インフルエンザと四十九日の思い出


↑瀬戸内の倉橋島から届いた牡蠣

この冬はインフルエンザが大流行とのこと。先日、うちの子もインフルエンザになり、学校でも学級閉鎖が相次いだ。

私が最後にインフルエンザになったのは、4年前。しかも、1月と2月と2度もかかったのだ。といっても病院嫌いの私は、2回とも病院に行かなかったので、本当にインフルエンザだったかどうかはわからないが、インフルエンザとしか思えない高熱と身体の痛みだったのだ。(インフルエンザであっても、風邪であっても、おとなしく寝るのが最良の治療だと思っているので、よほど異常がない限り、私は病院には行かない。病院に行く方がしんどいもの。)なんで2回もインフルエンザになったかといえば、それだけ免疫力が落ちていたからだろう。そして、それには理由がある。

1月の初めに父が亡くなっていたのだ。百歳の大往生だったし、その前年の秋頃から「もう長くはないな」と感じていたし、年末に広島まで会いに行ったときも、「これが最後かも知れない」という気もしていたので、父の死に際しても特に悲しいとかショックとかいう気持ちはなかった。むしろ本当の自然死を迎えた姿に感動したし、回りの人たちにも感謝の気持ちでいっぱいだった。とはいえ、葬儀はもちろん、さまざまな手続きや、苦手な親戚との久々の再会など、疲れることもたくさんあったのだ。そして自分では気づいていなかったけど、父がいなくなったことで、ぽっかり心に穴があいたのだと思う。

だから、1月下旬に大学の同級生の結婚パーティに呼ばれたときも、寂しい気持ちを紛らわすかのように出かけて行った。久々の東京で、しかも夜のパーティなんていうのも久々で、お酒も入り、その晩は同級生夫婦の家で朝方近くまで語り明かした。そして翌日はそのまま、昔の職場の同僚と会ってランチをして、午後の遅い時間まで喋り倒して、帰りの新幹線で爆睡して帰宅したら、インフルエンザになったのだ。恐らく、新幹線で口を開けて爆睡している間に(恥ずかしい!)感染したのだろうと思う。久々の夜遊び&お酒が祟ったのか、本当に苦しかった。

そして翌2月下旬の週末、父の四十九日の法要を広島の実家で行うことになった。その前日、夫が仕事から帰宅したら車で広島に向かうことになっていたが、その日の午後から私はだんだんしんどくなり、出発時に体温を計ったら38.6度だった。助手席に座っているのもしんどくて、翌日の法要も大丈夫だろうかと不安だった。しかも、誰も住んでいない実家の仏間やリビングなどを翌日の法要までに掃除するつもりだったのに、こんな体調では明らかに無理。夫は「なんとかなるさ」と言うけれど、私はしんどくて返答もしていられなかった。

ところが、夜中近くに実家に到着すると、家の中がめちゃくちゃきれいだったのだ。床がぴかぴかなのはもちろんだけど、仏間の破れていた障子も張り替えてあるし、窓ガラスもぴかぴかで、しかもレースのカーテンも真っ白。まさに、「なんということでしょう!!」と叫びたい状況。お陰でその日はそのまま寝て、翌日の法要もなんとか倒れずにやり終えた。

翌日確かめたところ、実家の事務所を借りてくださっている会社の社長さんが、四十九日の法要の前にお掃除してくださっていたと判明。年末に帰ったときにも、実家の玄関廻りがぴかぴかになっていて驚いたことがあるのだが、掃除が苦手な私には信じられないほどのお掃除ぶりに尊敬&感動&感激の嵐だった。

翌日、社長さんにお礼を言うと、奥様が「うちの主人は掃除が趣味なんですよ。家でも私が帰宅すると窓ガラスがぴかぴかになってたり。だから気にしないで下さいね」と言ってくださった。なんというご夫婦だろう。

これもある意味、引き寄せだろうか。掃除を引き寄せるって、なかなかないと思うけど。
ちなみについ先日、この社長さんから大量の牡蠣が送られたきた。毎年、音戸ちりめん倉橋島お宝トマトも送ってくださる、ありがたい方なのだ。感謝感謝。

そうそう、今年も半月ほど前、インフルエンザ大流行の最中に日帰りで東京に行って来たのだが、体力も回復したのか、今回はインフルエンザにもならず元気そのもの。新幹線の中で行きも帰りも女3人で喋り続けていたのが良かったのかも。

日常会話で死はタブー?

