り上がったのだが、るみこちゃん、今ごろはその「永遠の光の塔」に帰っているのだろうか…。

るみこちゃんが残した宝石のような言葉の数々・・・たくさんの人の心の中で今もきらめいていると思う。
すてきな思い出をたくさん、ありがとう。

——-追記——

Olive』、『anan』、『クウネル』、『つるとはな』等の雑誌を中心に活躍された鈴木るみこさんを追悼する会を、遅ればせながら開きたいと思います。彼女の文章が好きだった読者の方、あるいは彼女と仕事やプライベートで交流のあった方、どなたでもご参加ください。比叡山の麓で、鈴木るみこさんの文章や彼女にまつわる思い出など、語り合いましょう。

日時:2019年11月4日(月・祝) I部:午後1時~2時30分

                  II部:午後3時~4時30分

* 事前申込制、定員各20名。(空きがあれば両方参加も可)

場所:むあ文庫 muabunko.com 

  最寄駅:(京阪石山坂本線)坂本比叡山口駅/(JR湖西線)比叡山坂本駅

参加費:1,500円(飲み物・お菓子付)

お申込、お問合せは、hatomuneatsuko.comのお問合せページにお願いします。

*劇団を観に行ったときに流れていて、るみこちゃんに教えてもらった曲。マイク・オールドフィールドの「To France

第34回:比叡山の『お坊さんと話そう』比叡山の托鉢について(2019.01.20.)

きょうは托鉢を終えてからポッドキャストの収録にいらしたというご住職に、早速「托鉢」について伺いました。延暦寺のお坊さんたちで、比叡山周辺のいくつかの集落を、毎年、この時期になると順番に廻っていくのだそうです。話の内容はその後、「托鉢」から「ほら貝」へ…できれば次回も引き続き、ほら貝やその他の仏具について訊いてみたいと思っています。(鳩胸厚子

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映画『ボヘミアンラプソディ』で蘇る1979年クイーン山口公演の思い出

昨秋の公開以来(日本では2018年11月9日封切)、異例の大ヒットとなっている映画『ボヘミアン・ラプソディ』!
年がバレてしまうけど、まさにクイーン世代の私は公開前からとっても楽しみにしていたこの映画が、予想を上回る出来栄えで大感激した上に、クイーンを知らない世代にも大ヒットというニュースを聞いて、さらに感激。改めてクイーン、そしてフレディ・マーキュリーの偉大さを実感している。

私が広島の田舎町から「どうしても東京の大学に行きたい!」と思ったのは、数々の来日バンドのライヴを見たいという一心からだったのだが、その始まりは中学の夏休みに友達から借りたLP『オペラ座の夜』を聴いた時の衝撃だったと思う。中学入学後にぼちぼち英米のポップスを聴き始めていたものの、衝撃&感動の大きさはクイーンの『オペラ座の夜』(1975年発売の4枚目のアルバム)が一番だった。BCRKISSや、はたまたカーペンターズビートルズの曲は、歌詞カードを見ながら一緒に口ずさめるのに、クイーンの曲は音域的にも英語的にもとてもじゃないけど口ずさめなくて、いつかフレディみたいに歌えるようになりたい…と思ったものだ。

1970年代当時、広島で公演する海外のロックバンドなんて滅多になくて(例外として特筆すべきは1971年に自らの希望で来広したレッドツェッペリン!私はまだ小学生で知る由もなかったけれど)、クイーンも何度も来日したのに広島公演は一度もなし。お隣の岡山、そして山口でも公演があったというのに、中国地方最大の都市である広島で公演ができなかったのはどういう理由なのか、いまだに謎だ。

そして…1979年クイーンの3度目の来日時、まだ高校生だった私は遂に山口で憧れのライヴを体験した。正確な日にちは、1979年5月2日(木)、場所は山口県立体育館。この日は学校の遠足で、私たちの学年は宮島に行き現地解散だったので、クイーン好きの友達数人でそのまま電車で山口まで行ったのだ。友達がとってくれたチケットは、前から3列目だったと思う。しかも私が一番好きなブライアンの前あたり。

バンドのコンサート自体、私にとっては初体験だったが、それまで雑誌で見ていた武道館でのライヴ写真と違い、山口県立体育館のステージは客席からかなり近くて、しかも低い!! クイーンのメンバーがすぐそばに見えそうな勢いで、開演前から私たちは「フレディの唾や汗が飛んできそう!」と盛り上がっていたのだが、そんな私たちよりもさらに大盛り上がりの一団が私たちのすぐ前に座っていた。明らかに岩国の米軍基地から来たと思われる米兵たちが、持ち込み禁止のはずの缶ビールを飲んで、すでにパーティ気分になっていたのだ。

ちょっと嫌な予感がしていたのだが、その予感は的中。ライヴが始まり、私の目の前に立っていたブライアンが、ビール片手に騒ぐ米兵たちを嫌そうな顔で見ると、ツツツツ…とステージの反対側、ジョン・ディーコンの近くに行ってしまい、その後、ほとんど戻ってこなかった。ああ~(涙)。

