そこまで言って委員会(増刊号):地震について(ゲラー先生の話)

以下、3月19日放送の「たかじんのそこまで言って委員会 増刊号」でのゲラー先生のお話です。
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「地震は予知できません!」 その衝撃的発言でおなじみの地球物理学者、ロバート・ゲラー東京大学大学院教授は、専門家の多くが想定外と口をそろえる今回の東日本の大地震をどう見ているのか?

僕は必ずしも、想定外と言うべきではないと思います。この地図をちょっとご覧下さい。1952年、1960年1964年、2004年、そして先週と、これまでの60年間くらいで全世界で5回、マグニチュード9の地震がありました。ですから、全世界で60年の間に5回くらい起きるものは、想定内と言うべきだと、私は思います。もちろん、どこで起きるかというのは想定できないが、プレート沈み込み型の(地震が)プレート境界面で起きることは、私はすでに想定内です。

しかしテレビに出てくる地震学者の皆さんは、口をそろえて想定外と語っている。これはいったいなぜなのか?

普通はね、それは非常に困る、構造的問題ですね。例えば、原発や飛行場の建設のとき、どれくらいの地震を想定して建設するか、決めないといけない。マグニチュード9.1や9.5を想定すると、建設コストがものすごく高くなりますよ。そうすると、コストダウンのために、原発を作りたい会社は、例えばいろんな研究者に尋ねて、9.0という先生は「はい、ありがとうございました。また30年後に連絡します」と言われるかも知れないが、8.0とか7.5という研究者は、「はい、どうぞ、どうぞ、あなたと契約を結んで、あなたの想定を建設の基準にさせてもらいたい」と。

つまり、コストダウンのために、意図的に非現実的な低い想定値を採用している疑いがあると言うのだ。しかも…

もちろん、そのリスクはその近辺に住んでいる人が背負うものとなってる。

その例は関西にもあると言う。

皆さん、阪神大震災をまだ覚えてると思いますけれども、震災の前に神戸空港の想定震度について、いろんな学者は「震度7に想定すべきだ」と言ったんですが、審議会は「震度7では、とてもじゃないが建設費用が…」という議論で、結局、落としどころとして震度6が想定値になった。まあ、そういう類のやりとりは、よくあるだろうと思います。

この決定プロセスだけでも問題視されるべきなのだが、ゲラー先生はもっと根本的なところに疑問を呈する。

特定のエキスパートに発注すると、神戸は7.3、青森は8.0、八戸は8.3とか、想定震度やマグニチュードが出てくる。この地図を見ると、日本の地震と海外の地震は異なってない。どこでも物理の法則は同じ、どこでも地質科学の法則は同じです。だから沈みこみ型プレートだったら、環太平洋のどこでもマグニチュード9.5の地震があって、おかしくありません。

さらに今回の地震を想定内とするべきだった理由がもうひとつ。

いま、昔の日本の歴史をいろいろ調べて、貞観地震(貞観11年、西暦869年)のときにも同じような津波があった。貞観地震のときに起こったことが、なぜ想定外と、一部の研究者や一部の電力会社の重役に言われないといけないのか、解せないのは僕だけでしょうか? もちろん、頻度から言うと、千年に一回かも知れないですけど、特定の地域で。でも「稀なもの」と「あり得ないもの」は違いますよ。あったんです。

そして、兼ねてからゲラー先生が警鐘を鳴らし続けているのは、これまで政府が推し進めてきた地震対策について。

阪神淡路大震災の前に、この辺に住んでいる人はみんな、なぜだか不思議だけど、自分には地震の危険はないという思い込みがあったでしょう? それはなぜでしょうか? 特に近畿地方は安全だと、研究者は言ってなかったんだけども、だけども、いつも東海地震とか東南海地震とか、シナリオに過ぎないものをいつも同じ言葉を繰り返して使っていました。そこに自分の地域を言われてない人たちは、「じゃあ、僕たちは安全だ」と思いこんだでしょう。特に安全だとは、大勢の研究者は言ってないんだけども、なんとなくそういう思い込みが、みんな、あったでしょう。なぜそうなったか。いつもテレビで東南海地震とか東海地震とかを予測できるという印象を、国民に植え付ける宣伝をやりました。だから僕に言わせてもらいたいのは、日本はどこでも危ないですよ。我々、残念ながら今の学問では、地域別にあと何年で何%という数字を、政府の機関は出しているんだけども、そんな数字は殆ど無意味で、やめてほしいです。

