中高時代のことを思い出したついでに、鳩胸厚子という名前の由来を。当時、東京の大学生が「ねこの森」というミニコミ誌を作っていて、その編集長が広島出身ということで、校内でもその雑誌が出回っていた。いつか東京の大学に行きたいと思っていた私も、そのミニコミを通じて大学生の世界を垣間見ていた。で、回りの友達と一緒に編集部に手紙を出すと、返事が返ってきたりして、うわ~、大学生から手紙がきたって喜んだりしていたのだ。たぶん今見たら赤面確実のくだらない手紙を真剣に書いていたと思う。
で、経緯はよく知らないんだけど、ミニコミに触発されてか(?)、いつのまにか高校生(になってたんかな?)の間でノートが回っていた。一冊のノートが、私の通う女子高と近くの男子校の間を往復していて、いろんな人がいろんなことを書き綴っていたのだ。それが私のところにも回ってきたとき、とりあえず考えたペンネームが鳩胸厚子だった。鳩胸で胸板が厚いという自分の体型をそのまんま表しただけ。都合の悪いことはすぐに忘れる性格なので、当時、その名前でどんなことを書いたのか、まったく記憶にない。
けれど、その後、ちゃんと夢かなって東京の大学生になったとき、私はこのペンネームでラジオ番組に投稿してハガキを読まれたことがある。それは、高橋幸宏のオールナイトニッポン。当時、祖師ヶ谷大蔵の安アパートに暮らしていた私は、駅前にできた「フライ男爵」という惣菜屋さんのイカマリネを食べたのが病み付きになり、殆ど毎日のようにイカマリネを買いに行っていたのだが、イカマリネを主食にしていると思われるのが嫌で、毎回、わざわざ違う店員さんに当たるようにして、いかにも初めて客のように装って、迷いながらイカマリネを注文している…という話を書いたのだ。実際、そのハガキを選んでくれたのは、番組を一緒にやっていた放送作家の景山民夫だったと思うのだが、「バカな人ですねぇ」とふたりが笑ってくれたのが嬉しかったことを覚えている。
その後、景山民夫は某新興宗教にはまり、ちょっと腑に落ちない形で亡くなってしまったが、その新興宗教の問題で実はいまこの地域は困っているのだ。そういえば、景山民夫って本籍地は広島で、広島の小学校にも通った時期があったらしい。でもって、同じ信者仲間の小川知子も、広島生まれだった…。
ちなみに、ねこの森に関わっていた学生で、現在マスコミ関係で活躍している人たちも(何人も)いるそうだ。