大好きなデペッシュモードやクイーンの記事にいくつかコメントをもらったことがきっかけで、しばらく忘れていたUKロック熱が近年、私の中で蘇っている。といっても最近の音楽シーンについてはまったく知らないので、あくまでも昔、好きだったバンドを今さらながらに思い出している状態。
その中で、どうしても避けて通れないのが、ザ・スミスだ。まだ大学生だった80年代に、LPレコードで聴いたのが最初だったが、そのまま東京で就職してからは、本当に没頭して聴き続けた。就職して親に頼らず自活を始めたものの、初任給では食費も切り詰めるぎりぎりの生活。仕事が終わると、狭いワンルームマンションの部屋で、毎日のようにスミスのアルバムを聴いて、モリッシーの歌詞の世界に浸り、深く深く共感していたのだ。
その後、生活に少しずつ余裕ができて、いつか留学するという夢のためにお金も貯めた。そして実際に2年ほどパリに留学して帰国した私が東京で再就職した頃、ザ・スミスが解散してソロになっていたモリッシーが初来日を果たしたのだ。昔、モリッシーは飛行機嫌いだから来日しないだろうと聞いていたので、「こんな極東の国まで来てくれるなんて!」と感激して、武道館公演のチケットを1枚買い求めた。その頃、私の周りにはスミスやモリッシーの話ができる人もいなかったので、ひとりで行くしかなかったのだ。
そして、武道館公演を楽しみに待ちわびていたある日の夕方、私は昔の同僚と久しぶりに会うことになっていた。待ち合わせ場所は、六本木Waveという大型レコード店。普段は待ち合わせに遅れることのない元同僚が、その日はなぜか時間になっても現れず、私は入口の前でひとりぼ~っと待っていた。すると、まるで私に会いに来たかのように、入口のガラス扉を開けて私の目の前にモリッシーが現れたのだ。「あ、モリッシー!!!」と頭の中でつぶやきながら、「まさか!? ほんと!?」と信じられない気持ちに。思わず、そばにいたボディガードらしき外国人のおじさんに、「モリッシーですか?」と話しかけたら、「自分で訊いてみれば?」と言われ、勇気を出して訊いてみた。
「モリッシーですか?」
「そうだよ」
「あ、あの、サインもらっていいですか?」
「いいよ」
私は急いで、バッグからきれいな便箋とボールペンを出した。
モリッシーがサインをしている間、「武道館のコンサート、見に行きます」と言うと、「楽しんでもらえたらいいけど」と優しい答え。それまで雑誌の記事などから、勝手に「モリッシーは、気難しいから、話しかけちゃいけない人」というイメージを自分の中で作り上げていたのだが、ごく自然に、普通に感じのよい人だった。
モリッシーにサインをもらって、入口に戻った頃、元同僚が「遅れてごめんね」とやって来た。「構わないよ。それよりも、それよりも…モリッシーが、、、モリッシーが、、、」と興奮して言葉にならない状態の私を見て、元同僚は冷静に言った。「モリッシーが誰なのか知らないけれど、厚子ちゃんがこんな状態になっているということは、ものすごい人なのね。」そして、私がモリッシーにサインをもらったことを話すと、「厚子ちゃん、せっかくだから写真も撮った方がいいよ」と言って、近くのお店で『写ルンです』を買って来た。そう、スマホもない当時、急に写真を撮るなら『写ルンです』だったのだ。
サインをもらった上に写真までお願いするなんて、モリッシーに嫌がられないかしらと心配する私をよそに、彼女は「厚子ちゃん、早く!」とモリッシーに近づいた。不思議だったのは、有名なレコード店だというのに、その日はお客もほとんどおらず、店員さんもモリッシーに気づいていなかったこと。私が再び、モリッシーに写真を撮っていいかと尋ねると、彼は嫌がることなく、でもシャイな感じで、私と一緒に写真に写ってくれた。もちろん、元同僚がシャッターを押してくれたのだ。
その様子を見て、ようやく店員さんがモリッシーに気づいたようで、そのあと、モリッシーはまたサインをすることになったのではないかと思う。私はといえば、すっかり満足して、元同僚と一緒に夕飯に出かけた。本当に好きな人には、会えるものなのだなぁと思いながら。
「モリッシーとの遭遇」――私にとっては大歓喜、大興奮の出来事だったが、その時の私の周りには、この喜びを共有してくれる人がいなかった。私にとってはあまりにも嬉しい出来事だったので、翌日、職場の仲良しの同僚に話してみたが、いまひとつこの出来事のすごさを理解できないようだった。実はこの時、私が勤務していたのはイギリス系の会社で、私のチーム内に2名のイギリス人がいたのだが、日本人スタッフはともかく、外国人スタッフとはまだそれほど打ち解けていなかった。仕事以外の話をすることは、めったになかったからだ。
だがこの日の私は、上司であるエリートのイギリス人ではない方のイギリス人に思わず話しかけていた。「昨日、モリッシーに会ったの」と。すると彼は、「モリッシーに!?」と大きな声でものすごいリアクションを返してきた。「嘘だろ!?」と言わんばかりに。「モリッシーに会ったのか?」と聞き返す彼に、私は前日もらったサインを見せた。すると彼はすごいなぁという顔で、本当に感心してくれたのだ。そこから彼と音楽の話が始まり、それ以降、彼と、私を含めた日本人スタッフの会話も増えて、チームの雰囲気もなごやかになったように思う。まだCDやカセットの時代だったので、彼が「ニューオーダーの新作、聞いた? まだなら録音してあげるよ」とテープを持ってきてくれたこともあった。
その後、同じ年の11月24日にクイーンのフレディが亡くなるのだが、ロンドンからその第一報が入ったとき、隣のチームのイギリス人がフロア中に響き渡る大きな声で、そのニュースを伝え、『伝説のチャンピオン』を歌いだしたことを今でもはっきり覚えている。
それからしばらくして、私はある音楽雑誌の編集長と会う機会があった。モリッシーの来日時、唯一、その雑誌だけがインタビューできる予定だったのに、モリッシーの体調不良でドタキャンとなり、その編集長はずっと会いたかったモリッシーに会えなかったそうだ。「私、偶然、モリッシーに会って、サインもらって記念写真も撮りました」と思わず言ってしまった私。けれど、これ以降、このモリッシー話を自慢できる人が周りにいない状態が相変わらず続いている。去年、ザ・スミス以前のモリッシーの物語を映画化した『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』が公開された時も、ひとりで観に行ったくらいだし。
そういえば、80年代に、シェフィールド出身のABCというバンドのマーティン・フライから手紙の返事をもらったことがあった。最近読んだ本、見た映画やバンドなどのリストがあって、感想などが書いてあったのだが、当時はまだ知らなかったザ・スミスの名前があったことに、だいぶあとになって気づいたことがある。
ああ、久しぶりにカラオケに行って、ザ・スミスを歌いたい気分だ。
*モリッシーがライヴでポケットに入れていたのは、グラジオラスだったけど…