広島日帰り

おとといの夜遅くに広島から戻ったばかりなのに、きょうまた、私だけ日帰りで広島まで親戚の結婚式へ。きょうのために新調したワンピースは、体型をかなり隠してくれるデザインだと思っていたけど、あとで記念写真を見たら、やはり私はデブだった。若くて美しい花嫁と並んでいるのだから、なおさらのこと。

ふたりはとっても幸せそうだったし、ふたりの友人たちも本当に祝福していたし、料理も美味しかったし、懐かしい写真の数々も見られたし、感動的なステキな披露宴だったのだが、つくづく思った。「いや~、やらないでよかったよ、披露宴」と。

子どもの頃から、結婚してお母さんになることが夢だった私だけど、成人してからは「結婚はしたいけど、披露宴だけはやりたくない」という思いがだんだんと強くなった。20代は、そんなわがまま言う前に、結婚相手がみつからなかったんだけど、実際に30代で結婚が決まったときも、披露宴をする気はまったくなかったので、後日、親戚のみの食事会を開いただけ。

花嫁衣裳は若いうちに着てみたかったけど、それは記念写真として残しておけばいいので、その姿を大勢の人に見てもらおうなんて、とてもじゃないけど思わない。個人的に親しい人たちに結婚の報告をしたいとは思ったけど、公の場で、自分が主人公となり、着飾った自分をみんなに見てもらうなんて、私はとても恥ずかしくて考えられない。

もちろん、他人がそうすることには何の異論もなく、披露宴に行けば、「きれいだな~」とか「幸せそうでよかったな~」と、単純に感動するのだけ(けっこう涙も流す!)、ただ、「私には絶対できない」と思うのだ。「たとえ生まれ変わって、また結婚することがあっても、披露宴は絶対しない!」と断言したいほど。

ここまで披露宴拒否症になったのは、もしかしたら、私が友人として初めて出席した結婚披露宴のせいかも知れない。私が大人になって初めて招かれたのが、小学校時代の親友の結婚披露宴だったのだが、それ自体は普通の披露宴だった。当時、東京にいた私は、久々に会った親友の姿を見て感動したものの、披露宴って意外と退屈だな~なんて思ったりもした。ま、それはそれでよかったのだけど、それからしばらくして、親友の新居に招かれたときのこと。平日の昼間、私と親友のふたりきりだったのだが、親友はおもむろに「ビデオ見る~?」と言って、披露宴のビデオを再生したのだ。「えっ、私、披露宴に行ってたよ」と思って親友を見ると、彼女は花嫁姿の自分をうっとりとみつめているではないか。これで私、ドン引きしてしまったんだと思う。でも、彼女が幸せそうな顔をしていたので、私も仕方なく、退屈な二度目の披露宴を最後まで見た。彼女は、「結婚した自分、花嫁になった自分」に浸っていたのだろう。もしかしたら、ひとりきりのときも、何度も何度も、あのビデオを見ていたのかも知れない。

私が東京に住んでいたせいもあり、また私は独身だったせいもあり、その後、彼女とは疎遠になっていくのだが、心の奥底に「あのビデオをまた見せられたら、たまらない」という気持ちがあったことも事実である。

あ、でもきょうの披露宴はよかったよ~。(って、今さらわざとらしい!?)

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