昨日、主治医と話していて、コミュニケーションの難しさを実感。この間、しっかり話を聞いたつもりだったが、どうも私は正確に理解していなかったようだ。それは、おそらく医療従事者と一般人との常識のズレからくるのだろう。(というより、私に常識がなかったせい?)
母には積極的治療や延命治療はしないことは了解の上、もういつどうなっても仕方がないけど、できれば息子の得度式の報告ができれば…ということは伝えていた。先生も、母が得度式を楽しみにしていることはご存知だったので、それまでは意識のある状態で待っていられるように治療を考えるとのことだった。
母があまり辛そうだったら、痛みを緩和する治療をすることもお願いしていたが、私の頭の中ではそれが鎮静剤(麻酔?)によって意識をなくすことであるということが、はっきりわかっていなかった。(本当に辛い状態になると、自然に昏睡状態に陥るのだと思っていた。)私が帰ってくるまで母の意識を保つため、先生はあえてそういう薬を使わなかったのだが、母があまりに辛そうだったので看護士さんからは「どうして薬を使ってあげないのか」という意見まで出たらしい。辛そうにする母を看護する側も大変だったそうだ。それを聞かされて、「あなたのせいでお母さんに長いこと苦痛を与えることになったのよ」と非難されているような気分になり、落ち込んでしまったが、でも母自身に選択させても、きっと同じ道を選んでいたと思う。根が頑張り屋さんだから。
今朝は夫と息子と三人で病室に行き、母に話しかけると、しっかり反応してくれた。ただし、息子が「ばあちゃん、がんばって!」と言っても、もう首を横に振ってたけど。鎮静剤もそんなにすぐに効くわけではなく、朝はけっこう辛そうだったけど、午後にはようやく落ち着いて寝始めたので、やっと老人ホームの父にも会いに行けた。父は熱も下がり、回復したことを電話で聞いていたので、安心はしていたが、実際に会いに行くと、やはり寂しかったのだろう。次から次へと喋っていた。その大半は頭の中の妄想(?)なのだが、いきなり「○○さんはどうか?」と母の様子を聞いてきたので驚いた。スタッフの方も、「今朝から奥さんのことを心配しておられますよ」とおっしゃる。さすが夫婦、母の異変を一番に察知するのは父なのかも知れない。
今は、こちらにいるのですね。
お母さん、がんばって欲しいけど、
でも、がんばれっていうのも辛い
ような。。
他人の私も複雑な心境です。
厚子さん、ご両親のお世話のために
遠くから帰ってくるのは、エライよ。
頭が下がります。
ほんま、今年は忙しい夏休みになって
しまったんですね。
静かな時が流れることをお祈りします。
野呂山、キレイだ。
ありがとうございます!
本当は夏休み中、ずっといたかったくらいですが、最後の時間をこんなにたくさん過ごせて、ありがたいことです。
ここから見る野呂山の姿、京都から見る比叡山によく似てるんです。
またゆっくり会いましょう!