私の東京脱出の理由(阪神淡路大震災の日に)

阪神淡路大震災があった1995年1月17日からきょうで23年である。

あんなに憧れて東京に出た私が、東京脱出を決意したのはその前年の1994年だった。本当は自分自身の問題だったのかも知れないが、当時の東京に閉塞感を感じて、とにかく東京、いや日本を出なければと思っていた。バブル崩壊後の世の中に、なんともいえない厭世観というか、ネガティブな空気が満ちている気がして、どうせなら優雅に楽しく下り坂を転がっていかねば…と思い、そのお手本として一足先に下り坂のヨーロッパを見てきたいなぁと考えていたところ、ひょんなことで中国に行くことになった。本当のところ、私はただあの当時の東京、日本を出たかっただけで、行き先はどこでもよかったのかも知れない。とにかく、あの空気に耐えられなかったのだ。

春に中国に行こうと準備していた矢先に、阪神淡路大震災が起こり、私の東京脱出の決意はますます揺るぎないものとなった。幸いなことに私は震度4以上の地震を経験したことはないのだが、それでもひとりで暮らす東京のマンションの部屋で夜中に震度4の揺れを感じたときは恐怖だった。丸の内や大手町のオフィス街で働いていた頃はさほど気にならなかったのだが、その後、渋谷に通勤するようになってから、渋谷駅前の大きな歩道橋を渡るたび、「いま大地震がきたらどうなるんだろう」と漠然とした不安を抱くようになった。トラックが通過するだけで歩道橋が揺れるので、これで地震がきたら…と思うと、自然と小走りになった。そう思いながら地下鉄に乗ると、またも不安になる。真っ暗なトンネルの中にいるこの瞬間に、地震がきたらどうなるんだろうと。

ひとり暮らしであったことが、一番の不安の原因だったと思う。何かあっても、家族がいれば探しに来てくれるだろうが、ひとり暮らしではどうにもならない。だから「万一のとき、こんなところで死ぬわけにはいかない! 早くここを出なくては!」と思ったのだが、そんなとき地下鉄サリン事件が起こり、私は決意を固くした。

その後、日本に帰国して、京都に暮らすことになったときも、郊外の山に囲まれた物件を借りた。裏に小川と畑があったので、たとえ地震がきても、なんとかなりそう…と思えたのだ。その後、山奥の過疎地で茅葺屋根の古い家(平屋)に暮らし、いまは湖のそばに住んでいる。いつどこで何があるかはわからないけれど、少なくとも東京にいた頃と違い、自然の景観に恵まれた場所で、家族と共に心穏やかに暮らしていることは確かだ。

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