私のように思い込みの激しい人間は、いったん自分の中に染み付いた考えをなかなか修正できなくて、困ってしまう。偏狭な人間にはなりたくないと思いつつ、先入観を排除するのって、ほんと難しいと思う。
たとえば、国旗・国歌問題を調べていたときに、ネット上で昭和24年の日の丸について書かれた天声人語をみつけた。ネットでざっと調べたら、50年以上経過した新聞記事の著作権は失効しているとのことだったが、一応、朝日新聞の担当部署へ電話で問い合わせた。「ネットで昭和24年の天声人語をみつけたんですが」と言った時点で、若い男性スタッフが正確な言葉は忘れたが、「えっ、やばいなぁ」と舌打ちするような対応をした。「え、もしかして転載しちゃいけないの?」と思って訊いてみると、どういうことに利用するか申請して、許可がおりなければダメだとのこと。なんだか感じ悪かったので、そそくさと電話を切り、今度は著作権情報センターというところに問い合わせたら、年配の男性が親切に「50年過ぎてたら、大丈夫ですよ」と答えてくださった。
それで、もう一度、朝日新聞の担当部署に電話をしたら、今度は若い女性がきちんと対応してくれた。その方は、著作権が失効していることは承知の上で、あくまでも「利用申請をしていただくようお願いしている」とのこと。それを無視して勝手に転載しても、新聞社としては何も言えないということだ。「じゃあ、仮に申請して、許可が下りない場合もあるんですか?」と訊くと、はっきりとした回答はなく、「申請してお返事がくるまで、どれくらいかかるんですか?」と訊くと、天声人語の場合は編集委員が検討するので、2-3日かかるとのこと。転載ではなく引用であれば、申請なしに勝手に行ってよいということだったので、それで電話を切った。
これを著作権情報センターの方に報告したら、「はぁ、そういうこともあるんですねぇ。法的強制力はないから、あくまでお願いとういことですから、それを無視するか、しないかは、あなた次第ということですねぇ」という話で終わったのだが、ちょっと待てよ。私がなんの知識もなしに最初の電話をかけていたら、「ネット上に昭和20年代の朝日の記事が流出していたのはとんでもないことで、それを勝手に転載するのもとんでもないこと(違法行為?)」と受け止めていたと思う。仮にも著作権担当部署のスタッフが、そんな対応していいんだろうか。
こんなに憤慨してしまうのも、すべては朝日へのわる~いイメージが私の頭にこびりついているから。かつて朝日の取材を受けた知人が、それから数年後、そのときの記者の個人的な政治活動に利用されたことがある。どこからか、その知人の個人情報を得て、連絡をしてきて、その人の善意を利用したのだ。
最初から決めつけちゃいけない…と思いつつ、やっぱダメだ。先日、国旗・国歌問題で私と反対の意見の方から紹介された書籍をわざわざ取り寄せ、読み始めたのだが、私の理解力が足りないのか、どうも説得力にかけて、わけがわからない。しかも、この著者、どこかで聞いた名前だな~と思って調べたら、光市の殺人事件で犯人の精神鑑定をした精神科医のひとり。例のドラえもんを持ち出した、驚愕の精神鑑定に関わっていた人だ。しかもシンポジウムで同席した本村さんに、「社会に謝れ」と暴言はいた人。もう、それを思い出しただけで、私はこの本を読む気がなくなってしまった。こんな態度じゃ、いけないと思いつつ。
ところで、昨日はさんざん喋って喉が痛かったのに、きょうもけっこう喋って、一向に喉はよくならない。春から近所に引っ越してくる山の友達に頼まれて、ご近所さんに同学年の女子情報や習い物情報を尋ねたら、延々と話が続いてしまって…。確実な情報網と、大量の最新情報をもつこのご近所さん、とっても頼りになる存在だ。
それは先入観じゃなくて、れっきとした経験値なのでは?
そうですね!?
個人的に知り合った記者の方は、とってもいい方だったんですけど、やっぱり「アカヒ」と揶揄したくなることがあります。カラーがはっきりしてるのはいいけど、たまに「それはあかんやろ!」というのがありますから。