早いもので、今年もすでに1/3が過ぎてしまいました。
今さらですが、実は年明け早々に父が亡くなりました。100歳の大往生だったので、「こんな風に人生を終えられて羨ましいな~」と感動をもって見送ることができました。このことは別の機会にまた詳しく話すとして、きょうは「死はタブーなのか!?」という話です。

年末に、友人に紹介されたとある方と会う約束をしました。その時点で年明けのスケジュールがお互いにはっきりしなかったので、お正月休みが明けたら連絡しましょうということに。ところが、父が亡くなったことで私からの連絡が遅れてしまい、落ち着いた頃にメールでその旨を書いて詫びたところ、その方から返信があり、結局2月に会うことになりました。それはそれでよかったのですが、その方の返信メールには私の父の訃報について一切、触れてありませんでした。まだ直接会ったことがない方に、父が亡くなったと書いて気まずい思いをさせてしまっただろうか・・・と反省しましたが、その方は霊界に詳しいスピリチュアルな方と聞いていたので、逆に不思議な気もしたのです。もしかしたら、日常的に魂の話をしている人にとって、あの世に旅立つことはたいしたことではないのかも・・・などと考えたりしました。

それから、昔、暮らしていた山の集落の友達に久々にメールをしたときのこと。街に引っ越してからも、彼女とは時々会って、お喋りをして、互いの近況報告などをしていました。私が遠距離介護をしていたことはもちろん、母が亡くなるまでの経緯や、老人ホームの父の様子なども、会うたびに話していました。彼女も周りにお年寄りが多い環境で暮らしている上、いまは医療機関に勤務しているので、そういう話題をよく語り合ってきました。今回は久々に連絡事項があってメールをしたのですが、そこに「年明けに父が亡くなってバタバタしていました」という一文も入れておきました。すぐに返信メールが届きましたが、父については一言も触れてありませんでした。

前述のスピリチュアルな方は、2月にお会いしましたが、とてもすてきな方でした。山の友達も、近所の高齢者のことも心配してあげるような優しい人です。だからこそ、どうして父が亡くなったことについて一言も触れないのか、解せないでいます。単に見落としたのか!? 私の書き方が変だったのか!? なんと言葉をかけていいか、わからなかったのか!?

3月になって、ご近所のママ友たちと久しぶりに集まる機会がありました。私がここに越してきてすぐにお話をするようになった同じ町内の同級生のお母さん方です。以前は定期的に集まってお喋りしていましたが、子供たちが中学生になってからはそういうこともなくなっていたので、本当に久々にみんなで顔を合わせました。帰り際にその中のひとりとふたりきりで話す時間があったので、父が亡くなったことを伝えました。私が毎月のように広島に帰っていたのをご存知の方だったので、報告の意味でさらっと伝えたつもりです。けれど、彼女から言葉はありませんでした。その場で固まっていたのかも知れません!?

その後、別の近所のママ友とメールのやりとりをしたときも、一切、なんの反応もありませんでした。今までお互いの個人的な事情はけっこう話して、知っていたはずなのに。

もちろん、温かい言葉をかけてくれたり、お花を持ってきてくれたママ友たちもいます。反応の違いは単に親密度の違いなのかも知れません。とはいえ、親密度に関わらず、ご身内にご不幸があったと聞いた際には、お悔やみの言葉を述べるなり、何らかの反応をするのではないかな~とも思うのです。常識も教養も思いやりもある方々だと思っていただけに、いまだに解せない。日常生活の中で予期しないときに、「死」に反応する心の準備ができていないだけなのでしょうか。

日常会話で「死」の話題はタブーなのね・・・と改めて感じています。

もう結構

あと一月ほどで99歳となる私の父は、現在、実家近くの老人ホームで暮らしている。私たちも、なるべく顔を見に行くようにしているが、月に一度が精一杯。すでに父の兄弟や友人もみんな故人となっているし、もともと耳が遠い父は、今では記憶もあやふやで、以前のように会話はできないため、親戚も殆ど面会に来ない。

ところが、そんな父のもとに近所の従妹が何度も足を運んでくれているようだ。私より約10歳年上だが、いまだに独身。昔は美人だったけど、かなりの変わり者。心優しいのだが、何を考えているのかいまひとつわからない、不思議ちゃんだ。そんな彼女を昔は父も気にかけて、いろいろ世話をしていたようだが、ある時点で、「ありゃあ、ダメじゃ」と見切ったような言葉を発したことがある。

その不思議ちゃんの従妹から、連絡がきた。この間の父の日に、老人ホームを訪ねた際、久しぶりだったので、父にいろいろ話しかけ、かまってしまったらしい。(具体的に何をしたのだろう?)。それが気に入らなかったのか、父はとても丁寧に彼女にこう言ったのだという。