さらに、こんな皮肉も。

政府は、地域ごとに地震が起こるべきとしました。ところが、地球は日本政府が区切った通りには地震を起こさない。勝手に地球は、これくらい広域的に一発でどでかい地震を発生させた。日本政府の審議会の非常にきれいな分け方を無視した。地球はけしからんと、日本政府は考えているでしょう。
地震のリスクはどこにでもあると、国民に正確に伝えたならば、人的災害・物的災害の両方を減らせたかも知れません。

メディアの責任を追及した上で、ゲラー先生は今すぐ廃止すべきものとして、かねてからある法律を槍玉にあげています。

1978年にいわゆる大震法(大規模地震対策特別措置法:東海地震を予知し、地震による災害を防止・軽減することを目的とした法律)が制定されました。その法律によって、いわゆる東海地震の――その言葉もやめるべきだと思うんですけど――24時間の地震予知体制が今でも気象庁で稼動中です。それも今チャンスとして、見直すべき。地震予知は学問的には不可能と、殆どの研究者が認めますが、ただカメラが回っているときに殆どの研究者は口ごもる。研究者は、国会答弁みたいな曖昧な言葉を使うべきではないと思います。事実関係ありのまま、研究者は語るべきだと、私は考えます。

ただ、その地震学者の多くが、東日本大地震後の頻発地震を誘発地震と言っているが。

それは、ある意味では正しい話です。誘発の話。つまり、いろんな国に大きな地震が起きた後の、回りの地域の地震活動を見ると、経験的な話ではありますが、間違いなく通常より頻繁に地震が起きるというのは、確実に言えます。ただしね、A地震の後に確実にB地震、そして確実にC地震が起きて、因果関係のある連鎖になったとは言えない。あくまで確率的な話です。

ここで改めてゲラー先生に伺いますが、本当に地震予知はできないんですよね?

できるはずがないです。

では、できるはずがない理由を、わかりやすく教えて下さい。

たかじんの番組になじみのない方、学問的用語で申し訳ないんだけども、非線形物理という分野がある。非線形というのは、たとえば鉛筆がちょっと曲がっても何も起きないが、もうちょっと曲がって、もうちょっと曲がって、突然バーッと折れちゃう。でも、いつ折れるかは予測できない。ひずみの影響が、崩壊する、崩壊しないに比例しない。

つまり、鉛筆が折れるのも予測できないのに、地球のプレートがいつずれるか、分かるわけはないという解釈でよろしいんでしょうか?

その通りですよ。

最後にゲラー先生は、福島第一原発の深刻なトラブルを目の当たりにし、日本のエネルギー政策の将来について、こう憂慮している。

中東で戦争があって油が調達できなくなると、日本はどうなるかというのも考えないといけない。原発のリスクと、油不足のリスクと、両方。まず原発作ったのはね、政府は「絶対安全だ」と言い続けていました。そこで作ることの了解を地元で得ました。そもそも、それは間違いと僕は思います。人間が作るものには、必ずリスクがある。だから原発のリスクもあるんです。油を調達できなくなるリスクもあるんです。そのふたつのリスクをどうやってバランスとるか。またマグニチュード9.0や9.5に耐えられる原発を作るには、コストが非常に高くなる。そのコストと、いま福島県民が背負っているコストと、日本の国民全員に背負わせるコストと、そのバランスをどうやって考えるか。非常に暗い話ですけど、要は政府はそういう事実に蓋をして、「これは安全です、任せて」と地元への地域振興策でお金をつぎ込み、合意を買った。火力発電も問題がある、原発も問題がある、水力発電は限界がある。まあ、地震があるとき原発は危ない。どの話でも問題ですよ。そのバランスをどう考えるか。国民を含めて、これまでのことを全部リセットして、どうやって再起動したらいいか、みんなで一緒に検討しましょう。

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