ドゥブロブニク

昨晩、サッカーのボスニア戦を見るとはなしに見ていたら、アナウンサーがビッチ、チッチ言っている。いやぁ、ボスニアの選手名を見たら、見事にほぼ全員が○○ビッチ、○○チッチとなっていた。大学時代、ホテルの電話オペレーターのバイト中に、ポッポビッチさんという人から電話があって、吹き出しそうになったことを思い出した。(まだ箸がころんでもおかしい年頃だったのだ。)

80年代の終わり頃、私はクロアチアのドゥブロブニクという街に一週間ほど行ったことがある。アドリア海の真珠と呼ばれる美しいリゾート地だ。銀行のジュニアディーラーの世界大会だったので、日中はずっとセミナーを受け続けたが、夕方や週末の自由時間に中世の姿をそのまま残す旧市街やお隣のモンテネグロまで足を伸ばした。

ある日の夕方、ドゥブロブニクの旧市街をひとりで歩いていたら、どこからともなく美しいリュート音楽が聴こえてきて、中世にタイムスリップしたような幻想に襲われた。そのまま音楽の出所をたどると、一軒の画廊(といってもお土産屋さんに近い)に行きついた。そこではおばあさんが、息子の版画を売っていた。絵にもひきつけられて、衝動買いしたら、作者である息子さんも出てきて、リュート音楽のタイトルを教えてくれた。

あまりに美しい街だったので、いつか新婚旅行で再訪しようと決意したが、その後、内戦が勃発した際に、この美しい街も攻撃された。なぜかわからないが、私はセミナー中もセルビア人と思われる人たちには好意がもてず、クロアチアの人たちに妙な親近感があった。あの日の夕方の、あの夢のような空間体験もいまだに鮮明に脳裏に焼きついている。バカらしいと思われるだろうが、密かに私は思っている。きっと私は前にもここに来たことがあったのだと。だって、そこにいるだけで涙がでてきたのだ。

だから、ボスニアには負けるわけにはいかない(!?)。引き分けでよかった~。(あとで調べたら、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口構成は、ボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%でした。う~ん、複雑!)

*これがドゥブロブニクで買った版画です。
dubpr

*大学時代にゼミで読んだ『ドリナの橋』。ユーゴの複雑な歴史がわかります。
ドリナの橋

“ドゥブロブニク” への2件の返信

  1. うちの下の娘、今春大学生になる子なんだけど、なぜか中学生の頃にボスニア・ヘルツェゴビナにすごい興味があって、いろいろ調べてました。たしか何かのゲームの音楽の歌がその国の言葉だったという線からはまったんだと思うんだけど。。
    なんだか物悲しい音楽だったような。。。ちなみに娘の名前は温子っていいます。
    時々鳩胸温子って変換ミスの原因になってます。

  2. 娘さん、いつかボスニアに行かれるでしょうか? もう興味はなくなったかな? 私が行った当時は、まだ社会主義国のユーゴスラビアだったので、ベオグラード(ボスニアじゃないけど)の空港もえらく暗くて、さびれていたけど、ドゥブロブニクは明るかったです。四月から大学生、いいですねぇ!温子さんによろしく!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です