「ご苦労様です。もう結構です。」

この話に我が家は大爆笑! うちの父は非常に我慢強い性格だ。それに、私たちが訪ねて行っても、引き止めることもしないが、帰れと言うことも決してない。そんな父が、「もう結構」なんて、よっぽどのこと。それも、「ご苦労様です」と気配りをしながら・・・。

いや、父の気持ちはすっごくわかる。彼女に悪気はなくて、本当に親切心からいろいろやってくれるんだけど、それがありがた迷惑・・・という出来事がこれまで数限りなくあったんだもの。いやはや、本当にご苦労様でした。

*朝のコーヒーは息子が淹れるようになりました。
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草刈り

夫は昨日は広島で、きょうは山の家の草刈り。浄化槽の管理費の支払いなどの用事もあって帰ってきたのだが、大雪で壊れたままのお風呂の煙突の修理や、屋根の塗り替えなど、いろいろと家のメンテナンスが必要だ。ふぅ。

帰り道には棚田のそばのトマトの直売所に立ち寄った。日本の田んぼの景色は心がなごむ。

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老父の不機嫌の理由は?

週末は子供の塾でつぶれることが多くなり、広島に帰省する時間がとれなくなっている。今週末は私がひとりで帰ろうと思っていたが、急遽、夫が日帰りで帰ってくれた。実家の電話やインターネットの解約手続きをするためだ。もちろん父の顔も見に行ってもらったが、今回も父は不機嫌だったらしい。いまだに仕事が頭から抜けていないので、なにやら仕事のことで文句を言い続けていたとか。

前はいつも穏やかな顔をしていた父が、最近はいつも不機嫌そうにしているのが心配だ。微妙に体調が悪いんじゃないかと思うから。自分の経験から、不機嫌の原因はだいたい「体の不調」、「空腹」、「眠気」の三つに尽きる。父は空腹や眠気くらいでは不機嫌になる人ではなかったので、やはり体が不調なのかも。介護の本によれば、便秘のせいで不穏になる方は多いらしい。

ともかく、日帰りで広島に行ってくれた夫に感謝。私が子供の頃、大好きだったお菓子までお土産に買って来てくれた!

*実は広島ではなく松山のお菓子「母恵夢(ぽえむ)」!
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新しい道路

DSC04108 帰省時に車があれば、ほぼ必ず訪れる友人宅は、片側一車線の国道を通っていくしかなかった。普通は30分近く、朝夕のラッシュアワーはもっと時間がかかるし、万一、事故でもあれば立ち往生となる。大雨でがけ崩れがあって、一車線が不通になったことも。山間の国道なので、ほかに抜け道はないのだ。

それで、もう何年も前から自動車専用道路の工事が始まっていたのだが、その間に政権交代があったりで、いったいどうなることやら・・・と思っていたら、ようやくこの春、一部が開通。全線開通までにはまだ時間がかかるようだが、友人宅へはなんと10分ちょっとで行けるようになった。これもすべてトンネルのおかげ!

世の中、少しずつ便利になっていくものだ。長生きはしてみるものかも・・・と父を見ても、思う。(父は若い頃、路面電車の運転士見習い中に馬車と衝突してクビになったそうだ。)

ところで、きょうの夕方、夫は一足先に自宅へ向かった。明朝の自治会の資源ゴミ回収の担当が当っているのだ。いつも損な役回りというか、運の悪い人だな~と思うけど、これが積み重なっていつか大きな幸運となって返ってくるに違いない。

*自衛隊の日の丸は大きい!!
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父の暮らす老人ホーム

DSC04091 今朝はちょっと朝寝坊して、お昼を食べてから父の老人ホームに向かった。実は前から気になるベテランの介護スタッフがいる。なんでも自分のペースで効率的にさっさと済ませたがるため、相手に無理強いする傾向があるのだ。しかも、その態度にやさしさがいっさい感じられない。それでうちの父が激怒する場面を私は何度か見ている。父以外の入居者の方も、彼女に反発したり文句を言う場面も何度も見た。前回も彼女のせいで、父はかなり不機嫌だった。

先日、老人ホームの運営会社からの書類の中にアンケートハガキをみつけ、彼女のことを投書しようと思いついた。だが自宅から投函すると、消印から差出人の見当がつくかも知れないと思い、今回の帰省時に投函するつもりで持ち帰った。

ところが、このベテランさん、今回はなぜかとっても優しくなっていたのだ。トイレに行きたいという父を介助して下さったのだが、前と違って、丁寧で優しい。父を急かすこともしない。私の前に、誰かクレームを入れたのだろうか!?