ところがフレディは、彼らに嫌な顔をするどころか、むしろ喜んでイジってくれた。いま思うと、ああいうマッチョな兵隊さん、好みだったんだろうな~と納得するのだが、フレディはわざわざ彼らに向かって、「Are you IN THE NAVY?」と尋ねたのだ。実はこの頃、アメリカではビレッジ・ピープルというグループが人気で、「In The Navy」という曲がヒットしていた。その前年にも「Y.M.C.A.」という曲を大ヒットさせ、日本でも後に西城秀樹が「ヤングマン」のタイトルで大ヒットさせたのは周知の通り。けれど、これ、実はゲイの歌なのだ。ビレッジ・ピープルは、そもそもニューヨークのグリニッジビレッジのゲイディスコから生まれたグループで、今と違って当時はゲイを前面に出して話題を集めていた。

先ほどのフレディの問いかけに、米兵たちが「NO~!!」などと声をあげて騒ぐと、フレディはすかさず「Do you like YMCA?」とさらにけしかけた。客席の日本人にもわかるような易しい英語で、ゆっくりと。これで米兵も少し静かになり、さすがフレディ…と感心したのを覚えている。

ところで2019年の年明け早々、ブライアン・メイが自身のインスタグラムで、「米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設の埋立工事を県民投票が行われるまで中止することを求めるホワイトハウスの請願」への署名を呼びかけたことがニュースとなった。動物愛護や環境保護に熱心なブライアンらしい行為だとは思うけど、おそらくは工事に至るまでの複雑な歴史や詳しい事情は知らないのでは…とちょっと残念な気持ちに。でも、あの山口公演ブライアンが米兵に向けた視線を思い出すと、仕方ないかも…と思ったり。

ともかくも、あの山口公演は私の人生の中でもいまだに最高の思い出のひとつ。クイーンと同時代に生きて、クイーンの音楽と出会えて、そして生のライヴをあんな小さな(失礼!)会場で見ることができて、私は本当にラッキーだと思う。フレディ、ブライアン、ジョン、ロジャー、ありがとう!!!

*昨秋、紅葉狩に行った柳谷観音楊谷寺。フレディにも見せてあげたかった!!

第33回:比叡山の『お坊さんと話そう』新年拡大版・比叡山の年末年始(2019.01.06.)

前回から少し間があいてしまい、はや2019年となりました。今回は新年拡大版として、2018年11月下旬にご住職に『至宝展』を案内していただいた思い出や、比叡山での年末年始の行事、今後の根本中堂の修理の予定など、雑談形式で約30分お話を伺いました。中でも、毎年12月22日大講堂で「辰張忌(しんちょうき)」という法要が行われていることは初めて知りました。また今年の三が日には初めての試みとして、根本中堂護摩の祈祷を受け付けたそうです。『平成の大改修』の最中である根本中堂は、工事の進捗状況に応じて、その姿が変わっていくので、今年も何度か足を運びたいと思っています。(鳩胸厚子

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ウイグル、チベットへの弾圧–見て見ぬふりをするメディア(!?)

私は以前からほんのわずかではあるけれど、中国で弾圧されているチベット人ウイグル人の支援している。チベットについてはダライ・ラマ法王の長年の精力的な活動もあり、欧米の有名人の支援もあったりで、わりと知られていたと思う。ウイグル弾圧についてはアメリカ政府が中国批判を始めたことで、ようやく日本の大手メディアでも取り上げられるようになった。しかし、「弾圧」なんて言葉は生ぬるい。実際は「民族浄化」が着々と進んでいる気配だ。

今までも、ナチス、クメールルージュ、ユーゴ紛争、ルワンダ、ダルフールなど、世界各地でジェノサイドは行われてきた。メディアはその非人道的な行いの悲惨さを訴えてきたはずだが、それでジェノサイドが防げたことはあるのだろうか。過去の出来事を振り返るのも、もちろん大事だけれど、現在進行形で行われていることを広く知らしめて、その蛮行を阻止することはできないのだろうか。メディアはなんのために、あるのだろう。

以前、東京に暮らしていた頃、メディア関係の仕事をしている知人宅でテレビを見ていたら、ある企業の不祥事(だったと思う)を報じていた。詳細は覚えていないが、「へぇ、こんなことやってたんだ!」と私は内心、驚いたのだが、知人があっさりと「これ、メディア関係者なら前から知ってることだけどね」とのたまったので、私はさらに驚いた。と同時に、「じゃあ、なんでそれが発覚した時に、さっさと報じなかったの?」という疑問と憤りを感じたことを覚えている。

ウイグルについても、同じことが言えないだろうか。アメリカが大々的に中国批判を始めていなかったら、日本の大手メディアもいまだにこの問題を取り上げていなかったのではないか。

中東の紛争地域に取材に行くジャーナリストが話題になったりするけれど、むしろいま一番危険な場所、取材すべき場所はウイグルではないのか。

とはいえ、主な大手メディアチベットダライ・ラマ法王の来日すら報じないのが、日本の現状のようだ。(11月20日に衆議院議員会館にて、「日本チベット国会議員連盟」主催で講演会が行われたのだけど。)