長生きの秘訣

きょうは広島を離れる日。午前中に亡母がお世話になった方々へのご挨拶に伺い、お昼を食べてから、広島駅まで夫を迎えに行った。私ひとりで車を運転して帰るのはしんどいだろうと、午後から新幹線でわざわざやって来てくれたのだ。

そこで、最後に家族3人で老人ホームの父に会いに行き、「今から帰るけぇね。今度は連休に来るけぇ、それまで元気にしとってよ」と言うと、「わざわざわしに会うために、寄ってくれたんか。ありがとう。ありがとう。気をつけて、帰りんさいよ」と、至極まっとうに答えてくれた。

父はすっかり老人ホームでの生活に慣れ、これが「日常生活」であり、ここが「自分の居場所」となったようだ。理解できないこと、思い出せないこともたくさんあるけど、私たちが家族であること、ときどき会いに来ること、そして母が亡くなったことは、しっかりわかっている。

このところ、いつ帰って来ても、父の様子は変わらない。顔色も体調もよさそうで、いつも淡々としている。この年になると、徐々に衰えていくのかと思いきや、いつも同じ。最近では、足腰を鍛えるためなのか、廊下を歩いていることが多い。(椅子に座ると、すぐうとうとしてしまうらしい)。しかも、私たちが訪ねると、スタッフの女性たちに囲まれていることが多いのだ。何かと、かまってもらっているらしい。

もっと若い頃は、偏屈で、かわいらしくないことを言う変わり者として知られていた父だけど、根は素直で親切だし、ものごとを率直に言う人なので、今では見事に「可愛いおじいさん」になっている。何か手伝ってもらえば、「お世話になりました。ありがとう」と丁寧にお礼を言うし、声を荒げることはないし、けっこう笑わせてくれるので、スタッフの方々に可愛がってもらっているようだ。毎日、だいたい同じ人たちが顔を合わせ、触れ合って、暮らしていることが、父の健康の素なのだろう。

広島を出る前に、両親が長年お世話になった友人宅に寄ったのだが、彼女がこんなエピソードを教えてくれた。母がまだ元気だった頃、母のいないところで、「もし○○さんが先に死んだら、お父さん、どうするん? 困るじゃろ?」という話になったとき、「もっと若い奥さんもらうけぇ、大丈夫じゃ」と父は冗談を言っていたらしい。母の目の前では、「わしは、○○さんなしでは生きていけません!」などと、のうのうと言っていたくせに。この切り替えの早さが順応力となって、父はこの年まで元気に長生きしてきたのだろう。今も老人ホームのスタッフの方々から、若いエネルギーをもらっているようだ。

人間にとっていちばん怖いのは孤独だと、つくづく思う。心を開いて、笑顔でいれば、どんな状況でも人とつながって生きていける。

*街を歩いていたら、みつけた根性ほてい。
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*岡山のサービスエリアで食べた「佐賀シシリアンライス」
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