それなのに、父はきょうもちょっと不機嫌だった。父はいつも共同スペースの大きなテーブルの前に座っている。スタッフや入居者など、必ず誰かがそこにいる。テーブルの上には、新聞のチラシの束が置いてあり、暇があるとスタッフの方がそれでゴミ袋を作るのだ。

なんでも仕事の話にしてしまう父は、そのチラシの束を書類と思っているようで、「これを名前を書いた封筒に、全部入れんといけんのじゃが、わしにはできん・・・」とぶつぶつ言っている。手が思うように動かなくなり、事務仕事さえ出来ないのが情けないらしい。働かざる者食うべからずで、何もせずにここに住まわせてもらうわけにはいかない・・・という思いが、入居当初から抜けきらないのだろう。「できんでも、ええんよ。ここの人に任せようや。ここにはスタッフもようけ、おってじゃけ~」などと、私は父をなだめ続けた。

しばらくして、そろそろ帰ろうかと席を立ったら、テーブルの向かい側に座っていたおばあさんに、「私に任せられても困るんだけど」と言われ、「やだ、話を聞いてたんだわ~」とびっくり。皆さん、ボケているのに、しっかりしておられるのだ。老人ホームは何度行っても面白い。

*きょうはそのあと、新しく開通したばかりの自動車専用道路を通って、いつもの友人宅へ行ってみた。
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父の老人ホームからの電話

今朝は息子が自治会のこども会イベントの準備会合に参加している間に、私は息子に頼まれた文具などを買いに近くのショッピングセンターに出かけた。さて帰ろうと車に乗って携帯を見たら、父の老人ホームからの着信履歴が残っているではないか! 先日から友人のお父さん方がお亡くなりになっているので、もしかしてうちの父も・・・と心臓が高鳴り始めた。98歳だもの。何があってもおかしくないのだ。

気持ちを落ち着かせて、リダイヤルしたら、いつもの受付のお姉さんがいつものように感じよく、施設長さんに取り次いでくれた。すぐに出てきた施設長さんも、いつもの声で挨拶してくださる。だが私は次にどんな言葉が出てくるかと、心臓がバクバク・・・。

すると施設長さんは、ごくごく明るい声で「○○さんってご存知ですか?」とおっしゃる。「○○は、うちの親戚ですが」と答えると、「ああ、そうですか。実は○○さんから電話があって、□□さん(私のこと)の電話番号を教えてくれとおっしゃるんですよ。それで先ほど、連絡したんです」とのこと。

老人ホームに電話したのは、○○のおばちゃんに違いない。去年の大晦日におばちゃんの娘に偶然出会ったとき、おばちゃんもボケてきたという話を聞かされたのだ(2011年12月31日のブログ)。おばちゃんは定年後は、認知症となったおじちゃんの面倒をみながら、それでも元気に暮らしていて、以前はよく自転車でうちまで来て、母とお喋りをしていた。年末に会ったおばちゃんの娘は、「最近、母の様子がおかしく、どうも初期の認知症に思えるので、本人にもそう言っているのだ」と言っていた。いろんなところに電話をかけて辛らつな話をしているようなので、うちにも電話して迷惑をかけているのではないかと心配されたが、そんなことは一切ないよと答えて別れたのだった。

以前はほんのたまにうちにも電話があったのだが、我が家が新興住宅地に引っ越してからは一度も電話はない。引越しして住所と電話番号が変わったことは、喪中ハガキで伝えたはずだが、老人ホームに問い合わせてきたということは、そのハガキも手元にないのだろう。そういえば年末に会った親戚は、おばちゃんが書類の管理もできなくなったとこぼしていた。

とりあえず施設長さんには、うちの電話番号を伝えてくださいとお願いして、父の様子を尋ねたら、「変わりなく元気ですよ」とのこと。ああ、よかった~! でも、おばちゃんのことでまた新たな心配が・・・。

ところで、息子はこども会の準備会に参加したただひとりの男子だったようだ。女子にやりこめられながらも、久々に同級生に会えて楽しかったに違いない。午後からは、またお弁当を持って春期講習へ。ご苦労さん。

*ショッピングセンターの駐車場から。以前はあの山の向こう側に住んでいたのだ。
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年寄りの思い

車がないので、お昼は昨日のカフェで新しくメニューに載っていたタコライスを食べたいと思ったのだが、きょうは定休日だった。が~ん! そこで駅前の古い喫茶店に入った。実はものすご~く古いお店で躊躇したのだが、ほかに選択肢もなく時間の余裕もなく、入ったのだ。扉をあけたら意外と人がいる。しかも常連さんなのか、お客はかなりの高齢者。老人ホームに来たのかと錯覚したほどだ。(お店の方もわりとお年・・・)

メニューは典型的な喫茶店の軽食のみ、わりといい値段で、はっきり言って美味しくはない。だが息子はここでも漫画があったので満足して読みふけっている。私は週刊誌をめくりながら、店内のお喋りに耳をそばだてる。かなりご高齢のご婦人が、しっかりとした声で世相について喋っているのだ。今の政治家のふがいなさとか。「昔はね、東條さんがこう言ってたのよ。(と演説を口マネ)。頑張ってるな~と思ったわよ」などと。

その後、焦って老人ホームに駆けつけると、父はちょうどトイレの介助をしてもらったところで、洗面台の前に立っていた。ところが介助のおばちゃん2名が手を洗わせようとしても、頑として動かない。きれい好きの父は、普段はものすご~く丁寧に手を洗うのだが、きょうは完全拒否。その理由は一目でわかった。介助者が父の嫌いなおばちゃんだからだ。はっきり言えば、私もこの方は苦手である。ベテランの方なのだが、それゆえに何事もさっさと効率的に進めたいらしく、相手のペースに合わせないのだ。「なるべく楽に早く終わらせたい」というのがみえみえで、少々のことなら力づくで無理やりやらせるのだ。それで父が思い切り抵抗した場面を、私はよく覚えている。きょうも、そうだったのだろう。

決して水道にさわろうとしない父に、私が「じゃ、きょうはこれで手を拭いたら」とウェットティッシュを差し出すと、受け取ってくれた。それを見て、例のおばちゃんはここぞとばかりに「じゃあ、お願いします」と消えてしまった。もうひとりのおばちゃんは、彼女について研修している新人さんらしい。

昨日はいつもの優しいお兄さんたちがいたせいか、父の機嫌はよかったのに・・・。最近は問題ないようだが、かつて父がたまに不穏になることがあると施設長さんに言われたことがある。こちらの問題もあるとは思うが、スタッフとの相性も意外と重要なのかも知れない。

それでも父はきょうも手を振って、私たちを見送ってくれた。

帰り道、息子に、「じいちゃん、どうして不機嫌だったと思う?」と訊くと、「あのおばちゃんでしょ。わかってるよ。お母さん、絶対訊くと思った」と即答された。そして、こう続けた。「確かに嫌なおばちゃんだけど、ああいう嫌な人も、たまにはいなくちゃいけないんだよ。」

はぁ、なるほど。そういう人のお陰で、われわれも修行して成長できるというわけですね。

*実家近くの幼稚園では卒園式が行われたようだ。
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新幹線で、こんな本を読みました。

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老人ホームの父の愚痴

実家に戻ると、インターネットがつながらない。今朝、夫がプロバイダに問い合わせたところ、どうもモデムが故障したようだ。新しいモデムとの交換手続きをして、まずは先日、亡くなった叔母の家を訪問。その後、お昼を食べて、父の老人ホームへ。

父は私たち3人の姿を見て、すぐに認識してくれたが、そのうち「あっちに行きたい」などといろいろ要望を言う。車椅子でフロアを移動してみるが、なんだかんだと不満を言う。それをうんうんと聞いていると、父はますます不満を述べる。もしかして、普段いろいろ我慢していることがあるのだろうか。身内が来たからと、心に溜めていたあれこれを吐き出しているのだろうか。不満といっても、それは父の妄想のようなもので、具体的に解決法があるわけではないのだが、「うんうん、大変だねぇ。もうちょっと我慢してもらえるかねぇ」とこちらもなだめるしかない。

やがて電車の時刻が迫り、もう帰らねばならないことを伝えると、ずっと不満をぶつぶつ言っていた父は、あっさりと「それはご苦労さんでした。気をつけて」と機嫌よく、手を振って見送ってくれた。どんなときも父は「帰るな」と引き止めることはない。ホームの中には、家族にわがままを言って困らせる方もたまにいらっしゃるけど、うちの父は決してそんなことはない。

とはいえ、月に一度のわずかな時間、私たちに会うときはちょっと甘えてグチを言ってみたのだろうか。きょうは特に、叔母(父の妹)が亡くなったことを思い出させてしまったし、寂しかったのかも知れない。そう思うと不憫になったけど、いつも変わらず淡々と現実を受け止めて生きている父を尊敬している。

*お昼は久しぶりの大戸屋で!
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